10月 第2木曜日 その2
花岡朱兎は、突然の訪問者に唖然としていた。
マイペースな三兄妹の中でも、飛び抜けて我が道をゆくタイプの兄・緋馬。突拍子もない行動も珍しくはないのだが、たまにこうして前触れもなく訪れては家族を悩ませてくれる。
「あー……だから来んなって言ったのに……」
夏鶴が頭を抱えた。鷹枝はものすごいスピードで『closed』の札を出しに行った。虎吉も足をもつれさせながら、大慌てで窓のブラインドを下げる。
にこにこと呑気にプリンパフェをパクついているのは緋馬だけだ。
「おねぇ、こっち来んなってメッセ読まなかったのかよ……。おねぇが二人いたらおかしいだろうが」
夏鶴の理不尽な指摘に、両親すらも青ざめた顔でうんうん頷く。
「待って待って? おかしいのは緋馬でしょー? 女装すんのは家の中だけって約束なのに、これじゃ私が偽物みたいじゃなーい!」
渦中の緋馬は聞いてるんだか聞いてないんだか、ひょうひょうとスプーンを口に運び続けている。見え隠れする八重歯を除けば、本当に自分そっくりだ。
双子の兄の緋馬と朱兎は、異性の二卵性双生児とは思えないほど瓜二つである。同じ両親から生れているのだから似ていてもおかしくはないのだが、小さい頃は『どっちがどっちだか分からないけど、どっちもかわいいねぇ』と、ご近所さんからしょっちゅう言われていた。
というのも、二人が似ているというより、緋馬が朱兎と同じ顔なのだ。男の子でありながら、女の子顔負けな美少女顔。緋馬自身も自覚はしており、『朱兎よりボクのほうがかわいい!』と断言し、ケンカになることもしばしばあった。
野球好きの父は、昔のスポ根アニメに出てきそうな名を兄に付けた。『かっこよくて強い子になってほしい』という願いが込められている。
なのに兄の緋馬ときたら、朱兎の服で勝手に出かけ、『あれ? 朱兎ちゃん、さっきは文房具屋さんにいなかった?』とご近所さんを驚かす快感を覚え、自分の服よりも朱兎の服を着ている日のほうが多い幼稚園児だった。
自然とかわいい物を好むようになり、アクセサリーやポーチも朱兎の真似をするようになった。両親も朱兎も散々注意したが、緋馬の変身願望はエスカレートするばかりで、『ボク、大きくなったらこの人と結婚するー』と父の観戦していたプロ野球の選手を指指す始末。
こりゃいかん、と両親は焦り、小学校入学と同時に、緋馬を地元の少年野球チームに入れた。『野球が上手くなってプロになれたら、いつかあの選手とも結婚できるぞー!』という父の欺し文句にまんまとハマったのだ。もちろん、母の雷が落ちたのは言うまでもない。
それでも緋馬は純粋に父の言葉を信じ、せっせと野球に打ち込み、私立中学からスカウトをもらえるほどにめきめき上達していった。
きっかけはどうあれ、年々有名人になっていく息子を誇らしく思う両親は『家の中だけ』という約束で妥協し、プロ野球選手である現在も、女装癖は密かに継続中というわけである……。
一方四つ年下の夏鶴は、小学校低学年の間は姉のおさがりを喜んで着ていた。だが、身体を動かすことの大好きな双子とは正反対で家から出たがらないオタク器質なわりに、四年生の時点ですでに小柄な双子を抜かし、気付けば兄の外出用着がぴったりになっていた。
緋馬の女装癖で免疫がついたのか諦めがついたのか、両親は夏鶴の男装については特に何も言及しなかった。夏鶴も朱兎と同じ星花女子学園中等部に入学したが、生活態度も成績もそこそこ優秀なので、咎める人が誰もいなかったのだ。
ふにゃっとした笑顔が人気な童顔兄より、夏鶴のほうがよっぽどイケメンだと自他共に認める妙な兄妹。両親は頭を抱えているようだが、三兄妹にとってはそれが自分たちらしいと思っている。
双子の妹の服を着る兄と、兄の服を着る妹。朱兎はそんな兄妹に挟まれながらも、我が道をマイペースに進み育ってきた。
「帰れってそゆことー? あんた、試合は? 日本シリーズ前の大事な時じゃないのー?」
栗毛のセミロングウィッグをわしっと掴み、朱兎は緋馬を覗き込む。緋馬はウィッグが若干ずれたのも気にせず、柄の長いスプーンを咥えながら上目使いをしてきた。
「うん! だから食べに来た!」
中学生の時からあまり変わらない、少年のような甘い声。「おいしいよ?」と、こんこんっと涼やかな音を立て、緋馬がパフェグラスを爪で弾く。プリンパフェは昔から緋馬の大好物だ。今日の移動日を使い、お忍びで食べに来たといいうことなのだろうが……。
「子供かっ」
古本屋のおっちゃんが首を傾げていたのはこれか……と、やっと合点がいく。
「おいしかったーぁ。ごちそうさまー! ねぇ夏鶴、大学はどう? 友達できた?」
優しい兄の声で尋ねるのだが、容姿が伴っていない。女性ファンも多いドルフィンズのショートストップはどこへやらだ。
「そうそう、明日の朝には出るからさ、今日は朱兎んとこ泊めてねー」
実は朱兎と夏鶴が住んでいる部屋は、緋馬がプレゼントしてくれたマンションだ。はなおかの二階が実家になっているのだが、三兄妹も大人になりさすがに手狭なので二年目に妹たちのために購入してくれたのだ。
ただ単に妹たちがかわいくてプレゼントしただけではない。マンションには緋馬の女装コレクションがずらりと揃っているのだ。シーズンオフに帰省した際、思う存分楽しめるようにと、クローゼット代わりに購入したと言っても過言ではない。
「えー、やぁよ! 上で寝なさいよー!」
「えー? いいじゃーん。ぼくが前に買ったいちごネグリジェ、そっちにあるでしょ?」
にこにこと呑気なことを言い放つ緋馬。家族のヒヤヒヤがちっとも伝わっていない。
このまま外に出れば、花岡朱兎が二人になる。商店街で根強く開いている喫茶店の双子は、有名人だというのに……。
「じゃあさ、朱兎が上で寝たら?」
「いやよー! 私、明日も仕事だもーん」
「ぼくだって仕事だもーん」
「いちごネグリジェ着たいだけでハイリスクなことしないでよー! しゃべったら私じゃないって一発でバレるのにぃ」
「しゃべんなきゃいいんでしょー? マンションまで五分なんだから、走ってけば誰にも話しかけられないって」
「そーゆー問題じゃなーい!」
どちらも譲らぬ双子に「くだらねぇ……」と項垂れる妹。両親は呆れて片づけをしだした。結局幼い頃からそうしてきたように、じゃんけんで決めることにした。
しかしどういうわけか、昔からじゃんけんはなかなか決着がつかない。「あいこでしょ! あいこでしょ!」を何十回と繰り返す。同じものを出すところまで、双子はとてもよく似ているらしい……。
「わーい! いちごネグリジェー!」
「くっそーぉ!」
今回はあいこを三十回以上繰り返し、勝利したのは兄の緋馬だった……。