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12月 第4金曜日 その3

 



 一柳さつきはめまいを覚えていた。

「んー、私は多分Sでちょうどいいけど、さつきちゃんって164センチなんでしょ? Mじゃキツい? 肩がしっかりしてるからLかなぁ? あ、でも水着に肩周りは関係ないかぁ。んじゃあ……」

 うーん、とレンタル水着コーナーで首を傾げている朱兎。自分の分は一目惚れで決めたらしく、すでに右腕に確保されている。さつきは選んでもらっている嬉しさよりも、その腕にぶら下がっている水着に釘付けだった。

「しゅ、朱兎さんっ? ほ、ほんとにそれ着るつもりですか?」

「え? なんで? 似合わないかなぁ?」

「い、いや……似合わないはずはないですけど……」

 喫茶はなおかに飾られたパネルに一目惚れして『人魚姫みたい』と想像したのはさつきだ。気持ちも伝えた。今でも憧れなのは変わらない……。

 だからって……。

「ちょ、ちょっとエッチじゃないですか? 男性の目だってありますし……」

「そうかな? レオタードだって同じ表面積だよ? 大会で数万人の前でこーゆーの着てたんだから、私はぜんっぜん慣れっこだけど」

 そう言われてしまうと、返す言葉がない。ビキニは下着と同じ表面積なのに、どうして人前でも恥ずかしくないのかは永遠の謎であるが、さつきがめまいを起こしている原因は朱兎が今ひらひらと眼前にかかげているデザイン自体にだ。

 肩のストラップ部分には、真珠を模した大きめのビーズが並んでいる。真珠の貝殻の形のカップに、下はサンゴが揺らめいているというビキニなのだが……。

「やっぱり、なんかえっちです! それはやめて別のにしましょうよ!」

「そう? さつきちゃんが人魚好きだって言ってたから選んでみたんだけどなぁ。えっちと思うさつきちゃんがえっちなんじゃない? 私のつるぺたなんて、誰も見てやしないってーぇ」

 あははっと笑われ、さつきの顔がますます赤くなっていく。えっちなのか? そう思う自分が一番えっちなのか? と立ちくらみを覚える。

「おー、これなんかさつきちゃんらしくていいんじゃない? 炉室も少ないし、絶対似合うよー」

 いつの間にかラックの向こうに移動していた朱兎がぴょこっと顔を出した。ラック越しに「じゃーん!」と掲げたのは、ここ数年メジャーリーグで大活躍の小谷大平の所属チームのユニフォームを模したツーピース。ショートパンツ型なのでVラインが気にならなそうではあるが……。

「決ーまりっ。んじゃ、借りてくるからちょっとここで待っててねー」

「あー、ちょっと朱兎さーん!」

 小柄な朱兎は頭を引っ込めると、ラックの森に紛れて姿が見えなくなった。止める術を失ったさつきは「えー!」と髪をくしゃくしゃする。天然なのか恥じらいというものが抜けているのか、後先が思いやられるさつきであった。

 ※

「あー楽しかったねぇ! さつきちゃんも水に慣れればもっと楽しめるのにぃ。ご飯食べて一休みしたら、もっかい泳ぎに来よっか!」

「いえ、もういいです……」

 げっそり肩を落として答えると、朱兎はけらけら笑って「そんなんじゃ、入学しても私の水泳指導について来れないぞー?」と背中をばしばし叩く。そういう問題じゃないです、と反論する気力もなく、さつきはよろよろとフィッティングルームのカーテンを閉めた。

 流れるプールでは流され、波のプールでは波に飲まれ、ウォータースライダーではお尻から滑り落ちたさつき……。

 絶対に溺れることはないからと引きずられていったプチシュノーケリングに至っては、ライフジャケットを着けているにも関わらず沈みかけ、もがいた拍子にスノーケルに水が入って更に暴れて魚たちも大慌てで逃げて行くという珍事件を起こしてしまった……。

 隠れてしまった魚たちがなかなか出て来ず、周りの白い目とくすくす聞こえる笑い声に、底に足は着いても好きになれない小学校のプールのほうがまだマシだったのだと学習したのだった。

「大丈夫大丈夫! 今度私が泳ぎ方教えてあげるよ! あははっ、特別課外授業だぞー?」

「い、いえっ結構です! いくら朱兎さんとデートでも、もう水泳だけは……」

 着替えを済ませ、地に足が付くことの有りがたさを実感しながら「泳げなくても死にはしませんもん」と口を尖らせ廊下を急ぐ。

「いやいや、泳げなかったら溺れるでしょー。溺れたら死ぬでしょー。泳げたほうが楽しいってー」

「そりゃ朱兎さんみたいにすいすい泳げる人魚さんはいいですよ? あたしにはむいてないんです。いいんです、あたしは泳げなくたって、朱兎さんと一緒にいられただけで楽しかったですから」

「あははっ、嬉しいこと言ってくれるねぇ。あーお腹空いたぁ。ちょっと休憩したらビュッフェ行こうね! あっ、そういえば……」

 お揃いの浴衣を着た朱兎がふと足を止めた。「どうしました?」と振り返ると、さつきの後ろ髪を掬っていた。続いてまじまじと覗き込んでくる。

「さつきちゃんが髪下ろしてんの、初めて見た! いつもキリッと一本結びだもんね」

 ドライヤーを雑にかけただけなのでまだ湿っぽいさつきの髪を、朱兎は「へぇー」と言いながら手櫛で鋤いてくる。

「下ろしてるのもかわいいよ? お姉さんっぽい」

 にこにこ見上げてくるので、さつきの頬がカーッと赤くなる。『お姉さんっぽい』という言葉には若干引っかかりを感じるが、褒められて嬉しくない女子はいない。

「そ、そうですか……? 朱兎さんはポニーテールも下ろしたのもかわいいです!」

「ほんと? あははっ、さつきちゃんはいい子だなぁ」

 べしべしと背中を叩いてくる朱兎。乾ききっていない髪が、浴衣をしっとり濡らしていく。

 部屋に戻り、二人同時にため息をついた。朱兎は遊び疲れに、さつきは溺れ疲れにである。

 時刻はちょうど七時だった。一時間くらい休んだら食事に行こうと約束し、朱兎はころんと畳に転がる。色白の足が、はだけた浴衣の隙間から覗いた。さつきはふかふかクッション付きの座椅子にもたれ「テレビつけてもいいですか?」とリモコンを手にした。

「あっ、朱兎さん! 花岡……お兄さん出てますよ!」

 適当につけた番組は、年末恒例の『プロ野球珍プレー好プレー』の特番だった。さつきは毎年録画するほど楽しみにしている番組なのだが、今年はお泊まりデートという一大イベントに薄れ、録画してくるのを忘れてしまっていた。

「あーそうそう、今日だったねー。今朝CMで知ったわ。始まったばっかか」

 ふわーっとあくびをし、朱兎がふにゃふにゃ寝返る。すでに眠そうだ。どんぐりお目々はとろんとしているが、視線はテレビ画面に向いているようだ。

 冒頭は珍プレーからだ。ピッチャーが弾いたライナーを空中でキャッチする緋馬。ここまでは好プレーにも見えるが、捕球した後、勢い余った緋馬はピッチャーの背中におんぶ状態になる。支えきれず倒れ込むピッチャー。親亀転べば子亀も転び、結局は二塁打にしてしまうという珍場面だった。

「あーこれリアタイで見てました! これ、二人ともケガなくてよかったですよねぇ。確かこの後はちゃんとショートゴロ裁いてチェンジになったんでしたっけ」

「そうなの? さすがさつきちゃん。両親は毎試合見てるけど、私はあんま見てないから知らなかった。ボールばっか見てて周りを見れてないって、子供の頃から怒られてたよ、あいつ」

「あー、ちょっと分かる気がします。お兄さんのプレーって、ショートの守備範囲だいぶ超えてる時ありますもんね。あたしはサードやる時、こっちが捕球しようとしてんのに、ショートが突っ込んで来て危うくぶつかりそうになる時があるんで、ちゃんと声かけとフォロー気を付けようねって注意しますよ」

「注意して聞くやつじゃないよ、うちのおばかは。自分がケガするだけならいいけど、味方にケガさせたら大ごとだかんね」

 困った顔の朱兎とは裏腹に、画面の中の緋馬が『にゃははっ、これは好ブレーでしょー』と笑う。司会のお笑い芸人も隣の席の他球団選手も『いやいやいやいや』と首をふっている。

 花岡緋馬はファンもアンチも多いと聞く。プロを目指すさつきも、いずれはバッシングなどを覚悟しなければならない時が来るのだろう。リトユニでの最後の試合の後、監督に釘を刺されたっけな……と背もたれに身を預けた。

 続いて好プレー集が始まった。自他共に認める切り替えの早いさつきはすでに先程までの水難を忘れ、プロたちの熱いプレーに見入る。いつも横からぐちぐちと罵倒する兄もいないので集中して楽しめた。

「あれ? 朱兎さん?」

 CMに入り、番組に釘付けになっていたさつきが振り返ると、朱兎はぱかんと口を開けたまま眠っていた。あれだけはしゃげば疲れるだろう。さつきはくすっと笑い、押し入れから引っ張り出した毛布をそっと掛けてやった。

 口が開いているのでちょっと尾間抜けだけど、それもまたかわいい……。小学生の自分よりもはしゃいで楽しんでいた大人の姿を思い出し、さつきは頬を緩ます。

 四月からは教師と生徒だ。二人で出かけることもできなくなるだろう。ましてやお泊まりはきっとこれが最初で最後だ。この寝顔は二度と見れない……。

「一枚だけですから……」

 囁き、スマホを構える。罪悪感の分だけ、シャッター音がいつもよりも大きく聞こえた。





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