12月 第2木曜日 その3
花岡朱兎は通話ボタンをタップする。モヤつきを吹っ飛ばすような、さつきの元気いっぱいの声が受話口から流れてきた。
『こんにちは! 今、お電話大丈夫ですか?』
「あーうん。六時から次の仕事だから、それまでなら大丈夫。どしたの?」
『よかったです! えっと、実はでですね、あのですね……』
一言前までの威勢はどこへやら。さつきの口調が急に歯切れ悪くなった。
「さつきちゃん?」
『え、えっとえっと……あ、あのっ! クリスマス、ご予定ありますか?』
「クリスマス? んっとぉ……」
自分大好き緋馬が自ら貼った、キッチンのドルフィンズカレンダーに視線を向ける。
「金曜日だから仕事だけど、その後は特にないよ?」
『ほんとですか! じゃ、じゃあ……あたしとお泊まりしませんか?』
「えっ! お泊まり?」
「えっ! お泊まり?」
デフォルトでデカいさつきの声が漏れていたのか聞き耳を立てていたのか、緋馬が背後でリピートした。思わぬ誘いに、朱兎の脳内はハテナがいくつも飛んでいる。
『え? 誰かいるんですか?』
朱兎は口パクで『うるさい』と緋馬にチョップを入れた。気になるワードを耳にした緋馬は「おー? おー?」とどんぐり目を輝かせている。朱兎はソファを離れダイニングチェアに座った。それでも視線は突き刺さる。
「あ……ううん、テレビテレビ! んで、お泊まりって……どこに? まさかさつきちゃんちに?」
『ちちちちちちち違いますよっ? ホテルです、ホテル。ほ、ホテルって言ってもちゃんとしたホテルですよっ? いかがわしいホテルじゃなくてですねっ?』
今時の小学生は本当におませだな、とこめかみをぽりぽりする朱兎。明日でやっと性教育の授業が終わる。さつきや純粋な少女たちが自分の身体を自分で守れるよう、講師として文字通り死に物狂いで頑張ったつもりなので、結果が出るとよいのだが……。
それはさておき、しどろもどろで語るさつきの説明に耳を戻す。
『えっと、えっとですね、この前行ったレオンレオンの抽選会にノリで申し込んだのが当たったんです。ドルフィンズスタジアムのシーズンシート一席か、レオンレオン系列の獅子太郎ホテルってとこのディナー付きペア宿泊券か選べるんですけど……。だだっ、だめですよね? あたしなんかとお泊まり……』
「お泊まりかぁ……」
朱兎はしばし考える。自分が小学生の時は、遠征先にに必ず母が付き添ってくれた。中学の時はコーチが付き添ってくれた。高校へ上がってからは一人で泊まったこともあった。それはもちろん、両親の承諾を得てのことだ。
「いやぁ、だめじゃないけどぉ……。お母さんには聞いたの?」
『母には了解得ています。そんなに遠いわけじゃないし、大人の人とならいいよって。だから、あとは朱兎さん次第というか……』
獅子太郎ホテルは三年ほど前にオープンしたアミューズメント型ホテル。屋内プールにはウォータースライダーや流れるプールはもちろん、シュノーケリングやジャクジーなど、子供から大人まで楽しめると評判の施設が備わっている人気のホテルである。
大学時代に友人と行こうとした朱兎だが、易々と宿泊できる価格ではないため計画倒れしたこともあった。何か引っかかるものもあるが、予定もないし断る理由も特にない。
「うん、分かった。私も行ってみたかったから、私でよければ」
『ほほほほほほんとですかーっ? い、いいんですかっ? あたしと、その……クリスマスデートですよっ?』
さつきの絶叫で音割れするスマホを少し耳から離し、朱兎は「あはは、デートかぁ」と苦笑いを浮かべる。ソファの縁に顎を乗せてじぃーっとこちらを見ていた緋馬が「ぬわにーぃ? でぇとーぉ?」とにんまり口端を上げた。
『ありがとうございます! じゃあ早速予約しておきます! 待ち合わせ時間とか場所とかはまた連絡しますね!』
鼻息荒く言い切ったさつきの『ではまた!』という言葉を最後に、通話は一方的に終了した。
「なんだなんだーぁ? 朱兎も一丁前にクリスマスデートぉ? しかもお泊まりぃ? やーらしーい!」
「一丁前ってなによー! 小学生よ? この前握手してあげたでしょ? はなおかに本郷さん連れて来た時。あの子あの子」
「うん? そうだっけ? あーぁ、いいなぁ。ぼくもチョタとクリスマスデートしたかったなーぁ。チョタはクリスマスディナーショー、ぼくはバラエティ番組の収録があるから会えないんだもんなぁ」
ぶーっと口を尖らす緋馬。あっという間に木の棒と化した元チョコミントバーをふりふりしている。自ら緋馬の口に突っ込んだのを後悔し、朱兎は仕方なくスイーツたちをテーブルに並べた。
シーズンオフ恒例、プロ野球選手はイベントやらテレビ出演やらでなんだかんだと忙しい。クリスマスに拘らずとも、シーズン中は毎日一緒にいるじゃんかとツッコミたかったが、面倒くさいので今はレアチーズタルトと共に飲み込んでおいた。
「んで何? 朱兎はその小学生とやらとでいいわけ?」
「何が?」
フォークを置き、甘めのミルクコーヒーをすする。
「クリスマスだよぉ! 君の気持ちはどうあれ、その小学生にとっての大事な『クリスマス』に応えてあげるんだ。それなりの覚悟があるってことでしょ?」
ビシッと元チョコミントバーを向けてくる緋馬の発想がおかしくて、朱兎は思わずミルクコーヒーを吹き出しそうになった。
「あははっ、覚悟ぉ? 何それ、大げさじゃない? あの子はまだ小学生だし、ソフトボール一筋で彼氏もいないんだろうし、私のことはただの憧れとしか思ってないよ? せっかく当たったのに子供同士じゃ行かれないから私を誘ってきたんでしょーが」
「けらけら笑ってタルトを頬張ろうとすると、緋馬がすたすた背後へやってきた。皿に残る最後の一口を元アイスバーでぐさっと差し、「あぁー!」と朱兎が止める隙もなく口へ放り込んだ。
「バカ緋馬ぁ! プリンソフトもチョコミントもあげたでしょー! 横取りしすぎー!」
「んもう、分かってないなぁ。憧れと好きってどう違うのか知らないけどさ、その小学生にとって朱兎は『特別」なんでしょ?」
「話を逸らすなー!」
「んー、これもおいしいねぇ。どこのコンビニの? ニアマート?」
「許さーん!」
片割れの怒りをようやく察した緋馬は「えへへっ」と笑ってごまかそうとした。それが煽りになってしまったと気付いたのは、朱兎が緋馬の頬をむんずと掴んだからである。目がマジだ。
食べ物の怨みは怖い。特に今日の朱兎は、心身共に甘味を摂取しないとやっていられないのだ。横取りされて怒らないわけがない。緋馬の大福のような頬をむにゅーっと引っ張った。
「テレビ収録があるんだったっけぇ? えー? ひーうまちゃーん?」
「い、痛ひ痛ひっ! 顔はやめ……」
「ごめんなさいはー? 調子にのってごめんなさいはー!」
「ご、ごめんなひゃひー!」
とはいえ、ごめんなさいを貰っても心も身体も満たされない。涙目で許しを乞うので放してはやったものの、怒りは一向に治まらず……。
「あいたたたっ……。んもうっ、分かった分かった。買って来るからそんなに睨むなよぉ」
「……早くね。私、あと三十分したら家出るから」
ふんっと顔を背け、ダイニングチェアに戻る。緋馬は頬を摩りながら「しょうがないなぁ……」と呟き、マリンブルーのダウンジャケットを羽織った。
「マジな話しさぁ」
玄関に続く扉に手をかけ、緋馬が振り返る。
「憧れと好きは、必ずしもイコールじゃないとは限らないとぼくは思うよ」
「……まだその話し? 大丈夫大丈夫、本郷さんは花岡緋馬一筋だってば! いいから早く行ってきてよ」
「んもぉ……。はいはい。分かってないのはお互い様なのに……」
背を向ける直前に見た緋馬の横顔は、ちょっぴり切なげだった。こりゃ平行線だわ……とダイニングテーブルに頬杖をつく朱兎。ふと、キッチンのドルフィンズカレンダーが目に止まる。
「クリスマス、ねぇ……」
約束をした際の、さつきの嬉しそうな笑顔が目に浮かぶ。さつきにとって朱兎は『憧れの存在』だとして、自分にとってさつきはどんな存在と言えるだろうか……。
「知り合い?……じゃ、あまりにもそっけないし……」
少なくとも朱兎にとってもさつきは『特別な存在』ではある。ひた隠しにしてきた左足のことを告白できたのも、さつきに救われたからだ。
「恩人? じゃ、大げさだし……。あっ!」
ガタッと勢いよく立ち上がる。ダンス教室の支度を忘れていた。ダンス着とタオル、それに着替えと水をいそいそリュックに押し込む。
考えても、きっとしっくりくる答えは出てこない。考えることには昔からむいていないのだ。それは緋馬も同じだ。
関係性やどんな存在かは、今は重要なことではない。さつきは星花生ではないのだ。身体の赴くままに、行きたいところへ行きたいと思う人と行けばいいだけ……。
開き直ったら楽しみになってきた。朱兎はスマホのスケジュールアプリに予定を追加する。
『さつきちゃんとお泊まり』




