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12月 第2月曜日

 


「やーがみん」

 空きコマの二時間目を利用し、花岡朱兎は保健室にひょっこり顔を出した。

「ったくもー。八神先生と呼べって何度言ったら……あれ? 花岡先生か」

 白衣を纏った保健医の八神麗緒はおやつタイムにしようとしていたのか、その手には板チョコが握られていた。朱兎が「おやぁ?」と視線を向けると、麗緒は面倒くさそうに半分に割り差し出してきた。

「口止め料? あっ、これって冬限定の『メルシーキス』の板チョコバージョンじゃーん! わーい、食べてみたかったんだー」

 朱兎は遠慮なく一口で頬張る。もぐつきながら「あ、いただきまーす」と付け加えた。呆れ顔の麗緒が前歯でかじり、「んで? 何の用?」と尋ねてきた。

「あぁ、そうそう。今週の体育さ、全学年創作ダンスの予定だったんだけど、急遽変更して『愛と性について』にしようと思うんだよぉ」

「愛と……性……」

 リピートして、麗緒はぷはっと吹き出した。

「ちょっとぉ、なんで笑ってんのー? 私は保健体育の講師なんだけどー!」

「あははっ、いやいやすまんすまん。その童顔で生徒に性教育してる光景を想像したらつい、ね」

「つい、じゃなーい! 生徒たちには言われると思ったけど、やがみんまでぇ」

「ほー? 言われる自覚はあったのか」

「う、うるさいなぁ。だからやがみんも協力してって言いに来たのー!」

「協力? んまぁ医学的な観点なら、花岡先生よか話せるかもしれんが……」

 言って麗緒は「んじゃ、これで」とスマホを突きつけてきた。朱兎はぱちぱち瞬きをし、画面を覗き込む。

 そこには、リーグ優勝旅行先でアロハシャツを着ている緋馬が三人で映っていた。恋人であるイケメンエースの本郷蝶太郎といかつい顔のキャッチャーの間に割り込む形でにこにことピースをしている。

 どこでこんな写真を? と思えば、麗緒が閲覧していたのはSNS『ツイックス』のネットニュースだった。『ドルフィンズ本郷、アロハシャツも様になると話題に』という、なんとも平和な記事である。

「……これが?」

 朱兎が視線を上げて首を傾げると、麗緒はにんまり口角を上げた。

「あたし、ハワイ限定デザインの財布、ずっと欲しかったんだよねーぇ。もちろん代金は渡すからさぁ」

 画像の上方を、つんつんと麗緒が指指す。三人の背景の店舗に、どこかで見たロゴがあった。麗緒が通勤時によく着ているブランドのロゴだ。

「あー、そんなことならお安い御用よ。んじゃついでに私のも買ってきてもらおーっと」

 朱兎は早速スマホを取り出し、緋馬にメッセージを送り出す。麗緒が「ほんと?」と立ち上がりかけたところで、保健室の扉がノックなしに勢いよく開いた。

「いたいた。聞いてくれよ、やがみーん」

 頬を押さえながらずかずか入ってきたのは、ソフトボール部エースピッチャーの二年生、東忍。性教育の授業を急遽差し込まねばと焦らせた一人である。

「なんだ、ちび教師もいるじゃん。またサボりに来てたのか」

「むー、ちびでもサボりでもありませんよーだ!」

「嘘つけ。二人でチョコかなんか食ってただろ? 甘い匂いぷんぷんしてんぞ、この部屋」

 ぐぅっと押し黙る朱兎。開き直った麗緒は華麗にスルーし、窓のブラインドをシャンッと絞った。

「ノックをしろ、ノックをぉ。どうした東、虫歯でも作ったか?」

 明らかにニヤついている麗緒。普段教員をからかったり生意気な発言をしたりと、悪ガキ三昧な忍が苦痛に顔を歪ませているのがおもしろいらしい。

「ちげーよ! 見てくれよ、この傷」

 ベッドにどかっと座り、忍は左頬に当てていた手を放した。麗緒が「あちゃー」と仰け反る。朱兎もどれどれと覗き込んだ。

「うはぁ、痛そー! どしたのこれ。爪?」

 小麦色の忍の頬には、くっきりと四本の引っ掻き傷が残っていた。朱兎がつんつん指でつつくと「いてーなっ!」と忍が朱兎の手を払いのけた。

「触んな、ちび教師」

「へへーんだ。どうせまた草薙さんとケンカでもしたんでしょ? 東さんに反抗するのなんてあの子くらいだかんねー」

 今度は忍がぐぅっと押し黙る。消毒液を手にした麗緒がニヤつきながら戻ってきた。

 聞けば、音楽の授業でクリスマスソングを歌っていた最中に、『二枚看板』と呼ばれるもう一人のエースであり、忍の恋人でもある草薙麗くさなぎれいが、隣で歌っていた同級生にちょっかいを出していたのがきっかけだという。

「あいつ、俺との約束忘れてんだかなんだか知らねぇが、『クリスマス、いいことしない?』とか口説いてやがったんだぜ? 俺以外のやつとやんのかよってツッコんだら、くすくす笑って『忍とは夜ね』だってさ。あいつたまに冗談なのか本気なのか分かんねぇ時があるしよ、クリスマスに浮気されるくらいなら、今ここで俺がそいつを冒してやるって脅してやったんだ」

 どちらにも全く共感できない話しにドン引きする教員二名。お構いなしに忍は話し続ける。

「そしたらあいつ急に逆ギレしやがってよ。言い合いになったんだ。平手打ち喰らいそうになったから避けようとしたんだが避けきれなくて……」

「はぁ……んじゃ愛の証ってわけだ?」

 茶化した麗緒に言い返そうとした忍だったが、消毒綿を強く押し当てられ「んぎゃっ」と飛び上がった。

「こんくらい我慢しろ。にゃんこに引っ掻かれたんならちょっとは同情するが、相方に引っ掻かれたってんならご愁傷様としか言い様がないな。くだらんヤキモチ妬きっこで授業妨害したんだろ? 自業自得、自業自得!」

 痛覚という弱みを握った麗緒は、ここぞとばかりに「分かったか? 分かったらごめんなさいは?」と、綿花でぐりぐり。特に気にしているわけではないが身体的特徴をいじってくるヤンチャな生徒の苦悶の表情に、朱兎もそうだそうだと加勢する。

「……ったく、体罰だろ! ドS保健医!」

 ふてぶてしく睨み上げる忍の鋭い眼光は今はマウンド上とは違い、どこか等身大の女子高生が見え隠れしている。口も態度も悪い忍だが、相方を取られたくない嫉妬心がちょっぴりかわいく思えてくる朱兎と麗緒。……時も内容も最悪だが。

「はいはーい、傷丸見えだとイケメン台無しだからこれ貼ったげるねー。貼ったら授業に戻んなさいねー」

 朱兎が横からしゃしゃり出て、ガーゼを、忍の頬にぴしっと貼ってやった。その様子を見て、麗緒は吹き出しながら朱兎の後頭部をはたいた。「あだっ」と前のめりになる朱兎。

「……あーぁ、音楽の授業なんてつまんねーから戻りたくねーなぁ。全部体育がいいぜ。それも、全部ソフトの授業で」

「あらら? 嬉しいこと言ってくれるけどさ、つまんない授業があるからこそ私の体育がより楽しいのよーん!」

「は? 別にちび教師の授業が好きなわけじゃねーし。俺はただ体育が好きなだけだってーの」

 ニッと笑って朱兎の頭をなでなでする忍。生徒に見下ろされている屈辱よりも、ポニーテールが乱れるのを気にする朱兎は「やめてよー」とじたばた抵抗する。

「さぁさ、早く帰った帰った。あたしも花岡先生も打ち合わせで忙しいんだ」

「ちっ、どうせまたチョコでも食うんだろ? じゃーな、ありがとーございましたー」

 悪態はつくがかわいい生徒の足音が遠ざかる。再び二人きりになった保健室に、麗緒の笑い声が響いた。

「あははははっ! ちょっとぉ、あたし知らないからねー?」

 笑いながら朱兎の背中をばしばし叩く。朱兎はペン立てにマジックをぽんっと投げ入れ、ぺろっと舌を出した。

「むふっ、これで東さんと草薙さんは仲直り確定でしょ?」

「いやいや、そうかもしれんが、バレたら東にぶっ飛ばされるぞー?」

 とはいえ、あの野性的な忍の頬に『草薙麗は俺のもの』と、ハートマーク付きで書かれたガーゼが貼り付いている姿を思い出し、二人はまた思い切り吹き出してしまう。

 腹が痛いと言いながら、麗緒は忍のカルテを更新する。思う存分笑ったところで、さてどうしようかと向き合って座る朱兎と麗緒。

「東の言動をタイムリーに聞いちゃったら、こりゃ早めに『愛と性について』しないとだなぁ」

「でしょでしょ? 『愛と性について』しないとでしょ? もうみんなの脳内は、クリスマスイブイブイブイブくらいだからさぁ」

 うーん、と首を傾げる二人。どちらも相手の性体験が気になるところだが、あいにくどちらも体験談を語れるほどの恋愛経験がないことはお互いに知らない。それぞれの教育学で教わった性教育を、そのまま伝えていくことにした。

「ロマンチックだけど浜辺でしちゃダメとか、我慢できなくて湯船の中でしちゃダメとか、具体的な例も入れたほうが分かりやすいよね?」

「確かに。野蛮なやつらは雑菌が入るなんてことは考えずにおっぱじめるからなぁ。自分の身体は自分で守らにゃ。ネットが不及してると知識が増えていい面もあるが、間違った知識を取り入れてしまうのが一番危ない。現実はエロビデオや小説のように奇麗には終わらんからな」

「やがみん、今はビデオって言わないんだよ?」

「……ど、動画動画! さっ、んじゃマニュアルを元に資料作りますかねぇ。あっ、昨年度までの資料ってここにないんかなー。ほら、花岡先生も昨年度の資料ないか探してこんか」

 世代を感じる発言をもみ消すように、麗緒はいそいそとパソコンデータをあさり出す。朱兎は「確かに!」と手を打って、一旦職員室へ戻ることにした。

 星花現役の頃は新体操で頭がいっぱいだった朱兎。もう少しまともに保健の授業、聞いておけばよかったなぁと苦笑するのであった。






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