表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/37

12月 第1日曜日 その4

 


「さつきー?」

 一柳さつきがハッと我に返ったのは、車から降りてきたリナに声をかけられた時だった。

 花壇に腰かけ涙を流し続ける朱兎を見下ろしていたさつきは、首だけリナに向く。

「リナ……悪いけどあたしの荷物お願いしていい? 後でリナんちに取りに行くから」

「え、それはいいけど……」

 リナは困惑気味な目を、さつきと朱兎に行ったり来たりさせる。ハットを被っているし、横髪で朱兎の顔はリナには見えない。『誰なの?』と今にも問いかけてきそうなのを察したさつきは「とにかくお願い!」とリナの両肩を持って回れ右させた。

「わ、分かった。んじゃ気を付けて帰ってよ?」

 何が何だかなリナに説明できないもどかしさを抱えつつ、さつきは「ありがと」と頷く。震える朱兎の背を摩り、車に戻って行くリナを見届けた。

「朱兎さん……?」

 さつきは隣に腰かけ、嗚咽しか返ってこない朱兎にそっと寄り添う。スタジアム前の時計台を見上げれば、一羽のカラスと目が合った。

 駐車場もほとんど空っぽになり、冬の短い陽も傾いてきた。涙を拭いてあげようにも、タオルもティッシュもバッグの中だ。リナと共に先に帰ってしまったのだ。

「ごめんね、さつきちゃん……」

 久しぶりに聞いた声はずいぶん鼻声だった。それでもさつきは一安心できた。このまま泣き止まなかったらどうしよう、バスがなくなっったらどうしよう、倒れてしまったらどうしよう……などと、柄にもなく最悪の想像ばかりしていたからだ。

「ううん! 謝ることなんて何もないですよ! 何か飲みますか? あそこの自販機で温かいものでも……あっ」

 言って思い出す。スマホも財布もバッグの中だということを……。

「ありがと、大丈夫……。さつきちゃんこそ何か飲む? 寒い中付き合わせちゃったから冷えたでしょ?」

 朱兎は言いながらチーンと鼻をかんだ。バッグをあさり、高級そうな財布から千円を差し出してくる。

「いえいえ、あたしはぜんっぜん寒くないですから。朱兎さんこそ、何か飲めば落ち着きますよ? コーヒーですか? 紅茶かココアがいいですか?」

 千円を受け取り、ありったけの作り笑顔で問いかけた。本当は心配も聞きたいこともたくさんある。でも、今は憧れの人の支えになりたい一心だった。

 赤目で見上げてきた朱兎も、バレバレの作り笑顔。すでに心配かけているが、もう大丈夫とでも思わせたいのだろう。「えっとねぇ……」と悩んでいる。

「そうだな……さつきちゃんが飲みたいもの買ってきてくれる?」

「あたしの飲みたいの、ですか?」

 そう言われても……と付け足そうとしたが、自販機のサンプルの中に『チルタイム』というパッケージを見つけた。前々から飲んでみたいと思っていたエナジー系のドリンクだ。

 以前コンビニで見かけた際、母に買ってとねだったら「あれは大人の飲み物よ」と却下された。そう言われると飲んでみたくなるのが子供心。しかも、今の朱兎に元気をチャージできそうだ。

 ダッシュで購入したはいいが、肝心の『温かいもの』では全くない。心の中でやっちまった……としょんぼりするさつき。その表情とパッケージですでにバレたらしく、朱兎は「冷たくてもいいよ」とチルタイムを受け取った。

「さつきちゃんのは?」

「いえ、あたしは……」

「一緒に飲もうよ。今日の圧勝に乾杯しよ?」

「……はい!」

 釣り銭を戻してくるので、さつきは再び自販機へダッシュする。同じ物を購入し「いただきます!」とプルタブを押し上げた。

 生まれて初めてのエナジードリンクは、炭酸がキツくてちょっぴり大人の味がした……。

「はー……身体にしみるねぇ」

「ぷっ! おじさんくさいです、朱兎さん」

「いやいやぁ、このしみる感じが分かればさつきちゃんも大人の仲間入りだよぉ」

 朱兎があははっと元気に笑うので、さつきもやっと落ち着いてきた。一気に飲み干し、わざと「っかー!」とビールを浴びたおっちゃんの真似をする。

「うまいうまい! さつきちゃんのお父さんはお酒飲むの?」

「飲みますよ。うちはお母さんも結構飲むので、あたしもきっと強いです」

「へぇ、じゃああと八年経ったら飲みに行こうか!」

「ほんとですかー? 嬉しいなぁ、朱兎さんに飲みに誘ってもらっちゃった!」

「うふふっ、さつきちゃんはかわいいなぁ」

 赤目以外はすっかりノーマルモードに戻った朱兎が、自分より背の高いさつきの頭をなでなでする。子供扱いは大嫌いだが、今だけはくすぐったい嬉しさを噛みしめようと目を閉じるさつき。

「私ね、左足がないの」

 朱兎が唐突に意味不明なことを言った。さつきは思わず「え?」と左足に目がいく。

「実際にはあるの。……って、意味分かんないよねぇ」

 足元に視線を感じた朱兎が、両足をぷらぷら浮かせた。右も左も均等に動いている。どういうこと? と視線を上げると、朱兎は切なげに笑った。

「さつきちゃんといるとね、左足が戻ってくるの。おかしいでしょ?  自分の自尊心に振り回されて、消えたり戻ったりすんの」

 べこっ、と缶の凹む音がした。さつきがお間抜けに口を開けていると、朱兎はぷらぷらさせたままの両足を見つめながら語り出した。

 それはまるで、物語の中のお話しのようだった。黙って聞いていたさつきだったが、半信半疑……いや、半分以上信じ難い話しだった。

「信じられないよねぇ。私も意味分かんないし、誰にも分かってもらえないだろうから、家族にも言ってないんだ……。さつきちゃんが初めてだよ?」

「なんで……なんであたしなんかに?」

「うーん、そうだなぁ……黙っててもよかったんだけど、さつきちゃんにそばにいてほしいから、かな……?」

 顔が熱くなっていくのと同時に、さつきの握っていた缶がぐしゃりとつぶれた。二人の頭上を、数匹のカラスがカァカァと飛んでいく。

「え、え、え? それは、どどどどどどどういう……」

「あー、ごめんごめん。どういうもこういうもないの。ただ、さつきちゃんがそばにいてくれると元気になれるなーってだけの話し」

 けろりと言われても、さつきの鼓動はちっとも治まらない。ハットを浅く被り直し、朱兎は小さくため息をついた。

「さっきね、監督がここに来たの。『凪にもさつきにも、今後関わらないでくれ』って言われちゃった……」

「監督って……泉原監督ですか? なんでそんなこと朱兎さんに……」

 大目玉のくらった直後の『どうしてどいつもこいつも花岡なんだ』という泉原の台詞がさつきの脳裏に蘇った。

「私が関わると悪影響なんだってさ、凪にもさつきちゃんにも。父親としても監督としてももっともらしいこと言ってたけど、あーゆーのを毒親って言うのよねぇ。凪も凪だよ、お父さんの言う通りにしちゃってさぁ。はー……」

 言い終えて、大げさに肩でため息をつく朱兎。缶の側面をぺこぺこ鳴らしてモヤ付きを表している。冷静さを取り戻してはいるようだが、今度動揺するのはさつきのほうだった。

「酷いです! あたしにだって凪さんにだって、選ぶ権利はあるはずです。それを朱兎さんにも強要するなんて! ダメですよ? 朱兎さん、あたしの前から絶対いなくなったりしちゃダメですからね?」

「あはは……ありがと。やっぱさつきちゃんは頼もしいなぁ。うん、いなくなったりしないよ? 来年、学校でも会うしね」

「ほんとですか? 今年度で退職とかしないでくださいよ? 絶対いなくなったりしないでくださいよ? 約束ですよ?」

「うんうん。約束! さっきの話し、言わないって約束してくれたら、私も約束守るよ」

 お互いに小指を差し出す。絡めた朱兎の小さな小指がやけに冷たくて、さつきはその小指ごとぎゅっと握りしめた。

 のどかな田園風景にぽつんと佇むスタジアムを後にする。スマホも財布も先に帰ってしまったさつきが事情を話すと、「私のせいだもん」と言う朱兎が帰りの交通費を出してくれた。最寄り駅までのバスはすでにガラガラで、二人仲良くシートに並んだ。窓側で外を眺める朱兎の横顔は、どこか付き物が落ちたように見えた。

「あの、聞いていいですか?」

 夕日の眩しさに目を細めて問いかけると、朱兎は座り直しながら振り返った。

「うん、なあに?」

「その……なんで泣いてたんですか? あたしや凪さんに関わるなって言われたからですか? それとも、他にも傷つくようなこと言われたんですか?」

 朱兎の表情が一瞬曇った。

「うーん、なんでだろうなぁ。自分が情けなかったのかなぁ。よく分かんないや、あははっ」

 すっかり赤目も引いていつもの朱兎なのだが、情けなかった以外の理由を隠している気がして、さつきはモヤ付きを覚えた。でも今はそれ以上掘り下げる時ではない気がして、「そうなんですね……」と納得したふりをするしかなかった。

 さつきはなんだか寂しくなり、再び窓に顔を向けようとした朱兎の手にそっと触れる。暖かい車内のおかげか、朱兎の手は先程より温かい。振り返った朱兎がにっこり握り返してくれた。

 この人のそばにいたい……。改めてそう思った。















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ