11月 第2日曜日 その2
「朱兎さん、なんでいるんですかっ!」
休日だというのに学校で再会できた嬉しさと驚きで、一柳さつきはいつぞやのインコのように両手をバタつかせた。
校内では花岡先生と呼ばれている朱兎は振り返り、名前で呼ぶ存在にきょとん顔。それがさつきだと認識すると、ニアまんに伸ばしていた両手で自分の顔を指差した。
「いやいやいや、私ここの先生だし! 運動部の様子はたまに見てるし……ってか、さつきちゃんこそな……んむっ!」
なんで、と言いたかったのだろうが、ニアまんを取り上げていた長身の部員が「ほいよっ」と背後から朱兎の口にニアまんを突っ込んだ。不意打ちに朱兎のどんぐり目が白黒している。
「へぇ、一柳さつきか……。来年うちに来るかもって後輩たちが騒いでたけど、噂はほんとだったんだな」
小柄な朱兎を押しのけ、小麦色の肌をした長身の部員がさつきににじり寄ってきた。見たところ高等部生だ。身長だけでなく、男子顔負けのイケメン女子。リトユニの中では一番背の高いさつきよりはるかに高く、目の前まで来るとニヤリと見下ろしてきた。
これからからんでくること間違いなしな空気に、気の強いさつきも目尻を尖らす。しかし、少なくとも来年先輩になる存在である。「なによ」と喉元までこみ上げてきたのを飲み込み、スポーツ少女らしく元気よく挨拶した。
「はい! 一柳さつきと言います! 今日は星花ソフトボール部を見学させていただきます!」
ぺこりと会釈をして頭を上げると、小麦色肌先輩がさらに口角を上げた。
「おもしれーじゃん! 高等部二年の東忍だ。俺のボール打てたら見学させてやるよ」
「え? でも……」
関西弁つるつるおっちゃん先生の許可は得ている。なのに今更条件を付けてくるとは試されているのかからかわれているのか……。いずれにしても、高校生だろうがナメられたに変わりは無い。さつきはいよいよ語気を強めた。
「分かりました。打てばいいんですよね? ホームランでいいですか?」
「ほー! 生意気なこと言うじゃん。んじゃ、予告通りホームランにしてもらおうか? 言っとくけど、俺はナメられんのが一番ムカつくんだよな。手加減しないから覚悟しとけよ?」
そう言うと、「誰かバット貸してやんな」と部員に呼びかける忍。あちゃーと額に手を当てている部員もいれば、わくわくやハラハラを隠しきれない部員もいる。おっちゃん先生に至っては、ベンチで腕組みしたまま「がははっ、おもろそうやな」と笑っている始末。
さつきがネコであれば、逆毛を立たせているだろう。ささっとバットを差し出してくれた部員に礼を言って受け取り、「持っててもらえますか?」と朱兎にバッグを預けた。
「おぉー、楽しみ楽しみ! どっちもがんばれー!」
バッグを受け取る朱兎は、わくわくを隠せない派らしい。学生ですかあなたは……と心の中でツッコミながら、三度素振りをするさつき。重さもグリップも悪くない。悠然とバッターボックスに入った。
「知れた仲間と紅白戦なんかつまんねーなと思ってたとこだったんだ。三球勝負でどうだ?」
「あたしも練習試合がドタキャンになったんで、暇つぶしにちょうどよかったです。一球でもいいですけど?」
「はんっ! マジで生意気だな、お前。小学生泣かしたらブーイングくらいそうだから、三球やるってんだよ!」
さつきと忍が火花を散らしていると、「ったく、しょーがないなぁ……」と急いでキャッチャーマスクを被った部員がミットを構えた。
「行くぞ!」
「はい、いつでも!」
一球目は剛速球の誘い玉だった。ホームベースぎりぎりでカクンとアウトローへ落ちていく。だが選球眼が自慢のさつきはぴくりとも動かない。対して、球威が自慢の忍がチッと舌打ちしたのが見て取れた。
二球目はど真ん中だった。思い切り振って跳ね返したものの球の勢いに推され、肩の高さで構えた忍のブラブの元へ吸い込まれるかのようなピッチャーライナー。
「ふーん、小学生のくせに俺のストレート当てたのは褒めてやるよ。あと一球だが、謝るなら今だぜ?」
「……東先輩はお優しいんですね。でもお気遣いなく。さすが球威はすごいですけど、二球いただけたおかげで読めましたから」
今度はさつきが挑発的にニッと歯を見せる。どよめく観衆の中で「忍ーぅ、やっちゃいなー」という声が一つ響いた。
忍が鋭い眼光で圧をかけてくる。さつきは動じない。正直、跳ね返した二球目の重たさに手首がしびれている。それを悟られては負けだ。高校生だろうが大人だろうが、受けた勝負で隙は見せたくない。
忍がモーションに入った。バットのグリップにグッと力を込める。
「ほーらよっ!」
「……えっ?」
忍の手から離れたボールは、奇麗な放物線を描き、ゆっくりさつきの前へ落ちてくる。ノックの時よりもスローボールだった。普段、球速のあるボールで練習しているさつきにとっては、タイミングを合わせるのが逆に難しい。
嘗められた……! 本気で勝負してこない、その屈辱に、さつきの闘志がマックスになる。歯を食いしばり、フルスウィングで打ち返した。
わっと歓声が起きる。打球はものすごいスピードでレフト方向に飛んでいく。
しかしボールが着地したのは、惜しくもボーム欄ラインのぎりぎり外側。あと数センチというところでファールに終わった。歓声が「あー……」というため息に変わる。
「おぉ、やるじゃん」
忍がグラブごと拍手をすると、部員たちからも拍手が起きた。奥歯を噛みしめるさつきだけが、納得いかない顔で会釈し、バッターボックスを後にする。
バットを貸してくれた部員に「ありがとうございました」と返しにいくと、忍が伸びをしながら近付いてきた。睨み付けてやりたいのを堪え、忍にも「ありがとうございました」と頭を下げた。
「楽しかったぜ? 俺に勝つのはまだまだだけど、目も振りも力もいい。暇な時、またこうやって遊びに来いよ。お前クラスになれば、同世代とやるよりもうちらとやるほうがもっと伸びるだろうしやり甲斐もあるだろ?」
「はい……。ありがとうございます……」
頭をぽんぽんと叩かれ、嬉しいんだか悔しいんだかさつきは複雑な気分だった。だが、能力を認められたには違いない。ふーっと深く息を吐くと、戦闘モードが抜けていくのを感じた。
「すんごいね、さすがさつきちゃん! こないだの中学生との試合ん時もすごいなーって見てたけど、うちのエースにこんなこと言わせたのもすごいよ!」
さつきのバッグを持ったまま拍手する朱兎が駆寄ってきた。やっと小学生らしい笑顔が戻る。バッグを受け取り「それ、褒め言葉なんですか?」と笑う。
「褒めてる褒めてる! さっきの見たでしょ? 東さんてほんっと意地悪なんだからー。普通、教師のニアまん取る? 意地悪で生意気で、口も悪いし素行も……」
「おっと、花岡先生? それ以上俺の悪口言うと、保健室でサボってんの教頭にバラすぞ?」
「サボってないしー! 情報共有に通ってるだけだしー! ほーらね? さつきちゃん、こーゆー先輩がいるのを踏まえて検討したほうがいいよ?」
「うっせーな。顧問でもないチビ教師は黙ってろ。日曜だってのに暇で部活見に来てるだけのくせに」
「しっつれーねー! そっちが『たまには見に来いよ』って言ったから、日曜なのに来てあげてるんでしょーがー! もう絶対、ずぅえーったい『一』にしてやるかんねー!」
「うわっ、出た! クソガキチビ教師!」
ぎゃーぎゃーとじゃれあう朱兎と忍。そっちのけにされているさつきは思わずぷっと吹き出す。そんなさつきの肩に、肉厚な手が乗った。振り返るとおっちゃん先生が「うちは騒がしいで?」と耳打ちしてきた。
「ぜひまた見学させてください! 東先輩のおっしゃる通り、ここならたくさん学べそうです。いいですか? えっと……」
「田辺や。星花の将来のスラッガーを断るアホはおらんで? 学園側がごちゃごちゃ言うても、俺が勝手に許可したるわ」
田辺はがははっと豪快に笑った。見た目は厳ついが話の分かるおっちゃんでホッとするさつき。来春のスタートダッシュに向け、楽しみが一つ増えた。




