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10月 第4水曜日

 


 花岡朱兎が星花女子学園の教員だというのが、さつきにバレてしまった。

 何校からもスカウトのきている優秀選手だ。ここ数年で強くなってきた星花ソフト部より魅力ある学校はいくらでもあるはず。その中から星花を選ぶ確率は低い。

 と、思いたいのだが……。

『これは運命です! 朱兎さんがいるなら、あたし星花中等部に決めます! 大丈夫、あの件は誰にも言いませんよ?』

 守備に駆け戻るさつきが振り返った際に放った一言が蘇る……。

 下手くそだがチャーミングなウインクをよこしたさつきは戦闘モードにスイッチし、ただ唖然とするばかりの朱兎だけお間抜けにぽかんと口を開けていた。

 結局、朱兎はさつきの二巡目の打席のツーベースヒットまで見届け、試合途中で会場を後にした。

 会いに行ったのが間違いだったのか、起爆剤を投げ込んでしまった気がする……。

 いや、会いに行ったことだけではない。警備員には星花の教員だと告げておきながら、リトユニ関係者のおっちゃんにはリナという選手の姉だと嘘をついたのが自爆行為だったのだ。

 嘘は突き通せない……。その言葉を反復する度、緋馬のいちごネグリジェが、いつかバラされてしまうかもと、帰路の電車内で一人ため息をついた。

『知らねーよ。バカおにぃのケツ拭くつもりねーし。バラされたらそん時はそん時じゃね?自業自得。おにぃの脳天気もちょっとはマシになるかもよ?』

 夏鶴はそう言っていたが、あれは本心ではないだろう。少なくとも朱兎は、緋馬が培ってきた努力を無駄にしてほしくないと思っている。どんなにマイペースでヘタレでおバカな兄といえど、努力とセンスとで掴み取ったポストなのだ。

 たかが女装趣味というだけで選手生命にヒビが入るなど、あってはならない……。

 ずっと、応援してきたのだ……。

 家族の誰もが……。

『スポーツガールは嘘つきません!』

 そうは言っても小学生だ。どんなきっかけで口を滑らすか分からないし、賭け引きに持ち込まないとも限らない。

 もしもさつきが星花に入学してきたら……。

 脅される?

 それとも、私の近くにいれば、いつか緋馬に会えるかもと企んでいる?

 その後は?

 ……いずれにしても、朱兎がいるなら星花を選ぶと言ったさつきが入学すれば、近付いてくるに違いない。

 会いに行っても行かなくても、朱兎のもやもやが晴れることはなかった……。

 当の本人の緋馬は、今日から日本シリーズ。よって朱兎はお咎めを延期している。シーズンが終わった暁には覚えてなさいよ? と朝のニュースに映る緋馬を画面越しに睨み付けるしかできない。

 今年の活躍なら年俸アップは間違いない。お詫びに何を買ってもらおうかなーと今夜の初戦の応援にも力が入る朱兎だった。

 *

「やーぁがみーぃんっ」

 昼休み、朱兎は保健室を覗いた。

「ったく……ノックをせんか、ノックを」

 ノックもなしに開けるので、養護教諭の八神麗緒にはいつも注意される。朱兎は「えへへー」と笑ってごまかすのだが、半分わざとなことは見抜かれている。単なるかまってちゃんなのだ。

「花岡先生、またお菓子たかりに来たわけ? あたしこう見えて忙しいんだから暇つぶしに来ないでよねー」

「失礼ねー! 今日はちゃんと用事があって来たのにーぃ」

「今日『は』?」

「うん、今日は」

 朱兎はベッドサイドの丸椅子をごろごろ転がし、麗緒の隣にぽふんと座った。

「私の学生時代のカルテ見ーせて?」

「花岡先生の? んーまぁ四年前のなら先代がつけてくれてるからあるけど……。にしても、いくら本人といえど直接は見せられないよ? 『落ち着きがない』とか『おバカ』とか書いてあるかもしれないけど傷つかない?」

「書いてあるわけないでしょー! 今とあんま変わってないもーん」

 丸椅子を左右にふりふり、たまにくるりと回ってみせる。麗緒はパソコンのキーボードを叩きながら「絶対書いてあるな……」とつぶやいた。

「じっとしてられんのか、君は」

「うん!」

「子供かっ」

「えへへ。お菓子ちょうだーい。トリック・オア・トレード!」

 朱兎は両手を差し出した。視線はデスク上にある、パラソル型のチョコレート。

「トリック・オア・トリートだろうが。トレードなんだったらあたしにもくれ」

「子供かっ。間違えたぁ。んじゃ今度ね、今度。ママの手作りフォンダンショコラ持ってくるよ」

 麗緒がしぶしぶ一本「ほらっ」と手の平に乗せてくれた。朱兎はパラソル型チョコレートの包み紙を器用に剥がす。口に咥えると柄の部分だけがひょっこり顔を出すのでなんとも間抜けな絵面である。

「んー、残念ながらあたしの予想してたことは書いてないな……。そもそも何を見てほしかったんだ?」

「えっとね、私は中等部から入ったんだけどさ、ここで中等部の時のカルテも見れる?」

「そりゃ内部進学の生徒のはもちろん見れるさ。年度末には中等部の武先生と申し送りしてカルテも引き継ぐ。だが特別なことがない限り、ここで現中等部生のデータは見れないよ。あくまで高等部生の分だけ」

「んまぁそうだよねーぇ」

 残念そうに眉尻を下げる朱兎を見て、麗緒は「それ食ったらハウスな」とひらひら手を振った。

「ねぇねぇ、やがみーん」

 もごもごとチョコレートを噛み砕きながら問いかける。

「やがみんはさ、兄弟いる?」

「……まぁ、一応姉がいるけど……。それが?」

「そっか。……やがみんは看護師免許も持ってるし優秀なんだろうけど、もしもやがみんよりお姉さんのほうが優ってるとこがあったとして、比べられるの嫌じゃない?」

「嫌だね。めちゃめちゃ嫌だよ。うちの場合は姉が優秀で比べられて罵倒され続けてきたから、もう慣れてるといえば慣れてるかな」

 言葉とは裏腹に、その背中が寂しそうに見える。

「そうなんだ……。上には上がいるのね……」

 立ち上がり、朱兎は丸椅子を元に戻す。「チョコごちそうさまぁ」と扉へ向かおうとすると、麗緒が椅子ごとくるり振り返った。

「どした? 野球選手の兄ちゃんと比べられでもした? それとも、去年卒業した妹ちゃん?」

「うんにゃ……比べられたとかじゃないんだけど……」

 さつきは半年後、きっと星花中等部に入学する。入学後、花岡家の極秘事項を握った生徒の動きを少しでも得られたら……と思い保健室に来たのだが、やはり高等部の保健室では情報は得られないようだ。

 さつきの目的はまだ明白ではないものの、緋馬絡みには違いない。朱兎や星花そのものにこだわっているわけではないはずだ。

 朱兎は六年間通った星花に愛着がある。だからこそ恩師の声かけに応え、講師として戻ってきた。

 それゆえに引っかかっている。さつきが、星花女子学園というブランドにはこだわっていないことが……。

 花岡朱兎ではなく、『花岡緋馬の妹』がいるから入学するのだということが……。

 小学生とはいえ、今後のソフトボール人生を大きく左右するかもしれない進学先を、そんな理由で決めてほしくない……。

「まぁ同じ両親の成分から出きてるっつったって、所詮は別の個体なんだ。秤に掛けるのがおかしな話しなんだよ」

 ため息まじりの麗緒の言葉でハッと我に返った。比べられることに慣れてしまった麗緒だからこそ、色々と思うこともあるのだろう。

 ならば自分も、『元新体操選手・花岡朱兎』ではなく、今は『ドルフィンズ・花岡緋馬の妹』というほうが通ってしまうのを、割り切って受け入れるしかないのだ……。

「……うん、そだねー。んじゃお邪魔しましたー」

「花岡先生」

 扉に手をかけたところで呼び止められ、朱兎は振り返る。

「ん?」

「なんだか知らんけどさ、あたしに話してすっきりするんならまたおいで」

「……」

「こーんな顔は似合わないっつってんの」

 麗緒は両人差し指をハの字にし、眉に当てた。眉尻が下がってると言いたいのだろう。

「ぷっ! なにそれー。私、そんな変な眉毛じゃないもーん」

「ふふっ。そうそう、君には笑顔が似合うよ。ほれっ、お昼食べてきな」

「えへへ。ありがと、やがみん」

 手を振り、今度こそ保健室をあとにする。

「話せることなら、ね……」

 賑やかな廊下を歩きながら一人呟く。養護教諭というのは、顔色や表情で生徒の変化を見抜いてしまう。私ゃ子供かっ、と苦笑し、職員室へ戻った。

 それでも、いざとなれば頼りになる年上同期の存在は有り難い。夏鶴の手作り弁当を広げ、心の中でもう一度麗緒に礼を言う朱兎だった。




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