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10月 第4日曜日

 


 週末、花岡朱兎は市内中学校のグラウンドに来た。

 試合開始は十時。せっかくの休日だが妹の夏鶴に起こしてもらい、電車とナビアプリでやっとこさ辿り着いた。

 正面玄関で「関係者の方ですか?」と警備員に止められたので、ひとまず身分は嘘つくことなく星花女子学園の教員だと告げた。小柄な上に童顔なので「え? 先生……ということですか?」とまじまじ見られた。

 学生と間違えられるのは慣れっこだし若く見られるのは嬉しいのだが、こういう時には面倒以外の何ものでもない。「どや!」と名刺を取り出し、やっと中へ通してもらった。

 今日の対戦相手は、公立中学の女子ソフト部らしい。リトルユニコーンズは全国制覇しているといえど、主力選手は小学五・六年生。さすがに中学生相手に勝てるのだろうかという疑問は正直ある。少し遅れたが、スコアボードを見ればまだ一回の裏だった。

 さつきはピッチャーだと聞いた。だが、今マウンドにいるのはさつきではない。今日は登板しないのだろうか……と見渡せば、その姿はサードベース前にあった。

 ネイビーをベースに、細いピンクのストライプのユニフォーム。胸には『Little Ynicolrns』とプリントされている。バイザーの中央と左肩には羽馬のロゴ。ユニフォームと同じネイビーのグローブを左手にはめ、バッターを睨み続ける気迫は中学生にも劣らない。

「今日は先発じゃないんだ……」

 朱兎はおっちゃんたちが腕組みしながら座っているテントに勝手に入り、空いていた一番右端の椅子に座る。同じデザインではないが、無地のネイビーポロシャツで、胸にはピンクで『Little Ynicolrns』の文字。スタッフか幹部だろう。

 どーもー! と幹部らしきおっちゃんたちに挨拶した。当然誰だと尋ねられたので、今度は「妹がお世話になってまーす」と適当に選んだお目々の大きなレフトの選手を指指した。

「あぁ、リナのお姉さんですか? それはどうもどうも。そういえば目元がそっくりですねぇ」

「あー、そうそうリナの姉でーす。よく言われるんですぅ。えへへっ」

 ……おっちゃんはちょろい。目が大きいといいうだけで騙されてくれるのだから有り難い。

 被ってきた広めのつばのハットを念のため深く被り直す。応援しにきたというより避暑地にでも行きそうなひらひらスカートをあえて選んだ。緋馬の印象から少しでも遠ざける悪あがきのつもりである。

「今日はあの子、投げないんですかぁ?」

 朱兎は何も知らないふりをし、サードベースで中腰になっているさつきを指指す。隣のおっちゃんは朱兎の足元をちらっと見てから答えた。

「ん? さつきですか? 今日はミサの度胸試しです。全国制覇したといえど、上には上がいますからね。中学生の気迫に負けてるようじゃ、さつきは超えられないですから」

「へぇ、さつきちゃんってそんなにすごいピッチャーなんですか?」

 カコンッと音がした。おっちゃんが「ありゃ! 打たれた!」と打球の行方に向き直る。朱兎もつられてグラウンドに目を向けると、弾丸ライナーをさつきがハイジャンプでキャッチしたところだった。チームメイトと観客がわっと沸き立つ。

「すごいでしょう? さつきが光るのはピッチングだけじゃないですよ? バッティングはもちろん、守備もいいからこうしてサードでも使える。……お姉さん、あまり見かけませんでしたし、リナの所属チームのこと、あまりご存じないんですね」

「えーっと……うん、ずっとアフリカに留学してたもので。携帯が使えないから、妹の活躍を知ることができなかったんですよぉ。あははっ」

「あぁ、そうでしたか。妹さんのリナももちろん頑張りましたが、さつきなしでは優勝は叶わなかったでしょうねぇ」

 ……おっちゃんはちょろい。とてもちょろい。重ねた嘘は心苦しいが、男性が優しくしてくれる容姿に産んでくれた両親に感謝だ。

 あっという間にアウトを三つ取り、さつきたちリトユニはテントの隣に設けられた三塁側ベンチへ引き上げていく。目が合わないよう、朱兎はしばし俯いた。おっちゃんの「さぁ、ここからですよ!」という声で顔を上げた。

 バッターボックスに向かう背番号五一。リトユニの主砲・四番の一柳さつきがバットをふりふり構えた。

 一瞬、目を疑った。たったの二度しか話したことはないが、花岡緋馬に遭遇したと勘違いした時の嬉しさ溢れる表情。それが勘違いだと分かった時のがっかりした表情。ベランダから覗いた朱兎と再会した時の驚きの表情。インコの飼い主捜しを名乗り出た時の自信に満ちた表情。イチゴネグリジェはバラしませんと約束した時のいたずらな表情……。

 どれでもない。本来の勝ち気な目元はピッチャーを射貫くほどに鋭い。キリリと引き締まった口元には、話しかけがたいオーラさえ感じる。

 これが小学生か……?

 だが、相手は中学生だ。いくら闘志メラメラの主砲といえど、この成長期の少女たちの中での年齢差は大きなハンデ。相手ピッチャーも一触即発のような睨みで中学生をナメんなよと言わんばかりの表情だ。

 新体操一筋だった朱兎は練習と大会でずっと忙しかったため、緋馬の少年野球でさえたまにしか観戦したことがない。双子が同日に別々の大会に出場する日もあり、一番忙しだったのは両親だ。臨時休業し、二台のビデオカメラでそれぞれ父が緋馬を、母が朱兎の活躍を映像に収めていた。

 当然だが、プロ入りしてからはこうしてグラウンドでの観戦はない。懐かしさも忘れ、朱兎は吸い込まれるようにさつきを見つめる。まだ幼さの残るあどけない顔つきから放たれる、その鋭い眼光を……。

「よしっ、行った!」

 隣のおっちゃんがパンと一つ手を叩いた。一球目を捕らえたさつきの打球は、センターとレフトの間をおもしろいように飛んでいく。中学生二人が追いかけるも、途中で諦め頭上を仰いだ。

「ホームラン……!」

 呆然とするピッチャーの周りを、満面の笑みで駆け抜けていくさつき。朱兎もぽっかりと口を開け「すごっ」。と一言。

「すごいでしょう? うちのさつきは本物ですよ?」

 にたりとおっちゃんが振り返った。朱兎はベンチのチームメイトたちとドヤ顔でハイタッチするさつきに目を向けたまま「ふぇー!」と汽笛のような奇声を上げる。

「あの子は……一柳さんは、進学先は決まってるんですか?」

「進学先ですかぁ……。わたしも長いことリトユニの窓口やってますけどね、今の時点ですでに新記録を出してますよ。県内だけでなく、地方からもスカウトが来てます。まだ小学生だからもちろんアドバイスはしてますが、あとは本人が決めることですからねぇ。あの子は特に頑固なとこがありますし、一度決めたら貫き通す、それが一柳さつきですよ」

 ははっ、と苦笑いするおっちゃん。どうやら結構偉い人だったらしい。

『スポーツガールは嘘つきません!』

 約束をした時の、さつきの言葉が過ぎる。もしその多数のスカウトの中から星花女子学園を選んだとしても、あの言葉を信じていいのだろうか……。

 ベンチから次のバッターを応援するさつきの姿を眺める。ユニフォームから伸びる長い四肢は、しっかりとしなやかな筋肉を携えている。小柄で不利を感じたこともあった朱兎とは逆で、身長だけをとっても恵まれた体型を持つさつき。

「リナー! 頑張れー! お姉さん来てくれてるぞー!」

 おっちゃんが唐突に叫んだ。ぎょっとして振り向いたのは朱兎だけではない。バッターボックスに向かおうとしていた、レフトを守っていた大きなお目々の少女を初め、リトユニベンチの全ての視線がこちらを向いた。

 すかさず下を向く朱兎。なんてことしてくれたんだー……! と心の中でおっちゃんを呪うも、身から出た錆である。「おや、どうしました?」と心配する親切心すら恨めしい。

「あははー、内緒で来ているもので……」

「あぁ、サプライズえしたか! これは失敬! わははははっ」

 さつきのホームランでご機嫌なのか、おっちゃんは先程よりテンション上昇中。あまりツッコまれないうちにおいとましないと嘘がバレてしまう。本人と話すことは叶わなかったが、おっちゃんから少しだけ情報を得られた。この回が終わったらそっと抜けだそう……と心に決める。

「朱兎さん……ですよね?」

 ぎくっと肩が跳ねた。誰もいないはずの右隣から視線を感じる。俯いたままちらりとハットの縁を見れば、わざわざしゃがんでこちらを覗き込んでいるさつきと目が合った。

「ほらっ、やっぱり朱兎さん!」

 先程の眼光はどこへやら、眩しいほどの笑顔になる。そしてやたらと声がデカい。朱兎は慌てて人差し指を立てた。

「し、しーっ、しーっ!」

「うぇっ? あ、はぁ、ごめんなさい!」

 慌てて口を覆うも、それでもデカい。試合の最中なのでコントロールがきかないのだろう。

「なんださつきぃ、リナのお姉さんと知り合いだったのか!」

「え? リナの?」

 おっちゃんに聞かれ、さつきは首を傾げた。もう一秒もいられないと感じた朱兎は「じゃ、この辺で失礼しまーぁす」と席を立った。

「待って、朱兎さん! なんで、なんでここにいるんですか?」

 早足で校門へ向かう朱兎の背を、試合中にも関わらず追いかけてくるさつき。これ以上嘘を重ねるのも気が引けるので、事実のかじりだけ伝えることにした。くるりと振り返り、真っ直ぐさつきを見上げる。

「会いに来たの。さつきちゃんに」

「あ……あたしに……?」

 みるみる頬を紅潮させていくさつき。当然なぜだというツッコミを覚悟していたのだが、さつきは問いてくることなくごにょごにょと独り言を呟いている。

「朱兎さんが……あたしに、あたしに会いに来てくれた……!」

「えっとぉ……うん。さつきちゃんのことを知りたくてね、ちょっとお忍びで来ちゃった」

 聞いているのかいないのか、さつきは桃色に染まった頬に両手を添え「わー! わー!」ともだえ始めた。ころころ変わる表情はさておき、謎の言動に困惑する朱兎。

「さつきーぃっ! チェンジだよーぉ! 早くーぅ」

 背後でチームメイトが手招きしている。そして、おろおろする朱兎には、警備員が声をかけてきた。

「あぁいたいた。星花女子の先生、入校証をお渡しするのを忘れてしまいまして。これを首からかけてもらえませんか?」

「星花の……先生……?」

 さつきがつぶらなお目々をかっぴらいた。

 最悪なタイミングに、朱兎は「えへ、えへへ……」と笑ってごまかすしかなかった。





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