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「医者!早く!!私の部屋へ呼べ!」
アイリーンを抱きかかえたまま、走るように邸宅に入ると私室に運びそっと横たえた。追いかけるように医者が部屋に入ってくる。
「早く見てくれ、意識を失っている。このままでは!」
「公爵様。どうぞ落ち着いてください。今からお嬢様を拝見いたします」
医者は横たわったアイリーンの額を見、アシスタントとともに服を脱がせ体の一部始終を診察していく。
血濡れになった額はぬるま湯で清められ傷口が良く見えるようになった。額の傷はだいぶ大きく、縫わなければならない。意識を失っているとはいえ縫合途中で動かれては治療に障るので、麻酔をかけさらに意識を眠らせた。
治療時間はかなり長く感じられた。この傷の全てを自分と変えてほしいと何度も神に祈りながら治療が終わるのを待った。
医者は手早くかつ丁寧に治療を施し、ほどなくして終わった。
待つということがこれほど長く感じられたことはない。
「治療が終了いたしました。お嬢様は命に係わることはございません。ご安心ください。安静にお過ごし頂けばほどなくして治りましょう。ただ、額の傷を縫合いたしましたので、傷跡が残るかと。また、非常に言いにくいことですが・・・・」
「なんだ!うまくいかなかったのか」
アイリーンのそばにかけより、噛みつくように医者に問う。
「いえ、違います。腹部を蹴られておりますため、臓器が損傷している可能性がございます。つまり・・・・お子が・・・望めない可能性がございます。あくまでも可能性の問題です。あとは精神面にどれほど傷を残されているか・・・・こればかりは薬で治すわけにもまいりません」
「かまわない。生きて・・生きてさえいてくれれば。これから先は、時間をかけても彼女の心身を癒していく。傷跡も子供のことも私は構わないが・・・アイリーンがそれを聞いてどう思うか・・・・」
女性として額に傷跡が残るのは当然恥ずべきことだろう。顔は誰の目からも一番最初に目にする体の一部だ。だが人と会うのが嫌であれば、アイリーンが望まない社交界など出席しなければいい。
問題は・・・
私は公爵家嫡男だ。
嫡男として後継者が必要だ。子供が望めぬのであれば、傍系の子供を養子に迎えれば済む話。
だが、それを説明したところで彼女が納得するだろうか。自分の腹を痛めて産んだ子供を望む気持ちが大きければ大きいほど、生涯癒えない傷になるだろう。
彼女の気持ち次第か・・・
公爵はアイリーンを見つめながら、この原因を作ったスタール伯爵家そして自分自身に悪態をついた。
ついたところで何も変わらないが、一番許せないのは、自分の判断ミスだった。
治療が終わり医者が部屋から出ていくと急に静かになった。つい先ほどまで人が慌ただしく動き回っていたのがウソのようだ。
「公爵様・・・私どもがアイリーン様のお傍におります。一度お食事をし、お休みくださいませ。お身体が持ちません。お目ざめになられましたらお声をかけさせて頂きますから」
アイリーンに神経を集中させていたため、後ろに侍女長が立っていることにすら気づかなかった。
「構わない。彼女のそばにいる。もし目覚めなければどうすればいいのだ。やっとやっと、手にした宝物を壊すような男だぞ。なぜ伯爵家に返したんだ私は・・・・何としても伯爵家に戻るのを止めるべきだった。私は、私自らの手で大事な女性を傷つけたんだ・・・」
アイリーンのそばを離れ、また同じよなことが起きたらと考えると、一人で悠々と休むことなどできない。考えられなかった。
私は・・・アイリーンに笑顔を向けられ、手を繋がれ有頂天になっていた。我が家に彼女がいること。これから共に過ごせる喜びばかりに目が行き、判断を誤った。
伯爵家の人間以下の者どもを甘く考えすぎた。
「執事とスコットをここに呼んでくれ」
公爵は後ろに控えているメイドに声を掛けた。ほどなくして室内に二人が入ってきた。
「すまないな・・・疲れているところ」
二人はギョッとして公爵を見た。未だかつて他者を配慮する言葉など、まして臣下にかけることはなかった。愛の力はすごいと感慨深く感じる二人。
お嬢様が嫁いでこられれば、さらに公爵は穏やかな性格になると嬉しさがこみ上げてくる。
なとしても!お輿いれ頂かなくては!!!
「何を笑っている」
「失礼いたしました。お嬢様が嫁がれていらっしゃることを考えますと、こういった状況にもかかわらず思わず笑みがこぼれてしまったようでございます」
「そうか。そうだな。そうなる様、今後も皆の力を借りたい」
「「かしこまりました」」
ひと時、沈黙が流れた後スコットが口を開いた。
「ご報告をさせていただきます。まず、今回の件とは別件となり大変申し訳ないのですが・・・私は以前より、アイリーン様と面識がございました」
公爵は驚き尋ねた。執事は目を丸くしている。
「どういうことか、説明しろっ」
―― 公爵が怒ってる!うまく説明しないと首が飛ぶな。
スコットは、一年以上前から付き合いがあることを簡潔に説明をした。親が食堂を営んでいて公休日は手伝っていること。そこで本名の「ジェイク」として食事をしに来た彼女と出会ったこと。次第に仲が深まり、彼女の境遇を知り、友情から同情も芽生え、逃亡計画を共に企てていたこと。
洗いざらい公爵にすべてを語った。
次第に公爵の表情が暗く陰っていった。と同時に、怒りも表面に出始めた。
「お前たちが兼ねてより『知人』だったことはな。だいぶ・・・仲が良かったようだな」
「今回、任務に就いたことで同一人物だということを初めて知りました。アイリーンは家名を話さなかったので」
「アイリーン?」
―― しまった!癖で呼び捨てにしちまった!額に青筋が立ってるぞっ。ヤバいっ
「大変申し訳ございません。今後気を付けます」
土下座する勢いでテーブルに日立を擦り付け謝罪する。
―― 今回だけは見逃してください。ただの、ただの友人関係です。いや、ちょっと、あわよくば俺の嫁さんに・・・と考えたことも確かに!あったけど!
口が裂けてもこれは言えない。言っちゃなんねぇ。
だんまりだ。。こえーよ。早く次の話題にいってくれぇ
スコットの心中など公爵にわかるはずもなく。
「アイリーンも呼び捨てで呼ぶのか?ジェイクと・・・」
「・・・はい・・・・」
―― 俺、このまま消されるかも・・・
「そういえば、以前、辞めたいと言っていたことがあったな」
「・・・・・・・・・」
―― ありました。言いましたよ。確かに。それ今思い出しちゃいますか。
「だんまりか?」
―― なーんていやぁいいのよ。公爵家を辞められるか打診した後、プロポーズして断られたって?いえるわけねぇ。
ダラダラと嫌な汗が湧き出る。背中・首・額、噴き出た汗は下に向かって伝い落ちる。
「申し上げたことは覚えております」
「っふ。汗がすごいぞ、スコット。なんだ?私に隠し事か?」
―― 公爵様の絡み方がハンパねーぞ。どうする、俺!
そこに横から助け船が下りた。
「公爵様。スコットは下町の食堂の息子です。親や店舗の問題が当時持ち上がったのかと存じます。呼び方に関しても、私を含め、町に居住を構えるものは親しくなれば自然と下の名で呼びあいます。それに倣っての呼び捨てでしょう。他意はないかと。スコットも重々理解できておりますので、今後は立場をわきまえ、敬称をつけてお呼びするでしょう」
―― 執事様ぁ。なんて、なーんてすばらすぃ~説明でございますかっ。俺、執事様に!ついていきます!
神様、ご先祖様、執事様っ!!
「まぁそうだろうな。私はてっきり、アイリーンと結婚するために辞めると言い出したのかと思ってな。その汗のかきかたといい・・・」
ギクッ!!
マジかっ!
公爵は妙なところで勘が鋭かった。洞察・観察・第六感がよく働く男だ。
「あはははぁ~それは、違いますっ」
―― うっわービンゴっ これはアイリーンに口止めしないとダメだな。俺の命も風前の灯・・・・俺の命はアイリーンかかってる
「公爵様。義妹のルードベキアですが、小屋に警官を現場に呼び誘導しました。重要参考人として呼び出されるのは時間の問題かと。一緒にいたゴロツキの男はすでに処理しました。ルードベキアには影をつけ動向を探らせておりますので、逐一 情報は入手可能です」
次いで執事も報告を上げる。暗躍部隊から入手した情報の一つだ。
「スコット以外の影の話では、公爵様は<ルードベキア様の婚約者>として周知されております」
きちっとしている執事ですら、ルードベキアを呼び捨てか。よほど腹が立っているようだな。
「はっ?伯爵の仕業か・・・」
うんざりした顔をする公爵。
「仰る通りかと。伯爵夫人であるサファイアの影響もあるでしょうが、ルードベキアをこちらに嫁がせたい思いが強いようです。アイリーン様と背格好が似ているため、ルードベキアの尻ぬぐいをさせられることも多いようです。要はルードベキアの尻ぬぐいかと」
公爵はアイリーンの動向に納得した。
舞踏会で彼女を助けたときの表情。
あれは、急に私が現れたことへの驚きだけでなく、ルードベキアと区別がついていないと思い込んで呆れていたんだな。
この屋敷の窓から逃げようとしたことも。ドレスではなく、乗馬服に着替えていたことも。
アイリーンからすれば、公爵である私を謀ったことになる。
逃げ出すわけだ。
「公爵様はアイリーンの」
ぎろりと睨まれ即座に訂正する。
うわっこわっ!
「アイリーン様の名前をお呼びになったことがないんですか?」
え?まさかほんとに?そこから??
公爵様に感じるがっかり感が押し寄せてきて涙出るわぁ
執事は額に手を置いて頭を抱え、イヤイヤと振っている。
「公爵様は、伯爵家の迎えの馬車が来るまでの間、お部屋で何をされていらしたんですか?」
間接的にではありますが、言わせて頂きましょう。今回の原因の一つは、やはり公爵様ですね。
不器用でカッコつけ、見栄っ張り。
「あーうーそれはだなぁ。ちょっとした、そのスキンシップをだな」
しどろもどろし始める公爵。さっきの氷の雰囲気など微塵も残っていない。
―― あぁさっきの俺って。。。まさにこんな感じだったのかも
焦る公爵を見てバレないようにクスリと笑ってします。執事は年齢のせいもあるのか、徐々にひーとあぷしていく。
「さっさと愛の告白をしプロポーズなされば良かったのです。先のアフォの次男に言い寄られ、妹の婚約者と思っている公爵に迫られるなど恐怖以外ございません」
―― わっわ!俺、初めて見た!執事がキレてるとこ。切れても敬語っていうのが逆に凄いわ。レアすぎる。執事に押される公爵様。結婚後の未来を俺、見た気がする
結婚後、こうなるんだろうなぁ。あ、また、胸の痛みがぁぁ
アイリーンが目覚めたら、たっぷりと教えてやろう。こんなにもお前が愛されていることを。信じられなければ、何度もいうよ。