猛 1
幸せは人をこんなにも内面から輝かせることができるのか。
猛は光の中を母親の手に引かれやって来た花嫁を、感嘆と羨望の眼差しで見つめた。
神聖な空気の中にも、初々しい新妻となっていく彼女の可愛らしさが華やいでいる。
会場中のみんなが、睦月の本当の美しさに気が付き、溜息を洩らしている。
そう、睦月は本人が思っているほど不細工でも可愛くなくもない。
確かに、造形的には整っているとは言い難いかもしれない。でも、と猛は先ほどの控室でのメイクの様子を思い出す。
自分の手の中で、みるみる輝きを放ちだす彼女の美しさは、彼女の優しさであり、包容力であり、可愛らしさだ。そして、なにより、これから愛する人と生きていくと言う喜びに溢れているようだった。
自分はそれを表に少し引きだしたに過ぎない。
彼女は、本当に美しいのだ。
「いいなぁ」
隣で皐月の溜息が聞こえ、猛は苦笑を洩らした。
それに気がついた彼女は、誰のせいでこんな所で指をくわえていると思っているのだと言わんばかりに、肘で小突いて来る。
ごめんなさい。
猛は彼女の想いを感じながらも、友人の線を越えられない事に素直に心の中で頭を下げた。
皐月は、本当に素敵な女性だ。
高校の頃から、彼女の生き方は好きだったし、憧れだった。
自分がどんなに手を伸ばしても、どんなに切望しても、手に入れる事の出来ないものを、彼女はすべて持っているような気がしてた。
ある種のコンプレックスの様なものもなかったとは言えなくもない。
「今日の睦月、本当に綺麗ね」
猛はそう返すと、皐月に微笑んでみせた。皐月も肩をすくめ「今日はさすがに完敗」と頷く。
席に着いた睦月が、新郎と見つめ合い、何か言葉を交わしている。
温かく、微笑ましい二人。
一緒に歩いて行くことを誓い、許される二人。
自分には、遠い遠い世界の話だ。
小さくため息をつくと、薬指にはまっている指輪をそっとなぞった。
千代田 敬一
猛は今、付き合っている恋人の、その深く穏やかな声を思い出す。
彼氏と、いっても十も上で、しかも離婚歴のある人だ。恋人と呼べるようになって、もう三か月になるが、猛はまだその位置に自分がいていいのか戸惑いがあった。
彼との出会いは、決していい形ではなかった。
でも、顔を合わせる回数を重ねるごとに猛の気持ちは、紳士で機知にも富み大きな夢もつ彼に、強く惹きつけられて行った。
しかし、相手は離婚歴のある年上の男性。しかも会社をいくつも経営する忙しい社会人だ。彼女も複数いると聞いていた。
ゲイで学生の自分とは、何もかもが住む世界の違う人で、到底かなわぬ恋だと思っていた。
あの日までは。
男の体を持ちながら女性に恋ができない自分の、恋を実らせるのは難しい。
大抵は仲良くなっても、友達以上にはなれない。なりたくても、その空気を感じただけで遠ざかられてしまう事もある。だから、気持ちを隠してしまう。去られるくらいなら、友達のままがいいと、心が閉じてしまうのだ。
彼に対する恋も、きっとそう言う形で終わっていくものだと、猛は思っていた。
諦めに慣れた心にもそんな想いは、錆びたナイフで新たな傷口を広げられる様な痛みを伴っていた。
それが、ある日、予想もしないタイミングでこの指輪を贈られたのだ。
その頃よく、猛は千代田から仲間との食事を誘われるようになっていた。帰りはいつも、二人でバーに行き、彼の話を聞くのが約束事の様になっていた。
もともと千代田も空手の選手だったからか、共通の話題も多く、出会った時から話は弾む方だった。こうやって二人で話をするようになってからは、初めは空手や仕事関係の話題ばかりだったものも、いつしか彼の夢や子ども時代の話、時には離婚の経緯や悩み事までも口にするようになってき、二人でいる時間は長くなっていった。
年下の自分に色々と打ち明けてくれるのは、素直に嬉しかった。しかしその反面、彼の強さも弱さも、明るい部分も暗い部分も、知れば知るほど心は彼に惹かれて行くのに不安があった。
忙しい時間を割き、短い時間でも会う時間を作ってくれる。会えば時間ギリギリまで、時には朝まで話し込む。
そんな関係に募っていく気持ちに、胸が飽和状態。息苦しささえ覚え始めていた。
しかし、彼は住む世界の違う人。手の届かない人間。
もう、これ以上二人で会うのは止した方がいいのかもしれない。心がそう固まり始めた矢先だった。
いつものように色々話した後、彼がこの指輪が入った箱を差し出し「変に思うかもしれないが」と切り出してきたのだ。
その時の彼の顔は、いつもの自信に溢れ、揺るがない何かを心の中心に据えている実業家のものではなく、不安に戸惑う少年の様なものだった。
猛は何のことか初めわからずに、普段と様子の違う彼の言葉をどう受け止めていいのか判断のつかないまま、ただじっと見守るように待った。
ジャズがまどろみの様な心地良い空気で二人を包み、沈黙を甘く溶かしていた。千代田が小さく息をのむ。緊張にひきつる頬に赤みがさす。
そして、いきなり、グラスごと猛の手を握りこう言ったのだ。
「俺は、君の事がどうやら、その……好きみたいなんだ」
と。
その日から、二人は少しずつ距離を縮めていった。
千代田自身は、それまで男の興味なんか持った事がなく、告白後も自分の気持ち自体に戸惑いや抵抗を、すぐには払拭する事はできなかった。また猛の方もこれまでに何度も苦い経験をして来ていたから、手放しに人を信じ心を許すことが難しくなっていた。
でも、今は違う。
猛は指輪から手を下ろすと、手紙を読みはじめた睦月に視線を戻した。
千代田は今や、自分にとって最も尊敬し信頼できる人間の一人だ。自分の実家の事についても、理解してもらえるように二人で頑張ろうと言ってくれている。
自分がゲイだとカミングアウトした時の、祖父と父、そして母親の事を思い出す。すると、いつだって、今の幸せに影が射し、自分が何か重大な犯罪でも犯しているような気分になってしまうのだ。
信頼できるパートナーがいても、やはり「こんな自分でごめんなさい」そう言う家族への想いは消えない。半ば放り出した状態になってしまった道場の事も気にかかる。カミングアウトした今も、まだ男性の格好をしているのは、そこら辺の後ろ暗さの表れである事を、猛自身も自覚していた。
壇上に寄り添う新郎新婦を遠い目で見つめる。
どうしようもない切なさが胸を締めあげ、猛は指輪の嵌められた拳を軽く握る。
自分達は普通の恋人同士の様な形のある関係にはなれない。それどころか、公にできる日なんか永遠に来ないかもしれない。
もし、今日の様な披露宴や結婚式を挙げられたら、どんなに幸せだろうと思うが、無理なのは十分わかっている。
形に頼れない関係。でも、だからこそ、信頼という強い絆がより大切なのだ。
肩越しに皐月をそっと窺った。
彼女の気持ちも嬉しかったが、自分にはもう決めた人がいて、決して彼を、この気持ちを裏切る事はできない。
何度も呟いた言葉を再び心の中で呟く。「ごめんね」と。
その時だった。
会場の空気が一変し、壇上から悲鳴にも似た新郎の声が上がった。
「睦月!」
何事かと慌てて首を捻る。
目に飛び込んできたのは、花束に手をかけた状態で新郎に寄りかかるように倒れている睦月の姿だった。