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睦月 1

 お色直しは三回。計四着の着物やドレスを身につける事になっていた。

 初めはウェディングドレス、その後着物で、淡い黄色のパーティードレスと続く。

 本日の花嫁、その黄色のドレスを身にまとった睦月は最後の着替えのために控室に戻って来ていた。

 さすがに、予定日を6週間後に控えた身には少々この披露宴自体が負担になって来ていた。

 ドレスの着脱一つをとっても、臨月間近のお腹を抱える自分には一苦労だ。その上、お色直しの度に会場を行ったり来たりし、髪もメイクもセットし直す。もう、正直、体力的には限界に近かった。

 睦月は少し固く引きつる下腹部をさすりながら、溜息をつくと、ゆっくり腰をおろす。

 本当は、睦月自身はこんなに大きな披露宴は望んでいなかった。

 もちろん、赤ちゃんの事が気になったからだ。どうしてもすると言うのなら、赤ちゃんが生まれてからでもいいとでさえ考えていた。

 しかし、断りきれなかった。

 睦月は周囲に心配されないように取り繕いながら、もう一度ゆっくりと息を吐きだす。お腹の張りは少しきつくなって来ているようにも感じたが、時計を見るともう式も終盤。持ちこたえられそうな気もした。いや、持ちこたえて見せたい。

 睦月は痛みをなだめるようにさすりながら、不安をかき消すために新郎の十津川直輝の事を思い浮かべた。

 幼い頃から好きだった直輝。少し調子に乗りやすく、短気な所もあるが、本当に頼りになる誠実な人だ。

 鏡を見てみる。

 自分はどちらかというと太めで、顔も美人ではない。取り柄も特にない。でも、こんな自分のために彼はいつも一生懸命になってくれていた。

 お互いの気持ちを知ってから付き合うまでに3年かかった。

 あの頑固一徹の父に許可をもらうまで、彼は打たれても打たれても必死で喰らいつき、今や父が最も信頼する男になった。

 ふと、今日一日ずっと、硬い表情をしている父親の顔を思い出す。

 正直、妊娠の事を告げる時、睦月は父親には酷く責められると思っていた。

 まだ大学も卒業できていない、正式に付き合いを認めてもらってからもさほど日にちも立っていない。何より結婚前の妊娠なんてあの父親が許すと思えなかったからだ。

 でも実際、一番この妊娠と結婚を喜んでくれたのは、他でもない、父だった。

 始めての産婦人科からの帰り、直輝と一緒に報告に行った時の事を今でも鮮明に思い出せる。

 いつもの居間。直輝が座布団から降り、土下座の格好で事を告げ、結婚の許しを乞うた。

 怒声が飛んでくるのを覚悟で睦月も頭を下げた。

 しかし、その時父は低く唸ると黙って何も告げずに出て行ってしまった。

 怒っているのだと思い、睦月は急いで父の背中を追いかけた。

 父はシャッターの閉まった暗い店先にいた。

 そして睦月に気がつくと、背を向けたまま、涙声でこう言ってくれたのだ。

「幸せになれよ」

 と。

 睦月はその時の父の声を思い出し、胸にこみ上げる涙を飲みこんだ。

 なにより嬉しい一言だった。

 それからは、怒涛の日々だった。

 直輝も両家の両親も、早いうちの挙式、披露宴を望んだからだ。

子どもが生まれてからでは生活に追われ、結局挙式しないままになるんじゃないかという懸念が彼らの背中を押していた様だった。

 その盛り上がりはすさまじく、睦月が水を差すような真似ができる状況ではなかった。また、睦月自身にもそんな気持ちに応えたいと言う気持ちがあったのも事実だ。

 つわりもあり、体調もすぐれない中、休学願を出し、結納に式の準備、新居選びに引っ越し、と目まぐるしく時間が過ぎて行った。

 幸い、定期健診では目立った問題はなく今日の日を迎えられた。

 これが済めば、直輝が張り切って新生活と生まれてくる赤ちゃんのために準備した新居でのんびりできる。実家からもそう遠くないマンション。母親は遠慮しないでいつでも甘えに帰って来ればいいと言ってくれている。

「もうちょっと、頑張ろうね」

 睦月はようやく張りが収まりかけてきた腹に向かって囁いた。

 披露宴のスタッフがこちらの体に気を遣いながらドレスを着替えさせてくれている。

 最後のドレスは、直輝の好きなスカイブルーだ。

 直輝はドレス選びも自分以上に張りきってくれた。妊娠中という事で、そんなに選択肢のない中、あれでもないこれでもないと、頭をひねってくれた。

 そんな彼の選んだドレスに袖を通す。彼の喜ぶ顔を想像し、胸に華やいだ気持ちが湧きあがってくる。

 睦月は自然に零れる笑顔を張りの収まっってきたお腹に向けた。

 赤ちゃんに負担をかけてしまっているかもしれない、そんな不安は拭えない。でも、直輝や両親、皆の笑顔を見ていると、やっぱり披露宴を挙げられて良かったとも思う。

 その顔の中に、気になる顔がある事を思い出し、睦月は溜息をついた。

「弥生」

 弥生と亮太の事を聞いたのは、乙女からだった。

 気になる事があり、睦月の方から最近二人はどうなのか聞いたのだ。

「どうしちゃったんだろ」

 10日ほど前の事だった。

 その日、健診で一人睦月は病院に向かっていた。信号待ちをしている時だった。見覚えのある車が反対車線に見えた。

 亮太の車だ。睦月にはすぐわかった。何度か皆でその車に乗り遊びに行った事があるのでよく覚えていた。

 手でも振ってみよう、そう思った時だった。その助手席に思いもよらない人物が乗っているのに気がついた。

 睦月はそれが誰かわかると、驚きに息を飲んだ。

 助手席の人物。それは高校時代の恩師、百崎先生だったのだ。

 二人は何かを話している雰囲気ではなかった。かといって、こちらが気安く声をかけられる空気でもない。そう、車内の二人は先生と生徒というよりはむしろ……。

 胸騒ぎがして、健診の後すぐに乙女に電話した。

 そこで、亮太と弥生が別れた事を知ったのだ。

 ドレスのジッパーが背中で止められ、次に髪が結いあげられる。

 鏡の中の自分は少々青白い顔をしていた。

 それが体調の悪さからのモノなのか、この胸を塞ぐ疑念によるものなのかはよくわからなかったが、一つ確かなのは、弥生の事が心配だという事だった。

 まさか、自分達の恩師が彼らの別れに関係しているとは考えたくなかった。

 でも、と睦月は思い起こしてみる。

 あの時、確かに亮太の車に乗っていたのは先生だ。弥生は彼らが二人で会っている事を知っているのだろうか?わからない。弥生は別れたことすらも自分には教えてくれていなかった。

 きっと、結婚と出産を控えた自分に気を使ったのだろう。

「馬鹿」

 睦月は呟いた。

「え?」

 スタイリストが鏡の中の自分をキョトンと見つめる。睦月は慌てて「何でもないんです」と首を横に振った。

 とにかく、落ち着いたら弥生と話をしよう。そう決めた時だった。

 扉がノックされる。

「もう、そろそろいいですか?」

 男の、優しく穏やかな声。

 昔からその声は気持ちを軽くしてくれる。花嫁はいつの間にかひきつっていた頬を緩めると扉に向かってその人物に入室を促した。


「こうしてると、高二の夏を思い出すね」

 優しい手つきで自分の化粧を落としていくのは、乙女だった。

 最後のメイク。それはメイクアップアーティストを目指している乙女に是非、と睦月が頼んでいたのだ。

「うん。懐かしい」

 睦月も言われてあの夏を思い出し、少し甘酸っぱい気持ちになりながら頷く。

 高二の夏。直輝と思いがけずデートする事になった自分を、コイケンのメンバーで変身させて貰った事があった。

 皐月が用意した生まれて初めての可愛らしい服装に、乙女が施してくれたお化粧。鏡の中の自分がどんどん生まれ変わっていくのを、ドキドキしながら見ていたのを今でも覚えている。

「あの頃から、乙女……猛くんはセンスあったもんね」

「今から考えると、恥ずかしい程度だよ」

 周囲のスタッフに気を使って、睦月は呼び名を乙女は口調を変えていた。    

 本当は気にするほどの事ではないのかもしれない。でも、最近こういった同性愛者を世間が受け入れるようになって来たとはいえ、偏見があるのも事実だ。

 そう言った、煩わしい奇異の視線をむやみに浴びる事もない。

 それに……と睦月はベースメイクを自分に施していく乙女を見つめた。

 彼の方が、女性の自分なんかより、ずっと綺麗だ。実際、室内の女性スタッフも彼の存在を随分意識しているように感じる。

 メイクよりむしろ、モデルの方が似合うんじゃないか、睦月はそう思ったりもした。

「猛くんは、綺麗だよね」

「そう? ありがと」

 鏡の中の、ベースメイクだけが終わった自分の顔を見つめる。

 丸顔に団子っぱな。目だって一重で大きくはない。

「私ね、時々不安になるの。直輝はどうしてあたしなんかを選んだんだろうって。可愛い子なら他にたくさんいるのに。私なんかでいいのかなって」

 本音だ。

 直輝の周りにはいつだってたくさんの友人がいた。中には当然女の子もいるわけで、睦月自身、友人に紹介された時、自分を見て驚く彼らの心中が図れないわけじゃなかった。その度に、直輝に申し訳ないと思うのだ。

「直輝、私なんかと結婚して、後悔しないかな」

 こんな不細工で取り立てて何かできるわけでもない自分。この日を迎えた今も、自分は彼にふさわしくないんじゃないかと思う。

 しかし、乙女はそれを聞くと微笑みながら首を横に振った。

「するわけないよ。今日の十津川くん、今まで見た事もないくらい幸せそうだった」

 乙女の指が自分の瞼の上を滑って行く。化粧品を肌になじませているようだ。

「外見だけじゃないんだよ。人が人を好きになる時は。メイクの勉強を始めて、逆にそう感じてる。それにね、むっちゃんは自分が思うほどじゃないよ」

 低く静かな口調は、胸の中に染み込んでくるようだ。時折混ざる落ち着いた声は、彼自身が今、とても幸せなのを物語っているような気がした。

「そうかな」

「そうだよ。目、閉じて。これから仕上げに入るから」

 言われて慌てて目を閉じた。温かな手が心地良い。

「特に、今日のむっちゃんは凄く綺麗だよ。世界で一番好きな人と一緒になれる、そんな幸せに輝いてる。だから何にも心配しないで」

「ありがとう」

 乙女の言葉はいつでも優しくて、そして背中を押してくれているそんな気がした。

 ふと、心が軽くなる。その拍子に睦月は今日、もう一つ胸にある不安を思わずこぼしてしまった。

「弥生は……」

 口にしてから、しまったと睦月は声を落とす。

 乙女の方もそれを察していたらしく、ため息混じりの声が聞こえた。

「弥生は大丈夫。この披露宴、とっても楽しんでいるから」

「うん。それだといいんだけど」

 ブーケトスをした時の事を思い出す。

 ブーケを受け取ったのは百崎先生だった。先生は相変わらず美しく凛としたいで立ちだった。

 でも、そんな彼女は自分にそれを振った後、今まで見せた事もない可愛らしい少女の様な顔になってブーケを他に掲げて見せていた。視線を追った時、睦月は驚いた。

 それは他でもない、亮太だったからだ。

 亮太もそれに気がついて頷き、微笑んでいた。

 些細なやり取りといえばそれまでだろう。でも睦月にはどうしてもそんな二人のやり取りが気になって仕方なかった。

 しかし

「あのね、亮太くんと百崎先生は、どうかな」

 結局、口にできたのはそんな曖昧な言葉だった。

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