亮太 1
披露宴は教会のあるホテル内の会場で行われた。ざっと見まわした所で、150人ほどの規模になるのだろうか、自分を含めた友人席はその会場の新婦側前方の2テーブルほど中央から外れた場所にあった。
弥生と別れたのはつい二週間前。
だから仕方のない事なのだが、用意された席は彼女の隣で、五木亮太は少々決まりが悪い思いをして座っていた。
でも、もっと居心地が悪いのは彼女の方だろう。
亮太はそっと彼女の方を気付かれないように窺う。
相変わらず嘘や誤魔化しが下手な彼女は、ぎこちない笑顔で自分の隣に座る恩師の百埼先生や皐月と話していた。
仕方ないよな。昔の様になれなくても。一度口にした言葉は、もう戻らない。そんな事、百も承知してたし、覚悟もあった。悩んで悩んで、それでも、こういう結論にしか自分は至れなかった。そして、彼女は何も言わずにそれを受け入れてくれた。
後悔も不満も何にもないはずだ。なのに……。
溜息を小さく漏らす。
「広い会場ね」
隣で幼馴染の乙女こと猛が声をかけてきて、亮太は顔を上げた。
「あ、あぁ。そうだな」
「いいなぁ」
「お前も式を挙げればいい」
「その時は来てくれる?」
「当たり前だろ」
猛は男しか好きになれない。今、彼が付き合っている相手も男だ。少し前に紹介された彼氏は、感じの良さそうな10ほど年上の実業家だった。
彼らが幸せなら、そういう二人でも披露宴くらい上げてもいいような気はする。少なくとも、自分は喜んで出席するだろう。
猛は嬉しそうに目を細めると、弥生の方を見た。
「話は?」
「まだ」
「本当に、いいの?」
亮太は顔をしかめる。
それは、何度も自問自答した。でも、その度に出る答えはいつも同じで……。
「こんな時に話すことじゃないだろ」
はぐらかすようにそう答えると、猛は「そうだよね。ごめん」と肩をすぼめた。
ホテルのスタッフがそれぞれのグラスに乾杯用のシャンパンを注いでいく。グラスの中でそれは甘い琥珀色に光、小さな気泡がいくつもその中を躍っては消えていく。
「十津川くんは、これからも?」
「あぁ。時々は道場に顔出すって」
亮太はグラスから目を離すと、猛に安心させるように微笑んでみせた。
「安心しろ。何とかなってるから」
「ごめんね」
「俺はもともと、これからも世話になるつもりだったんだ。かまわない」
猛は亮太の通う空手道場の跡取り息子だった。もともと器用な上に才能があったからか、完全努力型の自分なんかよりずっと上手かったのだが、本人の性格には向かなかったようだ。
その上、師匠でもある彼の父親にゲイである事を打ち明けた時から、猛は勘当扱いになり、道場どころか今は実家の敷居も跨げない状態だ。
結局、猛は道場を亮太に丸投げした形になってしまった。それを申し訳なく思っているのだろう。
でも、と、亮太は師匠の顔を思い浮かべる。
猛の代わりに、道場を自分に次いで欲しいと話を持ちかけたあの時の顔。物凄く寂しげで、そして息子を理解してやれない事への後悔が滲んだ顔だった。息子が継ぐことへの未練も捨て切れてもいなかったのだろう。
確かに、師匠にはショックだったかもしれない。切望して、5人目にようやく生まれた息子。才能にもあふれ、期待もあっただろう。
それが、ゲイだとわかった時、空手一筋で来た師匠は受け入れきれなかったのだ。
それに、問題は実はそれだけではなかった。
亮太は溜息を飲み込み、猛の背中を軽く叩く。
「ま、道場の方は心配するな。いつでもお前が帰ってこられるようにしておくから」
「うん」
そうだ。自分にはあの道場に恩と責任がある。
会場全体が暗くなった。音楽が流れ始め、入口付近にスポットライトが当たる。会場の視線が集中し、ざわめきが徐々に収まってくる。
客席の者たちは息を潜め、主役の登場を今かと待つ。
亮太もそれに倣いながら、自分に背を向けて立つ弥生の背中を見つめた。
手を伸ばせば、まだそこにある彼女の小さな肩。
胸にぐっと焼け付くようなものがこみ上げる。
これで良かったのか。いや……良かったのだ。
扉が開かれた。拍手が一斉に鳴り響き。幸せな笑顔が、真っ暗な会場で唯一の光を放っていた。
華々しい光の中で、人生を一緒に歩むと誓い合った二人の顔はどこか清々しく、そして誇らしげに見えた。
もともと人前が苦手な睦月の一歩前を、十津川がエスコートするように歩いて行く。ひな壇に向かう途中、その花婿は亮太の傍を通った。
十津川は少し顔をしかめて、亮太の胸を小突いた。亮太は何事かと意表をつかれて目を見開く。十津川は視線で弥生の方を一度指し、再び花婿の顔に戻ると先に進んだ。
後に続く睦月も、眉を下げ、困ったような顔をして亮太を一瞥し通り過ぎる。
自分達の桧舞台になに人の心配してんだよ。馬鹿。
亮太は彼らの心中を察し、苦笑して見送った。
たぶん、二人とも自分と弥生の事を気にしているのだろう。
振り返ると、弥生も複雑な顔をして今日の主役を見つめていた。
二人が一礼して席に着く。同時に会場が明るくなった。
自分だって、何にも思わないわけじゃないさ。
亮太は心の中で呟いて小さく息をついた。
幸せに包まれた二人を、今日は遠くに感じた。
乾杯、スピーチ、二人の紹介、友人の出し物にキャンドルサービス……披露宴は温かな笑顔と拍手に包まれ進行していく。
隣の弥生も、歓声が上がるたびに笑ったり、出される料理を美味しそうに頬張っていたり、それなりに楽しんでいるようで、亮太の気持ちも少し救われた。
「花嫁の2度目のお色直しとなります」
司会の声が聞こえて、睦月が退場していく。
何度もあんなドレスを着替えるのなんか、面倒だろうな、と思っていたら、隣で猛と皐月が
「いいなぁ。私も4度くらいはお色直ししたいわ」
「私も、最低3回はしたいわね」
と話していた。なるほど、あれは強制ではなく、本人の希望で着替えているのか。妙な事に感心する。
「しばし、ご歓談ください」
司会の声がして、会場が再び和やかな雰囲気に包まれた。
亮太は閉じられた扉をしばらく見つめた。というより、今の場合、どうしたらいいかわからないのが本音だ。本来なら、隣の弥生と話でもするだろう。でも、実際、今日は目すら合わせていない。
「五木」
呼ばれて振り向いた。
その声に緊張し、その人物を見上げる。
「先生」
「少し、十津川の所に行かないか?」
相変わらずのさっぱりした口調。でも、さっきブーケを受け取った彼女を輝かせているのは、そんな凛とした雰囲気のせいだけではない事を、自分が一番よく知っている。
「はい」
亮太はテーブルに着く、他の人間に自分の態度を悟られないように平静を装い立ち上がった。