皐月 1
目の前の花嫁は、緊張と幸せをその柔らかそうな唇に浮かべ、微笑んでいた。
花嫁の視線の先には、中学から思い続けていた相手がいる。
むっちゃんも、いよいよ十津川と結婚かぁ。
皐月は彼らの幸せそうな姿を、素直に祝福しながらも、どこか寂しさを感じていた。
そう、彼らの馴れ初めに一役買っている分、彼らのゴールインは確かに感慨深い。
不良グループの一員だった十津川。一時期はそのグループに引きこまれかけた睦月だったが、コイケンの皆でトラブルに巻き込まれそうになっていた彼女の危機を救い、十津川もそれをきっかけにグループを抜けた。
それがそもそもの、彼らが距離を縮めたきっかけだったはずだ。
今や人生を共に歩いて行く誓いを口にする二人。
でも、彼らはその後もすぐには、恋人同士にはならなかった。傍から見れば気持ちが互いにあるのは一目瞭然なのに、不思議と友達以上恋人未満の関係をずっと続けていた。
それが、だ。
皐月は少々くすぐったい気持ちで睦月の目立って来ているお腹を見つめた。
今年の春。ようやく付き合いだしたと睦月から聞いた。なんと遅い進展か、と呆れていたら、なんと、その2ヶ月後に結婚と妊娠の報告を同時にされたのだ。
もう、それを聞いた時は呆れたのを通り越して、驚いて声も出なかった。
睦月は自分に知らせる時に「デキ婚で、しかも学生結婚なんて、ちょっと恥ずかしいんだけどね」と言っていたが、自分にしてみれば羨ましい限りだった。
付き合ってすぐだろうが学生だろうが、二人の思いが実ったのなら、喜びこそすれ、何も恥じる事はない。
皐月は、仲睦まじそうに手を取り合い指輪の交換を行っている二人を、遠い目で見つめる。
自分の恋は、こんな風に実った事がなかった。傍を通り過ぎて行ってしまうモノばかりだ。
好きになれば遠くへ行ってしまったり、いい感じになったと思ったら妻子持ちだったり。極めつけは……。
そっと、隣に座って新郎新婦を見守る優しい横顔を見た。
ゲイに恋するなんて。
まぁ、乙女ちゃんの場合は、ゲイだって始めから知ってたんだし、本当にダメもとだったんだけど。
そう、心の中で言い訳をしてみる。
好きになったのは、ちょうど彼氏が実は暴力男だったのがわかって相談していた時だ。乙女は高校の時からいつだって、話を真剣に聞いてくれたし、全てを肯定し、受け入れてくれた。そのくせ、気がつけばこちらの過ちは、やんわりと正してくれる。この時もそうで、結局、乙女がうかつだった自分の非を諭しながらも、盾となり、暴力男と彼が話をつける形で助けられたのだ。
いつも味方でいてくれる。
そんな彼を、いつの間にか友達以上に思うようになっていた。
もしかしたら、彼以上に真剣に好きになったのはなかったかも。そう思うほど、苦しい恋だった。
高校からの親友で、しかも彼はゲイだ。友情を壊したくない。勝算も全くない。
でも、どうしようもないほど会いたくて、声が聞きたくて、触れたくて……狂おしいほど切ない夜が、理屈を超えて何度も訪れた。
讃美歌のクリスタルの様な透明な歌声がチャペルに響いている。
目を上げると、陽を透かしたステンド硝子の影が色鮮やかに、この眩い真っ白な空間を祝福していた。
皐月の吐息は、そんな光溢れる空間の隅に落ちた。
ある日、気持ちが抑えきれず、告白してしまったのだ。
そのことを、今でも後悔している。
皐月は今日のこの日のために綺麗に飾った爪をそっと撫でた。
優しい彼は、想いを伝えた時もやはり拒絶はしなかった。でも、彼は「自分は女性をそう言う対象で見る事はできない」そう、きっぱりと言い放った。その時の、震える声と歪んだ顔。今でも忘れない。
私は、彼を苦しめてしまったのだ。
「綺麗ね」
「え」
そっと囁かれた声に、顔を上げる。
さっきまで新郎新婦を映していたその穏やかな瞳に、自分の爪が映っていた。
素直に嬉しかった。
だって、このネイルアートは、綺麗なものが好きな彼のためにして来たものなのだから。
「ありがと」
変わらず接してくれて。
惚れ直しちゃうじゃない。皐月は心の中でそう付け足すと、彼の薬指を見た。
小さな棘が刺さるような痛みを覚え、唇を結ぶ。
彼氏が、出来たんだっけ。
先日、この式に出るとメールした時の返信に、そう、あった。
自分が再会した時にこの事実を知って心苦しく思わないようにと、彼なりの優しさで、心の準備をする時間をくれたのだろう。実際、おかげで再会は想像してたよりは苦しくなかった。
でもね。
皐月はそっとその手を彼の手に重ねた。
ぴくりと重なった手に緊張が走り、乙女は戸惑いの表情でこちらを見つめる。
皐月はその顔に微笑んでみせた。自分の出来うる限りの最高の笑みで、だ。
ごめんね。心の中で舌を出す。
せっかく時間をもらったんだけど、それが逆に心を固めちゃったの。
乙女に彼氏ができた。その事実を自分につきつければつきつけるほど、胸は熱く痛みを覚えた。そしてそれは、諦めの道を示すどころか、かえって自分の中の気持ちを確信させることになってしまったのだ。
自分はまだ、諦めることなんかできない。
まだ、気持ちを忘れることなんかできない。
本当に伝えたかった事を伝えないまま、この恋を終わらせることはできない。
乙女は苦笑いして、手を振りほどきはせずにそのまま視線を新郎新婦に戻した。
やっぱり、優しいんだなぁ。ずるいよ。
皐月は自分自身でも自分勝手な言い草だと思いながら、掌の中の彼の温もりを軽く握る。
あの時の苦しげな表情を忘れたわけじゃない。
告白したのも後悔してる。
でも、もうしてしまったものはどうしようもないんだし。
皐月はそっと、祈るように瞳を伏せる。
だからお願い。最後にもう一度だけ、乙女ちゃんの優しさに甘えさせて。
「これで本当に諦めるから」
賛美歌にかき消されるほどの、小さな本当に小さな声で口の中で呟く。そして皐月は何食わぬ顔を装って前を見据えた。
ちょうど花嫁のベールが上げられる所だった。