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弥生 2

 亮太。

 その名前に胸が疼く。

 実は自分達が別れた事は、コイケンのメンバーを含めまだ誰にも言っていない。

「ね、あんた達も結婚、そろそろなんじゃないの?」

 皐月がバッグで口元を隠しながら小声でつつく。

 そう、そのつもりだったよ。と、弥生は心の中で答えた。少なくとも、自分はそうしたかった。そうなるものだと思いこんでいた。子どもの頃からずっと一緒で、高校の時にやっと想いを通じあえて、大学では一人暮らしを始めた彼の家に時々泊まりもしていた。

 喧嘩もたまにはしたけど、どこかそれは仲直りが前提の些細なものばかりで、まさか、こんな日が来るなんて思いもしてなかった。

 そう、そんな彼を『元彼』と呼ばないといけない日が来るなんて……。

「乙女ちゃんにも彼氏出来たって、こないだメールで報告あったしさ。なんか、私だけ置いてけぼりって感じぃ」

 皐月が冗談めかしてぼやく。

 違うんだよ。私も、もう、一人なんだよ。

 弥生は喉まで出かかるその言葉を、どうしても声にできなかった。言葉に、声に、形にしてしまえば、本当にそれを認めないといけなくなる。

 それが、まだ、今は怖いのだ。

「ね、亮太と結婚する時は私にスピーチさせてよね」

 弥生は干上がった喉に事実を告げようとする言葉の塊を飲み込むと、曖昧に笑った。皐月はそんな弥生の不自然さに気がつく様子は全くなかった。

 やり過ごせたことにホッとしつつ、思いなおす。

 このままだったら、亮太が来た時にも同じような事を彼に言ってしまうかもしれない。いや、皐月なら言うだろう、と。

 ダメだ。こんなんじゃ。今日は絶対、彼も来る。その前に、気持ちを決めておかないと。

 そうしないと、亮太に嫌な思いをさせかねない。

 弥生は観念すると小さく息を吐いた。

「あのね、皐月。私達……」

 いつの間にか落ちていた視線を上げ、まだ何も知らない友人の横顔を見た時だった。

「あ、来た来た!亮太!乙女ちゃん!こっち~!」

 皐月が大きく手を振った。

「えっ」

 肺が二酸化炭素を吐き出すのを忘れる。

 半ば反射的に弥生は皐月の視線の先から目を逸らせた。

 亮太が来た。そこにいる。

 鼓動が高鳴り、指先が震えだす。

 電話で別れを告げられてから、彼に会うのは今日が初めてなのだ。

 どんな顔をしたらいいんだろう? 笑顔? 別れたのにそんなのおかしい? じゃ、でも、そんなあからさまな顔をしてもいいのだろうか?

 どうしよう。どうしたら……。

 気ばかり焦り、体は固まる。顔を上げられないまま、俯くことしかできないでいると、そこに衝撃が飛び込んできた。

 弥生は驚いて思わず小さな悲鳴を上げる。

「久しぶり~」

 弥生と皐月を、二人一度に大きな腕が包むように抱きしめていた。

「二人とも元気だったぁ?! 会いたかったよ~」

 豪快な再会。乙女だ。

 乙女は一度、ぎゅっと二人を抱きしめた腕に力をこめると、体を離し二人の顔を交互に見つめた。男性であるにも関わらず、何の躊躇もなく女性に抱きつけるのは、彼ならではだ。

 そう、乙女こと、四ッ谷猛。彼はゲイなのだ。

 彼は空手道場の跡取り息子だった。その事で高校の時は随分悩んでいた。恋だって一筋縄ではいかず、傷つくことも多かった。

 でも、その分、彼は洞察力にすぐれ優しい面を持ち合わせており、当時から部活の中の誰よりも『乙女』。それが彼だった。

 そんな彼も、先日、親にカミングアウトし、今は大学の卒業を控えながらも、メイクの専門学校を目指している。

 彼には彼なりの、たくさんの困難があった。

 でも、それらを乗り越え素直に自分の人生を歩きだしたからか、再会を喜ぶその笑顔は、高校の時より深い優しさに満ち、また自信に溢れているように見えた。

「私も会いたかった」

 弥生はしばらくぶりになる幼馴染に微笑んだ。 

「私も~。いつもメールだけだもん」

 皐月は頬を乙女にスリ寄せると、見ている方がドキリとするほど彼の顔を間近で見つめる。

 その眼には僅かに憂いが揺れていた。

 弥生は知っている。皐月が彼の事を少し好きだった時期があると言う事を。そして、それはたぶん、乙女自身も知っている。

 乙女は、そんな皐月の強がりをくみ取るように、彼女の髪を撫でると、今度は弥生の方を振り返った。

「久しぶり」

 短い言葉。

 その声色で、弥生は彼が自分と亮太の事を知っているのだとわかった。

「うん」

 だから、こちらも短く返す。それで十分な気がした。

「にしても、ますますカッコよくなったわね~。ほんと、ゲイにしとくの勿体ない!」

 皐月が容赦なく愚痴る。乙女はそれに苦笑を浮かべた。

 確かに、見た目ではゲイとはわからない。大学まで陸上や空手をしていたせいか、均整のとれた体つきに、中世的で綺麗な顔。ゲイにどんな人がいるのかわからないけど、大学の合コンに連れて行ったら、まずもてそうな感じはした。もちろん、女子に、だ。

「あら? そう? ありがと」

 乙女は皐月の言葉にやんわりと返す。

 その左手の薬指には指輪が光っていた。きっと、さっき皐月が言っていた彼氏からもらったものなのだろう。

 指輪か。

 弥生は小さく息を吐いた。

 高校の時に一度、亮太から指輪を貰えるチャンスがあった。あの時は色々あって受け取れなかったが、指輪なんかなくても、一緒にいられたらそれでいいと思っていたし、一緒にいられなくなることなんか想像もしていなかった。

 でも。

 弥生はなんの跡もついていない自分の薬指を見つめる。

 一緒にいられなくなった今、せめて一緒にいた証として残せるものがあれば良かったと思う。

「そろそろ受付に行こう」

 胸に鋭い矢が突き刺さった。

 乙女の向こうから聞こえたその声。

 弥生は今すぐにでも込み上げてきそうな涙を飲み込む。

「そうね。そろそろ行きますか」

 皐月が隣でそういって、乙女の腕に自分の腕をからませた。困ったような顔の乙女を、挑戦的で蠱惑的な笑顔で見つめている。

 強いなぁ。

 弥生はそんな皐月を羨ましく思った。

 ふられても、あぁやっていける強さ。今は心の底から欲しいと思う。だって、自分は顔もまともに見る事ができない。

「行くぞ」

 亮太の声がすぐ傍でした。

 気配を右肩に感じ、弥生は小さく頷く。

 どこかで、以前の様に接してもらえるんじゃないか、そんな淡い期待が胸をくすぐる。

 しかし。

 いつも繋いでいた手の傍を、彼の手は、触れることなく通り過ぎた。

「あ」

 顔を上げる。

 自分を置き去りにする遠い背中。

 やはり、あの別れは現実なのだ。

 弥生はやるせない思いを握り潰すように手を握った。

 式場への案内の声が聞こえた。

 そうだ、今日は親友の、睦月の結婚式なんだ。

 何度も言い聞かせた事を、もう一度、自分に認識させる。

「しっかりしなきゃ」

 弥生は息を一つつくと、受付に向かった。

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