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十津川

 目が覚めた時、すぐに感じたのは自分の手をきつく締めつける何かだった。

 次いで、眩暈の後の様な不快感が胸にこみ上げ、頭がずんと重くなる。それでも、睦月は次第に輪郭のハッキリしてきた周囲に、何が起こったのか把握しようと目を凝らした。

 見知らぬ天井。

 静かな空間。

 何があったか記憶をたどろうとした時

「睦月っ」

 聞きなれた声が耳に飛び込んできて、睦月の口元が思わず綻んだ。

「直輝」

 視界に入って来た直輝の顔は、悲惨なまでにぐしょぐしょだった。

 顔は青く、いつも綺麗にセットしている髪も乱れている。頬は涙で濡れ、いつもの軽快さはまるでない。

「私……」

 記憶が徐々に蘇る。

 そうだ、自分は結婚式に出ていたはずだ。途中、お腹が張り出して、それでも手紙は読み終えて、その後、どうしたんだっけ?

「そうだ」

 曇りガラスを拭うように頭が鮮明になってくる。そして、張りの感じない腹に手を添えた時、睦月の背に氷水を浴びせられたような感覚が駆け抜けた。

 思わず上半身を起こし、夫に掴みかかる。

「赤ちゃん、ね、赤ちゃんは?」

「大丈夫。大丈夫だよ」

 直輝はそんな睦月を抱きしめると、何度も、まるで自分自身に言い聞かせるかのようによう彼女の耳元で繰り返した。

「怖かった。俺、お前も、ガキもいっぺんになくすんじゃねぇかって。マジ、やばかった」

 そういう直輝の指は、睦月を抱きしめながらも震えていた。

 ゆっくりと体を剥がすと、その冷たくなった指先で、睦月の両頬を包み、彼女の瞳を見つめた。

「ごめんな。俺、なんか舞い上がってて、お前がキツイなんて、ぜんっぜんわかってやれなくて。俺、お前やガキの事、大切にしてるつもりで、ぜんっぜん見てなかった。ごめんな。ごめんな」

 直輝は最愛の人を失う恐怖を思い出し、固く目を閉じた。きつく噛みしめられた唇はわななきを止めない。

 睦月はそんな直輝を見て、徐々に不安に冷え切っていた自分の心が、彼の優しさに温められて行くのを感じた。

 自分の手をずっと握っていてくれたのだろう、その手を上から重ねると、再び流れ出した直輝の涙をもう一方の手でそっと拭った。

「私こそ、ごめんなさい。私一人の体じゃないのに、無理しちゃって。ダメなママよね」

 その時、腹の内側に振動を感じた。

 自分以外の命が、自分の体内で確かに息づいている。その感覚に、改めて安堵し睦月はそのコドモからの合図に答えるように腹をさすった。

「そんな事。それを言うんじゃ、俺はダメおやじだ。本当に、本当に、ごめんな」

 直輝もそう言うと、腹のコドモにそう囁き、睦月の手に自分の手を添える。

 赤ん坊がまた、元気に蹴った。

 思わず二人に笑みが零れる。

 一人でいた時も、友人といる時も、家族といる時も、恋人といる時にも、決して感じる事のなかった、特別な感情が二人の胸に広がる。

 それは、幸せと一言で片づけられないほど、たくさんの側面を持つ反面、色は優しさの一色で染められた様な、ふんわりとしまた身の引き締まるような感情。

 本当に大切な心には、人は言葉も名前もつけられないのだなぁ、と二人は微笑みあう。

「俺ら、まだまだだけど、一緒にやっていこうな」

 直輝が囁いた。睦月は頷く。

 そして、改めて思う。彼を選んで、また彼に選ばれて、自分は最高に幸せだと。

 病室の窓が鳴った。

 睦月は顔を上げる。

「お母さんや皆は?結婚式はどうなったの?」

「あ、ここには睦月のおふくろさんと百崎先生と亮太が付き添ったんだ。俺、酔ってたし、会場の後始末とかあったしさ」

 直輝は少々きまりが悪そうにそう言うと、睦月に「さっきまでおふくろさんいたんだけど、俺もいるから一度家に戻るって。式は大丈夫。二次会のキャンセルも済ませたし、そこら辺は心配するな」と安心させるように付け足して、腕を組んだ。

「に、してもさ。妙なんだよな」

 直輝は色を取り戻した唇を曲げると、眉を寄せた。

 そんな仕草は少々子どもっぽく、睦月は好きだ。

「何が?」

 思わず優しい口調になってしまう。直輝は首を横に振りながら

「亮太と百崎先生だよ。なんかさ、お前が倒れた時も、妙に息も合ってたし。ここでも、アイコンタクトばっちりって感じでさ。弥生とは目も合わせねぇくせによ。な、あいつら、どうなってんだ?」

 やっぱり、亮太と先生に何かあったの?

 睦月は親友の事を想い、胸がずっしり重くなるのを感じた。

 亮太が弥生を振るなんて、よっぽどの事だ。そこに先生がいるとは思いたくなかったが、じゃ、逆に他に理由があるとすればどんな理由なのだろう?

「で、今、皆は……」

「出てった。たぶん、談話室かロビーにいるんじゃないか?」

「連れて行って」

「はぁ?」

 思わず出た言葉は自分でも驚くほど強い意思がこもっていた。

 いつだって、自分を支えてくれた仲間。その中でも、今の自分があるのは弥生のおかげだ。弥生がコイケンに声をかけてくれなければ、あの時、自分を信じて不良グループから連れ戻してくれなければ、こうやって直輝と一緒になる事も、赤ちゃんが生まれる事もなかったのだ。

 そんな弥生の危機に、駆け付けられないなんて、自分で自分が許せない。

「お前、何言ってんだよ!今はガキの事を一番に考えて、安静にするべきだって!話したばっかじゃん!」

 直輝は少し怒った声でそう捲し立てる。それはそうだ。自分勝手にふるまって、同じ過ちを二度も犯してはいけない。でも、でも……。

「でも、弥生が」

「心配か?」

 睦月は頷いた。

 直輝は小さな溜息をつく。

 いつもは大人しい睦月。でも、こうなると頑として聞かない頑固さがあるのを知っているからだ。

 こう言う所は、きっとあのオヤジ譲り何だろうな。そう、直輝は心の中で苦笑すると、睦月の背中を優しくさすった。

「わかった。皆を呼んでくる。だから、お前はここでガキと待ってろ。な?」

「うん、わかった」

 睦月は眉を下げ頷く。

 腹で子どもが蹴り返すのが、また感じられた。

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