量子力学は甘くない
今年のラジオテーマに「量子力学」がある。
こっそり趣味で物書きをしている私は、ラジオ朗読に応募するべく「量子力学」について調べてみた。
粒子やら、波やら、シュレディンガーの猫やら。スピリチュアルやら。
わかるようなわからないような、あと少しのところで掴み損ねてしまうはっきりとしないものだった。
結論、意味がわからない。
唯一「こういうことかなぁ」と思ったことを試すために、お昼休憩に袋を破ったところだった。
「わたあめ、美味い?」
掛けられた声に顔を上げれば、入社時よりお世話になっている先輩が微笑ましいとばかりに私を見ていた。
「美味しいかどうかより、形を変えるかどうかなんです」
「なんだそれ」
「先輩、量子力学って知ってます?」
首を傾げる先輩に、私は袋の中から指先でわたあめをつまんだ。
「いくつか調べたんですが、理解できなかったんです。でも形を変えるという点では、わたあめと同じだなぁと思って」
「そもそも前提がわからん」
「調べてみてください。説明できません」
後輩でありながら投げやりな私に、先輩は律儀にスマホを取り出して調べ始めた。
表情を見るに先輩にも理解できないようだ。
ですよねーと思いながら、私は口にわたあめを放り込んだ。
「難しいな。ただ、お前の言わんとすることはわかった」
「あ、わかります?」
「量子力学の言葉を借りれば、波と粒子。認識した瞬間に形を変えるってことだろ?」
「さすが先輩。わたあめは口の中に入れた瞬間に溶けちゃいますから」
たしかにな、と。
先輩は同意して、けれど鼻で笑った。
「でも、違うだろ」
「じゃあどういうことだと思います?」
違うことは最初からわかっているのだ。
ただ近い感覚がわかればと思っていただけ。
久しぶりに食べたわたあめの甘さについ手が止まらなくなっていると、横から伸びてきた骨ばった手が私をわたあめから引き離す。
目で追うと、掴まれた私の手がどんどん先輩に引き寄せられていく。
「認識、変わった?」
いたずらに口角をあげて。
はくはくと言葉を失う私の指先から、先輩はわたあめをぱくりと食べた。
「ん、甘い」
我慢の限界をこえ、私は先輩から自らの手を奪い返した。
これで認識が変わらないわけがない。変わらないわけがないけれど、そもそもこれは、量子力学の話だったはず。
だから。
「これも違うと思います!!」
可愛げなく否定して、残りのわたあめをすべて頬張った。
口の中に広がった甘さは、なかなか消えなかった。