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街中でも遭難は起きる

 もし上司から説教という名の理不尽な時間拘束を喰らった時、貴方は上司のご高説の後どうするであろうか。


 ヤケ食いをする?

 ふて寝をする?

 遊びに行く?


 とるであろう行動は様々であるが、とりあえず誰もが共通して考えることはストレスの発散であろう。

 ストレスというモノは人によって解消方法が違い、正解と言える解消方法は存在しない…………と、されているが正確には少し違う。

 人も所詮は生物であり、動物である。人間社会という仕組みを持って生きるだけで喋る猿と畜生に差などない。

 ストレスの発散方法の正解など原始時代から変わらず、暴力行為による何かしらの破壊以外に適しているモノなどありはしないのだ。

 だが現実的な事を言えば、如何に海に捨てたくとも説教上司をドラム缶セメント風呂に入れたりはしないであろう。

 人間は道具を使って生き、先に記述した通り社会的生物である。

 故に道具の破壊と社会の破壊は人間という種にとって不利益となるのだ。

 結果として発散方法としてはベストではなくともベター、人間社会という仕組みを持っているモノとしてベストの選択肢をとる為、ストレスの発散方法が多岐に渡るのだ。


 さて、短い前話の続きと行こう。


 女も人間である。

現状における暴力によるストレスの発散が望まない事態を呼び込むであろうという事は理解していた。


 自身の人生至上、最悪な目覚めを経験した路地裏から数分。

 パルクールを趣味にした過去の自分を褒めながら、屋根を猫のように伝って辿り着いたその場所には、女にとって理解したくはない光景が広がっていた。


 吹き出し口が明らかに空中に存在する原理不明の噴水、青黒い肉の串焼きを売る二足歩行爬虫類の屋台、明らかに銃刀法違反のブロードソードを携えたケモ耳男性にソレが目の前を過ぎ去ることを気にかけずにイチャつく緑肌のカップル。

 聞こえてくる言語はやはりと言うべきか女にとって聞いたこともない言語であり、屋台で受け渡される通貨も売り物らしきモノも見たことがない物ばかりであった。

 正にファンタジー。

 ゲームやアニメで見た光景が目の前で繰り広げられているのである。

 心臓に剛毛を生やした者や脳内に色鮮やかな花園を持つ者であれば、夢に見たような光景だと喜び楽しめるのかもしれないが、常人である女にとっては恐怖でしかなかった。

 噴水は女にとって未知の何らかの謎の物質やエネルギー、法則があることを差し示す。

 屋台は食物が地球と大きく違う事を示す。

 帯剣した存在とカップルは武器の持ち歩きが許容される程に武力が近くにある事を示し、治安が日本よりもよくない可能性を示唆する。

 そして、人種が多いというのは一見して女が紛れても目立たないという良さを持つかもしれないが、その人種の多さ故に常識やタブーが多いという事でもある。

 状況は最悪でこそないが限りなく絶望に近いのだ。

 女は頭皮を削るような強さで粗雑に頭を掻くとぐしゃりと髪を握った。


(冗談じゃねぇ、ファンタジーは幻想(ファンタジー)だから面白ぇんだ。現実になれば悪夢もいい所じゃねぇか。こんなどこぞのラノベよろしくな事態なんぞを喜ぶのは、平穏の価値も治安の意味も知らない脳ミソあっぱらぱーな奴らだけだろうが。そもそも言葉も現地の文化や知識もわからねぇなんぞ、最早山で遭難するのと変わらねぇだろ。なんで私がこんな目にあわなきゃならねぇ……くそ……クソっ……クソッ!!)


 現状について湧き出る悪態は留まる所を知らなかった。

 気を緩めれば叫んでしまいそうで、されど叫べば目立つという理性が荒れる思考を手に込める力へと変えて、髪を握って抑え込む。 


(どうする?どうすればいい?どうすれば帰れる?何が必要だ?どんな方法がある?手段の探し方は?情報の集め方は?いや、まず帰れるのか?そもそも帰る手段を見つけるまで―――)


 悪態から始まった女の思考はこの理不尽な状況への怒りへ変わり、すぐに無数の疑問へと変わった。

 されど焦り、混乱している女にまともな回答など出せる筈もない。

 焦っている時ほど人間の視野は狭くなるのだ。

 答えのない問いだけが積み重なって行き、疑問だけが心に負荷となって溜まっていく。

 非常事態で異常事態、ストレスはマッハで半ばパニック。

 それはまるで豪雨の日の限界ギリギリのダムが如く――――



( ―――生きていられるのか? )



――――亀裂が入れば一瞬で決壊する。

 言いようのない寒気が女の背筋を走った。

 寒いのではない、血がどこかへ流れ出て行ってしまったかのように体温が感じられないのだ。

 息が浅くなる。心臓の鼓動が騒がしい。

 思考が動くにも関わらず逸らせない。

 辿り着きそうに…………辿り着いてしまいそうになる終わりの一文字。

 焦燥と混乱が現実味を帯びた危機によって、不安となって膨れ上がって行く。


【恐怖】という名の化生に気が付かれてしまったのだ。


 化生は心底厄介なモノである。

 常に近くを未来への不安という姿でうろつくにも拘らず、一度理解すれば最後。不安の原因を断つ明確な解決法を見い出すまで、化生に体を乗っ取られるのだ。

 勇者や英雄と言われる者であれば、解決方法が見い出せないままでも恐怖を理解した上で、強固な意志を持って心を震わせ前へ進むであろう。

 しかし、案の定女は凡人である。

 凡人が勇者や英雄のように恐怖を理解すれば、嘲笑うように恐怖に体を乗っ取られて終わりなのである。

 非常な現実だ。人によっては「甘ったれるな」と言う現実かもしれない。

 だが、これが事実なのである。

 凡人が一人で恐怖に乗っ取られた体の支配権を取り返す術などありはしないし、何処まで行っても、一度乗っ取られれば供物(酒)を捧げて一時的に借り受ける事が精々となる。


 故に女は息を止めた。


 いや、頭に『故に』と付けるには少々無意識が過ぎていたかもしれない。

 女にとっては半ば本能的な行動だった。

 止める前から既に浅かった呼吸のせいで脳はすぐに悲鳴を上げ、肺は新鮮な空気を欲する。

 だが、女は左手をゆっくりと開閉しながら息を止め続けた。


 理解しなければ良いのだ。

 まだ化生に気づかれただけである。

 化生を、恐怖を理解して体を乗っ取られた訳ではないのだ。

 未来への不安も、恐怖という名の化生も、酸欠の乱れた思考の海に消える雑念の一つにすぎない。

 そういう事にしてしまえばいいのである。

 

「……スゥー…………フゥーー…………」


 時間にして一分も止めてはいなかったが、堪え切れなくなった女は肺が痛くなるほどに大きく深呼吸をした。

 落ち着いた訳ではない。

 化生からは多少遠ざかったが、女の思考は未だに乱れ、焦りが燻り続けている。

 深呼吸一つで精神状態が戻るのであれば、発狂もSAN値チェックも存在しないのだ。

 しかし、現状はそれがとても都合が良かった。

 下手に冷静になれる程に思考の隙間ができてしまっては、先ほどばったり出会った化生に今度は自ら会いに行ってしまう可能性ができるのだ。

 そして、それは女もぼんやりと理解している。

 故に僅かにできた思考の隙間も直ぐに埋める。


(言葉の通じねぇ存在が多数の街中、つまり協力者は得られない…………とりあえず衣食住だ。少なくともコレをどうにかしねぇと話しにならねぇ)


 女は今すぐにやるべきことで思考を埋めると、そのまま動き出そうとして一歩たりとも動かずに目を瞑った。

 

(バカが、衣食住の三つを今の私が一気に解決できるわけがない。まずは一つ。それもできる限り明確に……)


女は自身が焦っている事も精神的にかなり乱れている事も理解している。

 その為、現状の自分がマルチタスクをこなせる余裕など欠片もない事にも当然気が付いていた。

 衣食住のうち最も今すぐにやるべきこと。

 それも、優先順位を付けるだけでは駄目である。

 何をすればそれを整えた。または、目標を達成できたと確実に言える明確な指標が必要なのだ。

 女は瞼を上げてチラリと摩訶不思議な噴水を見ると、少し眉を顰めながらもう一度瞼を降ろした。


(食事は一日抜いた程度じゃ死なねぇし、水は……一応ある。最悪屋根の上で寝ればいいから住居も後だ)


 幾ら濁ってないとはいえ、外国どころか異世界らしき場所の噴水の水を煮沸もせずに飲むというのは蛮勇もいい所である。

 されど、現状において自由に手に入る飲み水という点では、これ以上に良いものを探すというのは極めて難しいことであるのも事実であった。

 そうなると必然的に衣と住の二つとなるが、ゲーセン帰りに眠くなって建物の影で立ち寝する事すらある女にとっては住居など二の次である。


(衣類、服だ。着替えも含めて幾つか欲しいが…………荷物が多い方が危険極まりねぇか)


 気温は夜こそ不明だが、現在は極めて温暖である。

 その為、体温調節という衣服の一番の役割は既に果たされていると言って良い。

 だが、Tシャツにパーカーとジャージの組み合わせの人型実態が一人もいない未知の街中となってくると話しは変わってくる。


 目立つのだ。


今の今まで建物の屋根を伝い、辛うじて人型実態の視界に入らないように移動してきたが、ゴキブリですら人の目に降れる。ずっとこのままという訳にもいかない。

 自信の戸籍も何もかもなく、武器の携帯が許されるこの街で目立つというのは極めて避けたい事である。

 それに靴がない事も深刻であった。

 寝て起きたら摩訶不思議なクソ事態なのだ。靴を履いている訳など当然ない。

 現代日本人には裸足で外を歩く習慣など基本的にないからして、石を踏めば痛いし、場合によっては怪我をする。

 この状況で怪我などしてしまえば一巻の終わりだ。


(…………背に腹は代えられねぇ)


 女はもう一度大きく深呼吸するとゆっくりと目を開け、後ろに振り向き足を前へと出した。

 先ほど伝って来た屋根に戻る形だ。

 実の所、方法さえ問わなければ服を得ることは比較的簡単なのだ。

 なんたって、干してある洗濯物を幾つか掻っ浚ってしまえばいいだけである。

 ブルーシートの上の押収品下着コレクションみたいになる程に盗ったり、人目の付く場所で盗んでしまえば問題になるが、シャツとズボンを一枚ずつ程度であればそうそう問題にならない。

 女は少しくたびれたズボンと簡素なシャツの洗濯物をそれぞれ別の場所から一枚ずつ盗むと、直ぐにその場所から離れた。


 屋根の上を渡れば、ほんのりとこの都市がどのような作りなのか分かってくる。

 恐らく中心から蜘蛛の巣のように放射状に道が作られ、教会のようなものなどの目立つ建物が幾つか、巨大な都市にも限らず周囲は壁で円形に囲まれているようで、侵入も脱出も容易ではない可能性が高い。

 この世界ではコレが普通なのかもしれないが、見てくれは完全に城郭都市である。

 やはり、武力が一般人の生活に非常に近いという風に女の目には見えていた。

 幸いなことに大通りで見た限りは都市の活気自体が比較的良い事も見えていた為、生きる為に切羽詰まって、略奪や人さらいが横行する程ではないという事も考えればプラスもマイナスもないであろう。。


 もっとも、光のあたる場所があるのなら、陰のできる場所があるのも当然である。

 それを考慮するならばマイナスかもしれないが……。

 

 手に物を持ってパルクールができる程に器用では無い為、腰に巻きつけるような形で移動していた故に腰や尻の辺りが湿って気持ち悪くなってきた頃、女はふと立ち止まると足元を見つめた。

 靴の入手の仕方を考えながら、ただただ洗濯物窃盗地点から離れるように移動していたとはいえ、都市のつくりが分かる程度には周りを見ていたのだ。

 今足場にしている屋根が、先ほどの窃盗地点とは明らかに違う事ぐらいはすぐに気が付く。

 薄汚れ、抜けるのではないかと思えるような簡素でボロい屋根だ。

 建物自体の老朽化もあるが、何よりも手入れがされていないことが目立っていた。

 女は後ろをちらりと確認すると、できる限り音を立てないようにゆっくりと次の屋根へと移った。


(こりゃあ…………随分と雰囲気が変わったな)


 見渡せば先程の屋台や噴水のあった場所とはあからさまに違う。

 稀に見える人型は何処か活力がない者や雨も降ってないのに外套のフードを深く被っている者など、活気があるとは欠片も言えない。

 石畳はくすみ、建物は崩壊しているモノもある。

 所々にゴミやガラクタの山があり、何よりも据えたような空気が息をする事すら躊躇させる。

 スラム。貧民街。

 そんな単語が女の頭に浮かんだ。

 女は荒事に慣れておらず、精々できる事は建物を利用しての逃走だ。

 また、仮に荒事に慣れていたとしても危険な場所に態々突っ込んでいく必要などありはしない。藪を突いて蛇を出せば馬鹿なのだから。

 本来であれば引き返すべきである。

 

 されど、女は進まざるを得なかった。


 一歩、一踏み、一掴みと、時には屋根上を跳ね、時には壁をよじ登り、足場の建物を壊さないようにゆっくりと見極めるように進んでいく。


 この場所の常識もわからなければ、言葉も通じない。

 どうせ秩序の保たれた場所に居場所などありはしないのだから、野良猫の如く、寝る場所は道端か不法占拠した建物になる。

 それならば、誰にも見つからず。それでいて誰も乗り込んでこなさそうな場所が良いのだ。

 優先順位こそ変わるが、スラムの建物は女に取っての狙い所である。


 しかし、やはりと言うべきか、女の持ち前の運の悪さと言うべきか、物事は上手く進まないモノであった。

 女は暫く進んで足を止めると、進行方向より少し右に見える妙に大きな建物を一瞥し、進んで来た道からほんの少しずれるような形で元来た屋根を戻り始める。


(ダメだな。確実に地雷だ)


 スラムの中にある倒壊していない大きな建物というだけでかなり目立つのだが、それが妙に小綺麗な外見をしているともなれば、それは異様と言っても差し支えないであろう。

 3人いれば派閥ができ、治安が良いと言われる日本ですら暴力団という組織があるのだ。

 異世界に似たような血濡れた組織がない訳がない。

 ましてやスラムの中で目立つ建物を持っているともなれば、その危険度は計り知れない。

 触らぬ神に祟りなしだ。


 女は時折止まっては、道や屋根や壁の状態を確認しながら建物の物色をし続けた。


(スラムと住宅地の境辺りで探す方がいいか?)


 女の当初の構想としてはスラムの最奥とは言わずとも、中程に寝所を構えるつもりであった為、変更に際し眉間には僅かに皺が刻まれている。

 どうせ、度々コソ泥の真似事をしなければならないのだから、追跡された際に迂闊に奥に踏み込めないスラムの内部が良いと考えていたからだ。


 だが、実の所この変更は、女にとって極めて幸運であった。


 法が機能せず、ルールとは名ばかりの暴力が唯一のルールであるスラムに措いては、スラム内の独自のコミュニティーこそが最も重要な生命線だ。

 それがなければ仕事は愚か、危険な場所もわからない。

 また、コミュニティーに入っている事自体が身分証明のような役割をする為、コミュニティーに入らずに動き回る者は不法入国者と同義と言ってもおかしくはない。

 当然碌な目に会う筈もなく、死ねれば寧ろ御の字という状況もあり得るだろう。


 だが、女はコミュニティーに入ろうにもこの街の言語がわからず、文字通り話しにならない。

 下手に奥まった場所に寝所を構えていれば、3日と立たずに夜中に襲撃される可能性もありえたのだ。


 まぁ、真に幸運であるならばこの状況にはなってはいないだろう故、言葉としては不幸中の幸いと言った方が正しいだろう……。

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