8 葛藤しなくなったら人間として終わりだろ
山道というのは想像以上に体力が持っていかれる。
勾配しかり、滑る落ち葉しかり、剥き出しの木の根しかり、半ば埋まった大小の石しかり。
いやまあ、獣道じゃないだけマシと言えばマシなんだが……それでも、ゲーマーという名のインドアにはなかなかに厳しい道のりであることは確かだろう。
「何、ぼさっとしてるんだい。さっさと行くよ」
「ハァ……いや、ハァ……ちょ……無理ぃ……!」
明らかに息も絶え絶えな俺の手を引き、ネロと思しき美少女はずんずんと山道を登っていく。つまり、結果、俺もずんずんと登る羽目になっている。
とはいえ、足手まといを引っ張りながら周囲も警戒してくれているネロに文句など言えようはずもない。代わりに弱音は吐きまくっていたが。
「ほら、もう少し頑張りたまえよ。相手の能力がわからないんだ、こんな狭いとこに留まってるわけにはいかない。なあに、尾根まで登れば多少は拓けるさ」
「ハァハァ……それって……あと、どれくらい……?」
「この辺りは山脈と平野の境だろう? なら標高はさほどでもないはず……。五分くらいかな?」
「ご、五分……」
無理。
もはやそう言う気力さえない。
「…………」
無言がつらい。普段の猫じゃなく、美少女な分、三倍くらいつらい。
「はぁ……」
ため息とかやめて! メンタルが死ぬ!!
「……しょうがないな、ご主人は。この手は使いたくなかったんだけど……」
「……!?」
ネロの言葉に戦慄する。
いったい、どんな手を使うつもりだ!? 何だかんだ言ってもネロは悪魔――どれほど無茶苦茶なとんでも手段を使ってきてもおかしくない!!
「(…………ゴクリ……)」
「――頑張れ頑張れ、ご主人♪ ファイトだファイトだ、ご主人♪」
次の瞬間、あっま甘な声で応援するネロが爆誕した。
もちろん、俺は目が点に。
「………………」
「……ぅ……」
ポカンとする俺の目の前で、ネロの顔がどんどん赤くなっていく。
ついには「何か言いたまえよ!?」と言わんばかりに睨みつけられたが、俺は首を傾げるばかり。なお、この時の俺の心境は、
(何やってんだ、こいつ???)
一色だった。
「う、うん……? おかしいね……こうも無反応とは。男という生き物は美少女に応援されれば元気が溢れるはずだけど……」
「いや……誰がそんなことを?」
「駅前にいた眼鏡をかけてる鼻息の荒い男の集団」
「ああ……それは確かに俺の同類だし、だとしたらそいつらの意見にも頷くが――ネロよ、そいつらの言葉には非常に重要な前提がある」
「何だって? それはいったい……?」
尋ねるネロに、俺はやや溜めつつ答えを告げる。
「それはな――美少女は美少女でも! 『自分が好ましいと思ってる』美少女に限るということだ!!」
「……!!」
「つまり、今日、満を持して姿を現したネロの応援では――『何やってんだ、こいつ?』っていう感想しか出ねえんだよ!」
「な……なんてことだ…………」
膝から崩れ落ち、地に手をついて項垂れるネロ。
「この僕が……あんな媚び媚びな声を出してまでしたことが……無意味だなんて……! ……結構、恥ずかしかったのにぃ……」
勘違いした者に対し、現実は無慈悲である。
なお、たぶんそいつらが言ってた「元気」とネロが思う「元気」はたぶん意味合いが違う、ということは言わないでおいた。さすがに。
とまあ、寸劇はここまでとして。
「――で、実際どうなんだ、ネロ? そろそろいいんじゃないか?」
「ふむ……念のためにもう少し離れたいところだけど……」
顔を赤くして項垂れていたはずのネロは、何事もなかったかのようにすくっと立ち上がると、あごに手を当ててしばらく黙考し、
「……ま、大丈夫かな」
「じゃあ、もう少しだけ頑張るか……」
寸劇で多少は回復した体力を使い、山道をえっちらおっちらと再び登り始める。
あえて背後を振り返ることはしない。あの金髪の大男は確実に追ってきているし、そもそもその行為に意味がないのもある。
あとぶっちゃけ怖い。
車が突っ込んでくる瞬間を見てないとはいえ、あの金髪の大男がこちらを殺すつもりなことは明らかだ。改めてその姿を見てしまえば、恐怖で足がすくむ自信がある。
それはマズい。
「まだ、それはマズい……。まだ……」
自分に言い聞かせるように呟いて、また一歩山道を登る。
やがて、俺とネロは少しひらけた場所で止まった。
「――――死に場所はここで良いのか?」
やはりと言うべきか、金髪の大男はすぐに姿を現した。黒スーツの上からでもわかるほどの筋肉質な体つきだ、インドアの体力無しに追いつくなどわけないだろう。
急襲しなかったのは、いつでも殺せるという余裕があったからか、それともその言葉の意味する通り、死に場所くらいは選ばせてやるという慈悲からか。
あるいは――
「…………」
「…………」
状況がどうとか、これから起こることがどうとか、そういった考えるべきこと全てを差し置いて、俺とネロの視線と思考は一点に集中していた。
「…………何だ? 何か言いたげではないか」
スッ、と互いに視線を合わせ、どちらが先に発言するか押し付けあう俺とネロ。
結果、僅差で、あくまで僅差で俺が負け、声が震えないように一度咳払いし、大男の問いに俺は答えた。
「あー……うん、その……肩に乗ってるその子は……?」
――あるいは、右肩に十歳くらいの女の子を乗せていたがために走れず、実は本当につい今しがた追いついたばかりだったのか。
「……? 無論、我が契約者だが」
「はあ、そうっすか……」
とりあえず、大男の方が人外の何かで、女の子の方が人間であることは確定した。なお、当の本人は全く興味がないのか、スマホを両手で持って何やらゲームをしている。
「ぁ……もう揃っちゃった……。つまんないの……次」
だが、全くもって楽しそうではない。まるで真っ白な壁を前にしているかのように、瞳の中には「つまらない」という感情しかない。
「ふむ……なるほどね。今の答えで君の正体がわかったよ――金獅子」
「ほう……忘れっぽい貴様が我を覚えているとはな、黒猫」
「バカも休み休み言いたまえ。君ほどの存在をコロッと忘れられるほど、ボクは能天気でも楽観的でもないさ」
その通りだ。
ネロは決して忘れてなんていなかった。いや、むしろ、「絶対に覚えておくべき」くらいのことは思っていたはずだ。
何しろ、出会ったその日に俺は警告されているのだから。
――毎回毎回、悪魔と契約して参加する大会だからって、ご主人が言うところのバトルロワイヤル的なものだと勘違いする契約者がいるにゃ。そして、その勘違いを放っておく参加者も――
ネロはあえて遠回しに言っていたが――いや、正確には遠回しに言うしか伝える方法がなかったのだと思う。
思い返せば、俺はこれまでに一度も、他の参加者が持つ力について、ネロから事前に明言されたことはない。ダヴエルについても直接対峙してようやくだった。おそらくは、ルール上で何かしらの制約があるのだろう。
だから、これはあくまで俺の憶測だ――憶測だった。
バトルロワイヤル的なものだと勘違いする契約者がいるのなら――そう勘違いするように誘導する参加者もいそうだな、と。
そして、ネロやダヴエルの力を多少は理解した今なら、その憶測をさらにもう一歩進めることができる。
すなわち――最初からバトルロワイヤル的な行動をする参加者すらいるのでは、と。
「――勝利の大精霊……!」
その瞬間、金髪の大男は牙をむき出しにして笑った。
いつかネロが言っていた――大会の内容は人間に迷惑をかけるようなものにはしない、と。
これは一つのルールを示している。つまり、人外が人間に危害を加えることの禁止だ。もちろん、自衛やら何やらの例外はあるにしても。
だが、ネロやダヴエルには運命や確率を捻じ曲げるほどの力がある。
もしも、ネロ達の言う「ルール」というものが、あくまで前提でしかなく、力によってそれを捻じ曲げられる者がいるとしたら?
そして、そんな者が契約者の命を奪うことに積極的だったとしたら?
――一刻も早く脱落させるしかない、というのは当然として。いったい、どんな力があれば、前提の「ルール」を捻じ曲げることができるのか。
「いいかい、ご主人、一度しか言わないからよく聞きたまえ。彼は――金獅子は、『ルール』に勝利条件を追加することができる。そしてそれは絶対に達成される」
「然り。我が性質は『勝利』であるが故に。世に絶対的な勝利を保障するものはない。ならば、勝利の前提そのものを覆してしまえば良い」
「例えば『ババ抜き』における勝利条件は手札をゼロにすることだ。けど、金獅子はそこに『手札から六枚を捨てた時点で勝利する』という条件を追加することができる。しかも、自分側だけにね」
「ってことはつまり……」
「ああ、そうだよ、ご主人。金獅子、君は――対戦相手の殺害を勝利条件に追加したね?」
「無論」
金獅子は一瞬のためらいなく肯定した。
だが、それだけではないはずだ。ネロの力を突破している以上、何か他にも――
「――今は実に良き時代だな、手に収まる程度の小さな機械一つで、対戦相手すら必要とせず勝負ができるのだから」
「っ……まさか……!」
驚愕にネロが目を見開き、やや遅れて俺もその意味を理解して、同じように目を見開き戦慄した。
「おいおい……勝負内容とは無関係な『勝利条件』すら追加できるのか!?」
肩に乗っているその子がスマホでゲームをしているのは、大会参加者の人外や契約者の人間を探すためだって言うのかよ!?
「然り。一つ訂正するとすれば、『勝利条件』の追加にも制限はある。が、それは勝利達成の難易度に依存したもの。『ガチャ』なる貴様ら人間の作ったシステムは、実に良い触媒となってくれたぞ」
「なっ……」
ガチャ? ガチャだと!? それはつまり――さっきの「もう揃った」という呟きは――!!
「――チクショオオオオオオオオオオ!!!」
「どどどどうした、ご主人!? 急に大声など上げて!?」
「金獅子! いや金獅子様!! 今からでもいいから俺と契約してくださいませんかねえ!!?」
「「…………は?」」
同時に首を傾げるネロと金獅子。
どちらも疑問と呆れを隠そうともしていない。
だって勝てるんだぜ!? あの魔境で! あの底なしに思える沼で! ゲーマーなら一度は夢見たっていいだろう!?
「あぁ……いや、金獅子、気にする必要はないよ。ただの妄言のたぐいさ」
「ふむ……?」
「何があろうとも参加者と契約者は1対1。契約を結びなおすことなんて出来はしないよ。それにだね、ご主人、もしもボクとじゃなく、金獅子と契約していたとしたら、君はとっくに死んでいるはずだ」
「くぁぁああああ……そうなんだよなぁ……!」
あれもそれもこれもどれも命あってのもの。二者択一だというのなら、命を取らざるを得ない。
だが!
だがそれでもやっぱり惜しいんだよなあ!
「血涙を流さんばかりだが……」
「いつの世も、欲望を抑えられる人間は少ないってことさ」
やれやれ、と首を横に振るネロ。
わけがわからん、と片眉を上げる金獅子。
その弛緩した空気を切り裂くように――ジャキッ、と聞きなれない、だが聞き覚えのある音が響く。
「――で、そろそろ良いか?」
最後通牒を突きつけるように、金獅子が俺に向けたのは、ゲームでしか見たことのない殺人の象徴だった。
「嘘だろ、銃って……!?」
いや。
半ば予想はしていた。あの乾いた音が聞こえた時から。
ただ、当たってほしくなかっただけだ。現実を突きつけられてなお、どうか外れてくれと願う自分がいるほどに。
そんな胸中を見透かすように、金獅子は鼻で嗤う。
「は、言葉のわりにさほど驚いておらんではないか」
「……いや、びっくりしたのは確かだよ。銃なんて代物は、この国じゃ警察か犯罪組織くらいしか持ってないからな」
だから最大の疑問はそこにあるわけだが、大方の予想はつく。おそらくは契約者の女の子――その親か祖父母がそういう筋に深く関わっているのだろう。
……ただなあ……そうなるとでっかい問題が浮上してくるんだよなあ……。このあとのことを思うと本当に憂鬱――
「気に食わんな」
まさしく獅子が唸るように、金獅子は苛立ちを表した。
「この期に及んで、なお、貴様の目には光がある。未来を見ている。……だが、まだわずかな希望があるというような、そんなか細い光に縋っている目ではない。そう……取るに足らんと思っている、そういう目だ。実に気に食わん」
今すぐ獲って喰ってやろうか、と言わんばかりの眼光を向ける金獅子。
なお、そんなものを向けられた俺は絶賛ビビり中である。マジ怖え。
「なぜだ……? なぜまだそんな目ができる? まさか……まだ生き残れると思っているのか!? 逃げることしか能のない逃避の悪魔程度の力で! この勝利の大精霊から!!」
「逃避の悪魔……?」
それってネロのことでいいんだよな……?
「んん……? 何だ、黒猫、貴様、自分が何者かすら、契約者に教えておらんのか」
「別に大して重要なことじゃないだろう? それ」
ネロの答えに金獅子はスッと目を細め、
「……そうか。では、人間、その身をもって意味を知るがよい――」
何のためらいもなく引き金に指をかけた。
「――死ね」
その瞬間、俺の死が確定し――――
走馬灯という現象がある。
死の間際、あるいはそれに類する状況に置かれた時、生存を求める本能からか、人間の脳は高速で回転し始め、まるで人生を振り返るかのように過去の映像を見るという。一説には、経験から死を回避する術を模索しているのだとか。
これと似たような現象として、いわゆる「ゾーン」というものが存在する。
一流の武術家やスポーツ選手が経験するというそれは、極限の集中がもたらすもので、周囲の時間が非常にゆっくりと流れているように感じるそうだ。
さて。
だとすれば、俺が今、経験しているこれは、どちらかと言えば走馬灯に近いものなのだろう。だが、決して、人生を振り返るように過去の映像が見えているわけではない。かといって、俺は武術家でもスポーツ選手でもないのだから、たとえ迫り来る弾丸の回転すら見えるほどに周囲の時間が非常にゆっくりと流れているように感じていたとしても、これがいわゆる「ゾーン」なるものであるはずはなかった。
『――どうしたんだい、ご主人? ボケっとして。やるべきことはわかってるはずだろう? ボクにしては珍しく、しっかりと説明したんだから』
そしてその最中、頭の中にネロの声が響く。
……ああ、そうだな。お前にしては珍しく、三回も同じことを説明していたよ。だから、わかっているさ、やるべきことくらい。
『ふむ……それならさっさと終わらせたまえよ、ご主人。それとも何かい? この期に及んでまだ迷ってるだなんて、そんなことは言わないだろうね?』
いや……迷うさ。迷うに決まっているだろ。
だってこれは、俺自身だけの問題じゃなく――あの女の子の人生や、もしかしたら命にすら関わるかもしれない重大なことなんだぜ?
事前にどうするか決めていても、それが最善の選択だってわかっていても、いざ決断を迫られると、本当にそれでいいのかって、迷って迷ってなかなか答えを言えないもんなんだよ……。
『はぁ……全く――』
言いたいことはわかるさ、ネロ。俺達人間のそういうところが――だろ?
……でもな、ネロ……俺はそれでいいと思うんだ。
いや、むしろそうじゃなければいけないと思うんだ。
最後の最後まで、迷って迷って、悩んで悩んで、葛藤し続けてようやく答えを口にする――それが人間って生き物なんだよ。
葛藤しなくなったら、人間として終わりなんじゃないかって――
だから。
――父を思う。
――母を思う。
――祖父母を思う。
――叔父伯母を思う。
――いとこ達を思う。
――数少ない友人らしき者達を思う。
――もはや連絡すら取らなくなった旧友達を思う。
――大学の先生達を思う。
――過去に出会った先達達を思う。
――シロさんとダヴエルを思う。
そして最後に――ネロを思って――
「……やっぱりダメだな」
ああ、ダメだ。
無理だ。不可能だ。
そんな選択は絶対に出来ないと結論を出す。
俺は、見ず知らずの他人のために命をくれてやるような、高尚で清廉な人間にはなれない。失ったつながりも、失いたくないつながりも、この心を引っ張るものがたくさんある。
結局、俺も、自分の命のために他人の犠牲を許容するような、卑劣で残酷なありふれた人間の一人でしかなかったのだ。
だから俺は、迫り来る死に、運命に、クソッタレと投げ付ける。
「――――俺は、この結末を――――――押し付ける!!!」
「――金獅子、君はボクがボクの正体を契約者に伝えてないと知った時、『そんなことすら教えてないのか』と嗤ったけど、ボクからすれば、契約者に何でもかんでも話してしまう方が軽率と言わざるを得ないんだよ」
ふと気付いた時、状況はすでに終わっていた。
金獅子は痛みをこらえるようにうずくまり、その苦痛に歪む顔を覗き込んでネロが笑っている。
「だってそうだろう? 大会参加者には他の参加者の会話を盗み聞きする力を持つ者もいるんだから。切り札のことを話すのは、しっかりとタイミングを見計らわないと」
「グッ…………!??」
「わけがわからないって顔だね? いったい何が? どうやって? 逃避の悪魔ごときが――そんな顔だ。だからさ、金獅子、そこが間違ってるんだよ」
ダヴエルがさらっと暴露した話を覚えているだろうか? ネロは過去に一度だけ、天使や悪魔、精霊、妖怪その他もろもろがひしめくこの大会で優勝したことがあると。
では、そもそもの疑問だ。そういった人外達がこの大会に参加する理由、目的は何なのか?
「ボクはもう逃避の悪魔じゃない――転嫁の大悪魔だ」
「な、に……!?」
答えは目の前にずっとあった。……いや、まあ、俺が知ったのもつい昨日のことだったりするんだが……。
俺がやったことというか、ネロの二つ目の力はわりとシンプルなものだ。
俺(つまり契約者)が被る不幸を誰かに押し付ける。範囲は一定で、対象は完全なランダム。ただそれだけ。
だが、今回の場合、対象になり得るのは、金獅子の契約者の女の子だけだった。人外は対象外だからだ。
それがなぜ、金獅子が傷ついているのかというと――
「なる、ほど……契約者を守らなければならん、というルールを……逆手に取ったか…………」
「さて、どうだろうね?」
満足そうに笑うネロ。
まあ、それがなかったら、俺ももっと悩んでいただろうしな……。
あと、これは俺の勝手な推測だが、金獅子はかなり早いタイミングで契約者の生存を勝利条件に追加していたはずだ。じゃなきゃ、自分と同じような考え方の参加者と勝負する時に危険すぎるからな。それもあって、契約者の女の子に向かうはずだった「死」を金獅子が引き受けることになったんだろう。
「――と、いうわけで――――さっさと勝負方法を決めようかにゃ」
クルリと回り、華麗に後方宙返りを極めながら、ネロは黒猫の姿に戻った。
それを見た瞬間、張りつめていたものが解け、俺は地面に座り込んでいた。深いため息がこぼれる。
「このまま君があっちに帰っちゃうと、ボク達は不正戦勝扱いになっちゃうからにゃー」
「あ、やっぱそうなんだ」
「ま、とっくに勝負は成立してるから、今更同意とか必要ないけどにゃ」
「必要ねえのかよ……」
じゃあ、何で訊いたんだよ?
「ふん……我に敗北を認めさせたいだけであろう」
「にゃふふん♪」
正解らしい。
なお、人外達に明確な「死」というものは存在しないらしい。あくまで「あっち側」なる場所に帰るだけなのだとか。
「まあ、良い……。確かに此度は油断があったわ。応じてやろう。勝負内容を決めるが良い」
死の運命を引き受けたはずだというのに、すでに金獅子は何事もなかったかのように喋っている。……そしてその契約者の女の子は何一つ気にすることなくスマホでゲームをし続けている。
「それじゃ、遠慮なく」
ネロがそう言ったとたん、ポンッと空中で音がし、そこからヒラヒラと一枚の紙が舞い落ちて――落ち切る前にネロによってキャッチされた。
「ふむ……なるほど、これは……。金獅子、もしかしたら案外、まともに勝負をしていれば、君の勝ちだったかもしれないよ?」
ネロが金獅子の眼前に突き付けた紙には、
『勝負内容:鬼ごっこ』
と、さてはお前全部見てるな? としか言いようのない文言が書かれていた。
そんなこんなで、翌日の筋肉痛が憂鬱でしかない一日が過ぎ、ネロはまたゴロゴロニャンニャンとする日々へと戻った。……筋肉痛? もちろん、なったとも。
ちなみに、金獅子の契約者だった女の子はどうしたかというと――彼女は金獅子が黒スーツだけ残して消えたあと、すぐにいずこかへと電話をかけ、数分が経つ頃には「執事」と名乗る謎のイケオジと共に帰っていった。
俺としては、とりあえず見ず知らずの女の子を家まで送るという超難易度ミッションをする必要がなくなって何よりである。……まあ、帰り際、「執事」と名乗るイケオジに何やら名刺を渡されたわけだが……。特級呪物並みに不穏な気配しか感じねえんだよな……。
「………………」
「……別に電話をかけても不幸な目には合わないけどにゃー」
「いや、まあ、うーん……でもなあ……」
ネロの保証があっても怖いものは怖いのである。
とはいえ、いずれは連絡を取らなければならないのだろう。
おそらくは。たぶん。
……まあ、そんな話もこんな話も、今はまだ語るべき時ではない。
というわけで「今日も黒猫は凶事を告げる」はこれにて一旦お開きです。いずれ気が向いたら(というかネタができたら)書くかもしれませんが。
ここまでお読みいただいた皆様に最大の感謝を。どうもありがとうございました。