7 そのフラグだけは回収したくなかった
「お兄さんは何で生きてるの?」
なんて問いを人生で一度でもされることになるとは全く予想していなかった。
そもそも、問いとしては抽象的過ぎると言わざるを得ないし、考えることに意味があるのかも疑問だ。
人はなぜ生きるのか?
実に究極な質問である。哲学者ですら、この問いに明確な答えを返すことは不可能ではないかと思えて仕方がない。
そもそも、人の生に目的はあるのか? という疑問が鎌首をもたげる。これは良くない。非常に良くない。
仮に人の生に目的があるとしよう。
たとえば、子孫を残すとか。
あるいは、社会に貢献するとか。
その場合――では、その目的を果たさない、あるいは果たせない人の生は無意味なのか? という問いにつながってしまう。もしくは、あなたの人生に何かしらの目標ないし目的があったとして、ではそれを実現できなかった場合、あなたの人生は無意味だったということになるのか? という問いにもつながりかねない。
これらは命の選別だ。優性思想主義者や差別主義者になりたくないのなら、人生に目標や目的は無いと考えるべきだろう。人生の意味など見出せない方がいいのだ。
ならば、と逆を考えてみる。
人はなぜ死にたくないのか?
いやまあ、世の中には今この瞬間も「死にたい」と考えている人は少なからずいるだろうが、それは脇に置いておく。その人達も「死にたい」と考えるまでは生きてきたわけだから。
人は死を本能的に恐れる、という。
とある小説では「人は続くことを良いと考える」と言っていたが、これを逆説的に捉えれば、人が死を本能的に恐れるのはその先に続きがないからだろう。輪廻転生だの魂の復活だの地獄だの天国だの幽霊だのは、死の先に続きがない恐怖を誤魔化すための方便に過ぎない。もちろん、それが悪いと言いたいわけではない。ただ、存在証明のできていないことを考慮するのは、今はやめるべきというだけだ。
さて、一つの答えが見つかったように思う。
人が生きるのは、死にたくないからである。あるいは死の恐怖を直前まで考えたくないから、でもいい。
――実につまらない答えだ。
これでは死にさえしなければ何でもいいことになってしまう。
たとえば、脳死状態というものがある。これを死んでいると捉えるか、生きていると捉えるかは意見のわかれるところだが、全面的に肯定する人は一人もいないはずだ。
もちろん、脳死状態であっても生きていてほしいと願う人々はいる。一方で、脳死状態になったら生命を手放し、見知らぬ誰かのために臓器提供を行うと言う人や、「この人はこんな状態になってまで生きていようとは思わないでしょう」と、良く言えば当人を慮って――悪く言えば勝手な憶測をして――延命措置をやめる人がいることも事実だ。
前者の人々だって、いつまでも脳死状態で生きていてほしいと思っているわけではないだろう。いつか回復することを祈って延命措置を続けているはずだ。
後者の人々も本当はそうしたかったのかもしれない。だが、当人の意思や金銭面などの理由によって諦めざるを得ないことはある。
ただ呼吸をしているだけでは、人は生きているとは言えない――なんて考えもあることだし。
結局のところ、重要なのは本人の意思なのだ。それは間違いないだろう。
誰かに死を強制することが許されないように――誰かに生を強制することも許されない。人は「死にたくない」と思う時があると同時に、「死にたい」と思う時もある生き物だ。ただ、「死にたい」よりは「死にたくない」の方が断然良いし、「死にたくない」よりも「もっと生きたい」という思いの方がきっと力強いはずだが。
老後に悠々自適な生活を望む人は多いが、ただ生きているだけでは人は徐々に死んでいくらしい。それを避けるために推奨されているのが、「きょうよう」と「きょういく」だそうだ。
今日、用がある。
今日、行くところがある。
たったこの二つが生きていくための活力になるらしい。
明日を生きるための活力に。
「お兄さんは何で生きてるの?」
だから、そう訊いてきた彼女が、たとえ世界の全てがつまらないかのような顔をしていたとしても、俺はこう答えるだろう。
――明日が来ると信じているからだよ――
人はきっと、無意識に無条件で明日が来ると信じているから生きている。たとえ今日、悪いことがあったとしても――明日はどうなるかわからないから。
そして、明日が来ることに絶望した時、人は死にたくなるのだ。
ならば俺も願うべきだろう――祈るべきだろう。
世界の全てがつまらないかのような顔をしている彼女のために。
君の明日が、良き日でありますように――と。
問題はどこへ行くかだ。立ち向かうにしろ、逃げるにしろ、多対一の状況は避けたい。なお、シロさんとダヴエルという前例があるため、アパートの部屋に閉じこもるという選択肢は最初からない。
だから俺とネロはすでに外へと出ている。
何せ相手は四人。勝負は原則として一対一だが、協力ができないわけじゃないらしい。たとえば、他の同盟員が相手の手札を盗み見て教えるのはルール違反にならない。……そう、またしてもネロの説明不足だ。
「なら、基本的に同盟を組んだ方が有利なんじゃね?」
「ま、ボクと銀鳩みたいに決着がつかなかった場合はそうだにゃ。けど、むやみに徒党を組むのは戦略的にどうかと思うにゃ」
「うん? 何でだ?」
「この大会の優勝枠は一つだけにゃ。同盟外の参加者を全員脱落させたあとは同盟内での勝負が始まるにゃ。むやみに徒党を組んでると、その時に相性の悪い相手と当たりやすいにゃ」
「なるほど……」
「だから、相性の悪い相手と組む奴は皆無にゃ」
「同盟外を全滅させた時のことを考えると、ってことか……。あれ? じゃあ、俺達が残った場合はどうなるんだ? ネロとダヴエルはもう対戦済み扱いなんだろ?」
「そういう場合はより多くの参加者を脱落させた奴が優勝になるにゃ。ま、ボクと銀鳩だけが残ったら、順当に銀鳩が優勝だろうにゃ」
自分が優勝できない可能性をあっさりと認めるネロ。
……まるで優勝しようなんて思ってなさそうに見えるかもしれないが、決してそんなことはない。
何せ、
「だからにゃ、ご主人。その時は――わかってるにゃ?」
「ああ……わかってるよ……」
俺とネロには、ここぞという時のための切り札があるからだ。
いや……切り札と言っていいものかどうかは微妙なところか。
「それで、どこに行くかは決まったかにゃ? ご主人」
「う~ん……全然」
マジでどうすりゃいいんだ、これ?
まず、駅は×。それくらい誰だって予想しているだろう、という以上に、致命的な点が一つある。俺が住んでいる自治体から出るには三つの路線があるんだが、インドア派が市内の中心地から徒歩か自転車で行ける距離にある駅は三つしかなく、どの路線に乗ろうとしても、とある二つの駅のどちらかを必ず通らなければならない。
参加者か契約者のどちらかが他の参加者か契約者を視認した段階で勝負が成立する以上、この二つの駅で見張られたら確実に勝負が成立してしまう。そして勝負が成立したあとに別の自治体へ移動した場合、自動で不戦敗になる。なお、同じ理由でバスもタクシーも×。……さすがにネロもこの説明は忘れなかった。まあ、聞いたのはシロさんと同盟を組んだあとだったが。遅えわ。
次に、俺が真っ先に思い付いた大学へ行くという選択肢だが、俺が通っている大学には敷地内への出入り口が一つしかなく、さらによく考えれば閉門時間があった。やはり×。
ならば自転車で市内を移動し続けるか、となりそうだが、参加者の力や契約者の移動手段によっては簡単に追いつかれるため、これも×だった。というか俺の体力がもたない。
「……ガチで詰んでね……?」
「ま、わりと詰んでるにゃー……」
ではどうするか?
考えに考えた末、俺とネロが出した結論は、各個撃破だった。もちろん、待ち構えているだろう場所へ行くわけじゃない。問題は多対一になること――だったら一対一を強制する場所に行けばいい。
ネロの能力は基本的に強力だ。一対一なら負けはしないだろう、というのが唯一の希望だった。
「まあ……そんな都合のいい場所ないんだがな……」
「ないよにゃー……」
ねえのかよ! というツッコミが聞こえた気がした。
で。
こうなっては仕方がない、ということで、俺とネロは人気のない山を目指している。せめて通信手段だけでも封じられないか、という一縷の望みに縋った策だ。なお、本当の山奥は物資的にも体力的にも無理なため、人気がないことを最優先とした。
結果、選ばれたのは市内の南にある低い山だった。人里からさほど離れておらず、標高も大したことはない。
たぶん、ケータイの電波も普通に圏内だろうな……。
策と言えそうな策と言えば、隣の市との境が近いことくらいだろうか。
「一応、線路は避けて遠回りするけどさ……上手く逃げられるかな、これ?」
「相手の力次第だにゃー……。もしも桃豚か赤鷹がいたらすぐに見つかっちゃうにゃ」
「桃豚に赤鷹、か……。うん? 桃豚……?」
それは一般的に想像される豚なんじゃ……? それとも想像以上にドピンクなのか……?
かなり追い詰められた状況だったが、まだ俺にはネロの発言に心の内でツッコむ余裕があった。
「……その二人は特定の誰かを見つける力を持ってるってことか?」
「ま、そんな感じだにゃ。と言っても方法は全然違――にゃ……!?」
――だが、事態は急転直下の展開を見せる。
「ま、マジかにゃ……!? いったい、何が起きてるにゃ!?」
「ど、どうした、ネロ?」
「……いや、やるべきことは変わらないにゃ。ご主人、なるべく急ぐにゃ」
そう言ってネロが次に告げたのは、
「また、他の大会参加者が来たにゃ」
「は……!?」
まさかの六人目の参戦だった。
七十二――正確には三組が脱落しているため六十九だが――もブロックがあるにもかかわらず、俺とネロを含めて六組もの大会参加者が一つのブロックに集まる。確率的にはあり得そうな状況だが、現実的にはこれほどの異常事態はそうそうない。
閑静な住宅地を自転車で駆けながら、カゴの中のネロと相談を重ねる。カゴ猫である。
「……どうする? 今からでもシロさんに救援を求めるか?」
「確かにボクと銀鳩が揃えば、むしろこっちから仕掛けに行けるだろうにゃ。けど、やめとくにゃ。ボクの能力がそれだけは絶対にやめろと言ってるにゃ」
「それって……つまり――」
「銀鳩と合流しようとしたらボクは負けるってことだろうにゃ。下手すれば二組とも」
ネロとダヴエルが揃えば状況を打破できるのに、シロさんと合流しようとしたら負ける……?
なんだそりゃ?
いったい、どういう展開になったらそんなことになるんだ……?
ネロが具体的なことを言わないってことは、明確な原因がわからないってことだよな……。明確な原因がわからない敗北って…………それって、何だか――
言いようのない不安を抱きながらも、二十分ほどで麓へと到着し、奥へと続く未舗装の砂利道をさらに進む。
――その道中でのこと。
「――にゃっ? …………ご主人、方針を変えるにゃ」
「へっ? どした、突然?」
「逃げるのはやめるにゃ」
さっきまでと百八十度違うことを言うネロ。
「はあ? いや、でも、多対一だと圧倒的に不利なんだろ?」
「状況が変わったにゃ。もう多対一になることはないにゃ」
「……?」
「だから脱落したのにゃ。参加者が――三人同時に」
理解するのに数秒を要した。
そしてその情報が示す可能性に、じわじわと血の気が引いていく。
ネロの説明は端的だったが、端的だからこそ、俺は俺自身のペースで状況の最悪さを理解することができた。そうでなければ錯乱していたかもしれない。
「…………ああ……そうか、だからシロさんと合流しようとしたら負けるのか……」
「理解したみたいだにゃ、ご主人?」
改めて、もう一度、大会のルールを確認しよう。
一つ、勝負は原則として一対一で行われる。
一つ、一対複数や複数対複数で勝負が行われることはない。
一つ、勝負の内容はその場でランダムに決定される。
だから、数日前に起こったような、一人が脱落した直後に別の一人が脱落するなんて偶然も、確率的にはあり得る話だ。奇跡的な極低確率で。
だが――
――何がどう転んでも、ルール上、複数が同時に脱落することはあり得ない。
あっちとこっちとそっちで同時に勝負をしていれば可能だ、と思うかもしれないが、それでもあり得ないのだ。
大会への参加意思の有無を判断したり、勝負内容を決定したり、同盟を組む際の書類を受領したりする存在が示唆されていたことを覚えているだろうか?
まあ、今はどちらでも構わない。
さっさと結論を言おう。
ネロ曰く――これらを判断する存在は実のところ一人しかおらず、そしてその存在は、勝敗の判定や脱落者が出たことを周知する役割も担っている――
つまり、勝負によって複数が同時に脱落した場合でも、間に勝敗の判定が入るから、そもそもシステム上、複数の脱落通知を同時に出すことはできないらしい。
だが、現実にはそれが起こっている。
なら結論は一つだ。
――大会ルール以外の理由で脱落した。
過去に一度だけ、ネロが優勝した方法は何だったか? それを思い出せば、答えは自ずと出る。
死。
死によっても、大会からは脱落したと見なされる。
そして、死ならば、同時に複数人を脱落させることが可能だ。
「ってことは、目的地は変えない方がいいんだな?」
「そうにゃ。このまま山の中に入るにゃ」
逃げるためじゃなく――待ち構えるために。
「けどにゃー……まさかこの国で出るとは思わなかったにゃー……。大会を――バトルロワイヤルと勘違いした契約者」
「まあ、俺もそのフラグだけは回収したくなかったよ」
ネロと二人、やれやれと肩をすくめる。
――油断がなかったか、と問われれば、否定はできない。
何かマズいことが起こるとしてもネロが何か言うだろう――ネロの言う通りに対処すれば大丈夫だろう――確かに俺はそんな風に思っていた。
もっとネロのことをよく見ておくべきだったのに。
「――っ!!! ご主人、避けるにゃ!!」
突然のネロの叫びに思わず姿勢を低くする。
だが何も起こらない。
「……? ネロ、避けるって――」
「ああもう――」
いぶかしみつつ顔を上げた瞬間、目に飛び込んできたのは、自転車のカゴのへりに立つネロの姿で。
刹那、目の前が真っ黒になり、
「――仕方がないな、ご主人は!!」
誰かの澄んだ声が聞こえたと思った時には、俺は宙を跳んでいた。
轟音と擦過音が響く。
背中をしたたかに打ち付け、肺から空気が無くなる。
世界が数回転する。口の中には砂利の味。
「――うぇ……な、何が――」
「起きたまえ、ご主人! 説明はあとだ!」
「――いやちょっ!? へ……???」
誰かに腕を引っ張られ、無理矢理起こされたかと思えば、目の前には見知らぬ美少女。さらに混乱が加速する。
「今はとにかく逃げるぞ!」
「え、あ、は、はい……?」
黒髪の美少女に腕を引かれ、わけもわからないままに駆け出す。何となく、そうした方がいいような気がしたのだ。
バンッ――という音に振り返れば、いつの間にか黒い乗用車が道を塞ぐように止まっていて、そのそばに金髪の大男が立っている。
男と目が合った。
何か赤いものを持っているような……?
「――ご主人、あの橋を渡って山の中へ行くことは可能かい?」
黒髪の美少女に問われ、男から視線を外す。
彼女が指していたのは小川に架かった小さな橋だった。
「さ、さあ……?」
こんなところに橋があったのか……。
ネットでざっと地図を見た時は気付かなかったな。
橋の先を目で追うと、道は山の中へと続いているように見える。
「行けそうではあるけど……」
「なら、出たとこ勝負をするしかないね……!」
自信ありげに微笑む横顔を見て、俺はようやくこの黒髪の美少女がネロの人化した姿だと気付いた。
それだけヤバい状況だったということなのだろうか。
……いや、何が起こったかは何となく理解している。たぶん、あの黒い乗用車が後ろから猛スピードで突っ込んできたのだろう。
ネロが助けてくれなければ、俺は自転車ごと轢かれていた。
ということは、あの金髪の大男は――
チラリと登ってきた道を振り返るが、視界に映るのは緑と茶色だけ。
直後、パンッ!! と、下方から乾いた音が聞こえた。
次話は未定です。