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魔術は冴える、月光を穿つ  作者: 齋藤夢斗
1章
5/6

一幕 4 自警団

「5」


 自警団、と呼ばれる集団は下町の最低限の環境保全と犯罪対策を目的として活動している非営利団体である。無論、法律に基づく権利や力の行使もできない或る程度の正義を有する砂上の楼閣なのだが、そんな大きすぎる穴を下町屈指の武力と信頼で埋めており、しかも知らぬ者なしの名代の組織だという。


 極めて稀なケースだが、貧民たちに理解を示す善良な兵士にも好まれ、犯罪に対する実質的な対処も彼らが受け持っているほどである。

 ここで誤解しないで戴きたいのが下町の信頼や信用の意味がそこを住処とする住人にとっては最早強烈な皮肉なのは周知の事実だが、自警団という組織に限定していえば比較的牢固とした信頼を誇っている。組合に参加している人間にでは決してない。


 構成員の一人として知られるのはやはりゲルデ・グルミュース、件の美青年で、不遇な子供たちに万国的にも珍しい、中流やそれ以下の家庭の子に修学の場を、それも無償で提供している教員でもある。


 その一点においても大変な人格者だと思われる彼であるが、更には過去の犯罪が横行していた荒廃の時代にできた爪痕の改修或いは撤去を慈善活動と銘打って、立ち上げから募集、資金の工面から用具類の準備まで、お世辞抜きにして一から十まで請負、やり遂げた点も評価するに難くない。

 

 この事もあり、自警団の所属も併せて、ゲルはあくまでも慈善の徒であった。人身御供を赦さず、不条理に屈さず、ひたすらに弱きの味方であり続けていた。


 アサヒは故郷で最も身近だった慈善の徒を思い浮かべた。彼らとゲルとに明確な差があるのだろうか。誰かの不幸を扶けるのに差を設定する必要などない。知恵や行動力などに顕著な開きが現れるのは尤も、けれど思いの丈に上下はない。当然だった。心に天稟などないのは万人が解ることだ。


 諍いや争いの無縁な世界というのを人類は想像だにしないだろうし、そんな世界があり得ると訴える精霊たちの言が人を惑わせる妄言だと妄信するのは如何せん精霊と対話できる人間の絶対数が微少であるからして詮方ないだろう。精霊と直接接触できるのは全人類の一割より少ない、らしい。


 国と国とが鎬を削り、獣魔が闊歩し、通信手段も魔術があってもなお郵便が重宝され、斯くの如き世間で認識の統一化を図ろうなどとどうしてできようか。その前程を土台に魔術排斥を唱えた国は悪法であっても、勇敢であった。


 おそらく同様の手段でその統一化を訴えても結果は同じように思われる。残念なことに思われて然るべきである。そんな寒々しい実情が誰かの絶望をより稠密な絶望が塗りたくる。その成れの果てが路地裏のホームレスであり、ゲルが行っているのが精霊の言の眉唾を信頼という形で真実に昇華させようとしているのである。


「……たぶん」


 レティは空に帰った。路地裏の矩形を抜け、大空が拡がるのを目にしたいと思った。けれど空を飛ぶ魔術はなかった。

 しかし、レティの知識の及ぶところにないだけで断言するには尚早に過ぎた。いつか探してみるのもいいかなとアサヒはまだ見ぬ未知に焦がれた。


 ……遠い、どこか。ここではない、どこか。


 彼は同時に自身が制約なくどこにでも行ける身分であることに気付いた。気付いた、というより想い出した、だろう。未知への欲求はまず読書、そして旅……。


 この町の空は路地裏から見える空に近いのかもしれない、と思った。





 あれからあの喧しい雑踏に戻ってみもしたが、何をしようというわけでもなく、からといってゲルの姿でも探してみもしたが徒労に終った。探す目的すら皆無であったのに、何故心当たりという心当たり、寄合という寄合に足を運んだのだろう。

 ファンタジーの鉄則で情報収集は酒場なんて話があるが、全くその通りであった。が、何にもまして収穫があったのは精霊との対話であった。


 真偽は対価が絡まない時点で怪しさだらけであるが正しく真実、と呼べる情報であれば大助かりした。レティも実は或る筋から情報を取り入れていたらしく、その或る筋が何処のどなたなのかは彼にもわからなんだが信頼はできるらしかった。精霊は往々にしてお喋りな性質であって、レティの妙で、対蹠的な性格はなかなかに希少なのだが、


「レティが手放しで信頼できる精霊? がいるのは驚きだよ」


「まあ失礼。あたしにだっているわよ、そりゃあ。いくら若輩だからって、あんたよりは長く生きているのよ」


「だって人見知り気味だし、レティ」


「あんた、まだ数年そこらの付き合いでなに解った気になってるの? ふん、教えてあげる。あんたなんかよりこの身体の相方、カーモメーちゃんの方がより親密な仲なの。そう一心同体そのものだからね」


「んじゃあ、殴る蹴るしてくれたのはレティの意志を継いだカーモメーさんだと」


「はっ、あんたバカぁ!?」


「演技なのか、素なのか、一週周ってわかんないな」


「素に決まってるでしょう。カーモメーちゃんの意志を借りるまでもないわ。そもそもカーモメーちゃんとあたしほどのパートナーが身体の制御を口合わせなんて程度の低い手段で貸し借りしていると思っていたなんて、さながら阿吽の呼吸の領域にあるあたしたちよ? 突発的な感情すら瞬時に読んで交替するくらいどうってことないわ」


「つまりレティの意志を継いだカーモメーさんの身体によるレティの行動だと」


「煩わしいわね。それにね阿吽の呼吸なんだからカーモメーちゃんも承知の上よ……きっと」


「ちょっと自信なさげなところがお前の意志の強さを感じるな」


 しかしレティのように生きた生物を依代に顕界と直接の関係を結んだ事例は数えればややあるものの、心身制御の主導権を譲り合う形で遣り繰りしているのはそうそうないのではなかろうか。その珍妙な在り方がレティの本心の発露のように思われた。


「で、あんたはなにしてたの? どこそこほっつき歩いていたみたいだけれど」


「いろいろ、とね」


 日輪も斜陽にあり、町は黄昏に染まっていく。アサヒは一日の暮れを了解して、ふと自分の今日の行いを回顧した。沈む陽も翳る悉くも誰しもに共有され、誰しもがなにかを感受するべきなのに、余りに壮大で、偉大で、大きすぎる世界の一側面とアサヒは個人同士で向かい合っているような不思議な感覚を覚えた。周りを見渡せば必ず人がいるのに、影法師に伸びた人影が意味を持ち、身体そのものが空疎であり無機的であり、又様々な様式で立ち並ぶ建物も蔭こそが意義や本質を帯び、実物こそが形骸の象徴に等しかった。


 物憂い薄暮、海中から見る水面の光りのカーテンの揺曳、打ち捨てられた家屋に舞う塵埃……。


「……」


 遊具のない公園はしかし退廃の情趣を際立たせている。人っ子一人いない、立ち入ろうともしない、子供の楽園。楽園と定義するには質朴な苑内である。幾年か昔、まだ公園とは名ばかりの草が繁茂し、ゴミが投げ入られるだけの場所に手を付けたのは誰でもないゲルだったそうだ。彼は限定的であれ下町の秩序をすら救ってみせたのだ。どうして彼はそこまで、と訊かれて返ってくる応えは万別、それも主観がせいぜいであった。彼の本音を精確に言ってのける者は見出せなかった。


 なかにはアサヒが往生しているところをわざとらしく目礼していかにも事情通な風采の男女も二三いたが、皆下手に弁が立ち、喜怒哀楽に富み、そしていやに饒舌であった。踏み込むべき箇所に踏み込む姿勢はアサヒとてたまらず気を許してしまいそうになってこともある。しかし彼らは揃って一つ勘違いをしているようだった。


 ――皆は彼を信頼していたが、彼は皆を信頼しているはずがないということを。


 そのように逆説的に言ってしまえば可能性がないと断言できるはずがない。その考えに至ってアサヒは、何でもない酒場の客に扮する人を根本から信じることを知らない者の、用心に過ぎるほどの寡黙さこそが信用できるのだと解った。


 寡黙……アサヒはいよいよ『ゲル』の漸く信用できるものを見つけた気がした。








 その日は下町でも一等まともな宿に泊まった。不思議と夜はしんと張り詰めたように静まり返っている町内でもとりわけ気を遣っていることで知名であったから期待と不安半々で契約書にサインした。成程、立地の観点からは文句の一つもない。


 全域で一二の騒がしさであろう公園周辺から離れ、かといって夜な夜な怪しげな企みをする場に選ばれそうな、月光すら届かない真暗な路地裏や、人里離れた幽邃な山川草木の端にぽつんと建っているようなまず人の寄りつかないだろう場所ではなく、場末ではあるが人通りもあり、現に今も四階の部屋から俯瞰すると数分ぺーズで横断していく影がある。蹌踉としながら酒を呑む男二人、娼館の女に腕を組まれ連れて行かれる男、七分丈の襤褸を纏った母親と手を繋ぐ幼子。


 壁、床、天井、どこをとっても隙間なく塞がれ、鑢掛けを成され、テーブルやベッドの他に、宿泊客限定で安物のワインを販売していたり、賞味期限内か怪しい菓子が小皿に盛られていたりと必要十分以上の待遇でもてなされた。


「値段相応ってわけだ」


 下にしては法外なほどに高額だったように思えた。しかし、当ホテル建設時にまで遡ってみると上と下とを巡った思惑が伺えてくる。

 何でも上町の或る最大手ホテルが自警団と交渉して建てさせたらしい。交渉というと聞こえは良いが実際は自警団の運営資金の出資、つまり賄賂を握らせての強制建設事業で、上方の真の目的は下町の連中から労働力を獲得することであった。労働条件は従業員の薄給さから悟ることは容易い。


 このホテルは当初、複雑に絡み合った事情で相容れなかった互いの繋がりの物的シンボルとして開業し、約三ヵ月で経営不振に陥った。春らしい花が咲かない国であったが多様な花が繽紛として舞乱れる、温和な気候の、そう不意に眠たくなるような、そんな時節のことであった。


 近因はやはり値段であったのは明白で、委しく換算すると、例えば前日に宿泊したハリボテホテルがルームス銀貨四枚(日本円で約四千円相当)だとすれば、傲然と我が物顔で聳え立つ当ホテルはルームス金貨二枚(日本円で約二万円相当)もの宿泊費を請求される。


 ……ルームス金貨程度なら獣魔退治などの個人依頼や国内・国際特務などの報酬で屡々目にする。とはいっても獣魔の種別は数知れず、生態系だって千変万化、突然変異種なんて某狩猟ゲー染みたやつもいる……。


 なんたって奴らの生命源はイグノだ。どうして獣魔なんて化け物が発生するかは皆目見当もつかないけれどイグノそのものの誕生と密接に関わっているだろうことは疑いようもない。肉体を持ち、肉体の裡に魂、その外郭を囲うように高濃度のイグノが巡り、ゆっくり時間をかけて魂と融合し、今度は身体の輪郭に沿う形で馴染んでいく。その後、幾つかの行程があって、無事獣魔になる。端折った行程の仔細はまだ別の機会に回すとして、肝要なのは身体に帯びするイグノが因んで強靭かつ硬質な肉体に変質させていることである。その所為で、生半な力や技量で接敵したとしてそもそも傷を負わせることさえかなわない。獣魔の最も脅威たる所以である。


 このように適当な力を有していさえすれば左程問題にはならないし、金策の面でも機能する。収入は不定期、だが一度の依頼での報酬で贅沢をしないことを条件に据えておけば年単位で暮らしていける。

 アサヒにとっていえば今回の宿泊は贅沢であった。けれどもさしたる問題でもなかった。


 話を戻すが、上方は己が設定した法外な宿泊費を確かに『法外』なほどに高いとは思っていなかっただろうが、現在でもなお経営の見直しをせず半ば放置の姿勢を継続しているのか、これは後日知ることになるのだが、あのホテルは下町出身の雇用者たちの研修施設として併用しているようだった。つまり客の入りを抑制して、わざわざホテルに宿泊してくれるような下町からしてみれば豪勢な客と介して礼儀作法、業務内容を学ばせる立派な育成戦術が展開されているのだ。


 ただ懸念として高金を払って、新人の研修相手を務める構図になるわけで、苦情が出るのは知れているし、衣錦還郷にしきをきてきょうにかえるとあるように運よく国外に亡命できた人物が上町の者でさえ無碍にできない位地につき、なおかつ帰郷した場合の対応など、やはり計画が計画なだけに問題は万斛立ちはだかっていた。経営側は信頼こそが重要であることを知っている。


 人は弱きを憐れむが助けようとはあまりしない。しかし富力武力ある者が手を伸ばさないことには努めて批判の声を上げる。故に表向きは救恤の表情をし信頼を得る。一例を挙げれば以上がそうであるが、多角的視点で個人を見、穴があれば塞ぎ、方々に顔を出し、友好を結び、できるならゴマすりする。あらゆる顔を使い分け、隙間なく、無駄なく、常に最悪の見地にも立つ……狂気的なまでの貪欲さ。


 おそらく自警団が行おうとしている活動の支出、万一功を奏した際のリスクなどなど事前に予見した上での賄賂であり、


「斜向かいの自警団本部……か」


 どこもかしこも消灯している目下の通りに明々と明りが燈されている自警団本部。明りは一種の案山子効果だろうと思われる。人の出入りする様子もないし、明りのなかに人影が浮かぶこともない。立地が云々というのは専ら彼の建物のお蔭であろう。

無人の家屋を修築し、自警団の文字が続け次になってでかでかと書かれた看板を立かけ、見るも厳格な構え。下町全域に及ぶ自認自治組織。


 アサヒはその建物の座下にいると実感すると、獰猛な獣に睥睨されているような気持になった。

 しかし、遥か空には、凪いだ河川のような清澄な月があった。


「6」

 

 

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