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魔術は冴える、月光を穿つ  作者: 齋藤夢斗
1章
4/6

一幕 3 上と下

「4」


「君、そんなところで眠るのはちょっと危ないと思うな」


 仰向けのアサヒに声が飛んできた。驚きはなかった。

 明確にアサヒの下へ歩んでくる気配に数秒前から気付いていたのだ。更に補足すると、十数秒前には現在樹木の裏に隠れているレティネアに接近を知らされていた。ちなみに睡眠から覚醒したのは数分前である。


「気にすんな、獲物は持ってる」


 瞼を閉ざしたままに返答した。


「ああ、そうみたいだね」


「お前こそ、休日はゆっくり休養を摂っとけよ。子供相手に疲労が溜まってるだろ?」


「……好きで開いてるからね。人に自分の知識を披露するのが生き甲斐でもある」


「良い性格してるな」


 パチリと瞼を開いて、「よっ!」と跳ね起きをしてみせた。次いで得意げに笑んで、


「地元では僕より運動できる奴なんていなかったから、最終的には逃げ足で勝負してやるさ」


「はははっ、頼もしいな」 


 赤髪の青年である。彼は快闊に笑って、初対面のアサヒの肩をポンポンと叩いた。職業柄、人との接し方、安心を与える距離の取り方、相手の気持の舵を取る手腕、どれを獲っても卓越していた。それら技量は技術の粋であると思わせない自然の一部に組み込まれている。彼の技術の一端を間近に感じ取ったアサヒは心中で感心し、自身も自然のままに応じるのなら瞬く間に術中に嵌るだろうと恐れた。別段、赤髪の優男の美しい藍色の眸に下心の蠢動は見られなかったし、まさに完璧に澄明な自然と化していた。


「そういえば、先生さんよ。どうして僕に声を? 御忠告は痛み入るけど、無知蒙昧の流れ者の類じゃないぞ」


「大丈夫、知ってるよ。所作を観察していれば同類か、君のいう流れ者かの違いは一目でわかる。それに――」


 一拍置いて、


「馴染みのある雰囲気を纏っているからね」


「気楽に喋りかけてきたのは、そういう理由もあって、か?」


「うん、下町の人間も、上の人間も、他人を信頼するなんてなかなかしないからさ。特に底に下りれば下りるほど自分への信頼さえ希薄になっていく。つまり他人を信頼する人は筋金入りのお気楽ものか、その人が自分以上に信頼できるか……どちらかだよ」


「僕が誰も信用していないようだと?」


「だからこそ信用できる。いや、信用したい、かな。君とは仲良くなてそうだ」


 アサヒは赤髪の言を受けて、故郷の住民らしい低めの鼻梁を指先で掻いて満更でもなさそうな羞恥する仕草をした。対して整然とした顔立ちの青年は腰に手を当て、顔立ちの美しさが良くわかる角度を取って、眸を細め、薄い唇に軽い弧を描いて、最後に握手を求めてきた。数瞬、意図をはかりかねたアサヒはちらと美青年を見やったが、成程と納得を抱いて応じた。働き盛りの巌のような手に愕いた。顔に似合わぬ粗鬆な身体はアサヒの想像よりずっと誇張されて伝わった。


 だからか、不断の恒常的な注意が緩み、青年の襤褸の袖に視線を止めて、放心してしまった。そのまま別の思考に溺れようとした刹那、間隙の狭い意識と無意識の壁に衝突したみたく突き動かされてハッとした。勢い任せに手を放し、


「す、すまん」


 と言って、不躾な行いに半ば反射的に謝辞を述べた。青年も困惑した表情を貼り付けていたが、すぐに元の温厚そうな彼に戻り、「気にしないで」と首を横に振る。


「疲れてるんじゃないかい? 馴染みのない場所だと知らないうちに心労も溜まる。馴染むと慣れるは相容れこそするが、慣れだけじゃ親しみは持てないってな。……君、えっと名前は?」


「え、ああ、アサヒだ。ヒラノ・アサヒ」


「アサヒ、だね。俺はゲルデ・グルミュース。ゲルの名で仲間には親しまれているよ。それでねアサヒ、君、国外から来てもうどれくらいになるの?」


 質問され、はて、と意図を掴みかねたアサヒは取り敢えず応えた。


「ん? かれこれ一週間半になる」


「いっしゅ、え」


「嘘だよ」


「え……?」


 真誠さが激しく剥がれる瞬間をアサヒは目にした。十全な準備などあの僅かな間で整うはずもなく、それでも想定していた応えが容易に裏切られ、想定していた返答への応酬も驚愕に掻き消され、呆気にとられるとはまさにゲルの今そのものだった。


「それで、一週間半だとなにか悪いのか? 滞在延長手続きでもいるのか?」


「ううん! そんなことはないよ。そもそも下に来る人間に更新もなにもないじゃないか」


「確かに。入るのは簡単出るのは無謀、だもんなぁ。僕も初めは不安だった」


「初めって……まだ一週間そこいらだよね?」


 枯れたような笑いはちょっとした音にでも消えるほど繊弱、これもゲルなりのやり方だろう二人の間でだけ共有される心遣いというか、彼からすれば当話題はデリケートなのだろう。


 それがこれからの会話の機密性をアサヒに自覚させるためか、縦しんば正しいのであればゲルも向かい合う相手に前述の暗黙の自覚を顧慮し、こちらも配慮に匹敵するだけの披瀝をしようと構えているのかもしれなかった。


「君はどうしてこんなところに。確乎たる決意もなしにいていい場所じゃない。仕方がなかった、ったというのも勿論考えられる、だけど世界常識だろう? 本国が……あの、魔術排斥を訴えた魁だって。過去の悪法だって思うか? 甚だ見当違いだよ。今代、十三代国王が先代から冠を譲り受けても、民草に向けた口上はいの一番が魔術排斥での失墜から逃げない、だ。まだ遠い先祖の尻拭いをしている最中なのさ。大分語られなくなったけど、世界史に刻まれているし、最近では或る歴史専門家が『件の法制定の折に、裏ではこんなことが!?』なんて題して本当は魔術先進を企んでたって、もう何度目かみたいな陰謀論を小難しく書き殴って、偉い人が言えば何でも正しいと思い込んでしまう庶民に共通理解を得られ、また多方面からごちゃごちゃ言われる始末。国の誤りはいつになったら過去の失敗に収まるのか。―――と、ごめん、だからってなにかしてほしいって望んじゃいないんだ。でも自国以外を信用できない上役や貴族の人々は禍根を絶つ術をとっくに見出してるのに、愛国心は別にしてただ現状維持が都合の良い何割かの意見に翻弄されて、何十年、何百年と変革の途につかない。もう察していると信じるけど、ここ下町に住む大半が他国出身の人間なんだ。精霊の話ではどこか別の世界では国籍で身分が保障されるそうだけど、この国の場合、保障があったとしても国の意向で下町行きだろうことは確実さ」


「僕は……目的があって来たんだ。はなからわかってた。だから不安はなくって言えば嘘だけど階段は下りられたし、おそらく相応の地位にいなければ上に戻れないことも知ってる。話によれば、お金なくたって外に出ることは可能なんだろ? その場合、奴隷に堕ちるか、食いっぱぐれて死ぬか、山賊やら盗賊やらに襲われて死ぬか、一番あり得るのは獣魔、魔獣だがな」


「そこだよ、魔術に覚えがある数人で一斉にかかっても返り討ちが普通。関所に至るまで国が支給する認識阻害の結界魔術なしに歩かなくちゃならない。数えてもきりがないくらいの若者が挑戦したが、満身創痍で戻ってくるか、一生身元不明のままか、どちらかだった」


 息を吐いたゲルは、一旦考える素振りをして、


「アサヒはもしかしなくても結界魔術なしに城下と関所を行き来できるんじゃないかい?」


 アサヒは一寸ぎこちなく視線を反らしたり、樹根に大仰な凹みのある背嚢を尻目に、

そのうちまた頭一つ分上背のゲルを見やり、


「信用できるもんはある」


 と一言。アサヒの言の含蓄をゲルがどこまで読み解いているのか無性に気になって観察をしてみると、意識外に左の手を顎に添える、右足に負荷をかけて膝を落とすなどの挙動をあんまりにわざとらしくするものだから、獣の勘とやらを舐めていたとアサヒは相手を懼れた。


 恰も秋の時節であり、蕭蕭と吹き抜ける風は樹という樹、梢という梢、葉という葉に阻まれて、藻掻く様が音になる。そろそろ紅に彩るはずの葉の深緑は中空、更に上を見上げると、渺とした空の色。澄明さは青年の澱みない眸と釣り合っている、とアサヒは評した。まるで空と眸が奇跡の符合を成していた。


「元来貧窮の人ではないのだろう。先握手を交してアサヒが生れこそは中流、或いは貴族権家の出、だったのではないかな」


 黙考の末、ゲルの応えはそれだった。アサヒは成程と思った。信用、とはゲルにとって後ろ盾と認識されたのだ。確かに先ほど獲物はあるが得意ではないと口にして、慣れはしているが馴染みはしていないの青年の言い分から同族同士であることを明瞭に了解して、ゲルを始め町の連中の『目』が出色のものだと判り、以上から鑑みるに一先ず戦える戦えないについてはさしたる問題にはならないと視たのだろう。


 それよりも、あの時、ゲルもアサヒと同じ、握手の一場面で大小の差あれどギャップを覚えたのだ。蓋し青年は前々の時点から相手を把握する手立てとして巧んでいたのやもしれなかった。


「成程な。狂犬も血に飽きると理智を得ると」


「……血跡はもう残らないよ。完全に消えるまで大変だったんだ」


「その言い草は不明瞭に過ぎる。どうなんだ?」


 軽く睥睨する。


「どうとでも。ただ、理不尽と不合理の牢獄の格子は壊せなくても、いつの日かの足がかりになれるのなら……それだけだよ」


「よく、わかったよ」


「君も君でいろいろあるんだろうけど、早く馴染めることを期待しているよ」


 ゲルの眸は、まさに空で、まさに澄明で、まさに理想を直視していた。


「っと、そろそろ行くよ、アサヒ。その背嚢置き忘れてしまわないようにね」


「あいよ」


 雲は一つとしてなかった。




 ゲルの姿が雑踏のなかに消亡した後、アサヒは背嚢を背負ってその場を離れた。喧々囂々を一つひとつ聴き取っているとすぐ後ろからの羽ばたきが混じった。彼方の空に翔けていくのだろうか。――否、昨晩のようにイグノ体のレティが肩に乗りかかったのに気付いた。


 アサヒは無視して喧騒から離れ薄暗い路地裏へ入っていく。やがてそこにいるだけで陰気になってしまいそうな小径の半ばまで来ると、


「全く、あんたは嘘ばっかり」


 レティのなまじ呆れを含有した声音がまごうことなく聞えたが、なおも無視の姿勢で、背嚢から皮革の水筒を抜き取り、思い切り煽った。だらしない首紐はかけるだけ無駄なため先んじて切り取ってある。そのため、一回いっかい背嚢から取り出す面倒さは付いて回るが、重量をあまり気にしなくていい背嚢の『性質上』、その方が都合が良かった。


「相も変わらずくそ便利、ラリュテの婆さん様さまだね」


「無視しないで」


「いでっ」


 後頭部に痛みが走る。足で蹴るか嘴で突くか羽で殴るかしたとみえる。ゼノ体になって。


「はぁ……で、彼が自警団の?」


「まさに自警団って性格だった」


「意味わかんない」


 二人の付き合いもかれこれ三年になろうとしているのもあって、レティの揶揄や罵倒の類もアサヒには旅のスパイスと化していた。最初の頃こそは年齢不詳の精霊の剥き出しの高慢や見下しや偏見、おまけとばかりの流れるような罵詈雑言の数々に堪忍袋の緒が切れるのも一度や二度ではなかったが、特筆するような体験があればその前後で二人の溝が解消されていく様をありありと語れるだろうに、時間をかけて想い合うようになった恋人のように言葉を重ねて、殴る蹴るの喧嘩を繰り返して、氷塊が氷解するかの如く、ありのままの連続が自他の理解と妥協を促して、現在はたと気付けば怒りの湧かない自分と、精霊の変わらない流暢な罵りも愛おしく感じられるようになっていた。


「でも、早くも進展ね。さっさと上へ戻るためにいっそ今夜中に仕掛けるのもありだと考えるわ」


「まだ四日目だぞ。旅行中にほんとはおうちでゲームしていたい最近のお子さんそっくりだ」


「お子さんはあんたよ。わかってる? これからのことも踏まえるとそう余裕はないのよ」


「わかってる、わかってるさ。ゲルに嘘の日数を教えたのも、僕なりの信用のなさを考えてさ。上手くいけば一週間半と言わずもう一二日で片が付く」


「じゃあ有言実行を頼むわね。さっさとゴミ溜めから去りたいのよ、臭いが染みついちゃいそう」


 話すだけ話して陽の当らない肌寒い路地を直上し、羽の数枚を落としながら狭苦しい空が拡がる自由を簡単に手にして悠々と去っていくのだった。

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