ハロー異世界、ハロー異世界住民
「んん…んあ?」
目を開くと、視界に広がったのは青色の空だった。
さっきまで椅子に座っていたのに地面に寝転がって空が見えるということは、無事に異世界へと転生することが出来たのだろう。
「ほっ…おお、身体が軽い。」
身体確認、体はある、手もある。うん、よし。
周囲を確認する。
驚いたことに何も無い。
俺は絶句した。
木も生えてないこの広い地に見えるのはデカい岩くらい。街がある様子もなく、モンスターの影もない。
持ち物を確認、何も持ってない。
格好は俺がジャンプを買いに行った時に着ていた服装だ。ズボンはジャージで上は長シャツにパーカー一枚ときたもんだ。
初期装備ゼロ。
街はない。モンスターもいない。
荒れ果てたこの広い地では恐らく食料も見当たらない。
「こ、こんなとこから始めるって言うのかよ。」
出鼻をくじかれた気分だ。
でもまだ俺は諦めない。
例の水を出せる得意能力を試してみよう。
「よし、いくぞ!水よ…出ろぉおお!!!」
手を前にかざし精一杯念じる。手の腕のところから指先へ何かが走っていく感覚があった。
すると、チョロ、チョロロロとまるで小便小僧が出した尿のように、手のひらから水が出てきた。
「はあ、はあ…えっこれだけ…!?!?」
集中力が消えると、水の捻出も直ぐに止まった。
どうやらこの力を使いこなすにはかなり訓練がいるみたいだ。正直今のだけでもかなり疲れた。
「はあ、まじか!全然使えねえ!」
仕方ないので俺は歩くことにした。時々動物の骨のようなものが落ちてるのがまた気味が悪い。
ジャリッジャリッと地面をふむ音しか聞こえない。
でも体力強化が備わっているせいか全く疲れることがない(水を出すのはクソほど疲れたけど)。
「これなら歩いてて行き倒れになって死ぬってことはなさそうかな…水も自分で出せるし。」
などと、呑気なことを言えるくらいの気持ちの余裕はまだあった。
しかし転機はすぐに訪れた。
「…ん?なんだ?」
遠くの方から、人の叫び声が聞こえる。
少し早足になると、その叫び声は段々大きくなってきた。
「あれ…人か…!?」
先の方に、影が見えた。
二つ、一人は人間、そしてそれを恐らく襲っているなにか。
「ついにモンスターのお出ましか…!?」
俺は精一杯足に力を入れて二つの影が見える方向へ走った。
その瞬間、グンっと自分の身体がまるで電動自転車のように勢いよく運べるのがわかった。
速い、速い、速い…!!!
ウサイン・ボルトもビックリの速さで走る俺、自分自身でもビックリした。これが身体能力強化、十倍の素早さ…!
「すげえ…俺まじで勇者なんだ!!!」
感動してるのも束の間、俺は二人の目の前まであっという間に到着してしまった。
岩にしがみつき、頼りない木の棒で威嚇する少年、そしてその少年を睨みつけるゴブリン。
ほう、ゴブリンって現実にいるとこんな感じなのか!ちょっと気持ち悪い…。
「あ、貴方は…!?」
少年は俺を見るととても大きく目を見開いた。
服や髪がボロボロで、どこから来たかはわからないが俺と同じ転生者というわけではなさそうだ。
「俺?通りすがりの勇者だよ。」
カッコよく決めたいところだが、何せ俺も初期装備ゼロだ。このゴブリンをどう倒してやろうか。
「とりあえず、パンチとかでどうにかなるもんかな。」
体力、攻撃力共に十倍なら、パンチだけでもかなり攻撃を食らわすことができるんじゃないだろうか、とゴブリン目掛けてパンチをくり出す。
勿論俺自身喧嘩の経験なんてほとんどなくて、生前は保育士なんて仕事をしていたわけだが毎日パンチを食らう側の人間だった。
なんとなくで出してみたパンチだったが、その素早さ、そしてゴブリンの顔面にヒットした時の手応えは物凄かった。
「ブギッ。」
なんとも不快な音をひねり出したゴブリンは、俺のパンチを食らった直後宙を舞い勢いよく飛んで行った。
ずしゃあっと砂の上に着地し、ピクピクと痙攣するとそのまま黒い粒になって消えていった。
成程、魔族は死体が残らずこのように消失していくのか。それにしてもかなり危険な身体だ、使い方には十分気をつけよう。
「あ、ありがとうございます勇者様!名を、名を教えてください!」
少年は大粒の涙を溜めて俺に縋ってきた。
見たところ年齢は16、7くらいだろうか。
金色の髪に青色の目、しかし日本語を話している。
ゴブリン一体に手こずっている上装備が木の棒なくらいだから、冒険者という訳では無いのだろう。
「俺は杉田真麻。お前は?」
「マーサ様…!本当にありがとうございます。俺はユシル、フニムギ村に住んでいます。俺、婆さんを探しに村の外に飛び出して来たんだけど…ゴブリンやマンイーターから隠れるのが精一杯で…諦めて帰ろうとしたところゴブリンに見つかってしまって…本当にもうダメかと思いました。」
ユシルはそう言うとぎゅっと俺の手を掴み取ってきた。距離感が凄い!俺は六歳以上三十歳未満の人間と触れ合う機会がなかったからイマイチ距離感が掴めない。
「そんな大したことはしてねえって…それより、ユシルは村から来たんだよな。その村ってどこにあるんだ?」
「はい、ここからもうあと一時間程歩けば見えてくると思います。」
ユシルは何も無い北の方角を木の棒で指す。
「一時間…!?はあ…ユシル、村までの道順はわかるか?」
「はい!フニムギ村はこの北の方角をずっとずっと真っ直ぐ行ったところにあります。この岩が目印になっていて、フニムギ村の周りはこの岩で囲まれた中心にあるのです。」
「わかった。じゃあユシル、俺がお前を抱えるから、村に招待してくれ。」
「はい!って…ええ!?抱える、俺をですか…!?」
「多分そしたら五分くらいで着けるからさ。」
「五分…!?じゃ、じゃあお願いしようかな…。」
「おっけー、道案内よろしく!」
俺はボロボロのユシルを背中に抱える。
やべーめちゃくちゃ軽い!赤ちゃんでも抱っこしてるような気分だ。
「それじゃ、しっかり掴まってくれよ!」
「はいって…う、う、うわぁあああああああぁあああぁああ!!!!!」
俺はユシルの臀をしっかり支えると、全速力で北へ向かって走った。
気分はスーパーマンだ。
ジェットコースターに乗っているかのような風を切る感覚、とても気持ちがいい。
そして背中に乗って叫び散らすユシルはジェットコースターに乗っている人間そのものだった。