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辺境伯

あくまで中国学の観点から

 「なろう」によくある中世ヨーロッパ風異世界。貴族の爵位と言えば、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五等爵。オリジナルの貴族称号まで考案する作者さんは、特に西洋風異世界では私は見たことがない。それくらい、日本語で描かれる西洋風貴族社会にすっかり馴染んだ称号と言えるでしょう。

 しかし、この五等爵はもともと古代中国の制度です。「なろう」によく見る貴族制社会の雰囲気や制度の大枠はヨーロッパ風ですが、「公・侯・伯・子・男」の名称が、中国由来なのです。



  王者の禄爵を制すること、公侯伯子男、およそ五等。(『礼記らいき』王制)



 明治時代、日本にも貴族制度を導入しようぜ、ってときに、儒教経典から五等爵を採用したんですね。やっぱり、デュークとかマーカスとか、西洋言語で言われてもピンとこない。公・侯・伯・子・男なら漢字で覚えやすいし、無理矢理あてはめちゃえって。……明治時代の人は今の人に比べると、何でも漢字で考える漢語脳だったのかもしれません。

 (Wikipedia によれば、日本の華族制度の公爵の英語訳は正しくは Prince だそうですが、皇族と間違えられるので欧米人は Duke と訳すみたいです。)



  Duke 公爵/ Marquis 侯爵/ Count 伯爵/ Viscount 子爵/ Baron 男爵 



 Duke の日本語訳が「公爵」なのではなく、西洋の爵位をもともとあった中国由来の五等爵に無理矢理あてはめた結果、というわけです。私はヨーロッパ史はとんと不案内な上に、ヨーロッパ系言語は英語しか読めません。ヨーロッパの爵位についてはwiki 先生に教えを請いつつ、中国古代の五等爵や「小説家になろう」の小説でよく使われる爵位、とくに「辺境伯」について、考えてみたいと思います。


 そもそも、「公侯伯子男」っていう五等爵、どういう意味なんだ、何故、その五文字なんだと、疑問に思う方も多いのではないでしょうか。「爵」はもともとは、酒を温める三本足の酒器のことで、祭祀や宴で爵をやり取りして、君臣関係や身分秩序を明らかにした、そこから天子によって与えられる世襲の身分秩序を「爵」と称するようになりました。

 身分秩序としての「爵」も非常に古くから存在します。それこそ、日本が長ーい縄文時代のただ中にあったころ。周が殷を滅ぼした紀元前11世紀には、周王は五等爵に従って各地に諸侯を封建しています。周代の爵位は五等だけど、殷代の爵位は三等だったとか、経書にはいろいろ書いてありますが、中国も遡れば遡るほど伝説色が濃くなるので、どこまで本当かはわかりません。ちなみに、殷周革命の正確な年代は不明。だいたい紀元前1050年くらい……と言われています。中国の歴史で年代がはっきりするのは、紀元前の841年からです。


 儒教経典の一つ、最古の辞書である『爾雅じが釈詁しゃっこ上に「公、侯、君なり」とあります。領地においては殿様だからでしょう。漢代の「春秋説」(『春秋』に関わる学説)を唐代の疏(『経書』の注釈を「注」といい、「注」のさらに注釈を「疏」という)が引用して、五等爵の意味を説明しています。



  周の五等爵は五精にのっとる。公のげんたるや公、公正無私。侯の言たるや候、逆順をうかがい、兼ねて王命を伺候す。伯の言たるや白、徳において明白。げつ、恩もて徳をぶ。だんは任、功ありて業を立つ。皆、かみは王者の政教礼法を奉じて、一国を統理し、身を脩めおこないきよくす。(『春秋公羊(くよう)伝』隠公元年疏)




とありますので、「公」は公正無私であること、「侯」は天子に伺候すること、「伯」は徳が明白であること、「子」は天子の恩を受けてその徳を明らかにすること、「男」は功績があること、を表現しているとされています。まあ、はっきり言えば、こじつけの類いです。


 明治時代の人は西洋の爵位を、儒教経典由来の「公・侯・伯・子・男」にさっくりあてはめましたが、西洋の爵位というのはもっと複雑なものです。「大公」とか「準男爵」とか、「騎士爵」とか、ヨーロッパ史を研究していく過程で、新たに訳語を作る必要がありました。


 最初からデュークとかマーカスとか呼んでいたら、全てカタカナ読みで押し通せたかもしれませんが、主要な部分が「公・侯・伯・子・男」と訳されている以上、一部だけカタカナのままってわけにはいきませんものね。それに、今の人は何でもカタカナのままだったり、アルファベットの頭文字で誤魔化しますが、昔の日本人は頑張って全部、漢字に直そうとした。「なろう」小説ではおなじみの「辺境伯」も、おそらくドイツ史を学んでいた誰かが、頑張って訳したのだと思われます。


 何となくカッコいいからか、辺境という言葉にロマンを刺激されるからか、本当によく登場する「辺境伯」。


 「辺境伯」はドイツ語の Markgraf、英語の Margrave の()()です。つまり、「辺境の伯爵」ではなく、「辺境伯」っていう爵位です。辺境とはいえ広い領地と強力な軍備を擁して外敵に対抗するために、大きな権限を持っていた。そして Marquis(侯爵)と同じ語源を持ち、Graf/Count(伯爵)より格が高いそうです(参考:wikipedia)。要するに爵位の格としては「辺境伯」と「侯爵」はほぼ同格、領地の広さや軍事力を考慮すれば、「侯爵」より「辺境伯」の方が強いことも十分あり得るわけです。


 Markgraf に「辺境伯」という訳語を当てた人は、当然、Markgraf が Marquis とほぼ同格だとわかっていたはずです。にも拘わらず「辺境()」ではなく、「辺境()」の訳語を選んだ。「辺境伯」の訳語を作った人は、「侯」よりも「伯」の字義が Markgraf に相応しいと考えたのでしょう。


 上に引いた『春秋公羊伝』の疏では、「伯」は「白」、つまり明白という意味だと、説明されています。しかし、一般的には「伯」は「長」という訓詁がついていることが多いです。兄弟の順序を表す伯・仲・叔・季で、伯は長男を意味します。つまり、「伯」には諸侯の「長」の意味がある。さらに、「伯」は「覇」と通じて、武力で地方を治め、天子を助けると言う意味もあります。春秋時代、力を失った周王に代わって天下の諸侯に号令した「春秋の五覇」、古代の文献では「五覇」は時に「五伯ごは」(この場合、「伯」の字もまた「」と読みます)と表記されることもあるのです。王ではないものの、武力で天下の支配権を握るものを「覇者」と称しますし、「王道」に対置されるものとしての「覇道」という言葉もあります。暴虐な殷の紂王の時代、周の文王は「西伯」として諸侯の衆望を担ったと言われます。「西伯」の伯は諸侯の長にして、西の覇者ということです。



  上に天子無く、下に方伯無し。(『春秋公羊伝』荘公二年)



 春秋時代の、周王の権威が失われた世の中を表現した言葉ですが、上に戴くべき強大な天子(王)がおらず、そして武力で天子を援け、諸侯の長として世の中の秩序を維持する者もいない、と無秩序に乱れる天下を嘆く言葉です。また、『礼記』王制には、



  千里の外に方伯を設く。



 と、天子(王)の直轄地である千里四方の「王畿」の外には、「方伯」という地方長官を置く、という記述が見えます。つまり「方伯」とは、天子の治める都から離れ、武力(覇)で地方を治める職であり、さらに天子を援け世の秩序を守る、そんな役割がある……と、儒教経典では描かれていることになります。


 もともと、Markgraf は軍管区(Mark)の指揮官であり、強大な軍事力を擁し、国境地方の強大な領地を基盤に、異民族や外敵に備えていた。これは儒教経典に見える「方伯」のイメージそのままではないでしょうか。


 ですから Markgraf は 侯爵と同格に近いけれども、「辺境の侯爵」ではなく、「辺境の覇者」のイメージを込めて、敢えて「辺境伯」と訳出したのだと、私は考えています。それに、「侯爵」は先の『公羊伝』疏でも「王命を伺候し」と、天子の身近にいるイメージがありますし、漢代の列侯も武力はもちません。やはりここは「伯」が相応しいのです。


 ただ、「方伯」は「方伯」で、 Landgraf という爵位の訳語として使われています。Markgraf とどちらが偉いのか、訳出の先後も私は知りません。しかし、「方伯」と言う言葉は儒教経典中でわりに重要な術語タームです。それを Landgraf という一爵位の訳語として使用するのは、中国学を専門とする者としては、微妙な気がします。その点、「辺境伯」は、ヨーロッパ独自の爵位に対して新たに作られた訳語であるとすぐにわかりますし、かつ「伯」=「覇」という文字のニュアンスを利用して、強大な軍事力を持つことが暗示されていますので、訳語としてなかなか素晴らしいと思うのです。ヨーロッパ史の広大な世界観と、連綿たる中国文化への深い素養、そして何より境界領域を意味する「辺境」という語の持つ悠久のロマン。それら全てを併せ持つ、不思議な魅力のある言葉言えるでしょう。


 問題は、古典中国学の知識を持つ人が激減したために、「辺境伯」=「田舎の伯爵」と一部で勘違いされてしまうことでしょうか。貧乏でも荒くれでもいい。でも「辺境伯」には覇者であって欲しい。単なる田舎貴族のように描写されてしまうのは、非常に残念でなりません。



 残念と言えば、「なろう」でよく見る間違いに、「侯」と「候」の間違いがあります。本当に、よく見るんです!

 「侯」と「候」は、別の字です!(力説)


 この間違い、「〇〇侯爵」を略して「〇〇侯」と称するとき、往々にして「候」に間違っているのです。おそらくは予測変換のせいなのでしょうが、とあるランキング上位の書籍化作品で、「〇〇候」「〇×候」「△△候」「◆◆候」と一ページ中に鬼のように登場する「侯」が、全て「候」の字になっていました。物語のクライマックス、山場のシーンだったのですが、個人的に気になって内容が全然、頭に入りませんでした。商業作品で見かけると、編集者は仕事しろよクソが!と思う、個人的に許せない間違いなのです。でも、本当にあまりに多いので、一度や二度なら心を無にして通り過ぎるように、私も心がけています。誤字脱字はどうしてもあるよね、私もやるじゃないのって。……が、しかし。中華ものでやられると、一気に沸点に到達。誤字報告を連打してしまいます。別の字なんじゃー!!……しつこく「候」の字を指摘するウザい誤字報告がきたら、それはきっと私です。



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[一言] 次々と読ませて頂いています、お邪魔しております。 いや、笑いました。「歴史警察かくあるべし!」と快哉を叫びたい気分ですw 一言で済ませちゃダメですよねぇ……分厚いうんちくをぶち決めてこそ……
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