【ショートショート】親子ごっこ
「ママ、ソデんとこ泥ついた」
「アラアラ」
幼気な少女が右手をあげる。なるほど、娘の袖口は派手に汚れていた。
けれど母親はそれを責めることなく、むしろ愉しげに見つめる。
「それじゃア、着替えましょオね」
母親の声はどこかウキウキと弾んでいる。引き戸を開けると、棚から擦りきれた、けれど清潔そうな麻のシャツを取り出す。
娘はそれを見るともなしにぼんやり眺めていたが、ふと思いついたようにつぶやく。
「ママ。アタシ、ウデも着替えたい」
娘は両袖をまくって腕を出して見せる。その肌は袖よりもひどくまだらに薄汚れている。
母親はちょっと困ったように眉根を寄せた。
「アラマ……。腕は着替えるとは言わないのヨォ」
バンザイしてごらん、と母親が諭す。娘は素直に従う。
袖の汚れた上着を脱がせて新しいシャツを着せる。
「ママみたいな腕がいい」
「ソオねぇ……」
娘の明るい茶色の三つ編みを整えながら母親が言う。
その腕は陶器のようになめらかですばらしく美しかった。
「腕はママがナントカしたげる。ガマンね?」
「……わかった」
「いいコ」
母親は娘をぎゅっと抱きしめた。娘も母親にぎゅっと抱きつく。
抱きついた拍子に袖から娘の腕がのぞく。汚れは泥ではなく模様のように見える。
ふいに母親は娘を離すとパッと声をあげた。
「そオだ! とっときのレッドベリーを食べよオか」
「レッドベリー!?」
娘が目を真ん丸に見開く。母親は芝居がかった大げさな動作で娘へ説明する。
「ソオ。ミツカエデの樹液の特製シロップもあるのヨ」
「シロップ!?」
「ベリーにかけるのヨ」
「……おいしい!?」
「とオっても!」
母親が娘の手をとるとくるくるとまわりだす。
「酸っぱいベリーにシロップが甘くッて最高ヨ!」
「さいこう!」
「特製だモの!」
「とくせい!!」
うわぁ! うわぁ! と娘がはしゃいでぴょんぴょんと跳ねる。
母親も娘と一緒に同じくピョンピョンと跳ねた。
微笑ましいだけの親子の日常だった。
――――バンッ
突然、窓が壊れた。
「エッ」
母親が声をあげる。割れ窓の陰に光るレンズが見えた。
――――ガガガガガガガガガガガガッ
「ギャッ!! ギャッ!」
「ゲ! ヴェア゛!!」
銃だ。
弾幕が親子を襲う。
――――――ダダダダダダダダダダダダダダダダダッ
「ア゛!! ヒッグェ! ア゛ア゛」
「ヴッ! ア゛ヴァア゛!!」
――――――――バババババババババババババババババババッ
「ヤ゛!! ヤメ……ゲ!!」
「ナ、ン! ヴェア゛ゥ」
まともな悲鳴をあげる間もない。
―――――――――――カッ
閃光。
追ってひどい砂けぶりと飛び散る木屑が視界を奪う。
かつて家だったものは木切れと礫と端材とにばらされる。瞬く間に瓦礫の山が現れる。
突如、その瓦礫を踏む軍靴が二組。黒い防護マスクで顔を覆った男らだ。
木切れ端切れを乱暴に蹴り壊して、とうとう男たちは目当ての親子の死体見つけた。無惨なそれを日の下へ引きずりだす。血まみれだ。蜂の巣だ。
だというのに、なお執拗にそこへ銃器をかまえた。
――――ドガガガガッ
再び激しい砂けぶり。おさまって現れたのは……、もはや死体ですらない。母親の頭部だったものは粉微塵よりさらにひどい。娘の体はあり得ない形に折り畳まれている。形容しがたく、直視しがたく、ヒトの形に似た…………。
ああ、けれど、なんとしたことか! 辛うじて形をとどめる母親の手と娘の手とはしっかと繋がれていた! 彼女らを“親子”と呼ぶしかないほどにそれは固く、固く……。
男二人は近くの繁みにしばし姿を眩ましたが、すぐ両手にブリキのタンクを提げて戻った。迷いなくタンクをあけると中身の液体を“親子”へドボドボと浴びせる。プンと臭うそれは燃料だ。
空のタンクを放ると男らは瓦礫からいくばくか距離をとって、ピンを引き抜いた何かを無造作に“親子”へ投げつけた。火種だ。
液体燃料をたっぷり吸わされた“親子”は造作もなくめらめらと燃える。やがてそれは周りの木切れに波及し軋み、大きな炎になってうねり始めた。
生き物が焼ける臭いが黒くけぶって立ち上る。
二人の男は、その様子を不気味なほど静かに見つめていたが、やがて片方が防護マスクを剥ぎ取ると、焦れたように給水袋を取り出した。
「オイ、もういいだろ。肺が干からびるぜ」
男はガサガサの声で言って水を飲む。
片割れもつられるようにマスクを外した。
「あ゛ーー、空気がうまい。俺ももう限界だ」
男は瓦礫を適当に組むとそこへどっかと腰をおろした。
「オイ、詰めてくれ。俺も座る」
「ならこっちにも水寄越せよ」
「ホラよ」
座り込んで、ぐびりと水を飲み干す。
男らはようやく人心地ついたようだ。
「しっかし想定よりえれぇ早く終わったな」
「反撃ゼロなのが想定外だった。拍子抜けだ」
「イカれて自分らの状況すら理解できなかったか? それとも平和ボケか?」
「さぁな。狂人の思考回路は読みきれん」
「えー、なんだっけか。絶対服従するようプログラムされた主人をどうやってか撲殺した上、その死体を食い荒らした食殺人鬼アンドロイド、か。
やらかしたことも相当やべぇが、こいつのせいで同じ型のアンドロイドは全機強制回収、製造元の株は大暴落で、下請け工場含めてすげぇ人数が首吊ってるぜ。
国中の人間に恨まれてて当然の超A級戦犯だな」
「おまえはどうなんだ」
「俺か? そーいや、俺んちの美人アンドロイドが破棄されたな。さしずめ初恋の仇ってところだな」
「茶化すなよ馬鹿」
「しかしよぉ、無害だった俺んとこのアンドロイドは容赦なくぶっ壊されて、肝心の元凶はこんなところで呑気に田舎暮らしってんだからまったく理不尽で呆れるぜ」
「まあな。しかも一緒にいるのがまた……。いったいどういう巡り合わせだ?」
「病人なんだっけか?」
「国家A級指定特殊難病第一種、患者No.256890。要は特区内で管理されるべき完全隔離対象者だ。しかも特別珍しくてやっかいな10歳以下の女児だ。それがどうやって外に……。感染力が非常に低いことは不幸中の幸いだが」
「感染しねぇなら隔離しなくても良さそうだがなぁ」
「症状に問題があるんだよ。宗教的禁忌だ」
男は“娘”を指差す。
煙の狭間に、辛うじて焼け残っている煤けた肌が見える。
「肌の斑模様をよく見ろよ」
「……なるほどねぇ。第二神話の邪心紋に激似だぜ。その上、子供でしかも女とくりゃあ確かに国は野放しにできんな」
「跡形もないように、すべて焼かねばならん」
「信心深いこって」
「だから茶化すな」
「しかし、そう聞くとますます謎の組み合わせだな。病人は食人鬼に誘拐されたのか? 食人鬼も病人を喰う気にはなれなかったのか?」
「知る必要もないな」
炎はいよいよ勢いを激しく増す。
「とにかく俺らの役目を果たすことだ。炎が消えれば役目も終わる」
「おーよ、深入り詮索はナンセンスってな。俺らの仕事は覚えたそばから忘れていくのが正しいやり方だ」
「ターゲットの情報がうろ覚えなのは直せよ」
「こりゃ手厳しい」
燃え尽きた瓦礫が崩れる。がらがらと音をたてて、“親子”は飲み込まれた。
炎はいよいよ高く伸び、煤けた大地の日暮に奇妙なシルエットを残している。
「ヨオ、忘れる前にひとつだけいーか?」
「……なんだ?」
「今回のターゲットだが、最初の狙撃時に抱き合ってたな」
「それが?」
「心底幸せそうでよ」
「それで?」
「親子に見えた」
「……」
「幸せそうな親子に見えたぜ。本当に、思わず笑えるくらいな」
「…………」
「なんだよ。今度は茶化すなって言わねーのか?」
「言えねぇよ馬鹿」
男は立ち上がると炎を睨めつけた。
「俺にも親子見えたからな」
夕風にゆらぐ炎はまるで手をふっているようだった。