GMG-001「いつもの時間と新しい時間」
声がする。
自分を呼ぶ声。必死な、泣き声のような声。
どうして泣いているの? どこか痛いのかな? それとも怖いのかい?
「大丈夫。私はここにいるよ」
「ターニャ!」
ぼんやりと答えた次の瞬間、体を衝撃が襲った。
慌てて目を覚ませば、自分を抱きしめている女性。
顔は見えないけれどわかる。私の姉、サラ姉さんだ。
ウェーブのかかった茶髪は腰ぐらいまであって、町の男たちにも人気な……ってああ。
(戻って来たんだ……帰ってこれた!)
「重いよ。ちょっと苦しいわ、姉さん」
「あ、そうよね。大丈夫? どこか痛いところはない?」
意識してターニャらしい口調を思い出す。
さっきは、お婆ちゃんの記憶が混じっていたように思う。
そうして、ようやく離れてくれた姉に少しばかり恨めしい顔を向けつつ、自分の体を見た。
手も足も、他の場所も雷に打たれたにしては綺麗な物だ。
孫たちと比べたら随分と荒れてるのが気になるねえ……おっと、これはお婆ちゃんの思考だ。
「ん、大丈夫みたい。もう少しゆっくりしていい?」
「うんうん。すぐに動くのは大変だものね」
また後でねと部屋を去るサラ姉を見送りつつ、ベッドに身を沈める。
タナエお婆ちゃんの感覚からしても、十分立派なベッドだと思う。
でも、このベッドは本当はさっきのサラ姉、年長者の物なのだ。
部屋だって個室は大きくなってからって決まってるんだもの……そう思いだした。
「……決めた。稼ごう」
だんだんと考えがタナエとターニャとで別れていたのが重なっていくのを感じる。
それは決して不快じゃなく、最初からそうだったように思えるほどだ。
目を閉じて、深呼吸。
不安も吐く息と一緒に出ていくように思う。
よし、落ち着いてきた。
今日からまたターニャだ。だけど、前のターニャじゃない。
そのままぼんやりと休んでいると、どうにもじっとしていられなくなってきた。
それもそのはず、前の私は皆のお母さん代わりになろうと頑張っていたんだもん。
サラ姉も確か春になったらお嫁さんになるんだもんね……心配かけないようにしないと。
そうと決まれば話は早い。ベッドの上で体を確かめ……うん、動く。
「まずは兄妹たちに挨拶かな」
さっきゆっくりしたいと言ったのに、外に出るのもどうかと思ったけど、きっと心配してるに違いない。
話は早い方がいいだろうからと、室内履きに足を突っ込んで部屋を出るのだった。
冬が終わり、春がもう目の前という頃の廊下はまだ冷たい。
室内履きが古いせいもあるだろうけど……うん、この辺も要改良。
たぶんウールだろう服もだいぶくたびれている。
(あ、穴あきみっけ。後で塞がないとなあ)
そんなことを考えながら角を曲がった時、正面から何かがぶつかってきた。
「ター姉!」
「ハンナ、ナタルは一緒じゃないの?」
そう大きくないと自覚のある私よりもさらに小さな、妹のハンナ。
赤毛の可愛い女の子だ。双子の弟であるナタルといつも一緒なのに珍しい。
と、すぐにもう1人が駆け寄ってきた。
「姉さん、もういいの?」
抱き付いてきたハンナと比べ、こちらは落ち着いた様子のナタル。
双子は互いに補い合うという話も聞いたことがあるけれど、そうなのかもね。
心配をかけただろうから、いつもしているように両腕で2人を抱きしめる。
そのまま頭をよしよしとしてやれば、2人の機嫌のよさが伝わってきた。
2人を引き連れたままで、きっとみんないるだろう教会側に歩いて行けば賑やかな気配。
建付けの悪い木扉を開けばそこは広くて高い空間。
(覚えのない宗教なのはいいことなのかねえ)
頭をよぎるタナエお婆ちゃんとしての記憶。
目に入るのは、どの記憶とも一致しない神様の飾り。
その下で、白髪交じりの男性が祈りの言葉を語っている。
「であるからして……おや、ターニャ。動けるのですね」
「え? ターニャ、まだ寝てていいのに」
「よう、ター坊。元気そうだな」
「雷に打たれたのは間違いないのです。無理はすべきではないですよ、ターニャ」
声をかけてきたのは私の家族たち。順番にこの教会兼孤児院の主であり神父であるマイト。
先ほど部屋に来ていたサラ姉、それに長男扱いのアンリ、次に次男のカンツだ。
みんな髪の毛の色も違い、血縁という意味では繋がりが無いことが丸わかり。
(だからって家族じゃないとは言わない人たちですけどね)
「じっとしてるのも大変だから。それに、ターバの採取はもうそろそろでしょう?」
ターバというのは、この春先に出てくる山菜の一種だ。
お婆ちゃんの世界でいうふきのとうに近いかな?
真冬に芽を出し、これが大きくなりきる頃が冬の終わりと言われている山菜。
つぼみの内は熱さましにもなるし、滋養強壮にもいいということで、備蓄にも売るのにもいいという万能な物。
この時期の貴重な収入源の1つなのだ。
「それはそうですが……アンリ」
「はい、神父様。ターニャ、様子を見ながら行くぞ? 無理そうならすぐ背負うからな」
残念ながら、孤児である私たちにはあまり生活の余裕がない。
動けるのであれば動き、少しでも生活を向上させる必要があるのだ。
私からすると贅沢に過ごしていたはずのお婆ちゃんも、子供の頃は苦労したらしい。
蘇ってくる記憶に、みんなに見えない場所で苦笑しながらアンリ兄さんにしっかりと着いていくべく教会を出る。
ちなみに年下のハンナたちはお留守番。教会でやることもたくさんあるのである。
手には採取籠とナイフ、そしてスコップ代わりの木べらだ。
防寒具代わりに1枚毛布を羽織れば準備はOK。
「その木べらもへたって来たな。新しくしないと」
「金属製は……まだ高いよねえ」
外に出れば鼻に届くのは潮風。そう、ここは港町なのだ。
名前をシーベイラという。
確か昔は新しい土地を求めて、この町からどんどんと船が旅立っていったと聞いている。
今は探索も落ち着いて、普通の港町に戻ってしまったのだ。
それでも、人々が住み着くだけのものがまだシーベイラにはある。
頭上から降り注ぐ陽光に目を細めつつ、私は第二の人生をしっかりと歩き始めたのだった。