男の下心と女の本音
秋深い夜風が肌に心地よいある夕べ。
由佳子のマンションから少しだけ離れたところにある小学校の正門前に車は停まった。
「これから練習するんやろ?」
「ええ、今日は全然弾いてないから……ごめんなさい」
瞬間の沈黙。
おもむろに高橋は由佳子を抱き寄せる。
由佳子の部屋へ入れない夜は高橋は車を必ずここへ停める。高橋には男の下心があり、由佳子は外聞を憚るからだ。
もう何度繰り返した光景だろうか。
「まだ慣れへん?」
口唇を離しつつも由佳子の小さな顔を両掌で挟み、高橋は由佳子の瞳を見つめる。
由佳子は目を逸らすことも、身動きすることもかなわない。
ただ体を震わせている。
「そんなに警戒しないでくれよ。この前は悪かったと思ってる。」
高橋のその言葉で由佳子は更に固くなった。
そんな由佳子の反応に高橋は思わず溜息をつく。
「俺も男やし。好きな女の子は抱きたい。」
煙草に火を点けながら高橋の口調はいつになく重かった。
暗闇の中、オレンジの煙草の灯と紫煙が漂う。
「由佳ちゃんが可愛いから。たまらなく愛しいから、大切にしたいけど。やっぱり俺だけのものにしてしまいたい」
由佳子にもわかっている。
この前のデートのことだ。
七月の高橋の告白から約三ヶ月近くが経とうとしている。
あの夏期休暇。実家の両親から帰省するよう毎日のように電話があったにもかかわらず、「オケ(オーケストラ部)の練習とテニス合宿があるから」という建前を繰り返し、結局、由佳子は神戸にとどまり、高橋とデートを重ねて過ごしていた。
片時も離れたくない。それが由佳子の本心だ。
ただひとつ。
由佳子にはまだどうしてもついていけないことがあった。
高橋にしてみればごく自然な行為だと思うのだが、由佳子にはなにもかもが初めてのことばかりで、気持ちが追いつかないでいる。
困惑と恐怖感の繰り返し。
それでなくとも由佳子はすぐ涙ぐんでしまう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
つい最近、何度目かになる高橋の部屋でのことだった。
部屋へ入るなり、いきなり高橋は由佳子を抱こうとした。
ただ動転する由佳子。
自分が何をされているのか、これからどうなるのかを考える暇もなかった。
抵抗すればするほど、高橋の力は強まっていく。
怖かった。
ただ、由佳子にはその時間は恐怖でしかなかった。
好きなのに。
晃輝さんがこんなに好きなのに……。
どうして……。
由佳子には自分の気持ちも高橋の心も、何もかもが遠のいてゆくような気がしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「由佳ちゃん」
高橋が、再び口唇を近づける。
由佳子は全身の力を抜いた。
今夜こそ。
今日こそ、晃輝を受け入れよう。
そう、心に決める。
けれど。
「由佳ちゃん……」
高橋には、理解できない。
泣くほど嫌なのか……。
由佳子は自分の腕の中で、ただ涙を流し続ける。
「もういいから」
高橋は静かに呟き、由佳子を優しく抱き締めた。