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赤執事 ~Scarlet's Butler~  作者: 鬼姫
【フラン、がんばる!】
60/65

Ep.60 後編

 また夢を見た。

 風景はこの前と変わらない。何もなく、ただただ広い水溜まり。遠くからは、水の滴る音が鼓膜を揺さぶる。しかし、今度の夢はまるで快晴のように輝いていた。そんな世界で、私はやはり地平線をぼーっと眺めていた。


―また来ちゃった。


 そう思っていると、また懐かしい声が風に乗ってやってくる。


―また来ちゃいましたね。


 私は目を閉じる。でも、心は開いたままだ。


―私、自信なくなっちゃった。もっと上手くいくと思っていたのに、もっと仲良くできると思ったのに・・・。


 ふふふ、とその声は微笑する。霞のような息遣いが心を撫でた。


―生きていけば、上手くいかないことも、喧嘩することだってあります。それに、間違ったことはしていないのでしょう?

―うん、あれ以来は気を付けてるよ。でも、いつかうまく・・・いくのかなぁ?

―大丈夫。きっと上手くいきますよ。


 そうしてまた夢は霞んでいった。




 目が覚めると私はベッドの上で寝かされていた。周りは白いカーテンで仕切られている。

 窓の外は丁度いい夏日らしい。太陽の下、ノッポで細い木たちが気持ち良さそうに踊っている。


「あら、起きたみたいね。」


 カーテン越しに落ち着いた女性の声がする。

 私はまた天井を仰ぐ。


「ここは・・・?」

「永遠亭・・・。私はここで医者をしている八意永琳よ。よろしくね、フランドールちゃん。」


 彼女はカーテンを開けて私の顔を眺める。


 永遠亭。前に文の新聞で、色んなヒトの病気や怪我を治せる医者がいると、読んで知っていた。その医者とは恐らく彼女のことだろう。


「どうして私の名前を・・・?」


 サイドの椅子に足を組んで座る。そして、爽やかな笑顔を浮かべた。


「あなたをここに運んできた、四月一日桜子ちゃんときぬさんから聞いたわ。」

「そっかみんなには迷惑かけちゃったのね・・・。」


 彼女は苦笑いをしながらカルテを書き始める。


「―ふふ。以前聞いた情報と違って、あなたって引っ込み思案なのね。

 でも、桜子ちゃんとかから大体の事情は聞いたけれど、そこは"私は頑張った"でいいのではないかしら?気を病む必要なんてないわよ。」


 ・・・よく解らないや。

 女の子の救助のため一時不能になったとは言え、わざわざ魔法の森の奥まで助けに来てもらったんだから。

 加えて、桜子はともかく、きぬおねえさんは何だか責任とか恩とかを感じて協力してくれているみたい。それに関して、執事への恩を私がのうのうと受けとっているみたいで、あまり好きではなかった。


「あなたってレミリアと似てるようで、酷似しているのではないのね。あの吸血鬼は誰の恩だろうとも、必要なら堂々と享受する人物だと―。私が持った印象としては、そんな吸血鬼よ。

 はてさて姉妹兄弟とは似やすいのだけれど、あなたのその性格は一体誰の影響なのかしらね?」

「・・・姉妹なんて、似ているようで似てないわよ。それに、個人個人に十人十色の交友があるならば、それ分だけ性格も違うでしょ?」

「そうねぇ・・・。私の知っている姉妹たちもみんなそれぞれ違う色をしているわね。性格も違えば、好みも違う。そもそもおんなじヒトなんていない。

 でも、私が今言っている"違う"ってそういうことではないのよ。」


 八意永琳という医者は私から視線を流す。その先にある真っ白いカーテンが、無邪気な波のように小気味良く揺れていた。

 しかし、すぐにはっとして、何かを思い直したようだった。


「―ごめんなさい、ちょっと口が過ぎたみたいね。今の言葉は忘れてちょうだい。」

「言ってよー、気になるじゃんかっ!」

「・・・そーねぇ。端的に言ってしまえば、今の生活が落ち着いたら一度レミリアのところに帰りなさいってことかしら?」


 なんだそんなことか・・・。

 含みのあるような話しかたをするから、身構えちゃってたわ。


 私は緊張しかけていた胸をそっと撫で下ろす。


 実際のところ、家出をしている身ではあるが、お姉様の、つまるところ紅魔館へと帰ることは"そんなこと"でしかない。逆に帰ることに対しては別段嫌う理由もないのだ。だって私はお姉様の妹であり、紅魔館は間違いなく私の家だからだ。その自負も、自覚もある。(でも今帰ったら、もれなくお姉様と喧嘩をして、監視を強化されると思う。だから帰らなかったけどね。)

 そして、いつまでもお姉様から逃げおおせるとも思っていない。いつかは説得をしに行く必要はある。ちゃんと納得してもらえるように、お姉様から認めてもらえるように・・・。

 私の気持ちをちゃんと整理して、それができるようになったなら、帰ろうと思う。


 大丈夫、きっとうまくいく。だって、もう私は独りじゃないから。


「少なくとも激昂ぐらいはするかと思ったけれど、そんなことないのね。」

「永琳さんの言ってること、正しいと思うから怒らないよ。」

「ふーん・・・。」

「でも昔なら怒ってたかも。

 もし本気で怒ったら、私、怖いのよ?」


 私は自慢げに彼女をみた。


 彼女は微笑する。

 まるで子供を見る近所のおねえさんのような目だった。


「それはこわいわね~。

 怒らせないようにしないとね。」


 あからさまにバカにしている様に思えた。そんな気がして、ほほを膨らませる。


 永琳さんは私が不機嫌になろうとも、悪びれることなく笑い続けた。そして、カルテを持っていない方の手で私のほほを軽く潰した。すぼめた口からスーッと空気が漏れる。


「私、不死身だから死なないの。

 ―それに、どんなにひどい暴力でもそれが物理的な暴力である限り、案外大したものではないものよ。」

「・・・どういうこと?」

「例えどんなに破壊的になろうとも、孤立する恐怖に比べれば大したことないわ。」


 永琳さんは遠い目をした。

 きっとその恐怖を身で知っているのだろう。


 かく言う私も身で知っている。ついこの前までその恐怖の中にいたしね。

 暴力よりも孤立することの恐怖。でも一番恐ろしいのは、その恐怖に置かれ続けることで、いずれか不思議と恐怖が薄れていくことだ。そして、孤立し続けることでヒトに対する感情を忘れ、体を侵食していき、遂には生きる感覚すらも麻痺していく。

 しかし、一番の問題点は、深刻になるにつれて反比例的にその自覚症状がなくなってしまうのだ。


「―はぁ、随分と話がずれちゃったわね。まったく、診療所は暗い気分にするところではないわよ・・・。」


 彼女は、自嘲的に指で自分の顔を弾いた。


「気分はどう?痛いところとかは?」

「いいえ、特にこれと言って悪いところはないわ。」

「そう、ならいいわ。

 寝ている間に検査をさせてもらったけれど、特に異常はなし。気になることと言えば、運ばれてきた時に力をほぼ抜き取られていたことかしらね。」


 その時に魔力や妖力がなかったのは、アレに喰われたからだ。それ自体については特筆することはない。

 問題とすべきことは「アレ」がどこにいったのか、そして、「アレ」は何なのかである。


「永琳さん、私が眠っている間で変わったこととか、問題とかあった?」


 彼女はカルテを書きながら答える。


「私も、あなたが襲われたと言うモノに対して警戒はしていたわ。もしかしたら殺し損なった獲物を嗅ぎ付けて抹殺しにくるかもしれないし、はたまた、目的無しに残虐行為を楽しんでいるのかもしれないしね。

 でも、今のところは何もナシ。案外、一過性のモノだったのかもしれないわ。」


 その表情には変化はなく、別段緊張するところも見受けられなかった。


 私は安心した。強ばった体をようやく落ち着かせることができた。

 あの時もそうであるが、例え万全に準備したとしても、勝てる相手ではない、と思う。加えて「アレ」は私の力を搾り取ったのだ。より凶悪化しているのは確実である。


 この件については、八雲紫さんに連絡しておいた方がいいのかしら?あのヒトは幻想郷の管理者らしいし。


 そう考えている間に永琳さんは書き終えて、ひとつ背伸びをした。


「―さてと、やることも終わったし朝食にしましょう!本来病み上がりの食事はお粥とかなの。けれど、力もほぼ戻って、完治している様だから、リクエストしてくれれば好きなものつくるわよ?」


 立ち上がって、爽やかに私の顔を覗き込む。


「その前に質問いいかしら?」

「いいわよ。」

「私が運ばれてきてからどれくらい経ったの?」


 思い出したように手をぽんと叩いた。


「あら、そうね!それを言っておかなくちゃね!」


 彼女は右手の人差し指を一本、ピンと立てた。


「1週間よ。」


 ・・・1週間かー。


 ・・・・・・。


 ・・・。


 あ!!

 クッキー腐ってるわね・・・。





 その後の朝食は彼女に任せることにした。普段の私なら喜んで好意に乗るのだが、今はさして食べたいものがなかった。

 数十分後。食事の用意が終わって食卓に案内された。そこには、パンとオニオンスープかあった。

 この「永遠亭」という場所がジャポニズム溢れるところだったため、そのミスマッチさに首をかしげる。だから、横にならんで食事をしている気の弱そうな妖怪兎に聞いてみる。すると、普段は和食なのだそうだ。今回の食事は、どうやらあらかじめ買い置きしていた、とのことらしい。

 八意永琳という医者の心遣いと洞察力には感服せざるを得なかった。


 食事を終えた後、私は再びベッドに戻された。昼あたりにもう一度検査をして、それから退院という流れだそうだ。退院に際しては、桜子が迎えに来てくれる手はずになっている。



 とりあえず今は検査待ち。

 準備にかなりの時間がかかるのであれば、何かしらの暇凌ぎを所望するところだ。しかし、永琳さんの言葉からするとセットアップするだけの短時間でいいらしい。だから、ベッドから見える外の風景を心行くまで堪能すことにした。


 永琳さんが部屋を出て数分後、入れ違い様に満月の夜のように美しい女性が訪れた。同姓からしても、かなりドキリとする美しさだった。ここで提言しておかなければならないが、妖艶、美貌と言うような如何わしさは微塵もないということだ。これを端的に表現するならば、白無垢なガラス珠のような芸術性だ。

 その彼女が、床横の椅子に座るなり、いきなり私の鼻を摘まんだ。何かしら声をかけようとした身としては、まさに出鼻を挫かれたような気持ちだった。


「な、なんなの!?」


 慌てる私を見て、彼女は意地悪そうに笑う。


「べつに~。ただ鼻をつまんだら面白いかなと思って。」


 彼女の唐突な行動に若干以上引いてしまった。


 ・・・この一瞬で一つ分かったことがある。それは、こういうタイプのヒトが苦手だということだ。異様にねっとりとしたまといつきをする人物には、例え恩人の同居人だとしても、敬意ではなく、警戒を払わないといけない。そのように本能が語りかけてくる。


「えっと・・・。私はフランドール・スカーレットです、という紹介は必要ないのかしら?」

「そーねー。でも逆に、私は蓬莱山輝夜です、っていう自己紹介はしたほうがいいわよねぇ?」


 彼女はずいっと顔を近づけてくる。地まで着くほどの黒髪が、私の頬に当たりそうになる。


 ナニコレ、ものすごく怖い!!

 私、このヒトを不快にさせるような、変なことしたのかな!?

 これだけ目線が近いと、反らすこともできない。気まずさで窒息しそうだ。


 その時奥の簾が揺れる。永琳さんがやって来たようだ。

 ナイスタイミングである。


 同居人が私に詰め寄っている姿を見て、永琳さんは呆れたように一つため息を吐いた。


「姫様、何をなさっていらっしゃるのですか?彼女が困っているのではありませんか?」


 そう言われると、彼女はつまらなそうに顔を遠ざけた。


「ちょっとからかって遊んでただけよ。大したことじゃないわ。」


 からかって遊んでたって・・・、私からしたら大迷惑なんだけれど。


 そんな意を汲んでか汲まないか知らないが、永琳さんは困った顔になる。

 そして、それを見た輝夜という女性は、しまったという風にすごすごと退散していった。



「ごめんなさいねぇ、フランドールちゃん。悪気は―多分あったんだろうけど。」

「私何かした?」

「いいえ。あの人については気にしないで、ただの嫉妬みたいなものだから。」


 嫉妬・・・?

 出会って一目で嫉妬するようなものなのかしら?


「あなた、寝言でずっと"麟"って言っていたのよ。」


 私、そんなうわ言をいっていたのか・・・。恥ずかしいなぁ、もう。紅魔館でならまだいいとして、まさか、桜子と一緒に寝てるときにも呟いてないわよね?もしそうだとしたら、引きこもりたくなるレベルである。

 しかし、だからと言って、それがあの美女の嫉妬につながるとは思えないのだけれど。


「そうよね。これだけだと何のことやらわからないわね。

 隠しだてするようなことでもないから話すわ。私も深く追及してないから詳しくは知らないってことは、まず理解しておいてね。―」




 ―第一に話しておくべきことは、あなたの存在を前々から知っていたってことね。

 いつ知ったかですって?ええっと・・・、特定はできないのだけれど、それでもざっくりと言うならば、わりと前のことよ。確か、かつて私たちが異変を起こした後のことぐらい?終わらない夜の異変の詳細は省かせてもらうけど、その後、ここ―「永遠亭」と外と交流ができるようになったの。それをきっかけに、ある程度幻想郷について知っておこうと思って、人里にある書店から幻想郷縁起を借りたわ。

 で、そこに載っていたのよ、あなた。

 後は、あなたのおねえさんのレミリアの話からや、文々。新聞の紅魔館特集の写真に見切れてたとかね。

 どれもこれもあなたに関しては違った印象だったけれど・・・。


 さて、あなたを知ったという話はしたわ。けれど、ここで姫様・・・蓬莱山輝夜は、あなたに特別な感情を抱いた。一種の共通感覚みたいなものよ。理由は別々だろうけれど、あなたが紅魔館から出られなかったように、姫様もこの永遠亭から出られなかった。その件に関しては先の異変で事の終わりを見たけれど、その時の共通感覚は今でも残っているみたい。

 彼女は私と同じように、永遠に変化を拒絶する蓬莱人。けれど、周りが刻々と変化していく様を見て、美しいと目を輝かせる。変化のないない中で、変化を許容しようとしている。特に共通感覚を見いだしているあなたに関しては、裏ながらも興味を持っているみたい。

 だから、あなたがここにやって来た時は、不謹慎だけれど盆踊りして騒いでたのよ。まるで旧知の親友か誰かに会った時みたいにね。

 それから、運ばれた時には首だけだったあなたが、4日目にしてようやく全身の再生し終えた。でも、再生したあたりから寝言が始まったの。

 それを聞いた姫様は、何となく事情が推察できた。もちろん寝言ごときで完全に理解できるほどに姫様も賢くないから、推察の詳細は間違っているとは思う。


 でも、つまりその「麟」は、あなたの大切な人なのよね?


 ・・・そう、合ってるのね。それだけ分かれば、姫様があなたに嫉妬する理由に足りるわ。

 彼女は随分長く生きていらっしゃるけれど、その中で男性に関して良い経験をしたことがなかった。対して、あなたは外に踏み出して、さらには、大切な人もいる。姫様は自身と似たような境遇なのにどうしてこうも違うのだろう、そう考えておられるのです。―




 あながち間違いではないところもあるけれど、しかし、嫉妬するにはあまりにもしっちゃかめっちゃかだ。


「多分、私の知らない部分の理解もあるのでしょうね。

 ま、感情なんてものは些細なことからでも生まれるものなのよ。それが親近感を持つモノならば、より一層ってところかしら?

 どちらにせよ、他人を"理解"しようなんてナンセンスね。」

「どうして?」

「他人は自分ではないからよ。他人でない者が他人になれるはずもない。同じように他人の心を確実に捉えることも不可能だわ。

 もちろん、だからと言って身勝手に振る舞うのもナンセンスだけれどね。」

「結局分からず終いってことね。」


 永琳さんは少し苦笑いしながら、片手ではくるくると赤色の鉛筆を回していた。


「もし気になるようであれば、姫様とお話になっては如何でしょう?検査が終わっても、すぐに迎えが来るとも限りませんし。あなたの暇潰しがてらでも・・・。」


 そう言えば、桜子が来てくれるのだったわね。確かに待つだけというのもつまらないから、彼女の話に乗ってみましょう。





 姫様こと、蓬莱山輝夜は、庭に群がって遊んでいる兎を縁側からのほほんと眺めていた。

 私はその隣に座って足を投げ出した。それからすぐに声をかけようと思ったのだけれど、彼女の口が開くのが先だった。


「検査は終わったみたいだけれど、帰らないの?」

「えっと、それはね―」



 事情を話すと、一瞬気難しそうな顔をしたように見えた。しかし、見直してみるとにっこりとしている。

 きっと見間違いだろうと思った。


「私も暇なところだったの。会ったのも何かの縁ですから是非お話いたしましょう?」


 先程唐突に鼻をつまんできたそれとは違って、今度は快活的だ。


「ここの竹、すごいでしょう。夏でも涼しいのはこれらのおかげなのよ?」

「竹?背の高い木みたいなのは、そう言う名前なのね。」

「初めて?」

「そうね。私にとっては何でもが初めてよ。私は生まれてから495年間、外に出たことないから。」


 私と話すにつれ、落ち着いた面とは打ってかわって、彼女の顔はワクワクに満ちていく。


「ねぇ、何があったか教えてもらえるかしら?」

「えっとね、私のお姉様の異変が終わった後、霊夢たちと弾幕ごっこをしたの。それが外に出るようになったきっかけね。」


 彼女は益々、嬉しそうにする。兎が組体操をしたりかけっこをしたりしていることなど、多分目には映ってない。

 かく言う私も、同じように彼女との会話に引き込まれていった。


「私もね、色々あったけれど、霊夢たちのおかげでやっとこの世界の住人になれたの。

 霊夢たちって本当にすごいわよね!」

「うんうん!

 でもね、私の場合は、霊夢たちと会う前にもっと大切な人と出会ったの!」

「それって寝言で言っていた"麟"って人のこと?」


 彼女は首を緩やかに傾げた。


「もしかしたら、永琳からも聞かれたかもだけど、その"麟"ってどんな人なの?」


 先程よりもものすごく期待に満ちた眼差しをしている。


 まさかこんなにも直球で聞いてくるとは思わなかった。

 ただ、私は彼女が満足するほどの答えは持っていない。永琳さんが言っていたように、私は彼ではない、そして、彼は私ではないからだ。

 それでも私はあの人に関して断言できることがあった。


「彼は、冴月麟は、私の執事で、私たちの家族。何より、私の大切な人です。」


 ―そして、幻想郷を救ってくれた「救世主」なのだ。


 私は自分のことのように自慢をした。

 彼女は「救世主」という言葉にひどく反応を示した。


「冴月麟、救世主・・・。その話を詳しく聞かせてくれる?」

「ええ・・・。」



 私は、天魔おじいさまの御殿で八雲紫さんとあの人と私を交えた会話を含めてしゃべった。

 幻想郷が「歪み」によって崩壊しかけていたこと。八雲紫は、歪みから幻想郷を救う手だてとして、ずっとあの人に目をつけていたこと。あの人には、特殊な能力があったこと。苦悩の末、文字通り命を懸けてセカイを救ったこと。



「そっかその人はもういないのね・・・。」


 彼女は申し訳なさそうに私を見た。


 しかし、私は彼の事を話すのに気を病むことはなかった。

 命を賭したとは言ったけれど、彼を諦めたつもりはない。きっと生きている。きっと帰ってくる・・・。

 「あの時」の約束はきっと叶う。私はそう信じているし、そうなるように出来るだけのことをした。


 私の眼差しを察して、彼女は笑みを浮かべている。ただ、その裏に何かしらの含みがあるようだったのは、私の見間違いだろうか?


「冴月麟・・・。

 私も幻想郷の住人の一人として覚えておかなくちゃ。」


 そして、言葉を続ける。


「ところで、その人と八雲紫ってどんな関係なの?」

 

 どうやら興味の的は、私とあの人から、あの人と紫さんへ移ったようだ。

 しかし、この関係性については述べることができない。御殿での会話くらいしか関わりあいを知らないからだ。執事自身もあまり親しそうでもなかったし、逆に迷惑そうでもあったから、少なくとも気のおける間柄というわけではない・・・と思う。


 あ・・・そう言えば、紫さんがあの人に、「私の大切な―」と言っていたような?それ聞き間違えでないならば、もしかしたら、あの人と紫さんとの間柄という風に考えるよりも、紫さんはあの人に対して何を思っているのかを考えるほうがいいのかしら?


 ちょうど私たちの会話が途切れた時、八意永琳さんが廊下から割り込んだ。


「その冴月麟っていう人は八雲紫にとって大切ななにかなのね?」

「かもしれないってだけよ、永琳さん・・・。」


 彼女は首をかるく振った。


「ま、どうでもいいことよね。

 それよりも、桜子ちゃんが来たわ。今玄関で待ってもらってるからいきましょう。」

「うん。」


 私は立ち上がった後、美女の方にくるりと向き直った。


「それでは、蓬莱山輝夜様。お邪魔いたしました。今後ともよろしくお願い致しますわ。」


 私の改まった態度にビックリしたのか、少し言葉を詰まらせた後にくすくすと笑った。


「私の名前は輝夜でいいわ。

 暇なとき、遊びにきてね!」

「うん!」





 桜子と玄関で対面した瞬間、彼女は目を潤ませて抱きついてきた。

 それもそうである。不死身の吸血鬼でなければ、首だけになった時点で即死だっただろう。



 さて、挨拶もほどほどにして、永遠亭を後にした。

 すると、門を越えたあたりで桜子は日傘を持っていない方の私の手を取った。そして、屋敷から駆けていく。

 強く握られた彼女の手が私の皮膚を引っ張った。


「桜子、手首がいたい・・・!」

「・・・。」


 ・・・無視された。

 今まで嫌みを言っても、軽口を言っても無視はしなかったのに、初めて彼女に無視された。


 幾本もの竹という木々がお互いに触れあいながら、離れ、離れながら、触れあう。それはまるで私の退院を噂しあっているようだった。


 途切れることのない彼らの中を無暗に抜けていく。最初は気づかなかったが、きっと彼女も今どこに向かっているのかすら分かっていない。


 桜子は何を焦っているのだろう?

 いくら目を凝らしても、その後ろ姿からはなにも語られなかった。

 しかし、竹の森をなんとか抜け出し、人里に着いたとき、桜子が何を焦っているのか―いや、何を見せたかったのかわかった。


「お帰りなさい、フランドールさん。」


 出迎えてくれたのは、子供の捜索依頼をしてきた銭屋十衛兵だ。

 いや、それだけではない。助けた子供や、その家族。町で怪訝そうな眼差しを向けてきた人々までも大勢集まっていた。

 その上に、人里から少し離れた場所ではあるが、草むらからチルノちゃんや新聞屋がこっそりと見守っていてくれていた。


 桜子は強ばった顔を緩めた。ようやく安心できたという風だった。後の話によれば、気が気でならず、1週間ほぼ眠れなかったらしい。

 思っていた以上に想っていてくれたことが、私にとって何よりもの退院祝いだった。



 その日は細やかながら宴会が行われた。様子を見る限りでは、退院祝いは口実で、ただみんながお酒を飲みたかった風にも見えた。でも、私にとって初めての宴会だ。理由や思惑なんかどうでもいい。そこに居れただけで至極十分だった。



 この日を境に、少しずつではあるが、人里に居ることについて許されるようになっていった。





 それから半年が流れていった。


 人間と妖怪、相容れない部分はあるが、それでも人里の一員になれたように思う。おかげで私のお菓子が少しずつ売れるようになっていった。伴って、私もクッキー以外に色んなお菓子を作って売るようにしている。

 他にも「あの人」が人里で相談役をかっていたと小耳に挟んだので、リスペクトとして人間たちの依頼も引き受けたりした。

 これらが半年に起きた大きな変化だろう。

 逆に変わらないことと言えば、桜子と楽しく暮らしていたり、はたまた、喧嘩をしたり・・・。わりと近くに住んでいる魔理沙はよく遊びに来てくれる。たまにおきぬさんが様子を見に来てくれたりもした。それに、新聞屋も毎日懲りずに新聞を届けてくれている。

 ―まあ、そんな感じね。おもしろいできごともあったのだけれど、それはまたの機会に話そうかしら。


 ああ、重要なことがあった。この半年間、ずっと考えて気持ちを整理していたのだ。

 何をか?

 それは、近森さんや永琳さんに言われていたように「お姉様」についてだ。

 でも、どうやって説得するか、どうしたら人里で生活することを許してくれるか・・・そのようにお姉様に押し付ける考え方はやめた。他人を変えられるほどに私は偉くも賢くもないことを知ったからだ。きっと押し付けたら、また喧嘩をしてしまう。溝を埋めようとして行った行為が、より溝を深めることになる。


 だから、私は私の気持ち、私のしてきたこと、そして、これからしたいことを伝えることにした。




 そして今日は、決行の日だ。


 家のことは桜子に任せて、朝早くに魔法の森を抜けた。まあ、お姉様は昼前まで起きているから、本当はそんなに早く出る必要がないのだが・・・。

 それにしても森は相変わらず不気味で薄暗いし、じめじめしていた。ただ半年前とは違い、少しずつだが涼しく過ごしやすくなっている。私は変わらない森の小さな変化を感じつつ歩いていく。


 森を抜けると、少し先には一面の田んぼが見えた。半年前の青々としていた四角たちは、しばらくお休みをしている。田んぼを囲むように生えている草ぐさには霜が降りて寒そうだ。

 ここから先の路としては、人里の大通りを進み、小傘ちゃんの家の前から林に入るのが一番いい。

 そうだ!時間もあるし、ついでに小傘ちゃんにもあいさつをして行こう。



 日も開けない開けた土地には、山からのおろしが吹く。その冷たい風は、鼻の内側をつんと突き刺した。

 里の中をゆっくりと歩いても、あまりに早すぎて、まだ人の影すらも見当たらない。お菓子を売るという目的で来ることが多いため、人を見かけない里というのも新鮮味があった。


 人里も半ばを過ぎた頃、いつもお菓子売りをしている通りが見える。やはり何処もかしこの店も眠っていた。

 しかし、数軒向こう側の大きな家から、ぽつりと人が出てきた。あの家は確か、銭屋十兵衛の奉公先で、魔理沙の実家―霧雨道具屋で間違いない。最初に来たとき以降にもお世話になる機会があったけれど、どの時にも霧雨の主人とは気まずかった。人里に馴染めた今でも、主人と会うには心の準備が必要である。しかし、以前とは違い、時折慈愛にも似た表情を私に向けることもある。何を意味しているのか分からないが、最近は不思議とそこまで怪訝になることが少なくなったように思う。

 さて、道具屋から出てきたのは誰だったのか?答えは、この流れの通り、霧雨の主人であった。

 彼は私の姿に気づくやいなや、こそこそと近寄ってきた。いつものふんぞり返った態度とは違うので、少し首をかしげた。


「おはようございます、霧雨さん・・・?」

「お、おう、紅の魔法使いか。朝早くから人里に何のようでぇ?」


 彼は態度を大きく見せる。しかし、どこかぎこちなさがあった。


「私はこれから紅魔館に帰ろうと思ってるの。今はその道中よ。」

「急ぎか?」

「ううん。」

「そうか・・・。」


 煮え切らない挙動は、さながら不審者とか幼稚な子供とかを思わせた。それこそ普段ふんぞり返っている人間とは思えない。これは、確実に何かしらの意図があって、私に声をかけている様子だ。

 だから、しばらく下らない雑談を交えながら、本筋を待っていた。しかし、一向に本題を切り出そうとしない。まるで端から意図がなかったようにも思えてしまう。

 朝早すぎると言えど、くすぶっているつもりはなかった。それに、日常から尾をひいた気まずさも相まって、ついにこちらから聞いてた。


「―で、霧雨さんは私に何か用があるの?」


 霧雨さんがとてつもなく渋い顔をしてる。


「・・・うーむ。あー、えっと。」


 さらに彼は時間を費やした。

 東の方が白んでくる。そろそろ日傘を差さないと・・・。

 今日は気長な気持ちでいた私でも、だんだんとイライラしてきた。面倒だし、無視して紅魔館へ向かおうかしら?


 そう思って一歩左に行こうとした。すると、いきなり視界に白く四角い紙がつき出される。

 ちらりと霧雨さんの顔を見ると、何かを決心したように群青色に満ちた西の空をにらんでいる。


「何、これ?」

「手紙でぇ。」

「私に?」

「違う。おまえじゃないわぃ。」

「誰に?」


 彼は少しだけ目をこちらに向ける。


「・・・もしも―もしも私の娘がまだ生きていて、見かけたならば、そいつに渡してほしい。」


 「生きていて、見かけたならば」・・・。

 なぜそのような言い回しをするのだろうか?彼が魔理沙の生死について、それだけではなく、居場所すらも知らないはずはない。




 実はこの半年間の間に霧雨道具屋にいく機会は何度もあった。

 以前の子供の件で、人里の商店の元締め補佐であるところの銭屋十兵衛という男性と知り合ったからだ。具体的には、正式に出店としての呈を整えるためや、相談事、また、生活の道具を購入する時にもお世話になったのだ。

 幾度か通っている内に、十兵衛や使用人さんたちの話を聞いた。もちろん詳しくは話さなかったし、聞くつもりもなかったので断片的な情報を繋ぎ合わせただけではある。が、どうやら霧雨の主人は勘当した今でも、魔理沙のことを影では気に掛けているらしいのだ。そのせいか、勘当する前の物品や、娘の載っている文々。新聞を捨てずに保管してあるそうだ。

 そこまでするのは彼にとって霧雨魔理沙が、魔法という外法に堕ちた女ではあるが、それでもたった一人の娘だからであるからだ。

 ―そのように彼らは話していた。




 私は―だからこそ、その手紙をはね除けた。弾かれた紙は、ぺしりと乾いた音を立てた。


「実の娘でしょ?どうして直接わたさないの?」


 彼は、私に向けていた視線を再び暗がりに移す。暗すぎて人間には見えないだろうが、きっと霧雨の主人の眼にははっきりと深緑の森が映っていた。


「私の娘はここを出た瞬間に死んだ。今もそう思っておる。これからも変わるまい。しかし、下衆の者たちは霧雨魔理沙の話を吹聴しておる。

 そりゃあ、私も勘違いや間違いをすることだってある。だから、もしも娘が生きていたならば渡してほしい。

 ―これが理由では悪いか?」


 私はクスリとはにかんだ。


 まさか自分とお姉様との結末を迎える前に、他人の親子の夜明けを見るとは思わなかった。


 ―でも、いいわ。

 彼女たちのゆくさきが私たちの結末の一つなのだ。だから、"理解"できなくてもいい、ただそこにいるだけできっと十分。もしかしたら、それこそ一つの゛

"理解゛

"なのかもしれない。



 私は、彼の手紙を片手で、でも、恭しく引き取った。





「―それで、親父に押し付けられたってわけか。」


 受け取ってすぐに、霧雨魔法店に行った。起きているかどうか怪しかったが、ノックをすると待たずに迎えられた。

 しかし入ったはいいものの、霧雨さんからの手紙を届けに来たことを簡単に説明すると、彼女は明らさまに不機嫌になる。



 今現在は、魔理沙の書斎だ。

 彼女は手紙を紙切れのようにヒラヒラとさせる。私はその封筒の揺れる様を目で追った。


「読まずに捨てるの?」

「いいや、読むよ。

 魔理沙さんは、どんなやつからの手紙でも封を開けないなんて真似はしない女だぜ?そこは見損なってもらっちゃ困る。」


 そう言うと、パフォーマンスでもするように大袈裟に封筒を破く。そして、間違うことなきどや顔を見せた。


「な?」

「・・・うん。」


 言い訳がましく私の顔を見た。

 仕方はない。彼女にとって寝耳に水なのだから、構えてしまうのは当然と思う。お姉様から突然手紙が来たら、私も似たようなことをするだろう。


「さて、どんなことを書いているやら?どれどれ、楽しみだ。」


 不機嫌かつ動揺した顔のまま、視線に手紙へ移す。

 透かして見ると、長い内容ではない。読むのに数分とはかからなそうだ。



 しかし、彼女はそんな手紙を5分以上もかけて、何度も読み返していた。3度くらい視線が繰り返された後に、彼女の肩が小刻みに揺れた。


「ありがとう・・・。」


 小さく呟くと同時に、少女の目から幾本もの粒が流れ落ちる。

 最初は彼女はこらえていたが、押し寄せてくる水流に負けて、轟音と共に溢れでた。長い間に溜まっていたモノが、ゆっくりと頬を撫でていた。




 彼女はしばらくして落ち着いた。そして、手紙をいい匂いのする木箱へ大切そうにしまった。

 私はそれを見届けて、玄関へと降りていく。


「ありがとな、フラン。」


 追いかけて投げ掛けてきた彼女は、いつもの調子に戻っていた。


「うん!」


 私はニッコリと返した。

 魔理沙は気恥ずかしそうに自分の前髪を撫でる。


「フラン、これから暇か?」

「ごめんね、魔理沙。今からお姉様に会いに行くの。」


 彼女は、ますます顔を赤らめた。


「そっか・・・。引き留めて悪かった。」

「気にしないで。私はしたいからしただけだし。」


 ドアを開けると、いつの間にか外はキラキラとした光で満ち溢れている。私は名残惜しくも、日傘を広げた。


「お前、最初に紅魔館で会ったときよりも大きくなったな。」

「そうかしら?」

「そうだ。私の目に狂いははいぜ。今のお前はきっと紅魔館の誇りだよ。」


 誇り―。

 産まれてから気にしたことがなかったせいか、何だか真新しい言葉に感じられた。


「それじゃあ魔理沙、また後で!」

「おう、また来いよ!!」





 森も、人里も、林も、湖も、私が通る頃にはみんな活動を始めていた。

 日は嫌いだが、ものものに反射して煌めく光景は、何度見ても心を解してくれる。



 そして、私の家に帰ってきた。

 しかし、いつもの高貴さも高潔さも感じられない風体へと落ちぶれている。

 何かあったのか焦った。まさかお姉様に危険が、そう思うと居てもたってもいられない。

 私は、一番確実に出会える門番の下へと急いで駆けた。


 嬉しいことに大門の前で、美鈴は変わらず立っていてくれた。


「美鈴、何かあったの!?」


 焦っている私を待っていたかのように、彼女はにこりと出迎える。


「おかえりなさいませ、妹様。」


 何もないように落ち着き払っている。

 その事に一瞬ビックリしたが、もう一度館の有り様を確認して、問いただした。


「ただいま、美鈴。

 ねぇ、お姉様に何かあったの?」


 彼女は一つ大きくため息をついた。


「ええ。妹様がいなくなってからレミリア様が大荒れなさいまして。

 館は歪んで迷路みたいになってますし、変な妖気が流れ出ていますし、もうめちゃくちゃです。」

「みんなは無事なの?」

「それは大丈夫です。パチュリ―様と咲夜さんが要所に結界を張っているため、不便ですが何とかなっています。

 しかし、このまま続くと不味いですね・・・。」


 お姉様・・・、どんな気持ちでいるのだろう。

 でも大丈夫。今から会いに行くわ。


 美鈴は安心したように微笑む。


「お嬢様のこと頼みましたよ、フラン様。」

「もちろんよ。」


 美鈴は私の返事を聞き終わると、大門に手をかける。自分は私たちの中でも、力のある方ではないと本人は言っていた。だが、その主張とは相反して頑丈な鉄の扉を軽々と押し開けた。




 紅魔館内部は、予想以上に荒れに荒れ放題だった。もちろん、咲夜がいるから、ほこりまみれだとか、壊れきっていることはなかった。実は、この館は外装よりもはるかに内装の方が広いという驚異の構造になっている。それは感覚的な話ではなく、十六夜咲夜とレミリア・スカーレットが自身の魔力を使って物理的に空間を拡張しているからだ。

 そのお姉様が現在進行形で乱心しているとすると、彼女の魔力の影響を強く受けている館も必然的におかしくなっているというわけである。

 入ってすぐにあるエントランスは、逆さまなのか裏返っているのか、はたまたリビングやらキッチンやらと融合しているのか、原形を止めていない。小物に関してもまともではなかった。壺らは8の字やら、グレープみたいに捻れたり変形したりしている。カーペットに至っては、蛇みたいにうねうね動いていた。

 加えて悪魔の王であるお姉様の心理状態のせいで、そこかしこで低級悪魔どもが好き勝手にしていた。


 それでも、私が自分の家で迷ってしまう・・・ということはなく、無事に謁見室までたどり着いた。もちろん先にお姉様の部屋に行こうとしたのだけれど、迷路を辿っていく上で真っ先に着いたのがここだったのだ。

 でも幸運にも、お姉様は謁見室にいるようだ。聞き耳を立てると、中から破壊音と共に絶叫しているお姉様の声が聞こえる。





「ただいま、お姉様。」


 扉越しに聞こえる変わり果てた声に怯むことなく、ドアノブを回した。

 中の部屋は美鈴の言っていたように歪んではいなかった。でも、お姉様のお気に入りの高価な壷や、無二の貴重なコレクションなどが散乱している。どうやら、投げ散らかされたという感じだ。


 そのごみだらけの部屋の奥にポツンと置かれた玉座が空しく輝いている。そして、お姉様はサイズの合わないその玉座の上にちょんと乗っていた。

 私の声には、気づいてないようだ。


「お姉様、帰ってきましたわ。」


 一段大きな声を張り上げる。

 ようやく聴こえたのか、フラフラとした足取りで立ち上がった。


「フラン・・・?フランなの?

 フラン、帰ってきたの?本当に困った妹なんだから・・・。」

「うん・・・。」

「怪我はしてない?」

「うん・・・。」


 まるで今にも死にそうだった。

 覚束ない足を踏み出した瞬間に、お姉様は投げ捨てていたパイプ煙草に躓いて階段から転がる。

 最下段で打ち付けられた体が、ピクリとも動かない。


「お姉様、大丈夫!?」

「うん・・・。」


 ぼろ雑巾みたいに投げ出された体から、呻き声にも似た返事がきた。


「ねぇ、フラン。帰ってきたのよね?

 もうどこかに行ったりしないよね?」


 すがり付くような声を絞り出す。こんなお姉様は、今まで一度も見たことがなかった。

 紅魔館の主としては、・・・いや、一生物としても哀れだった。


「でも、ごめんね・・・。

 私、今魔法の森に住んでいて、それでパティシエしてるの。だから、いつまでもここにはいられないわ。」


 弱々しかった態度はいずこへ、お姉様は激怒した。


「だあぁぁぉぁぁめえぇぇぇぇーー!!!フランはずっといるの!

 お父様もお母様ももういないのに!私を見捨てないでええぇぇ!!!」


 お姉様は私を突き飛ばして、倒れたところを馬乗りになった。そして、力の限り殴ってきた。

 一撃一撃ずつ頭蓋骨ごと頬の肉片が飛び散っていく。


 私も激怒した。

 お姉様を振り飛ばして、天井にぶつけた。そして、シャンデリアと一緒に落ちてきた。

 もう話し合いどころではない。殴られたら、殴り返す。既に、今まで通りの流れになってしまった。


 でも、憎しみはなかった。嫌みもなかった。


 ―気づいた。

 ここに来るまでにしようとしていた「相手に伝えるだけ」なんて手段は、他人にすることだ。でも、私たちは姉妹である。大仰に言ってしまえば、お姉様だって「私」の一部なのだ。そして、私だって「お姉様」の一部なのだ。

 「私」を主張して、「お姉様」とぶつかって、喧嘩して、納得いかなくて、もしかしたら、納得して・・・。それでこそ「家族」だ。

 あまり賢い方法ではないのは百も承知だが、それでもいい。これが私たちの"理解"なのだから。



「お姉様のわからずやーー!私はみんなの役に立ちたいのよ!!」


 右手の拳を鼻の頭目掛けて降り下ろす。バカンという炸裂音と共に、お姉様の中身が飛散した。


 でも、私たちは死なない。不死身の吸血鬼なのだから。どんなにやり過ぎても、頭が飛び散ろうが心臓を潰されようが、壊れることのない吸血鬼・・・。

 だから私たちは互いに残らない傷をつけあった。壊されては再生し、再生しては壊しあった。



―私は正しい。

 唯一の肉親のフランを危険な目に遭わすわけにはいかない。傷ついて、ボロボロになって・・・、そんな妹の成れの果てなんて、想像するだけでも悪寒が走る。

 それに、姉妹二人で手を取り合って、紅魔館を守っていかなきゃならない。私にはフランが必要なの。何もしなくてもいい。そこにいてくれるだけで、私は救われる。

 だから、フランにはどこにも行ってほしくない。



―私は正しい。

 紅魔館より大切なものはない。何があろうとも、お姉様を見捨てたりはしない。でも、いつまでもお姉様の「妹様」ではいられないのだ。

 だから、もっと勉強して、もっと色んな人と話して、もっと賢くなって、もっと強くなりたい!

 だから、私はこれからもあの家に住み続ける!




 互いの血肉が、何度も何度も弾けあい、混ざりあう。そして、私の流れた血はお姉様の体に、お姉様の流れた血は私の体に染み込んでいく。


 いつの間にか、外は真夜中になっていた。

 月光がステンドグラスを透かし、紅や白や水色や紫になって、私たちを優しく包んでいく。

 

 気がつけば、互いの拳は止まっていた。

 終わった。この半年ばかしの・・・、いや、495年にわたる姉妹喧嘩は、こうして終わりを告げたのだ。

 心は以外にも何も感じていなかった。清々しいほどに真っ白で居られた。きっとお姉様も同じだ。


 私たちは、殴り殴られ過ぎた体を抱き合って、ゆっくりと紅色の光に座った。


「お姉様、私はスカーレット家の吸血鬼よ。それはどこまでも変わらないわ。

 お姉様は、私が外を知ることで傷つくことを恐れてたけれど、私は、自分が傷つくことは恐れてないの。どんなことがあっても―。

 それに、お姉様ばかりが傷つくなんてズルいわ・・・。たまにはその重みを私に頂戴よ。」


 私は、お姉様にうずもれるように抱きしめた。

 お姉様も私の背中に手をまわして、抱き返す。


「いいの?痛いし、恐いし、もしかしたら、死ぬかもしれないのよ?」

「痛いのも、恐いのも、お姉様たちとなら越えられるわ。それに、私たちは吸血鬼ですもの。死にはしないわ。」



 静かな夜が流れていく。

 私たちは戦い続けたため、真夜中にも関わらず、そのまま寝てしまった。

 行儀はよろしくはないけれど、初めてお姉様と一緒に夢の世界へと眠ることができた。





 次の日には紅魔館も元通り、高貴豪勢な館へと戻っていた。きっとお姉様の気持ちが落ち着いたからである。

 さて、寝起き後にも初めてがあった。私たちは初めて同じテーブルで朝食をとったのだ。ぎこちなく顔を並べている様を咲夜がくすりと笑っていたことに、私たちは少し赤らめたものね。

 それから私が家出をしている間のことを歓談した。お姉様はそれを楽しそうに聴いていてくれた。本当に楽しそうだった。私もすごく楽しかったわ。



 しばらくし帰る時間になった。メイドたちを前にして、あれを忘れてないかとか、これは足りているかとか、散々持たされたのには参った。

 でも、最後の別れ際に一つ約束をした。



―1週間に1日は紅魔館に遊びにいくこと!



 こうして長い長い闇夜は、不器用にも明けていったのである。

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