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赤執事 ~Scarlet's Butler~  作者: 鬼姫
【朱執事】暗澹溟編
53/65

Ep.53 大江山の鬼退治

 唐草の施された玄関扉を、蹴破るようにして飛び出した。

 古明地こいしという少女が言ったように、この館の周りを地底の妖怪達が取り囲んでいた。それでも館内に入ろうとしなかったのは、恐らくこの地霊殿の主が、旧地獄の管理を任されている重役であったからなのかもしれない。


 だがしかし、集まっている様子は、ロビイストやデモの光景のような生易しいものではない。迫害を彷彿とさせるような異様さだった。


「あいつだ・・・!」

「出てきた!」


 方々から怨嗟に似た声が上がる。薄暗い地の底から暗闇が吹き出すが如く暗く重々しい声だ。


 俺はその中を見渡して、紅美鈴やルーミア、伊吹萃香の姿を探す。


 ・・・だが、見つからなかった。 

 当たり前のことだったが、これだけの数を前にして一通り目を凝らしただけではわかるはずもない。


「お前ら、俺の連れをどこにやった?」


 恨み声に負けないほどの怒声で、彼らの耳に突き刺した。一瞬にしてぴたりと、ざわめきが収まる。


 すると、俺の声に答えるように、旧都の方から一際目を引く巨人が、人の波を掻き分けて俺の前へとやって来ているのが見えた。


 だんだん、だんだんと近づいてくる。

 そして近づいて来るのと同時に、鉄下駄のようなズッシリとした足音が、俺の鼓膜を揺らし始める。その時ふとあることに気づいた。その巨人が人ごみを掻き分けているのではなく、どうやら、人ごみこそが自ら道を開けているのだ。人間がフナムシを割るように、弾丸が空気を弾くように―。

 身長自体は俺と大して変わらないはずなのに、2メートルを優に越える巨人ように思えた。

 そう思わせたのも無理はない。見た目の若々しさからは到底似つかわしくないオーラがそうさせているのだ。それに加えて気づいた・・・オーラが文字通りの鬼を背負っているのだ。人間とは比較にならない圧迫感・・・ッ!それが俺の肌を締め付けた。


 そして、真っ正面に向かい合った巨人は俺を上から見下ろす。


 遊女のような至極華々しい着物を、惜しげもなく豪快に着こなしている女性。その髪は、伊吹萃香よりも明るい金色で、萃香よりも猛々しく、逆立っている。そして、額には灼熱の赤の角が一柱たたずんでいた。

 だが、実のところ、特筆すべきところは頭よりも身体だ。いかにも女性らしそうなラインを持っているが、反面、酒の注がれた大盃を持っているため力の入っている腕には、岩のような筋肉と深緑の血管がくっきりと浮かんでいた。


「なぜ人間がここにいる?

 うん・・・?それにどうやらお前からは八雲のニオイがするねぇ?これは飛んだ大物が来たようだ。」


 ギロリと睨んでくる。

 見た目といい、目力といい、他の雑多連中とは比較にならないほど恐ろしかった。正直言えば、相手にするべきではない。いや、人間にとっては目を向けられただけで絶望だ。


 しかし、何だこの世界の連中は?八雲紫に恨みつらみでもあるのだろうか?彼らを封印してきた人間に対して恨みを持つのは普通ではある。しかし、八雲紫に何の感情を持つことがあるのだ。幻想郷を見守っているヒトである以前に、同じ妖怪であるはずだ。


「地上の者が地底に来るのはご法度だ。それが八雲の者となると、尚更。これは知っているはずだよな?

 だから、唐突な話だけれど、どうだい、このあたしに挽き肉にされて食われるって言うのは?そうすれば何事も丸く収まるってものだ。」


 ずいと顔を近づけてくる。

 それでも俺は視線を揺らすことはなかった。


「そんなことはどうでもいい。紅美鈴やルーミアや、・・・それに 伊吹萃香はどうした?」


 女は、がははと一蹴した。

 大きく開けられた口から酒の臭いが、俺の顔に吐き出される。


「ああ、気丈気丈!

 やはり八雲の者はそうでなくてはな!」


 豪快な高笑いをした。

 そして左手で自分の顎をひとつ撫でてみせた。相変わらず右手の盃は左右に寸分も揺れることなく天を向いている。


「しかし、安心しな。あいつらはまだ生きている。金色の妖怪と赤髪の妖怪は、大通りの倉に投げ込んでおいた。

 まあ、金色の方には手を出すほど妖怪の分を忘れちゃいないけれど、あの赤髪の妖怪はちょいと手打ちにさせてもらったよ。・・・なあに、後半時くらいはもつだろうさ。それ以降は知らんがね。

 それと萃香については、用も終わった、って言ってどこかに霧散していったよ。」


 俺はギリリと歯をならした。


 あの小鬼・・・裏切ったのか・・・!?

 いいや!そんなことはいい。それよりもこのままだと美鈴たちが危ない。何とかしてここから抜け出さないと!


 巨人を視界に確保しつつも辺りを見回す。先程よりもズイと回りを囲んできやがった。捨て身の特攻で抜けようとして逃げられるものではない。


 ―やはり能力を使うか?



 しかし、俺はこの時点において能力の全てを把握しきれたわけではない。

 ただ、1つ。デメリットというか、欠点というかがあることは、先程の事件より理解することができていた。それは能力を発動させた瞬間から、俺の身体が風邪でもひいたように熱っぽくなるということだ。しかも、発動している間はどんどんと火照っていき、仕舞いには燃え出しそうなほどになった。

 つまりはタイムリミット付きの能力なのだ。

 この件に関してひとつ助かったことは、どこかのスタンド使いのようにごく短時間ではないことである。体感時間で約1分程度といったところか。これが俺の限界ということだ。



 1分あればこの群衆を抜け出ることはあまり難しくはない。むしろ余裕綽々である。問題とすれば、能力を使った後には、あまり体力が残らないということだ。

 これだけの追っ手だ。逃げ切れるかどうか・・・。


「おやおや、さっきの威勢はどうした?

 言うべきことがないなら、殺らせていただくよ!」


 女は大きくふりかぶる。

 力が限界まで込めてあるその腕は二回りも大きくなっていた。俺も痩せ細い体格ではないのだが、彼女からすれば、木の枝みたいなものだ。


「私の全力をくれてやる。痛みも感じることなく逝けるだろうさ!」


 ブウウン、と戦闘機が唸るように拳が顔面目掛けて飛んでくる。


 眼球が拳が迫るのを捕らえたとき、脳の片隅にあった八雲紫の姿が急に飛び出してきた。





「な、何ぃ!?」


 群衆の中にいる巨人の口から唖然とした叫び声が放たれる。


 俺は、群れのある館の玄関からしばし遠く、つまりは旧都の中にいた。

 時は止めていない。そもそも時を止めてここまで来るのは不可能だ。



 では何をしたのか?

 先程俺が述べた言葉でお察しの方も多かろうが、実は八雲紫の「境界を操る程度の能力」を真似てみたのだ。彼女がどこからともなく現れたり、消えたりするように、俺もどこからともなく現れたり、消えたりしてみたとういわけである。

 ただ相違点もあった。それは、彼女の場合、二つのリボンが出現して、その二つの間の空間が割き広がっていくという感じでスキマが開く。対して俺の場合は、リボンの代わりにジッパーが出現するようだ。

 彼女の能力ならさほどに問題はないのだろうが、俺の方は・・・―本当に何処かのスタンド使いそっくりで、どうにも複雑だ。



 それはともかく、俺は走り出した。時を止めたときほどに疲れはない。

 あの女性の言葉だと、ルーミアの方は大丈夫らしいが、紅美鈴の方はぐずぐすしていると手遅れになる。

 迷っている暇はなかった。

 後ろでは遠くでこぞって妖怪達が追いかけてくる風景が見える。


「確か・・・大通りの倉、だな。」


 走りながら、右を向き左を向き、倉を探した。そして、それらしき家屋があれば片っ端から開けていった。


 しかし、空、空、空、空・・・―。

 どこもかしこも気味の悪いほど空だ。


 どこだ?

 どこにいる?

 ここか?

 あそこか?


 ・・・それとももう過ぎたのか?


 その時、すぐ目の前にあるナマコ柄の白い倉の扉がガタガタと音をたてた。


 ここか!!


 扉を手探りで調べる。

 どうやら逃げられないように、固定されている。叩いてみても、押したり引いたりしても、びくともしない。

 スキマの能力を使おうと思ったのだが、移動先が少なくとも一度知覚したことがないと無理らしい。

 ―壊す以外なさそうだ。


「ルーミア!いや、美鈴さんか!?

 ・・・とりあえずそこを退いてろ!今助け出す!」


 扉から少し離れて思いっきり飛び蹴りをする。着地を失敗してよろめいた。

 崩した体勢のまま後ろ目に見ると、少しばかし隙間が開いているのが見えた。


 もう一度だ!


 思いっきり体重をのせたお陰か、ツガイもろとも扉が吹き飛んだ。


「大丈夫か!」


 外から暗がりを確認する。

 もぞもぞと動くかたまりが2つあった。どうやら縛られているらしかった。


 俺はすぐに駆け寄って縄と木製の猿ぐつわをほどく。


「た、助かったのかー・・・。」


 少女の声がする。声の調子から、ルーミアは本当に手を出されていないようだ。

 たが、一向に美鈴の方からは声がしない。うぅ、うぅ、と低く唸っているだけだ。縄をほどいたとき気づいたのだが、かなり出血をしているようだ。暗がりに大きな黒い血だまりができていた。


「とりあえずルーミア、美鈴を背負ってここを出るぞ!」

「わかった!」


 ルーミアが美鈴を担いだのを確認すると、俺は倉から飛び出した。





「驚いたよ。たかが人間と侮っていたが、まさかこれほどの能力を発現させていたとはな。」


 金髪の鬼の女が飛び出した俺の身体を軽くどつく。

 しかし、軽くの言葉とは裏腹に、俺の身体は宙を舞って倉の壁に激突する。


 全身の打撲に身悶える。


「ル、ルーミア・・・!美鈴さんを・・・連れて・・・逃げろ!」

「でも、麟君は!」

「大丈夫・・・だ!すぐに行く!・・・とりあえず、八雲藍にあって美鈴さんの治療を!」


 彼女は血みどろの美鈴を背負って倉から逃げ出す。身長差のせいか、地面には土の線が2本掘られている。


「ふん、まあいいだろう。

 今回の獲物はお前だからな。」


 巨人はルーミアを一瞥して、再び俺の方を見る。

 俺の額には、幾つもの汗の道ができる。心臓が急激に激しくなる。


 スキマだ!

 スキマを使ってさっきみたいに逃げよう!


 俺は能力を絞り出そうとした。


「そうはさせないよ。」


 どこからともなく声がしたかと思うと、コンクリートにぶつけたかのような強い衝撃が顔面にはしる。


 一瞬、頭がブラックアウトした。


 だが、すぐに立ち直って懐にある天羽々斬を抜き出す。

 頭は脳みそがシェイクされたように痛むし、視界はチカチカとする。刃物を持つ手の感覚もとぎれとぎれだ。

 それでもなお、飛来した誰かを視認しようと目を凝らした。


「私だ。伊吹萃香だ。」


 伊吹萃香!?

 お前、どこかに行ったんじゃあないのか!?


「私はどこでもいる。ここにもいるし、どこにでもいる。それが私だ。」

「わかった・・・。

 しかし・・・なぜ俺を攻撃したんだ?それでも案内役だろう?」


 次第に俺の視界が彼女をとらえ始める。


「案内役さ。

 ・・・しかし、案内役である前に私は鬼だ。此れが如何なる意味か、わかるか?」


 俺は顔をおさえながら立ち上がる。


「地底の掟にしたがって、侵入者を排除しにきたってことか?」


 萃香の方を睨んだ。

 彼女の姿はぐらつかない。


「・・・そう思いたければ、そう思うがいい。少なくともお前を"まとも"に返すつもりは無いということだけははっきりしておる。」


 その時、大柄の女性が割り込む。


「萃香・・・何故出てきた?」


 怪訝そうな声色だ。

 別に彼女たち旧都と意見を合わせていたわけではないようだ。彼女にとってもまた予定外の登場だったらしい。


 伊吹萃香はあっさりと彼女の疑問に答えた。


「簡単な話さ。

 気が変わった。その男と闘ってみたい、それだけだ。」


 2対1ってことか。

 くそう。切り札をこうもあっさりと妨げられるなんて・・・。

 とりあえずは何とかこの不利な状況から脱しなければ。・・・まあ、一つ脱したところで俺が圧倒的に不利なことには代わりはないが。


「なあ、鬼たちよ。」


 俺はにじりよってくる彼女たちに声をかける。


「なんだ小僧、命乞いか?それなら無駄だ。

 鬼畜という言葉にもあるように、鬼は非情だ。手加減も、見逃しもないよ。」


 そうだろうな。そうだ、それはわかっている。


「・・・だがしかし、卑怯だとは思わないのか?」


 俺の言葉に伊吹萃香はぴたりと歩みを止める。


「卑怯、だと?」

「ああ、卑怯だ。

 俺は能力持ちとは言えども、それを使えるようになったのはついさっき。時は止めれるし、スキマは作れる。多少、普通よりも厄介だが、それでも人間は人間だ。」

「・・・。」


 彼女は口をつぐんだ。出方をうかがっている。

 俺はしめた、そう思った。内心俺の調子に乗っかった安堵するが、ここは高鳴る心臓を抑えて、一つ一つの言葉を間違えなく絞り込んでいく。


「そんな人間を寄ってたかってリンチするのは、鬼のプライドとしてはどうだろうか?

 少なくとも俺はここではまだ死ぬわけにはいかない。最悪、八雲紫を呼び出してでも逃げ切ることはできる。その後、俺は地上に戻ってすぐにでもお前たちの卑怯さを言いふらす。もちろん天狗連中にもだ。

 そうしたら、お前たちは生涯卑怯者だ。誇り高く強い鬼ではない。ただの卑怯な餓鬼だ。」


 巨大な女性もぴたりと止まって、それから萃香を眺めた。おそらくは、意思の判断を委ねたというところだろう。

 伊吹萃香は先程のまま、まるで像のように動かない。目だけが俺の方をなめるようにじろじろと動いていた。



 少しして萃香の口許がいかばかしか緩んだ。


「ふむ、成る程。小僧とて成長するということか・・・。」


 そして、何か払うようにして左手をブンブンと揺らす。


「おい、勇儀。私はこの小僧のハッタリ顔をたててやることにした。

 お前は下がれ。ここは私一人で相手をしよう。それで文句はないな、小僧も勇儀も。」


 勇儀と呼ばれた巨大な女性は戦闘態勢を解く。


「わかった。今回の件に関しては、以降、萃香以外はコイツから手を引かせてもらうことにしよう。」


 そして、既に近くまで来ていた群衆に解散の命令をして、端の家の樽にどかりと腰を落とした。


「―さて、みんなへの連絡が済んだことだし、私はこの端で傍観しておくとしようかね。

 八雲の者が如何ほどなのか、この目でしっかりと見させてもらおう。」



「さあ!

 これで全て整のうた。小僧、これで遺恨はあるまい?」


 彼女は全身に覇気を溜める。その気はみるみるうちに目に見えるほどまでに燃え上がる。

 俺の能力、そして、八雲紫の後ろ楯がなければ、この時点で気に当てられて気絶していたところだ。俺は初めて八雲紫の存在に感謝した。


「しかし、なぜ俺にこだわる。強いのなら、八雲藍の方がいいのではないか?」

「・・・握手だ。」

「・・・?」

「私は紫や藍に最初にあったときも握手をした。お前と同じようにな。

 しかし、あいつらは何事もないかのように避けた。」

「それは・・・当然だろう。」

「ああ、当然。

 だがお前は避けると同時に私を投げ飛ばした。」


 要はそれの仕返しってことか。

 それは自業自得というものではないのだろうか?


 彼女は大きくゆっくりと首を横にふった。


「わかってないな、鬼というものを。人間ごときの投げが、通用するわけがなかろう?やろうと思えば、投げる前にお前を殺すことも難しくはない。

 私が言いたいことはな、小僧。どんな強敵にも引かない態度に感心したと言っておるのだ。」

「投げたのはただの偶然だ。多分あなたがさっきの勇儀という女性ほど大きければ、びくともしなかった。」


 彼女は苦笑いをして、頭をカリカリとかいた。


「・・・体格のことは気にしているんだ、言わないでくれ。」

「・・・悪い。」


 すると、苦笑いの顔が真剣な顔になる。


「まあ、それはいいとして。

 ―投げれるか投げれないかなぞは些細な問題なのだ。

 私にとって重要なことは、投げたときのあの目。まるで昔、力比べをしていたときの武士の目をしていた。もちろん、気迫何某はあやつら程強くはない。

 ・・・ただ、懐かしく思うた。あの頃の、封印される前の、私に戻れたような気がした。人間と鬼とが純粋に闘えていたあの時に・・・。」

「それは、思い上がりではないのか?ただの押し付けではないのか?人間は鬼ほどに強くないし、鬼ほどに闘いに餓えてはいない。」


 彼女はもう一度、一瞬だけ笑いを見せた。今度のは自嘲の笑いだった。


「そうだな。小僧の言う通りだ。

 だから、私たちはある時、宴と称された罠にはまり、首を掻かれた。そして、ここに封印された。」

「恨んでいるのか?」

「恨みとは違う。失望だ。

 騙した人間に失望した。人間を戦友だと、ライバルだと勝手に思い込んでいた私たちに失望した。もう二度と帰らぬ魂や絆に失望した。

 今でも失望し続けている。そして、失望に耐えきれなくなっては、酒で心を埋めている。」


 彼女は天を仰いだ。

 しかし、ここは地底の底。上を見ようが、ただ暗闇だけがひっそりと淀んでいる。


「ただ一度でいい。

 もう一度だけ、幻想郷の者としてではなく、ただの鬼と人間との力比べをしたい。それが終われば結果はどうであれ、幻想郷の者としてのルールを受け入れるつもりだ。

 私の願いを叶えてくれるか、小僧?」





 返事に迷いはなかった。


「ありがとう。恩に着る。」


 そういって、懐から丹を一つ俺の目の前に出した。


「此れを飲め。どんな傷も、疲れも治す仙丹だ。

 ここに来る前に、八雲藍にも一つこれを渡しておいた。きっと今ごろは紅魔館の門番の傷も落ち着いていることだろう。」


 そうか。それを聞いて安心した。


 俺は、彼女の掌の黒く小さな丸薬を引き取り、飲み込んだ。

 彼女の言っていた通り、みるみるうちに顔面の痛みや、旧都を駆け抜けた疲れが、癒されていった。



 俺のようすを見届けたあと、伊吹萃香は一つ背伸びをした。


「さあ、ルールを決めよう。」


 ルール?


「ああ、ルールだ。私たちはこうして人間と闘ってきた。素だと勝ち負けなぞ見えているからな。

 それに私はお前を殺すつもりはないから。」


 なるほど。それは優しい話だ。


「私たちの楽しみのためだ。人間のためだけじゃない。

 ―しかし、今日は純粋に"ライバルと対等に力比べをしたい"から。そう言いたい気分だ。」


 萃香・・・。


「ルールだ。

 1つは、お互い先に一撃を食らわした方が勝ちだ。ただ、私の一撃は即死に値する。だから私はお前のその空っぽの左手を狙う。そうすれば、八雲紫も安心してみれるだろう?もちろんお前は私のどこに食らわして構わん。

 この1つ、良いか?」

「ああ、お前は俺の左腕に、俺はお前のどこかに一撃、だな。」

「うむ。存分に私を斬れ。首を刎ね飛ばそうが、心臓を粉砕しようが、一撃位では死なぬ。

 ―ああ、そうだ、もう一つ。お互いに一番の得物を使おう。」


 そう言った彼女は、手を前につきだして空をかいた。

 すると、長細い霧が彼女の手あたりにたちこめ、次第に濃くなっていく。しまいには、一振りの大太刀にかわった。


 見るからに体には大きすぎる太刀。いや、普通の人間では振り回すことすら困難な程大きい。縦7尺、元幅4寸、少なくともそれくらいはあるだろう。さらに、風体は大太刀ではあるが、まるで六角のような出で立ちのものすごくゴツい刀である。あれは切る刀というよりも、叩きねじきる刀と言った方が正しいかもしれない。その意味だと西洋の大剣と近いところがあるかもしれない。


 彼女はそれを手慣れた手つきで軽々と振り回して見せた。どうやら彼女にとっては"一番"の得物だということに間違いはなさそうだ。


「小僧の武器は、その天羽々斬のナイフか?」

「・・・・あ、ああ。」

「ふむ、これは面白い。

 ならば一つ私の力を真似てみるといい。」


 取り出していたナイフの刀身を彼女は上から軽く握った。先程大太刀が出てきたと同じようにナイフの回りにも、もやがかかる。

 気がついた時、俺の手元には一振りの立派な刀があった。


「密と疎を操る能力。それはこんなこともできる。

 ―さあ、やってみな。

 なあに、難しく考えることはない。時を止めたり、スキマを開くより簡単だ。ただひたすらにこの形になることを願えばいい。」


 彼女は手を離す。そのときにはもう元のナイフに戻っていた。



 正直、俺は今でも「観測不能を操る程度の能力」について理解していない。八雲の言葉からすれば、他者に影響を及ぼす特殊なスペックらしい。しかし、だからなぜ、十六夜咲夜さんや八雲紫の能力が使えるのかはわからない。

 そういえば、以前八雲藍がこんなことを言っていた。


「能力は1つのタネにすぎない。」


 能力はきっかけで、重要なことはそれをいかに成長させ、使いこなしていくかどうかが鍵なのだ。

 ともすれば、これらの能力はささやかなる俺の成長の表れなのかもしれない。

 ならば自分を試してみる他ない!



「やってみます。」


 俺は萃香を見た。

 その顔は、ほのかににやりとしていた。


「ああ、やってみろ。」


 彼女はそう言って、定位置に戻るように一歩後退りしている。



 俺は目を瞑り、祈り願った。


 ナイフに全神経を集める。

 難しいことは考えなくていい。(というよりか、考えてもよくわからない。)

 一振り―、たった一振りの刀を思い浮かべた。


 体が少し熱を帯びたような感覚になる。また、あたりの空気が弱まったような気がした。


「ほほう?

 なるほど・・・。なるほどな。

 すばらしい!」


 伊吹萃香が感嘆の声をあげる。


 目を開く。

 そこには、彼女が能力で具現化したのと同じ形の刀ができあがっていた。

 ナイフの重みも何倍にも感じる。更には、いかばかしか神々しさが滲んでいるようにも見えた。


「思いもよらなかった。否、予想以上だ。これは本当に楽しめそうだな!」


 与一が船上の扇を射ぬいたときの源氏と同じように、スカートの裾を叩いてひどく感嘆していた。




「さあ、さあさあさあ!

 これ以上の言葉は不要だ。始めるぞ!」


 彼女は先駆けに飛びかかってきた。凶器のように尖った目。それに反して、口元は三日月みたいに開かれている。光の加減で妙なシルエットになっていたために、その顔はまるで笑い仮面だった。


 その不気味さに気をとられている間に既に目前まで迫っていた。

 ブウンと轟音をたてて、刃が弧を描く。


 速すぎる・・・!


 俺は彼女の動きを認識すらできなかったが、とっさの判断で時を止めた。


 左を見る。金属に反射した自分の顔があった。どうやら一瞬にして顔の横まで達していたらしい。

 狙われているのがもしも頭だと思うと・・・、嫌な汗が込み上げてきた。


 とりあえず距離をとらなければ。

 動かないことはわかっているのだが、恐る恐る彼女のわきの方へ数歩離れた。



 これは時間との勝負だな。

 体力的に言えば、時を止めて逃げるというのは、無制限にはできない。

 いっそこの時の中で切るのが一番いいかもしれない。


 俺は上段に構える。

 刃の重さが柄を包む両手にのし掛かってきた。



 これでよいのだろうか?


 俺の額には、加えて冷や汗が流れた。


 果たして俺はこのまま刀を振り下ろすべきなのだろうか?


 卑怯か卑怯でないかの問題も重要だ。少なくともこのまま切り捨てるのは卑怯の部類に入るのだろう。

 そんなことよりも、今さらになって切ることへの恐怖心がわき出てくる。切っ先をただ重さに任せて落としてしまえばいいことである。それに、彼女は幼子に見えて古株の鬼だ。自身の言っていた通り、高々俺の腕力では彼女を殺せはしない。

 しかし、俺はこれからヒトを切るのだ。バーチャルではなく、これはリアルだ。俺のたった一手で、ヒトを傷つけることができる。そこには、字面では伝わらない奇妙な気持ち悪さとおどろどろしさがあった。


 俺は不気味さにあてられて、時間の塞きをはずしてしまった。


 止まっていた彼女の大太刀は、そのまま地面にぶつかり、石畳を掘り砕いた。しかし、その顔には焦りの表情はない。ただあるべきことだけを悟った顔だった。


 伊吹萃香はすぐにこちらに構え直す。燃えたぎる赤い瞳は俺をとらえて離さない。


「どうして時を止めたときに切らなかった?

 そうしてしまえば勝ちは確定していたのに。」


 俺は答えに躊躇わなかった。


「今さらながらヒトを斬ることが怖くなったのです。」


 彼女はあからさまに怪訝になった。


「何を言っている?

 小僧、"ヒト"を斬ることがそこまで怖いことか?」

「当たり前です。

 殺す・・・訳ではありませんが、傷つけるのですから。」

「それはエゴだ。

 お前はきっと私が"ヒト"だから怖れるのだろうな?

 しかし人間よ。お前は蚊や蠅を叩くときに躊躇するか?目の前に邪魔な壁があったならば壊しはしないのか?」

「それは・・・。」

「それに人間同士でも、外傷とならない心ならば平気で人の心を踏みにじり、傷つけるだろう?

 それは、お前たち人間のエゴだ。

 しかしそれは悪いことではない。私はそれを否定はしない。実際、私もヒトを傷つける。かつてはヒトを食らい、ヒトを踏みにじり、同士の頭領としても君臨していた。今となっては悪夢であるが、後悔したことはない。」

「・・・。」

「もちろん、無闇に傷つけることは外道だ。

 しかし、ヒトとして、生き物として生を受けたのであれば、傷つけることを躊躇うな。

 少なくとも、ヒトの上に立てば立つほどヒトを傷つけなければならない。誰も傷つかずにいられる世界なぞは存在しないのだよ。お前のいる世界はそういう世界だ。

 ―まあ、傷つけることに自分の心が傷ついたならば、それは後で酒でも飲んで洗い流せ。私がいたならば愚痴でも聞いてやろう。いや、お前にとってはあの吸血鬼の小娘がいた方が安らぐか?

 ともかく、だ。私が言いたいことは、傷つけることは必ずしも悪ではないということだ。」


 俺は考えた。

 それから俺が"これからすること"はどういう意味を持つのか理解した。



 彼女の言うことは正しい。しかし、これも彼女の視点だ。彼女ではないこの俺にとっては、賛同しきれないところがある。

 だから考えた。

 傷つけることを躊躇わないことなどできない。でも傷つけなければならない時には、考えようと思った。考えて、理解して、そして正しいと判断したならば実行しよう。そう思った。



 そして俺は判断した。

 傷つけることで、伊吹萃香という鬼の希望を叶え、―裏の意味では、俺が一つの成長をしたことを示すのだ。



 再び構え直した。

 その時には、額には冷や汗などはなかった。

 そして、彼女の瞳から発せられる気迫に対峙する。


 お互い、一歩一歩摺り足で間合いを詰めていく。足の下にある石畳の冷たい感触が、靴越しながらも伝わってくる。

 俺は彼女から目を離さない。彼女は俺から目を離さない。一挙手一投足、呼吸でさえも見逃さない。


 ずりずり、ずり・・・ずりずりずり・・・―


 ―かちり。


 剣先が小さくかちあう。

 一歩歩けば彼女の間合いに入る。


 俺は大きくゆっくりと、集中して、深く息を吸った。


「もらった!!」


 萃香は俺の呼吸を見て飛び込んだ。


 やはり速い!


 刃の振りが何倍も大きく、速く感じた。人間では到達できない領域の業だ。先程も人ではなかったが、いよいよバケモノだ。


 すぐに俺は時を止めようとした。


「させるか!」


 俺の体にもやがでる。

 いや、ただの靄ではない。動けない。加えて強烈な圧迫感が全身を走る。血の流れが止まるのがわかった。

 そして、一瞬にして視界がブラックアウトした。



 混濁した意識の中で、俺は漂っていた。

 一瞬だったはずがとんでもなく長い歳月をさ迷っていたように感じた。


 別に勝ち負けに拘るつもりはなかったのだ。しかし、彼女と対峙してからは「負けられない」そう思った。

 漂うにつれてその思いは強くなってくる。動かない意識と体が、うずいてうずいて仕方がなくなってきた。


 動かない中でも何度も暴れてみる。もちろん動きはしない。が、そのうち体が熱くなってきて、全体で電気が弾けた。



 意識が戻る。

 それから視覚や聴覚が段々とはっきりした。


 その時に気づいたのだが、どうやら俺は無意識の内に声にならない声で猛っていた。


 ―パリンッ!


 俺の声の収束とともに硝子が弾けるような音が響き、体の拘束が解かれた。


「さすがだ、小僧!だが遅い!」


 彼女の大太刀が肩口まで降りる。


 その太刀筋を一瞬にして捉え、天羽々斬の刀腹でしのぐ。

 勢いのついた彼女の刃はより深く地面を砕いた。弾き出された石粒や砂ぼこりがあたりに散っていく。


「いいぞぉ!もう一撃だ!」


 彼女は霧散した。


 俺はその場からぴたりと動かないようにする。

 下手に探すと逆手にとられる。

 ここは落ち着いて、相手の出方を伺おう。必ず刀で攻撃するときは実体化するはずだ。


 視界を閉じて、それ以外の感覚を鋭くする。遠くでヒトのざわめく声がした。



 しばらく待ち続ける。10分以上は硬直したままだ。

 さすがに俺の集中力も悲鳴を挙げてきた。


 その時、左後ろからほのかに圧迫を感じ取った。


 再び集中力を高める。

 たった一撃、このために俺は力も、体も、感覚も、あらゆるすべてを掛けた。


 振り向き様に一歩踏み出し、力任せに逆袈裟斬りを撃ち込んだ。


 彼女はやはり、そこにいた。

 切り上げる俺の天羽々斬と振り下ろされる彼女の大太刀が触れ合う。


 火花を散らすことも、俺が力負けすることもなかった。

 俺の刃は大太刀を紙でも切るように根本から断ち、そのまま彼女の頸を撥ね飛ばした。


 刀と体と首が方々に飛んでいき、ごとりと地面に転がる。




 最後の一撃・・・。

 言葉にすれば酷く単純だが、これによって勝負は決まった。


「いやはや、私もいけたと思ったのだがな。

 勝つつもりでいたのだが、まさか頸を撥ね飛ばされるとは。」


 転がった生首から声がする。

 首もとからはおびただしい血が流れているのだが、彼女は何もないように続けた。


「正々堂々と闘って頸を撥ねることができた人間は、お前で2人目だ。」



 そういい終わったとたん、首、体、真っ二つに断たれた大太刀、そして流れ出していた血液までも蒸発していった。


 そして、霧から元通りの姿の伊吹萃香が現れる。彼女にとっては首を跳ねられたからといって、死ぬことは難しいらしい。


「やれやれ、まさかお前に、天羽々斬に、負けた・・・か。

 これもインネンというやつかな?」


 彼女はぽりぽりと頭をかく。


「しかし、私は満足だ。

 これほどまでに満足したことはない。今日は何て良い日なのだろうか!

 お前のお陰だ。ありがとう。」

「ありがたくはないですよ。なんというか・・・ヒトを斬ることがこんなに気分が悪いものだとは思いませんでした。」


 俺の鼓動が速い。手元の刀がカタカタと鳴る。

 彼女の肉を切った時の感触と、ごとりと落ちる首の光景がフィードバックする。

 吐き気をもよおしてきた。

 当分、いや、一生悪夢に見そうだ。


「それでいい。

 ヒトを傷つけることを躊躇するなとはいっても、ヒトを傷つけることに対して何も思わなくなったら、それは悪だ。

 そうなってしまえば、かつての私の二の舞だ。いつか痛い目にあうぞ。」

「痛い目に・・・・あう。」

「お前の世界では、社会的に抹殺されるか、避けられるようになるだろうな。

 よく・・・心に止めておくことだ。」


 彼女は一瞬遠い目をする。

 しかし、すぐにこちらに目をやった。


「―さあ、帰るがいい。もうここには用事はないだろう。

 それに今ごろは、もうあの門番も手当てを受け終わっているはずだ。」





 その後の話をしよう。


 伊吹萃香が一方的にけしかけてきた闘いに奇しくも勝利した後、旧都出口までやってきた。

 そこでは八雲藍が待っていた。見送ったときと同じ姿のままだった。


「お疲れさまです。いかがでしたか、旧都は?」

「どうせ知っているのでしょう?オブラートに詰め込みきれないほど悪かったです。」

「そうですか。」

「見ていたなら助けてくださいよ。」

「・・・私は紅魔館の門番と宵闇の妖怪を天狗に引き渡しにいきました。今帰ってきたところです。」

「そんな馬鹿な。あなたぐらいなら一瞬でしょう?」

「・・・いいえ。紫様ならまだしも、私は不可能です。」


 絶対嘘だ。


「・・・。

 ところで彼女たちの容態は?」

「大丈夫でございます。あなたが治療をお受けなさっていたと同じ位の秘薬を使うように指示いたしましたので。

 今ごろは意識を取り戻しているでしょう。」




 こればかしは彼女の言葉は本当だった。

 地底から脱出し、妖怪の山に着くと、美鈴が出迎えてくれた。


 俺たちは少し休憩をして、それから紅魔館に帰宅することにした。

 その間に、美鈴に伊吹萃香と闘ったことを話すと、ものすごくびっくりしていた。



 山は紅葉も枯れ落ち、一面が柔らかそうな赤や黄色で埋め尽くされている。木々は雪で色づくのを待ち遠しそうに枝を黒々と艶立てている。

 空はもうすぐ暗くなるだろう。寒くなった天気からすると、もしかしたらいよいよ雪が降るかもしれない。


 果たして俺は最後の雪を見れるだろうか?

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