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【3】三浦冴子のプロフィール

三浦冴子は、慎一郎の恋人だったこともあった。


果たして、あれは恋愛状態だと言えたのだろうか? と慎一郎は今でも思う。


三浦は七十年代後半に青春時代を送った女性らしく、何事にも奔放で、恋多き女だった。


青年期のとば口にさしかかった大学生の頃は、急に成人が近くなり、世間へ出る間口も拡がり、人間関係が爆発的に増える。身体を持て余すことも重なって、その日のノリで異性と一晩過ごすのも珍しくなかった。


中でも、三浦は男の目から見ても恋を楽しんでいた。彼女の周りには男が耐えなかった。三浦はお世辞にもお堅い女性ではなかったが、男なら誰でも良かったわけではない。


彼女には彼女なりのポリシーがあった。自分が好きになれた男とだけ寝た。同時に何人もの恋人と付き合うこともあったが、ボーイフレンドの中でとりわけ本気になった人が出来たら、その他とはきっぱり別れた。


彼女の長所であり短所は、他人の長所を見つけるのが上手いところだ。つまり惚れっぽかった。



あの人は声がいい。

目がステキ。

肩幅の広さが包まれているみたいでたまらないの。

みんな好きなの、選べないわ。

どうして一人だけに縛られなきゃならないわけ。

尾上君、そう思わない?

あなたも似たようなものでしょ。



面白い女だと思った。


恋多き女・三浦は、あっという間に恋人を作ったと思ったら離れた。


どんなに長くても一人の男と一ヶ月以上続いた試しはなかった。



別れたあ―っ、失恋したああ―っ。



深夜だろうと何時だろうと一切お構いなしで、わーっと泣きながら慎一郎の家へ電話をし、何時間も繰り言を言い疲れて寝入るまで付き合わせた。


最初は悪友同士だったのが一線を越えたのはあっという間だった。セックスは会話や食事と同じように、コミュニケーションのひとつだ。


それに、若い男と女がふたりきりで夜が更けた室内にいたら、することといったら相場が決まっている。


三浦は、友人の頃も恋人になってからもしなかったことがある。


彼の私的生活に深く入ろうとしなかった。電話は別だ、深夜だろうと早朝だろうと平気でかけてくる。しかし、彼女は彼の自宅へ行きたいと言ったことがない。三浦は慎一郎の住まいがどこか、本当に知らなかった。訪ねたいとも言わなかった。


彼が知るほとんどの女は、深い関係になると世話を焼きたがり、やれ弁当だ、食事を作るなどの理由をつけて彼の縄張りに入ろうとした。


自分のテリトリーに入り込まれるのを好まない慎一郎にとって、少しでもその素振りを見たら現実に引き戻され、別れの一文字が浮かぶ。


「ああ、そうそう。そういうのわかる」


三浦は同意する。


「私もね、オレのオンナ面されるのたまらないの。冷めるのよね。だからお別れしましょとなるの。でも冷めてもしばらく好きな気持ちは残るから辛いのよ。寂しいもん。だから」


して、と三浦は口付けた。


時には泣きながら、失礼なことに違う男の名を口にして、慎一郎に抱かれた。


後腐れなく過ごせるのならそれでもいい。


当時の三浦と慎一郎は似たもの同士だった。


が、子供はいつまでも子供のままではいられない。いつかは次の段階に進む。


慎一郎と三浦にも、お互いから卒業する時が来る。学業の卒業と進路決定の時期と重なった。


慎一郎は父親の希望通り大学院への進学が決まった。


三浦は白鳳に籍を置く一部のブルジョワ学生の例に漏れず、生活や食うのに全く困る心配がないお嬢様だったので、定職につかず、大学院へは習い事の延長で進み、留学した。


気ままな彼女は発想が柔軟で、日頃からこう公言して憚らなかった。



ネタならいっくらでもあるわ! 誰か代わりにやってくれるなら、提供してもいいくらい! 

研究させてくれるならどこでもいい、学校以外でもどこか企業に入ってもいいのよ。



事実、彼女は成果を上げた。見事だった。



「いつまでも遊んでちゃいけないわね」


ある日、慎一郎の腕にもたれ、髪の毛の先で彼の胸をくすぐりながら彼女は言った。


尾上君は私と寝てくれるけど、抱きしめられた満足はくれない。

快感は一時だもの。

いった瞬間に死ねたらいいけど、人間簡単に死ねないし。

わかってる。あなたは私と生きる人じゃない。

だって、あなたはどこかここではない何かを見てる。今もだわ。

あなた、誰を抱いてるの?



イギリスに発つ前、最後に過ごした夜に三浦は言い、それきりになった。


留学した国は同じでも進学した学校は違っていた。下宿先が二人ともロンドン近郊だったから、顔を合わせれば食事ぐらいはした。


しばらく顔を見なくなったと意識した時には最後の食事から数ヶ月が経過していた。


三浦は帰国したと届いたのはさらにその後。


彼女が帰国後に大学院を辞め、音信が途絶えた。


イギリスで学業を修め、母校に帰ってきた彼の元に、三浦が訪ねて来るまで彼女のことは忘れていた。


久方ぶりに会う彼女は変わっていた。余裕がなくなっていた。


彼を訊ねた彼女が開口一番に発した言葉は「子供がいるの。――あなたの子よ」だった。


身に覚えがないわけではない。しかし、子供の年齢と関係があった時期が噛み合わなかった。



言うに事欠いてなんてことを持ちかけるのだ。



最初は深い憤りを持った。しかし、何が彼女にそうさせるのかと考えた時に腑に落ちるものがあった。


これは、彼が知る彼女なりの世間との関わり方だ。


不器用で、愛される実感の乏しい彼女は、自己評価がおそろしく低い。若い頃はその容色で異性を惹きつけるぐらいわけなかっただろう、でも、齢を重ねると若い魔力は褪せてしまうものだ。


慎一郎は説いて聞かせた。


「君は誰にも負けない発想の豊かさと切り替えの早さを持っていたはずだ。あの頃を思い出したまえ。私では君が望む愛は与えられない」


「――そんなこと、わかってる! 愚かだと、人に言われるまでもなく、自分が一番に!」


三浦は彼の前から去った。


しばらくたって、彼の元に三浦の消息が伝わってきた。


別の大学院に入り直した彼女は、学究生活を送った後に得た学位を元に子供を伴って渡航した先で職を得たということだった。


彼女には日本より海外の方が生きやすい。良い選択をしたと思った。


それきり、三浦との縁は切れたはず――なのだが。



何故、今さら、蒸し返すように子供を出汁にする?



慎一郎を疑似餌にして父親代わりにしていたのはいいとしよう、彼女の言い分もままわからないでもない。



が、何の発展もないのだ、このままでは。



何があった。



慎一郎は一考する。


今は秋良のこと第一で、彼女の為だけにこの身を割きたい。が、そうさせてくれない。



どうしたものやら。



すっかりため息が板についてしまったのか、学生食堂で並んでいた時、「先生、マリッジブルーですか?」と食堂のおばさんが味噌汁を渡しながら声をかける。


そんな単純な話だったら良かったんだけどな、とつぶやきながら苦笑するしかなかった。

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