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【2】招かれざる客 5

◇ ◇ ◇



「どういうことか、説明したまえ」


慎一郎は静かに問い質す。


「怒ってる?」


「怒ってなどいない」


「うそ」あははと三浦は笑う。


「三浦君……」


慎一郎は額をおさえる。


「そうそう尾上君。言い忘れてた。髪切ったのね。うん、ステキよー。このあいだはすぐにはわかんなかったもん。だらーっと伸ばしてたのにさ。ロンゲだった頃も悪くなかったけど、今の方が数倍も、ううん、数十倍もカッコいいかもー」


「はぐらかすな」


「あっ、今、ムカっとしたでしょ」


慎一郎は、はあー、と大きく、わざとオーバーアクションをしてため息をついた。



そうするしかないではないか……。



「ちょっとした出来心だったのよ」


「は?」


「うん。ジョンがね、まだうーんと小さかった頃よ。『僕のお父さんは? どこにいるの?』って聞くのよ」



そりゃ聞くだろう。



「多感なお年頃だったし、大人として嘘付けないでしょ。私はあの子の母親だし。腹痛めて産んだのは確かだし」


あー、ホント、痛かったわあーー、と三浦は手に持つペットボトルをくるくる回す。


「続けたまえ」


「はいっ。プロフェッサー」



イヤミか。



まだ正式な教授ではない慎一郎は、眼を半開きにして睨んだ。


「どうしようー、彼が喜ぶ父親像にぴったりくる知り合いはいないし。あの子、日本人の子供だっていうのをね、どこかで障害ととらえていたんでしょうね。純血主義なんてものはばかばかしいと思ってるわよ。でも、できれば自分の生まれに自信持たせたい。日本生まれをネガティブに受け止めてほしくなかったんだなー。わかる?」



知るか。



言いかけて引っ込めた。


「それと私と、どう関係する」


「尾上君、未だに自分のこと『わたし』って言うんだ。何で?」


「今は関係ないだろう、そんなことは」


「うん、そうね、かんけーないわね」


ぐびっとペットボトルをラッパ飲みし、喉を潤した三浦は「美味いー」と、まるでビールを一気飲みするサラリーマンのようだ。


「どうしよっかしら、とふと本棚見たら、アルバムに目が行ったの。それ引き抜いたらね、ほらー、私、その手の紙類はまともに整理しないじゃない? 研究は別だけど」



そうだったか? 



慎一郎は今では埴輪よろしくほとんど閉じてしまった瞳の奥で思い出す。


三浦はとことん片付けられない女だった。


本からノートから書類から、どんどん積み上げ放題に上げまくっていた。何度も紙の雪崩をこしらえ、きゃーきゃー叫んでいた。


が、そのカオスの中だから、きちんと成果を上げられるタイプの学者だった。


「写真がね、ばーっと落ちて出たの。新旧ごった混ぜで、もうお手上げ。ジョンと二人で拾ってたら、あら不思議。昔の男の写真が出て来たじゃない。あ、これはいいわ、子供が喜びそうな顔だし、かっこいいし。カラーの色も焼けて変わっちゃってて、はちゃめちゃな発色になってたからね、どこの人かわかりにくくなってたし―」


「それが」


「ぴんぽーん。尾上君だったのよ」


あははと白い歯を見せて三浦は笑った。


「あははじゃない」


はあー、と本心からのため息をつく。わざとした先のため息より、ずっと長く重く。


「いつまでもごまかせるものではない、どうするつもりだ」


「いたいけな子供の夢を壊せないでしょ。成り行きに任せるしかないわよ」


「三浦君、三浦君」頭を振る。


「うん、わかってるんだけど。尾上君の言いたいこと。『あんたの父親はあんたのことを知らないの。産まれたことすらわかんないはず。よしんばまかり間違ってばったり出くわしたとしてもお互い気付かずすれ違う、往来を行き交う他人と同じなのよ』なんて、言えると思う?」


「思い当たる節がある」


慎一郎は記憶をたぐった。


「ロンドンで机を並べていた学生に中に、あの子に良く似た者がいた。目は青くて、鮮やかな赤毛の持ち主で……」


「だめ!!」


三浦は振り返り、慎一郎の口を両手で塞ぐ。


勢いで落ちたペットボトルから水が流れ、地面に濡れた染みを作る。


「それ以上言ったら、許さない」


「図星か?」


「名前口にしたら殴るわよ。ええ、多分ね、その人。あー、参った。尾上君も知ってる人だったんだわ。そーよね、私、留学先まであなたのこと追いかけたんだもの」ぎりりと指を噛みながら続けた。


「私がイギリスを留学先に選んだ動機の半分以上はあなたがいたからよ。ええ、不純よ、自覚してる。でも、一応、学位取る気もあったのよ。そしたら、つい、もののはずみで」


「悪い癖が出たと」


「あなたには負ける!!」


「そりゃどうも」


「海外で羽目外しちゃったのよ。一応、気をつけてはいたけど、大当たり。子供できちゃって、大急ぎで帰国せざるを得なくなったってわけ」


「だからいきなり姿が見えなくなったのか」


「そうそう、そうなの」


「相手には言ったのか」


「何を」


「だから、子供ができたと」


「ううん」


「何故」


「何故? 何故とあなたが言うの?」


「私が?」


「尾上君、あの子に『Daddy』って呼ばれてどう思った」


「どう……と、言われても。誰のことだと」


「それがね、たいていの男の反応よ。女には子供の父親が誰かはわかる、一時に何人も何十人もの男と付き合って、同時期に寝たりしない限りはね。でも男はわかんない。タネ落としてそれまでだもの。子供を身の内で育てて産まない性には絶対理解できないわ。ホントに自分の子か? ってとぼけるものよ」


「言われたのか」


「尾上君には教えない!」つんとそっぽ向いた。


「そーいうわけだから。しばらくジョンの相手してやってちょうだい。大丈夫、誰が見ても似通ったところがないんだもん、実の親子と間違われる心配はないでしょ」


じゃね! と三浦は足音勇ましく去って行った。校門近くにいる息子の名を呼びながら。


母の声がする方へ少年は駆け寄り、母子は睦まじく腕を組んで歩く。


校門の向こうへ抜ける前、少年は小さく振り返り、誰ともなしに「バーイ!」と手を振った。


取り残されて一人、慎一郎はペットボトルが傾いて飲み物がこぼれ、自分のボトムを汚しているのにも気付かず放心した。

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