【14】ロング・グッドバイ 1
時は移ろう。
恋人たちが願う早さかどうかはともかくとして、世間一般が考えるよりうんと早く、慎一郎と秋良は佳き日を迎えることになった。
仲人は、直属の上司ではなく、恩師で父の友人でもあった武がつとめることになった。
「懸命な人選だね」と上司の横山は頷く。
「武先生以上の適任者を自分は知らない。長年の恩返しにもなるだろう」
内心で冷や汗が流れた。
武が父親の旧友、かつ昔からの知人でなければ、今後、ここでの仕事はやりにくくなったことだろう。
「僕はいいんだけどさ」
改めて挨拶をしに訪問した学長室で武は言った。
「君のお父さんとは因縁のある付き合いだったし、うちの奥さんとも同級生だったしね」そう言いつつ、面白そうであった。
「支障ありそうだったら、横山君に振りなさいよ、今からでも遅くない」
武は、間もなくこの場を後任の横山に明け渡す。
「お気遣い、感謝します」慎一郎と一緒についてきた秋良もならう。
「挙式まで日もありませんので……」
「そっか」武はカラカラと笑う。
「あと数日だもんねー、いきなり振られても、横山君怒るか」
いや、自分は構わないのだよ、他ならぬ君の頼みなのだから。君の父上には大層世話になったし。しかし、今頃? 何故もっと早く、計画的に動けないのだね。だいたい君は――
くどくどと言う姿を想像する度に気が滅入った。
秋良は武と談笑し、笑いさざめいている。
まあ、いいか。
彼は気を取り直す。
彼女が笑顔でいられるのなら、それでいい。
どれほどの時間、武と話していたことだろう。
コンコンとノックする音がした。
この叩き方は。
慎一郎は振り返る。
そこには三浦冴子がいた。
あら、と彼女は慎一郎と武、そして秋良に視線を送る。
「おじゃまでしたでしょうか?」
「いや、かまわんよ」こっちこっちと武は手招きする。
「僕もそろそろいなくなり時だからね、会えてよかった」
いいよね、とふたりに向かって言う。断る理由はない。
「それは私の台詞です」
三浦は申し訳なさそうに言葉を継いだ。
「先生が仰った通りのことになって。今日はお詫びに――」
「ああ、いいよ、そのことなら」
「いえ、正式に席を用意して下さったのに、私の方から辞退しましたから……。お詫びも遅くなってしまって」
「仕方ないさ。カナダだっけ? あっちに腰据えるんでしょ」
はい、と三浦は頷く。
「結婚したんだってね」
「……はい」彼女はちらりと慎一郎達を横目に見た。
「主人はカナダから拠点を動かすことはしばらくないと思います。スポンサーの意向もありますし、息子も現地での生活を望んでいます。それに――」
一旦言葉を切り、小声で付け足した「私の方も、あちらに残った方が良い事情ができましたので……」
「もしかして、おめでたい話?」
武は大声であっけらかんと言った。
武からすると、『良い事情』イコール『おめでたい』という、ざっくりとした意味だったが、言われた方は拡大解釈をした。赤くなってうろたえる。
「おやー、本当におめでたなの?」
「あっ……あっ? いえ、そのう……」
「そりゃおめでとう!」
ばんざーい! と諸手を挙げ、武は話を締めくくった。
「どこにいても僕の生徒だったんだから、いつだって最善を尽くしてくれると信じてるよ。君たち生徒は僕の宝、子供たちなんだからさ。困った時はいつでも相談しにきなさい」
力になれるかどうかは約束できないけど? といかにも武らしく、飄々とした言いっぷりで。
しかし、彼の教え子達は知っている。彼の元で学んだ者で、少なからず武の薫陶を受けた恩恵にあやかれなかった者はいない。
学びの場での父は我が子たちを多数世に送り出した。今後も子供たちを見守り続けることだろう。
武の元を辞した二人に、三浦は声をかけた。
「少し、時間をとれる? よければお二方に」