【13】悪友の秘密 2
「好きな人がいるっていうから、付き合ってるの? って聞いたんだよ。そりゃ聞くよね? もし男がいるなら諦めもつく――いや、つかないかもしれないけど! 白黒はつけたいじゃないか、つけたいだろ?」
どうだか。
慎一郎は黙っている。
「そしたらさ!『いいえ、おりません』と彼女は即答したよ。いないって、そりゃおかしい。だって秋良ちゃん程の女の子が、思いを寄せて通じてないって変だろ、そこで、ぴーんと来た。『尾上か?』って聞いたら、彼女うつむいて黙っちゃって。あー、本当にお前のこと好きなんだと思ったらハラ立ってきて」
「何故だ」
「何故と問うかね? お前、自分の胸に手ェ当てて聞いてみろ! 三浦女史の一件がいい証拠だろ。女とっかえひっかえしてた奴なんか止めとけ! 君が不幸になるのは目に見えてる、諦めろ! 俺なら、君を放っておかない、泣かせない! って詰め寄ったらさ、――放り投げられちまったのさ」
秋良はか弱いようでいてさほどでもない。実は合気道の達人だ。一時は道場に熱心に通いつめていた。彼女がまだ学生だった頃、帰宅が遅くなる稽古の日などに、慎一郎は道代から稽古場までのボディーガードを命ぜられた。しかし、彼女には不要だったことだろう、稽古の結果はなぐらいの腕前だった。
宗像が言う「放り投げられた」は文字通りのことだ。
ぽーんと投げ飛ばされたと断言してもいい。
何故なら。慎一郎自身、彼女の手にかかって飛ばされた経験があるからだ。残念なことに一再ならずとは言えない回数を。
「それは――災難なことだったな」
なるべく神妙そうな声で応じてみたものの、笑い声を乗せないようにするのに苦労した。
「さあ、俺の方は包み隠さず告白したんだから! お前も約束を果たせ」
「せっかくだが、今の話を聞いたら、これ以上、お前に恥はかかせたくないな」
「――恥ずかしいこと、したのか?」
「できれば、私の胸の内に収めておきたい」
「でも、カミさんも、秋良ちゃんも知ってるんだよ、な、な?」
また人のカミさんを名前で呼ぶかね。
こいつの細君をちゃん付けで呼んだら、どんな顔をすることだろう。
そんなことより、真実を告げる方が、こいつには堪えるか。
なので、あっさりと要望に応えてやった。
「自分は君が好きだった、と秋良に言った」
「うううう、そ、それで?」
「君とは結婚――」
「うわあああ、もういい、もういい!!」
宗像は悶絶する。
「カミさんにも聞かれたなんて、最悪だよ、もう……」
どうしよう、何か買って帰った方がいいかなあ、と40男が悩む姿は滑稽でもあり、哀れだ。
宗像は、君とは結婚できないと言ったんだが、彼は勘違いをしている。
まあ、勝手に誤解しているのだから、そのままでいいだろう。
折を見て本当のことを伝えてやってもいい。
今でなくても、気が向いた時に。
「お前は自分の仕事を片付けたまえ」
「そうする……」
これでしばらくはおとなしいだろう。
静かな宗像は彼らしくないのだが、少しばかり意地悪してもバチは当たるまい。
その日は終日、五月雨式にキーボードを打つ宗像の打鍵が、侘びしく室内に響いていた。
帰り際、彼はつぶやくともなく口にした。
「三浦女史、どうするんだろうな」
「ふむ」
「あの様子だと、多分、博士とはそれなりの関係なんだろ、武さんの言いぶりだと採用は黄信号みたいだし」
「三浦君なら何とかできるだろう」
今までもそうだった、きっと今後も生き方は変えられないだろう。
三浦冴子とはそういう女性だ。
「息子もいる、彼女は――もうひとりではないんだから」
「それにしても不思議だよなあ、三浦はいつ博士と出会ったんだろうな? まるで接点なさそうなのに。お前知ってる?」
「私の方こそ聞きたい」
――忘れちゃったんだ。
三浦が投げた一言が気にかかる。
忘れるも何も、覚えがないことを記憶してるわけがない。
自分は何をした? まだ彼女と接点を持っていた若い頃。
おそらく――二十代の頃だ。
思い出せない。
目を向けた先には、シャチのでっかいぬいぐるみが笑っている。柴田麗が持ち込んでからそのまま放置されていた。
喉に刺さった小骨のように、彼の中に痕跡を残して、三浦が日本を後にしたと知らされたのは、それから少し経ってからのこと。
いつのまにかシャチのぬいぐるみは消えていた。
代わりに、メッセージカードが入った封筒が置かれていた。
ダディ、バイバイ、とカタカナで書かれていた。
幼さの残る文字だった。