【9】紳士は決闘を申し入れる 3
「お仕事中ごめんなさい。近くへ来ましたので寄りましたの」
来たのか!
慎一郎は一瞬気が遠くなった。
秋良を責めるわけにはいかない、彼女は仕事帰りにはいつも彼の元へ来る。用事があってもなくてもお構いなしにだ。
特に今は恋人同士なのだから会いたさ百倍だ。それは慎一郎にもいえること。いや、しかし!
いつもなら慎一郎ひとりぽつねんとしているであろう室内は、普段より多い人が多い。
「お取り込み中でした? 時間を改めましょうか」
ゆっくりと見回した彼女は、従妹と見知った顔を見つけてそれぞれに会釈した。
「君は」
ゼカライアセンは息を飲み、秋良もそれに気付く。
「まあ、こんなところでお目にかかるとは」
「快適なフライトをありがとう。あなたのおかげで移動中は楽しかった」
スマートに礼をするゼカライアセンの姿は紳士そのものだ。
「寛いで頂けたのでしたらよろしいのですけど」
「――知り合いなのか」つい慎一郎の口調が固くなる。
「今回のフライトのお客様ですわ」
「君は客の顔をいちいち覚えているのか」
「ええ、大切なお客様ですから。それについさっきまでご一緒していたのですもの。まさか慎一郎さんのお知り合いだったなんて。世間は狭いんですのね」
狭いどころの話ではない!!
慎一郎は面白くない。
「ああ、そう。このぬいぐるみ!」と彼女は無邪気に微笑む。
「お持ちのところをみますと、お渡しする方にはまだ会えていないんですのね?」
「はあ、そうです。まだ連絡がつかなくて」
ゼカライアセンは歯切れが悪く口ごもる。
「まあ。早くプレゼントしませんと。待ってらっしゃるでしょう」
「待って――くれてるでしょうか」
「もちろんですわ」
「秋良、相変わらず空気読めてない……」
裕はぽつりとつぶやく。
同感だ、と秋良とゼカライアセンと慎一郎を除く面々は、口には出さずに頷いた。
「ところで、あなたこそどうしてこちらへ」
ゼカライアセンに問われた秋良は、さっと頬を染め、「それは……」と言う。
「彼女は私の婚約者です」きっぱり言い切って慎一郎は秋良の傍らに立つ。ふたりの姿は見たまんま、『僕たちアベックです』と宣言しているようなものだ。
「婚約者?」
ゼカライアセンは口調を荒げて言い、そして、床上にくたりと横たわる手袋を、びしっと指差した。
「君は息子がいながら、責任を果たさず結婚しようというのか!」
「いや、ですから、それは」
「……息子? 何の話ですの?」と秋良は婚約者を見上げた。
「秋良、これは何かの間違いで、あの方は――」
「間違いではない! あの子は君の写真を肌身離さず身につけて、事ある度に出しては見ていた! 語りかけている姿も何度も見ている!」
「まあ……」
秋良は小首を傾げる。
「写真ですの?」
「だから、それは誤解だと」
「そっかい?」と涼しい顔して宗像は口笛を吹く。
「そこで混ぜ返すだけなら、出て行くなり探しに行くなりしろ!」
慎一郎は苛立った口調で宗像に向かう。が、気にする宗像ではない。
「誰を探すのさ」
「決まってるだろう! 察しろ!」
「何で俺が」はははっと宗像は笑った。
「そんな義理ないしな。何なら校内放送で呼んでもらったら? 今すぐに頼もうか?」
三浦君、三浦君の息子、今すぐ尾上君のところへ行きなさい。
そんな放送されてはたまったものではない!
横山や他の上司同僚に何を言われることか。
いや、外聞ではなく、事は些細なのだ。何故大事にまで育てねばならない?
「止めろ」
内線電話を取った宗像の手から受話器をひったくってがちゃんと置く。
「それが人に物を頼む態度かなあ?」
「わかった、『止めて下さい、お願いします』これでいいか?」
「うわー、何、その棒読み感」
宗像をあっさり無視して慎一郎はゼカライアセンに向き直る。
「とにかく、あなたとは冷静に話をしたい」
「自分はいつも冷静だ」ゼカライアセンは頷いて返した。
「それは結構、なら――」
「決闘を受けるか否か?」
「いや、だから、何故そうなるのだ」
「決闘? 慎一郎さんとお客様が?」
秋良は首を傾げる。
「何故ですの?」
何故だろうね。こっちが聞きたい。
「秋良、あのね、これはだね」
「受けるのか、どうなのだ!」
「ですから!」
慎一郎は声を張り上げた。
「尾上君、どうしたのー? ですからって何が? あなたが怒鳴るなんで珍しいわねー」
女の声が声が割り込んでくる。
慎一郎、宗像、ゼカライアセンは同時に声を上げた。
「三浦君!」
「三浦じゃないの」
「サエコ!」
肩にかけたショルダーバッグを持ち替えて、室内の面々から遠慮ゼロな視線の集中砲火を浴びた三浦は、一人の男を見て目を丸くした。