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【5】クラゲにマンボウはかなわない

「折り入って先生にお頼みしたいことがあるんです」


「珍しいねえ、君からの頼み事って。何、何、言ってごらん」


あははと学長は笑った。


武との付き合いは、慎一郎の生前まで遡る。武には父と同僚だった関係で折に触れて幼少時から一方ならぬ恩を受けた。


「実は、この度結婚することになりました」


「ええーっ!」


「つきましては、先生に媒酌人をお願いしたいと思いまして」


「僕でいいのかな」


「もちろんです」


「そうかあ、君もついに所帯を持つのか」


目を細める武は一瞬泣きそうな顔をした。



何でそんな切なそうな顔をするんだ?



学長が見せた表情に拍子抜けした彼は、武に聞きたいことがあったのに問わずじまいだった。


言わずと知れた三浦の処遇だ。


三浦は慎一郎の前に登場して以来、ほぼ日参に近い形で慎一郎の視界に入り込んだ。


となると、彼女の息子もついてくる。


他人がいる時は「ダディ」とは呼ばれないが、やはりげんなりする。


少年は何も悪くない。でもどうしたものやら。


もうすぐ秋良がフライトから帰ってくる。彼女の帰国はうれしい。一頃より会いたいと思う。誰かに拘束されるような生活を嫌悪していた自分が、望んで人と繋がろうとしている。この縛りが面映ゆくてならなかった。


マリッジブルーなどどこ吹く風だ。


この幸せに塩が投げ入れられようとしている。


秋良はいつもフライトから帰ってきたら、時間に余裕があればその日のうちに、なければ翌日には成田空港近辺にある社員寮から自宅がある都内へ帰ってくる。これまでも慎一郎に会いに学校に寄るのも当たり前のようにあった。


もし、秋良が三浦やジョンと鉢合わせしたらどうすればいい。


ジョンが側にいる時に秋良が来たら? ぞっとしなかった。


やはり、ここは武に問うしかあるまい。後日改めてではなく、今すぐ。


慎一郎は武の元に引き返した。


「どしたの。他に何か?」


「折り入って伺いたいことがあります」


「今日二度目の『折り入って』かあ」


「三浦君のことです」


「やっぱり気になる?」


答えに詰まる。


「まだ僕たちも決めかねてるの」


想像した通り、答えは武らしいもの。


自分はマンボウに例えられたが、この人には負ける。武はクラゲだ。ぶった切られても再生可能でひらひら泳げる。触手の先には猛毒の針が仕込まれ、これに刺されると死ぬこともある。


マンボウは漂うだけ、ぶつかったら死ぬのは自分の方だ。かわいいものではないか。


「そっか、三浦君と君たちカルテットは同期だったね」


「はい」


「ねえ、知ってたかい? イチローカルテットの名付け親は僕だって」


知ってた。


慎一郎が大学に進学して所属した研究室は、当時まだ教授だった武が主催していた。特色のある生徒ばかり集まるので有名だった武研究室は、慎一郎の年度では4名が選抜された。選ばれる基準は武の思いつきによるところが大きいと常々噂されていたが、まったくもってその通りと慎一郎以下4名は思った。


というのも、四人に共通していたのは、ずばり名前だった。


各人のフルネームをあげると以下となる。


田中一郎。

宗像一郎。

蛯名一良。

そして尾上慎一郎。


『いちろう』ばかり四人が揃っていた。


「僕は一番が好きだから、今年は名前に一が入ってる学生を選んでみた」と武が言ったかどうかは定かではないが、後にイチローカルテットと呼ばれる四人グループはこうして産声を上げた。


「うーん、同期ばかり三名も連なるのは何だな、つまんないな」


つまるかつまらないで人事を考えないで欲しい。


「だからって、一旦決めた採用は変えられないしね-、あ、もしかして心配してた? 君が教授になる話、流れるかもって」


「いえ、そういうわけでは」


少しはしていたが、ここは黙るのが得策だろう。


「そっちは大丈夫。君の方は横山君が首を縦に振ったもん。大船に乗ってればいい」



水が入ったらあっさり沈む笹舟の間違いではないのか? 



口にしたいのをぐっと堪えた。


「もう僕はここを去る人間だからね、次年度以降の採用には口出しはできないけど、海外で実績のある人材を募集はしたよ。それにエントリーして内定出したのは宗像君。彼は大学院の方でがんばってもらうことになる。三浦君はつい最近コンタクトを取ってきたの。今からでも選考対象になるか、と。普段ならお断りするけどさ、採用枠を日本式に若干名にとしたところと、募集期限を明確に決めてなくてさ、そこを突かれるとね。じゃ、会ってみましょうかとなったんだ。フタ開けてみると彼女の経歴は興味深くて、切るのは惜しい。ここだけの話、非常勤か客員で調整することになるんじゃないかな」


「そう……ですか」


「積極的に売り込んで成功する人は歓迎するし、今後は君たちの世代が学校を引っ張って行ってくれないと。やることは山程あるよ。期待してるからね」


はっはっはっと笑いながら、武はきゃきちゃき去って行った。


毎度ながらきびきびした歩き方をするおじさんだ。歩幅といい、姿勢といい、何と良い形をしているのだろう。


が、今は武の後ろ姿に見とれている場合ではない。


子供だ。


雛が刷り込みされたように慎一郎を『父』と呼ぶ子供の存在はやっかいだ。


彼は初めて若い頃の奔放な自分を恨めしく思った。


ひょっこり子供を名乗る者が現れた時、身に覚えのある男は正面切って否定できないこともある。


何とも情けないことになった――

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