ホッチキスの需要について
花音美紗、中学2年生。ごく普通の女の子。
――――の、はずなのに。
「ホッチキス貸して~」
「あ、私もー」
「俺もいいー?」
……どういう状況なんだろう、これは。
とりあえず落ちつくんだ私。こういう時は深呼吸をすればいい。心を落ち着かせよう。そうだ。
とにかく深呼吸をしてみる。心なしか落ち着いたような気がする。よし、まとめてみよう。
今は、今年初めての数学の授業。冬休みの宿題を提出する時間だ。
数学の冬休みの宿題はプリントが3枚。ちなみに私はうっかり家に忘れてきた。
そして、そのプリントを先生はホッチキスで左上を止めて提出しろと言った。そして、ホッチキスで止めていなかったら減点だと言った。
2年生の3学期。こんなところで点数を下げるわけにはいかないのだろう。
点数の亡者たちはホッチキスを探し求めた。そして、私に辿り着いた――――ということなんだろう。
いやいや、待ってよ。ホッチキスくらい、他にも持っている人いるでしょ。なんで私なんだ。
おかしいおかしい。ほんと、なんで私なのさ?
最初に私に「美紗ちゃんホッチキスある?」と聞いてきたのは、右斜め前の席に座る女子だった。私があることを伝えホッチキスを取り出し彼女に貸す。
次に、左斜め前の女子もそれを聞きつけて私にホッチキスを借りようとする。さらに右斜め後ろの女子(クラスでの立ち位置は便利屋。ルーズリーフとかはさみとかいろいろ持ってて、男子によく貸してる)も流石にホッチキスはなかったらしく私に貸してほしいと頼んでくる。
そこから徐々に拡散していき、まあ、色んな人から声をかけられたのだと思う。
……そこまではまとまった。でも。
私、こんな大勢の人に一気に話しかけられるなんてことないんだけど!? めっちゃ怖いんだけど、皆さん!!
その女子3人だけならいいのに、そこから話がどんどん広まってゆき、二つ左の席に座る女子、後ろの男子、なんか遠くの方に座ってる男子もろもろ、二つ後ろの席の女子とその友だち。
数えていたら10人だった。おい。
しかも後ろの男子は一回失敗したせいで芯を無駄に使われた。まあ、10人に使われたんだから今さら1本2本くらいどうってことないんだけど。
いや、いいんだけど。
男子がいる。それが私にとって嫌な事だった。というか、恥ずかしい。
別にいい。貸すこと自体はいい。ただ関わらないでいただきたい。男子やだ怖い。
いや、私だって人並みに恋はする。今は好きな人いないけど、昔はいたし、告白したりされたりだってちょっとはしてる。そう、ちょっとは。
小学生の時は男子と話すのも普通に出来てたし(仲良かった友達のおかげだけど)私は普通の女の子だ。決して男性恐怖症とかそういう類のものではない。
でも。
何となく嫌だ。
関わりたくない。やめてほしい。こっち来ないで話しかけないで私を見ないで。
そんな感じ。
だから、あれなんです。
でも、ホッチキスは別に手渡しじゃなくて、貸した人から貸した人へと回って行くわけだから別にそういうのはいい。そういうのは。
でも、いちいち許可するのが面倒。もう、いいよ。勝手に使ってよ。
「俺もいい?」「私もいい?」
うんいいよ。うん、どうぞ。はい。
同じような台詞を10人に言ったんだ私は。久しぶりに自分を褒めてあげるよ。内心は冷や汗だったけど。
というのが、ほんの数日前の話。
あれから日が経って、今度は2回目くらいの国語の授業。
まさか、こんなところにまでホッチキスの需要性が潜んでいたとは思いもしなかった。
問題のプリントは、意味調べプリントだった。私はすでに提出済み。
まだできていなかった少数の人が(と言ってもクラスの3分の1くらいはいた)出す日だった。たしかにあれもホッチキスで止めないといけなかったけど、私はとっくに出したプリントだったから忘れていた。
「あ、ホッチキスで止めてなかった!」
ホッチキスという単語で過剰反応してしまった私は、慌てて誰も見ていないのに顔を隠した。やばいやばい、これはやばい。
叫んだのは、この間ホッチキスを貸したであろう男子。いや、もしかしたらあの時は貸していなかったかもしれない……けど、まあそれはどうでもいい。
結局国語の先生がホッチキスを持っていたから、私は大丈夫だった。と、思いたかった。
……芯が切れたらしい。
ホッチキスで止めていなかったのは、数人だったというのに。偶然すぎるな、おい。
「うわーじゃあお前点数下がるな~」
「残念やな!」
ホッチキスの芯が足りなくて止められなかった男子が、友だちにそんなことを言われている。そうだ、点数が下がったっていいだろ。そう。
だから私のことを誰も思い出すんじゃない!!
先生は「持ってるやつに貸してもらい~」とか言ってるけど、お願いだから余計なことを言わないで!
「誰かホッチキス持ってる人おらんかったっけ?」
そう言ったのは、ホッチキスで止めてなかったと叫んだ男子……の、友だち。さすがに私だとは覚えていなかったらしい。でもさ、あなたに私、ホッチキス貸したよね? 別に忘れててもいいけど。
するとそこらへんの男子は「ホッチキス持ってる人って聞いてみたら?」とか助言をしている。わ、私はわざわざ挙手しないからね!?
「ホッチキス持ってる人ー」
しーん。私以外誰も持っていないらしい。いや、持ってるけど手を上げないだけかもしれない。
まあ、それは別にいいんだけど。
「あれ? でも誰かホッチキス持ってへんかったっけ?」
「持ってたとしてもお前には貸したくないんちゃう」
違います。断じてそんな差別的なことは感じてません。
どちらかというと男子には貸したくないという気持ちは少しあるけど。
もう、お願いだから誰かさっさとホッチキスを貸してあげてよ。私もうやだよ。
前は女子からの連動プレイで私が直接手渡しするはめにはならなかったけど、今回は男子一人だよ。どうやったって避けられそうにはないよ。
もういいじゃん減点になったって。
でも、彼はあきらめない。今度は「一人一人に聞いてみたら?」という助言に頼って周りの人に片っ端から「ホッチキス持ってない?」と聞いている。やめてこっちにこないで。
そしたら、さ。
「花音、ホッチキス貸して」
数日前のやりとりを覚えていたらしい。
この間は貸さなかったさっき騒いでた男子ではなく他の男子(どちらかというと話せるタイプ)が話しかけてきた。私は承諾する。
よし、この人に貸せばさっき騒いでた方の男子に貸してと言われてもわざわざ私が渡さなくて済む。どちらかというとこっちの男子の方が話しやすいし。つーか学級委員だしこの人。(関係ない情報)
「あ、いいよ」
芯切れてないかな、とか思いつつ渡す。
……来た。来たよさっきまで騒いでた男子が。
「俺も貸してもらっていい?」
「どぞ」
さくっとね。そう、さくっと。
会話は長く続けるもんじゃないんだよ。特にこういうのはね。
結局先に貸した男子に騒いでた男子はホッチキスを渡され、私が接触することはなかったのである。
やったね。平和に終わったよ。
……それにしても、ここ数日のホッチキスの需要どうなの? 多すぎない?
おかげで私のホッチキスの芯がめちゃくちゃ減ったじゃん。どうしてくれるんだよ。
これからの私のクラスでの立ち位置「ホッチキス持ってるやつ」になるんじゃないかな。いや、もうただの「ホッチキス」なんじゃない?
何その立ち位置。自分で考えたのになんかめちゃくちゃさみしい。泣きそう。
そんなわけで、ここ2年F組は、今日も平和です。
エッセイ並みのノンフィクションさです。