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第八話

 十九時になる頃には、残りの本は二百冊程になっていた。あんなにたくさんあった本がだ。残りの本を仕分けたら、後は古紙回収を頼んで、本を宅配便で図書館に送るだけだ。

「長谷川さん、ありがとうございました。手伝ってもらってすごく助かりました」

 僕は長谷川さんに礼を言った。

「こちらこそ狩猟を手伝ってくれて、ありがとうございました」

 長谷川さんも感謝の言葉を述べる。

「ところで本に図書館に寄付して欲しいと言っていましたけど、どこの図書館に寄付すればいいんですか?」

「えーと、それは桜塚さんにお任せします」

 長谷川さんはあまりよくその事について、考えていなかったらしい。仕方ないのでスマホで調べる。すると画面を長谷川さんが覗き込んできた。

 本を寄付できる図書館について検索すると、意外な事実が判明した。本の寄付を受けつけている図書館はほとんどなく、あったとしても寄付できるのは人気がある本に限られていた。

「長谷川さん。図書館に本を寄付するのは難しいみたいですよ」

 長谷川さんは思案顔であごに手を当てた。少し間があった後、口を開く。

「本を寄付できる団体のような物はありませんか?」

「調べてみます」

 スマホを素早く操作して、サイトを開きスクロールする。見ていくうちにこれらの団体では、どんな種類の本でも寄付を受けつけているという事が分かった。

「失敗しましたね……。事前に調べておけば本を仕分ける必要なんてなかったんですね」

 見ると長谷川さんは歯噛みして悔しそうにしている。

「大丈夫ですよ。僕達が裁断した本のほとんどは、二束三文にしかなりませんから。あまり変わりはありません」

 僕は長谷川さんに慰めの言葉をかけた。長谷川さんは概ね納得したようだった。

「まぁ、そうですね。それでどうやって本を寄付すればいいんですか?」

 僕はスマホに視線を戻し、タップしてリンクを開く。そして表示された文字を目で追う。

「ネットで申し込めば、宅配業者の人が引き取りに来てくれるみたいです。後ダンボールの中に申し込み用紙を入れる必要があります」

「申し込み用紙はどうやって手に入れるんですか?」

「パソコンでデータをダウンロードして、プリントアウトすればいいようです。この辺りにネットカフェはありますか?」

 本を図書館に寄付できないという事も知らないのだから、当然パソコンなど持っていないだろうと思って訊いた。

「ネットカフェですか……。確か駅の近くに一つあったはずです。一回使った事があります」

「決まりですね。明日、朝食後にネットカフェに行って、申し込み用紙をプリントアウトしてきます。申し込みは今スマホで済ませます」

「その案でいきましょう」

 長谷川さんは首を縦に振って肯定の意を示した。


 僕達は庭へ向かった。そこにはテーブルと椅子、鉄板が敷かれたコンロがあった。コンロの下では木炭が燃えている。火を見ていた川見さんは、こちらに気がつくと僕達を呼んだ。

「ご主人様、桜塚さん。用意が整いましたよ。バーベキューを始めましょう。」

 川見さんの声で僕達は鉄板の前に集まった。川見さんが菜箸で肉を手際良く並べていく。僕は取り皿と箸を手にして、肉が焼けていくのをじっと眺めていた。途中で僕は、これは何という肉なのかと尋ねた。

「これはばら肉と言って、いわゆるカルビという物です。あばら、つまり肋骨の周りについているからばら肉と言うんですよ」

 と川見さんが丁寧に教えてくれた。僕はそれを相槌を打ちながら聞いた。

 やがて肉が焼き終わり、僕達はそれぞれ自分の取り皿へと肉を取った。椅子に座ると、テーブルの上に瓶に入ったタレ(この洋館では焼き肉のタレも自作しているらしい)が見えたのでそれに手を伸ばす。すると長谷川さんの手が僕の手を押さえた。怪訝に思う間もなく長谷川さんが助言する。

「まずはタレなしで食べてみてください。タレなしでも充分な程、おいしいですから」

「なるほど。そうしてみます」

 僕は長谷川さんを信じて、タレなしで肉を口に運んだ。味は牛肉に似ていて、あっさりとしていた。

「これ、すごくおいしいです。野生動物の肉ってもっとクセが強いのかと思っていました。でもこの肉はとても食べやすいです」

「そうでしょう。私も初めて食べた時はびっくりしました」

 川見さんはしきりに頷きながら同調した。

「クセが強くないのは、桜塚さんが血抜きを頑張ったからですよ。血抜きが不充分だとクセが強くなってしまうんです」

 と長谷川さんが口をもぐもぐと動かしながらつけ足した。

 そうか。あの行動にはそんな意味があったのか。ちょっとの違いでそんな味の変化が起きるなんて不思議だなと思った。

 次に僕はタレをつけて食べる事にした。瓶からタレを一すくい取り、肉に振りかける。そして食べる。甘辛い味つけのタレで肉と相性が良く、さらにおいしくなった。

「このタレすごくおいしいですね。何が入っているんですか?」

「それはメイドの秘密です。同じメイドにしか教えられません。メイドになってから出直してきてください」

 と川見さんはおどけてみせた。僕と長谷川さんはそれがあまりにおかしくてつい笑ってしまった。

 その後も川見さんは肉と野菜を焼き続け、僕は新しい肉が並べられる度、これは何という肉ですかと尋ね続けた。川見さんは毎回解説を交えて、これは何々という肉ですよと親切に教えてくれた。僕はその解説を聞きながらひたすら食べ続けた。


 大体すべての種類の肉を食べ終わり、お腹も膨れてきて、バーベキューが中盤の終わりに差しかかってきた頃の事だった。

 僕はレバーを味わっていた。最初はタレをかけて食べていたが、試行錯誤するうち、塩を適量かけて食べるのが一番おいしいという結論に至った。そんな実験をしてしまう程、僕はレバーを堪能していた。

 取り皿の上の肉と野菜がなくなり、僕はテーブルの上にあるお皿へと視線を移した。そこには焼き終わった肉と野菜が並んでいる。僕はそれへと箸を伸ばしかけた。するとそのタイミングを見計らっていたかのように、長谷川さんが話しかけてきた。

「桜塚さん。もっとおいしいシカ肉の食べ方があるんですよ。試してみませんか?」

「おいしいって、今よりもですか?」

 僕は反問する。

「ええ、もちろんです」

 そんな食べ方があるのだろうか。今よりもおいしいなんて、とてもじゃないが信じられない。

「教えてください。ぜひ食べてみたいです」

 僕は期待の目を長谷川さんに向ける。長谷川さんは僕の注目を浴びて、満足気だ。そしてもったいぶって少し沈黙を作ってから口を開く。

「シカ肉を刺身で食べるんです。特にシカのロースを刺身で食べると、格別においしいんです」

 野生動物の肉を、生で?

「そんな事してもいいんですか? ほら、寄生虫がいるかも知れませんし……」

 言いながらふと川見さんを見ると、ちょっと険しい顔をしていた。どうしたのだろう。それを知ってか知らずか長谷川さんは答える。

「大丈夫です。シカは草食動物なので、寄生虫の心配が要らないんですよ」

「ちょっと待ってください。大丈夫じゃありません」

 川見さんが長谷川さんの言葉に冷や水を浴びせる。そして矢継ぎ早に話し続ける。

「むしろ危険です。シカ肉を生で食べるとE型肝炎になる恐れがあるんです」

 驚きの新事実だ。確認を求めて視線を長谷川さんへと移動させる。

「もちろん、その事も説明するつもりでしたよ。それにそんな可能性はごくわずかです」

 長谷川さんは反論する。でもどこか白々しく聞こえる。特に前半が。

「わずかってどの位の確率なんですか?」

 もしシカの刺身を食べるのであれば、これは命にも関わってくる事だ。

「調査によるとE型肝炎の抗体を持っているシカ、つまり一度以上E型肝炎にかかった事のあるシカは二・六%だと言われています。なのでちょうど今E型肝炎にかかっている最中のシカを捕まえてしまう可能性は、この数字よりずっと低いです」

 長谷川さんは立て板に水を流すように解説する。

「でもゼロじゃありませんよね。桜塚さん、シカを生で食べるべきではありません。危険ですから」

「E型肝炎の死亡率は一~二%です。恐れる必要はありません」

 二人の主張は真っ向から対立していた。僕は先程から息が詰まる思いで、二人の言動を見守っていた。

「こんな議論で熱くなってもしょうがないですね。桜塚さんが危険を承知で食べるなら、私は止めません」

「そうですね。決めるのは桜塚さんです」

 二人の視線が僕に注がれる。その四つの目が、「どっちにする?」と問いかけていた。

 僕は逡巡した。まだ食べた事のないシカ肉の刺身を食べてみたいという気持ちはある。だが川見さんの視線が、食べるべきではないと警告していた。E型肝炎という病気に対する恐怖もある。しかしそもそもE型肝炎にかかる可能性自体が限りなく低い。

 僕は真剣に悩み、結論を出した。

「食べます。食べさせてください」

 僕の返答に二人は違った驚きの顔を見せた。一方は喜びの色、もう一方は落胆の色が宿っていた。

「そうですか。そうですか。では一緒に食べましょうか」

 長谷川さんはテーブルの上のお皿に箸を伸ばすと、シカのロースを一切れ取り、口にする。何回か口が動いた後、表情が満ち足りた笑みに変わる。

「すごくおいしいですよ。桜塚さんもどうぞ」

 僕も長谷川さんに倣い、シカのロースを取り、食べる。焼いた肉とはまた一風違った味わいでとてもおいしかった。

「これ、とてもおいしいです。舌の上でとろけるような上品な味です。今日食べた肉の中では一番好きかも知れないです」

「そうでしょう。私もシカ肉の中でロースの刺身が一番好きです。だから危険を承知で食べてしまうんです」

 その気持ちは分かる。この刺身には危険と知っても食べたくなる魅力が、魔力がある。

 刺身を食べながら盛り上がる僕達を横目に、川見さんはため息混じりに呟いた。

「どうなっても知りませんからね……」

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