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第六話

 狩猟に出発する時、僕はコートを着て水筒だけが入ったリュックを背負っているという出で立ちだった。

 長谷川さんはそれに加えて銃と折りたたみナイフを持ち、獲物を運ぶのに使うと思われる台車を運んでいた。

 出発前、僕の荷物が少な過ぎると感じたので、長谷川さんに、もう少し荷物を運ばせてくださいと頼んだ。しかし長谷川さんは、桜塚さんは体力を残しておいてくださいと意味深に言うだけで、僕に荷物を運ばせようとしなかった。

 出発してすぐに僕は長谷川さんに断って、洋館の西側の壁を見に行った。洋館を出て、右手に回り込んでみると、確かにそこには自転車があった。フレームが赤く、比較的新しいママチャリだった。この自転車のかごに毎週新聞を入れているのだろう。道は平坦で、車も通れる位に整えられているので、ママチャリでも平気なはずだ。

 見るべき物はすべて見たので長谷川さんと合流しに行く。洋館の周りを見たがもういない。森に入ってしまったらしい。昨日通ったのと同じ道を急いで走る。すぐに長谷川さんの背中を見つけた。それ程遠くには行っていなかったようだ。

 足音で僕に気がついたようで長谷川さんは上半身だけで振り返る。僕は長谷川さんが立ち止まって、僕を待ってくれるのではないかと期待した。だが無情にも長谷川さんは体を戻すと歩き始めた。すぐに僕は長谷川さんの背中に追いついた。そして長谷川さんの後ろを歩きながら息を整えた。

 しばらく黙って歩いていたが、退屈になったので何か話題がないかと探す。

「それは何という銃なんですか?」

 僕は長谷川さんが銃口を上に向けて肩にかけている猟銃を話題に出した。

「これは……レミントンという狩猟用のライフルです」

 長谷川さんは口を開いた。その語り口はためらいがちで弱々しく、今にも消えそうな炎を思わせた。僕はその火が消えないように慎重に木材を置いた。

「その銃はどうやって入手したんですか?」

「実はライフルというのは、狩猟で銃を十年間使い続けないと、入手できないんです」

 これには驚いた。銃と十の駄洒落を無視してしまう程に。疑問が口をついて出た。

「十年以上も狩猟をしているんですか!?」

「ええ、五十八歳の時に始めましたから、今年で狩猟歴十四年になります」

 そうか、だから銃は二つあったのか。十年経過してから買ったライフルと十年間使ったもう一つの銃だ。

「もう一つの銃は何という銃なんですか?」

「散弾銃です。狩猟を始めたての頃はそれでよくカモなどの鳥を撃っていたんです。最近は大型の動物を捕る事が多いですけど」

 なんだかインタビューをしているみたいな雰囲気になってしまった。長谷川さんを質問攻めしているようで罪悪感が湧いたが、まだ疑問が一つ残っていた。

「そもそも狩猟と言ったら広大な自然を渡り歩いて、動く獲物を狙い撃つっていうイメージなんですけど、どうして罠猟をしているんですか?」

 これは長谷川さんの過去に迫るきわどい質問だった。空気がピンと張り詰める。それがしばらく続き、やはりこの質問には答えてくれないか……と思いかけた時、長谷川さんが語り出した。

「昔……友人と猟をしていた時に、友人が動かした茂みを見て、獲物だと勘違いし発砲してしまったんです。幸いにも友人の怪我は大事には至りませんでしたが、それ以来普通の猟が怖くなって、罠猟、しかも基本的に一人で猟をするようになったんです」

 だから今日は特別です──と長谷川さんはいたずらをする前の子供のような笑みを見せた。

 僕は一連のやり取りを通じて垣間見えた、長谷川さんの狩猟遍歴。その情報量に圧倒されて、ぼーっとしてしまった。

 話をしているうちに一つ目の罠に辿り着いていた。罠の周囲に動物がいる気配はなかった。どうやらこの罠は不発だったようだ。

 僕達は罠を片づけ始める。長谷川さんが地面から罠を掘り出している間に、僕は木に何重にもくくりつけられたワイヤーを外す。長谷川さんは罠の土を払い、ワイヤーを罠に巻きつけると、大切そうに自分のリュックへとしまった。そして地面の穴を足で軽くならしてから、次の罠へと向かった。


 変化があったのは五つ目の罠を探している時だった。まず長谷川さんが発見した。

「桜塚さん、シカがいますよ」

「本当ですか?」

 長谷川さんが指差した方向を見ると、確かにそこに一匹のシカがいた。お腹側半分の色が灰色でそこらの木と同じ色で、保護色になっており、言われてみるまで気づかなかった。足を器用にたたんで座り込んでいる。

「罠にかかったんでしょうか?」

「さぁ、分かりません。休憩しているだけかもしれませんよ」

 僕達が近づいていくと、シカはこちらに気づき、さっと駆け出した。そしてまるでなにかにつまずいたかのように急に崩れ落ち、必死にもがき始めた。よく見ると右前足にワイヤーがかかっている。

「桜塚さん、これを射撃が終わるまでつけておいてください」

 長谷川さんはポケットから出した黄色い耳栓のうち二つを僕に渡すと、残りの二つを自分でつける。これは銃声から耳を防護するための物だろう。

「それと、決して私より前に立たないでください」

 そう警告して長谷川さんは台車を脇にやると、銃の安全装置のレバーを回し、銃を構えた。冗談など言ったら叱責されてしまいそうな

程、真剣な表情をしている。僕は三歩下がると、耳栓をつけた。そしてそのまま長谷川さんの左斜め後ろで待機する。

 長谷川さんは慎重に狙いをつけ、引き金を引いた。爆発音が森にこだまする。シカの体が吹っ飛び、地面に叩きつけられた。その後、足が何回か地面を掻く。その動きが段々弱々しくなっていき、やがて絶命した。

 長谷川さんは耳栓を外しながら、こちらを向いて何かを言った。だが耳栓をしていたのでよく聞き取れなかった。僕は耳栓を外し、お願いする。

「もう一度言って貰えませんか」

「血抜きをしてきてください。喉を切り裂いて、台車を使って喉が下になるように体を傾ければいいです。心臓が動いているうちにやらないといけませんから急いで」

 僕は長谷川さんからナイフと台車を受け取ると、走ってシカの死体へと向かった。僕はシカの所まで来るとまずよく観察した。

シカの死体の首から下の部分は、ワイヤーで縛られた右前足が内出血している事を除けば、生きていた時と何も変わりがなかった。だが頭は銃弾が貫通していて、見るに耐えない状態だった。

 僕は折りたたみナイフの刃を引き出して、シカの喉を切り裂く。すると傷口から血が吹き出した。それからどう台車を使ってシカを傾けるか思案した。

 普通に考えれば、頭を地面に置いたまま体を台車に載せればいいのではないかと考えたが、高さが足りない気がした。

 そこで台車を逆さまにする。すると台、持ち手、地面の三角形ができた。その三十五度位に傾いた台の車輪が着いた側にシカの体を頭が下になるように載せ、手で固定した。するとシカの血が勢い良く流れ落ちた。

 その血の流れを見ていると、僕達は命を奪ったんだという実感がふつふつと湧いてきた。僕達さえいなければ、このシカは今もこの森の中を駆けていられたのだろう。そう考えるとシカに対する罪悪感のような感情が出てきた。

 やがて長谷川さんが近づいてきた。長谷川さんは僕のしている事を見て、驚いた様子だった。

「台車にそんな使い方があるなんて思いませんでした。でも体を台に載せれば、傾きは十分なんですよ」

「そうなんですか!?」

 腕が疲れてきていたので僕は台車の使い方を変えた。シカの体を頭が下になるよう横たえる。

 作業を終えて長谷川さんを見ると、シカの死体に向かって合掌をしていた。僕も真似をして合掌する。目をつぶり、シカに謝罪する。目を開けると、長谷川さんは合掌を終えていた。僕は長谷川さんに話しかける。

「いつも同じ事をしているんですか?」

「ええ、大自然の恵みに感謝していたんです。桜塚さんは何を考えていたんですか?」

 僕は言い淀んだ。長谷川さんの高尚な理由に比べたら、僕の理由など取るに足りないと感じたからだ。そんな葛藤があったが、結局は正直に言った。

「シカに謝っていたんです。ごめんなさいって」

「謝罪ですか。そういう気持ちも大事です」

 僕は自分が肯定されたので一気に嬉しくなった。

「長谷川さんにも獲物に対して申し訳ないと思っていた時期があったんですか?」

「ええ、今もそう思います。申し訳ないからこそ、その分おいしく調理して、おいしく食べてあげたいと思ってるんです」

 なるほど。長谷川さんは大人だ。僕とは考えている事の次元が違う。

 そろそろ血抜きも終わりだろうと思ってシカを見ると、もう血が出なくなっていた。僕はシカの体の全体が台の中に収まるようにシカを動かした。

「それでこのシカをどうしたらいいんですか?」

「洋館まで運べば、川見さんが解体してくれます」

「シカの解体も川見さんに任せてるんですか!?」

 僕は仰天した。新聞の事といい、長谷川さんはメイド使いが荒い人だ。川見さんの陰の苦労に同情する。

「いえいえ、普段は自分でします。今日は仕事が入っているのでいつもとは勝手が違うんです。本当なら私がするべきでしょうし、可能であればそうしたいです」

 そう申し訳なさそうに口にする長谷川さんを見て、僕は自分の勘違いを恥じた。会話を元の話題に戻す。

「それでこのシカを洋館まで運ぶって話でしたよね。僕はちょっと不安です」

 さっき血抜きをした時に持った感じだと、シカの体重は五十キロはあるだろう。それを運びながら残りの五つの罠を回り、洋館に帰るというのは重労働だった。

「大丈夫ですよ。これはメスですからそんなに重くないですし、疲れたらお互いに交替します。心配しないでください」

 どうしてシカがメスだと分かったんですか──と言いかけて、シカに角が生えていない事に気がついた。確かシカの性別は角の有無で見分けられたはずだという事を今さら思い出す。

「分かりました。それならなんとか頑張ってみます」

 僕はそう返事をした。

「そうですか。助かります」

 その後、シカの右前足を縛っていたワイヤーを緩め、罠を回収し、地面に置いておいた折りたたみナイフの刃を閉じて長谷川さんに渡した。

 すべての準備が整うと、僕達は出発した。ジャンケンをして負けた僕が最初にシカを運ぶ事になった。台車の持ち手に手をかけながら僕はふと思う。二匹目の獲物を見つけたら、長谷川さんはどうするつもりなのだろう。

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