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第四話

 洋館を出てすぐに、僕はある違和感に気がついた。違和感に気がついてから、言葉にするまでに少し時間がかかった。

「そういえば、銃は持って行かないんですか?」

「銃ですか。今日は使わないからいいんです」

「どういう事ですか?」

「それはこれから順を追って説明します」

 長谷川さんは咳払いを一つして続ける。

「私達がこれからするのは罠猟です」

「罠猟?」

「私達が今、背負っているリュックに入っているのがその罠です」

 僕は、長谷川さんが網がかかった筒のような物をリュックに入れていた事を思い返す。あれが罠なのだろう。

 長谷川さんはリュックを肩から外し手に持つと、罠を一つ取り出した。

「網がかかっている方を上にして地面に埋めます。獲物の足が網を踏み抜くと、足をワイヤーで縛るという仕組みなんです。逃げられなくなった獲物に銃でとどめを刺します。だから銃を使うのは明日なんです」

 そう説明すると長谷川さんは罠をリュックに戻し、リュックを背負い直した。

「なるほど」

 今日何をさせられるのかという事はおおよそ察しがついた。今持っているこのスコップで穴を掘れと言うのだろう。インドア派の僕には辛い作業だ。

 僕は少し喉が渇いたので水筒を掴んで胸の前に持ってきて、一口飲む。洋館での朝、昼、夕の食事の時に飲んでいる麦茶の味がした。普段家で飲んでいるのが緑茶だったので慣れるのが大変だったが、今はすっかり慣れて、おいしく感じるようになっていた。

 立ち止まってお茶を飲んでいたため、長谷川さんに少し遅れを取っていた。僕は水筒を元の位置に戻すと、小走りで長谷川さんに追いついた。そしてしばらく並んで歩く。二人の間に沈黙が流れる。

 何か話題がないかと少し考えた。すぐに一つ思いつく。

「どうして本の整理のアルバイトを頼もうと思ったんですか?」

 これは上手い質問だった。もしこの質問に納得のいく答えが返せなければ、本の整理というのは名目で、真の目的は狩猟をさせる事という結論になる。

 長谷川さんは少し逡巡した。目が泳いでいる。隠し事が露見しそうで動揺しているというよりどこまで話すべきか迷っているという表情だった。そして語り出す。

「あの洋館を売りに出そうと思っているんです」

「え? 僕達が今住んでいるあの洋館をですか?」

 あまりにも唐突な発言に僕は確認を求めた。

「ええ、そうです」

「それは……一体どうしてですか?」

 どこまで事情を聞いていいのか分からず、僕は薄氷を踏む思いで尋ねる。

「娘夫婦に呼ばれているんです。一緒に生活しようと。私もそろそろ介護が必要になってくる年代ですから心配になったんでしょう」

「なるほど。それで洋館を売りに出す事にしたんですか」

 僕は内心ひどく驚いていた。長谷川さんに娘がいたなんて。長谷川さんは孤独な老人だとずっと思っていて、それを疑ってみようなどという考えが頭に浮かばなかった。

 そんな事を言ったり、感じたりすれば不躾だと思われるに決まっているので僕はなんとかその動揺を隠し通す。

「ええ。家具などはそのまま残しておくつもりですが、次の家主が本嫌いだった場合本を残しておくのは宝の持ち腐れだと思い、本を寄贈しようと決めたんです」

 良かった。長谷川さんは僕の心の動きにまったく気がつかなかったようだ。長谷川さんの話し方にまったく変化がない事がそう雄弁に語っていた。

「確かに。本を読まない人にはもったいない蔵書数ですからね」

 そして僕はふと思った。ここから引っ越すという事はもう狩猟はしないのだろうか。

「狩猟をするのはこれで最後なんですか?」

「いえ、狩猟自体は続けるつもりです。ただ洋館を出発してする狩猟はこれが最後になるでしょうね」

 長谷川さんはしんみりとした様子で話した。僕もつられて寂しい気持ちになる。

 そうか。長谷川さんは最後の狩猟の記念にと僕を連れ出したのだろう。僕が長谷川さんを疑う気持ちはいつの間にか雪のように解けてなくなってしまっていた。

 とそこで長谷川さんは右に曲がった。今までは踏み固められて道のようになっている所を通っていたが、長谷川さんは道のない林の中に入っていく。

 僕は林に入る所で少しためらった。すると長谷川さんは僕がついてきていない事に気がつき、視線で僕を促す。僕は長谷川さんの方向感覚を信じ、一歩踏み出した。

 その後はしばらく緩やかな登りが続いた。どうやらこの辺りは丘になっているようだ。

 またしばらく歩いていると、長谷川さんは急にしゃがみ込み、足元を調べ始めた。足跡か何かがあるのかと思い、長谷川さんの視線の先に目をやるが、素人の目には何も映らない。長谷川さんはそのまま這って木の根元へ行くと、

「ここにしましょう」

 とやや得意気に宣言した。自分が狩猟上級者であるという自負があったのだろう。

「ここに穴を掘ればいいんですか?」

「ええ、そうです」

 僕は地面にシャベルを突き立てると、勢い良く足で踏んで体重をかける。そして、てこの要領で土を掻き出す。そんな作業を何回か繰り返すと、例の筒が埋まる位の穴ができた。

「もう十分です」

 長谷川さんは罠に巻かれたワイヤーを外し、罠を穴にはめた。そして網の穴が塞がるように、雑誌をちぎって載せた。僕も一ページもらい手伝う。

 それが終わると今度は上から土をかぶせた。さらにその上に葉っぱなどを散らす。これでカモフラージュは完璧だ。

 最後に長谷川さんが罠から伸びたワイヤー、つまり獲物の足を縛る側の反対の端を木にくくりつける。獲物に逃げられないようにするためか長谷川さんはワイヤーを何重にも縛っていた。

 これを移動しながら罠がなくなるまで、つまり後九回繰り返した。


 作業が終わる頃にはすっかりへとへとになっていた。日頃の運動不足がたたったようだ。疲れのあまりシャベルを手で支えられなくなり、引きずって歩く。これで午後の仕事ができるかと不安になる。

 ようやく洋館の黒い屋根が見えてきた。洋館に着いた時、腕時計を見ると十二時ちょうどだった。食事の時間だったので、お腹を空かせた僕達はまず食堂へ向かった。

 食堂では川見さんがテーブルにスパゲッティが入ったお皿を並べている所だった。川見さんは僕達を見るなり頭を下げた。

「お帰りなさいませ。ご主人様、桜塚さん。水筒をお預かりします」

 長谷川さんは川見さんに水筒を渡した。僕もそれに倣う。水筒の中身はすべて飲んで空にしてあった。たとえ飲み物であっても、捨ててしまうというのは気が咎めたからだ。

 川見さんは二つの水筒を持って台所に向かった。台所は食堂の隣にある。僕は開いていた扉からちらっと覗いた事があるだけだが、流し場やコンロ、冷蔵庫などがあり、川見さんの仕事場となっているようだった。

「川見さんが水筒を洗っている間に狩猟に使った道具を片づけましょう」

 と長谷川さんが提案した。

「はい。そうしましょう」

 僕は大きく頷き、了承した。

 物置に持っていた道具を置いて戻ってくると、すでに川見さんは座って待っていた。僕達も席に着く。

 そして全員で声を発した。

「いただきます」

 昼食はカルボナーラスパゲッティだった。ここでの昼食はスパゲッティである事が多い。作るのが楽だからだろうか。

「どうでしたか、狩猟は」

 と川見さんが尋ねてくる。狩猟と言えば聞こえはいいが、要はただ穴を掘っていただけだ。それをそのまま答えた。

「ただ穴を掘っていただけですからあんまり狩猟しているという実感が湧きませんでした」

「疲れましたか?」

 川見さんはなおも質問してくる。

「はい、すごく」

 川見さんは疲れ切った僕を労るように微笑んだ。

「駄目ですよ。若い男の子がこれ位で疲れちゃ。ご主人様は同じ事をいつも一人でしているんですから」

 僕は仰天する。普段は川見さんが手伝っているのだろうと何の根拠もなく推測していたからだ。

 僕は思わず聞き返す。

「本当ですか?」

「ええ、そうです」

 長谷川さんはさらりと答えた。

 僕は答えの内容にも驚いたが、それ以上に食事中なのにもかかわらず長谷川さんが喋った事に驚いた。普段の長谷川さんなら川見さんに返答させるか黙って頷くだけだろう。

 川見さんも口を半分開けてぽかんとしている。

「どうしたんですか二人共。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「ご主人様が食事中に喋るのを初めて聞いた物ですから……その……びっくりして」

 川見さんが途切れ途切れに返事をする。

「急に会話に混ざりたくなったんです。驚かせてしまってすみません」

 長谷川さんはしょんぼりと申し訳なさそうな顔をした。

「長谷川さんが謝る事ないですよ。僕達が勝手に驚いただけなんですから」

 僕はそこまで言って、スパゲッティを食べる事を忘れていた事に気がついた。スパゲッティをフォークで巻いて頬張り、噛んでよく味わう。

「そうです。そうです。むしろ謝るべきなのは私達の方です。すみません」

 川見さんが必死に続ける。その様子を見て長谷川さんは微笑んだ。

「では一緒に食事をしてもよろしいですか?」

「もちろんです」

 スパゲッティを飲み込み終えた僕も川見さんに続けて答えた。

「構いません」

 その後はたわいもない話をした。料理の味や明日の予定などについてだ。楽しい時間が流れた。


 食べ終わってから全員で、ごちそうさまと言い終わった後、川見さんは食器を片づけ始めた。僕が椅子から立ち上がりかけると、そのタイミングを狙っていたかのように長谷川さんが話しかけてきた。

「一緒に書庫に向かいましょうか」

「ええ、そうしましょう」

 午後からは長谷川さんと共に仕事をする手はずになっていた。僕達は並んで歩き、階段を降りて、書庫の一階に向かった。

 二階の本はすべて処分したので二階に行く必要はなかった。処分のための道具も一階に移してある。

 書庫の一階に着くと長谷川さんは尋ねてきた。

「それで、私は何を手伝えばいいのでしょうか?」

 僕は目をつぶり束の間考える。長谷川さんに何を任せたらよいだろうか。本の価値についての知識が必要ない作業が適任だ。

「長谷川さんには本の裁断をお願いします」

「本の裁断ですか?」

「はい。僕がいらない本を渡すのでそれを裁断して、ある程度の厚さになったら、ビニールひもで縛ってください」

「なるほど。分かりました」

 その後、僕達は黙々と作業を進めた。時々珍しい本を見つけては興奮して、ついその本について長谷川さんと語らいたくなったが、自重した。僕も長谷川さんも喋らなかったのは、狩猟のせいで仕事が切羽詰まっているとよく分かっていたからだ。

 長谷川さんの働きぶりは優秀だった。流れるような動きで仕事をこなした。そのため長谷川さんが僕から渡された本をすべて裁断し終えてしまい、僕が本を選別しているのを、何もしないでただ待っているという場面が何度かあった。

 一時間経過した時に処分した冊数を数えてみると、一人でやっていた時の一・八倍程のペースで進んでいる事が分かった。頭の中で軽く計算してみる。これならなんとか間に合いそうだ。僕は少しほっとすると共に長谷川さんの仕事の早さに感服した。

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