第二話
最初に本の数が少ない二階から調べた。二階には日本文学や新書などが本棚に左詰めにして並べられていた。ここにある本は読書用のテーブルに近い事もあり、長谷川さんがよく読んでいる物が置かれているようだった。これらはほとんど捨てていい物だろうと僕は判断した。
次に僕は一階を調べた。一階には日本の小説から外国語の小説、はては専門書やノンフィクションなど多種多様な本が並んでいた。ここにある本の価値を見極めるのはとても難しそうだ。
最後に本を裁断するための裁断機や本を詰めるダンボール、古紙を縛るビニールひもを探した。すべて書庫の二階の隅に用意されていた。
本を処分する準備が整い、僕はまず仕分けるのが比較的簡単な二階から手をつける事にした。僕は本棚から本を抜き取ってはダンボールに詰めるか裁断機で裁断するという作業に没頭した。時々、どうすればいいのか分からない本が出てきたら、スマホで調べて、絶版かどうかと価格が高いかどうかの二つの基準で仕分けた。
そうしているうちに三時間ほど経ち、昼食の時間になった。本館の食堂に向かうと、メイドが八人がけのテーブルにスパゲッティが入ったお皿を三つ並べていた。僕が席の一つに座ると、僕が入ってきた方向とは反対側にあるドアから長谷川さんが入ってきた。ドアが開いた時に、葉っぱの緑や空の青が見えたので、恐らくドアは庭に通じているのだろう。
「ご主人様、散歩に行ってらしたんですか?」
「ええ、今日は天気がいいですからね」
と長谷川さんは返事をすると、僕の方を向いた。
「仕事はどうです。順調ですか?」
「はい、順調です。二階にある本はほとんど裁断しようと思っていますが構いませんか?」
「桜塚さんがそう考えるのであればそれを尊重します」
妙な言い回しだなと僕は思った。僕は、それを信頼しているというメッセージだと捉えた。
やがてメイドと長谷川さんが席に着き、三人で、
「いただきます」
と言って食べ始めた。
スパゲッティには、ツナとトマトが入っていた。トマトの酸味が効いていてとてもおいしかった。ツナとトマトはどちらも缶詰を使ったのだろう。
この屋敷には食事中話してはいけないというルールでもあるのか、誰も一言も発しなかった。僕はメイドの料理を褒めたかったが、話ができる雰囲気ではなかった。
そして食事が終わり、長谷川さんが食堂を出ると、メイドが話しかけてきた。
「桜塚さんは嫌いな食べ物はありますか?」
「嫌いな食べ物ですか。特にないですけど」
「そうですか。今日はクリスマスイブだからケーキやフライドチキンなどを作ろうと思っているんです」
「本当ですか。僕ケーキ好きです」
返事をしながら、僕は今日の昼食が簡単な物だったのは、夕食の下ごしらえをするためだったのだろうと察した。
「なら良かった。それではまた夕食の時に」
振り向きかけたメイドを僕は呼び止めた。
「あの、アイロンってありますか?」
メイドはこちらを向いて、きょとんとした目で見つめてきた。
「ありますけど。何に使うんですか?」
「寄贈したい本の中に折り目が目立つ本があって、それを直すのに使いたいんです。本は綺麗な状態で読んで欲しいですから」
メイドは得心がいった様子だった。
「なるほど。そういう事なら今から持っていくので、書庫で待っていてください。二階へ持っていけばいいですか?」
「はい、今作業をしているのが二階なので二階に持ってきてください」
「分かりました」
書庫へ帰り、本を仕分けているとドアを四回ノックする音がした。作業を始めて三分程経過した頃の事だった。ノックの音の後、アイロンとアイロン台を持ったメイドがドアを開けて入ってきた。
「持ってきましたよ」
メイドはこちらに歩いてくると、二つの道具を僕の傍らに置いた。
「ありがとうございます。メイドさん」
メイドは僕の言葉に違和感を覚えたらしくしばらく考え込んでいたが、何かにはっと気づいた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたよね。私は川見蓮といいます。蓮ははすという漢字を使っています。この家でメイドとして働いています」
「川見蓮さんですか」
僕は男の子みたいな名前だなと思ったが、あえて口には出さなかった。だが顔には出ていたようで、
「今、男の子みたいな名前だなって思ったでしょう」
と言われてしまった。
「はい、よく分かりましたね」
メイドはふふふと笑った。
「よく言われますから」
僕は考えを言い当てられた恥ずかしさのついでに一つ質問をする事にした。
「その名前にはどんな由来があるんですか?」
「ほら蓮って泥の中で花を咲かせるでしょう。そんな風に苦しみや困難を乗り越えて育っていって欲しいという願いを込めたんだそうです」
「へぇ、なるほど」
僕は花については疎いので、蓮が泥の中で育つ事すら初耳だった。先程もシクラメンを見て、これは何の花だろうと考えていた事を思い出す。
「これから何と呼べばいいでしょうか?」
と僕は尋ねた。
「そうですね……。川見さんでお願いします」
「分かりました。川見さん」
「それから今日は料理の準備で忙しいので無理ですけど、明日から午後にお菓子とお茶を用意できますよ。いかがですか?」
「いいですね。休憩する時間も必要ですから」
「それでは決まりですね。用事は済んだので失礼させていただきます」
川見さんが振り返ると黒いスカートと白いエプロンの裾がふわりと舞う。するとさっきはよく見ていなかったので気づかなかったが、エプロンのひもが背中でちょうちょ結びされているのが見えた。川見さんは手先が器用なのだろう。
川見さんはそのまま足早に部屋を去った。僕はその後ろ姿をじっと見つめていた。ドアが閉まる音ではっと我に帰り、また作業に戻った。
僕はダンボールから寄贈する予定の本を取り出し、折り目の目立つページを見つけると、アイロン台に手で固定した。そして電源を入れておいたアイロンを持ち上げ、焦がさないように慎重に、でもしっかりとアイロンをかけた。すると新品のようにとまではいかないが、そこそこ綺麗になった。
僕はその出来映えに満足し、ダンボールに入っている本すべてに同じ作業を繰り返した。それが終わると先程と同じように本を裁断するか、ダンボールに詰める作業を始めた。時々、古紙をビニールひもで縛った。
いつの間にか夕方になっていた。唯一ある窓から西日が差し込んでくる。それを見てここが西館である事を思い出す。この窓は恐らく西側についているのだろう。床に寝そべって日向ぼっこをしたいという誘惑に負けそうになるが、仕事中なのでそれはできないと考え直す。
そして夜になった。本館へ行き、階段を降りると、香ばしい匂いが漂ってきた。その匂いにつられるようにして食堂のドアを開けると川見さんと長谷川さんはすでに席に着いており、料理がテーブルの上に並べられていた。料理はフライドチキンとケーキの他にもスープやサラダがあるようだった。
「遅れてすみません。仕事に集中していたもので」
僕は二人に頭を下げた。
「いえいえ、そんなに待ってはいませんよ。さあ席にどうぞ」
と長谷川さんが促す。
僕が部屋を出たのが十九時ちょうどだったから、実際それ程遅刻した訳ではなかった。
僕は椅子を引き、腰かけるとテーブルに並べられた料理にざっと目を通した。
サラダはレタスやベーコンなどの上に粉チーズとクルトンがトッピングされていた。どうやらシーザーサラダのようだ。その横ではコーンポタージュがかぐわしい香りを漂わせていた。
テーブルの真ん中には二つの大皿が置いてあり、一つにはフライドチキンがもう一つにはケーキが載せられていた。フライドチキンは十個程あるだろうか。こんがりと狐色に焼けていてとてもおいしそうだった。ケーキの方はというと茶色いスポンジケーキに生クリームが包まれている。ロールケーキのようだ。
川見さんにケーキの話をされた時、白い円形のケーキを想像していたので少々がっかりしたが、それでも十分おいしそうだった。
そして三人で、
「いただきます」
と言って食べ始めた。
先程と同じように、食事中は誰も喋らなかった。僕はこの空気に気まずさを感じ始めていた。どうして二人ともおいしい料理を食べても一言も感想を言わないのだろう。いつも僕は家族や友達と話をしながら食事をしているのでこの光景は異様に映った。
フライドチキンは僕と川見さんが四本、長谷川さんが二本、自分のお皿に取った。長谷川さんは高齢のため少食なのか、二本をゆっくりと食べ、残りの時間は僕と川見さんが食べている所を観察して過ごしていた。
僕は長谷川さんに見られている事を変に意識して緊張してしまった。フライドチキンは綺麗に食べるのが難しいのでなおさらだ。
そもそも動物というのは、食事中は無防備な姿を晒してしまう物だ。だから食事中の人をじっくりと見るのはデリカシーのない行動だ。
そんな事を考えているうちに、川見さんが最後の一本を食べ終わった。
「ケーキを切り分けます」
川見さんはそう宣言すると、包丁でロールケーキを綺麗に三等分した。そして三つのお皿にロールケーキを分配した。ロールケーキは甘さを抑えた大人の味だった。僕達はそれをほぼ同時に完食し、
「ごちそうさま」
と言って別れた。
僕は居心地の悪い空間からやっと解放され、安堵した。そして今日はどこで寝ようかと思案し始めた。長谷川さんは使われていない部屋ならどこを使ってもいいと言っていた。僕は仕事場に戻る前に洋館を一周してみる事にした。
良い部屋はすぐに見つかった。そこは東館の二階だった。決め手は窓だった。今は暗くてよく見えないが、朝になれば庭が一望できるだろうと予想した。僕はその部屋に持ってきたリュックを置くと、書庫へと戻った。
それから三時間程仕事をした後、シャワーを浴びたり、歯磨きをしたりと細々とした事をして就寝した。