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『永遠少女と刹那少年』  作者: 雨夜 紅葉
『刹那少年』
6/10

《何かが終わった金曜日》

《ゆうやけこやけのあかとんぼ》


ふっ、と。


《おわれてみたのはいつのひか》


締め切った窓の向こうからそんな歌が流れて来て、僕は思わず顔を上げた。途端に、長時間曲げっぱなしだった首と腰が鈍く痛む。長時間ーーって、今何時だ?


《じゅうごでねぇやはよめにいき》


慌てて見上げた先で、時計の針が示すのは6時30分。真っ赤な夕焼けがカーテンの隙間から漏れ出して、灯りの点いていない部屋の中を照らし出している。

片付け自体は、とっくに終わっていた。そこら中に散らばっていた紙束は全て、丸められたりばらばらになったりしながらゴミ箱の底に。床や壁に付いてしまった絵の具も拭き取ったし、筆やパレットだって洗い終わっている。じゃあ今まで何をしていたのか。というと、まぁ寝てただけなんだけどさ。どうにも寝方が悪かったらしく、筋肉のいたるところが、あらぬ形で凝り固まってしまっていた。


《おさとのたよりもたえはてた。》


残響。そういえば、この歌なんて名前だったっけ。確か、割と有名な童謡だった気がするけれど。

そんなことを頭の隅で考えながら、僕はパーカーの袖に腕を通す。もう充分に“日は暮れた”。そろそろ、向かってもいい頃だろう。ついでにいうともう下校時間過ぎてるから、制服を着る必要もない訳で。

家の鍵と携帯だけを適当にポケットへ突っ込み、早々に家を出る。


「……行ってきます。」


そして、誰もいない部屋からの返事を待つ暇もなく、僕はぱたんとドアを閉めた。そう、ーー今日のメインは、これからなのだから。

もっとも、全く楽しげな感じはしないのだけれど。



阿左御(あざみ)高等学校にて。


僕が到着した時には、まだちらほらと生徒の姿が残っていた。部活中なのだろう。部にもよるけど、張り切ってるところは20時位まで活動しているから。さてそんな中、帰宅部な僕は何処へ行けばいいのだろう。


「この場合、茜が居そうな所でいいとは思うけれど、」


思い当たるのは、何ヶ所かある。昔僕が「好きか」と問われて「嫌いじゃない」と答えた、教室とか屋上とか音楽室とか科学室とか。でも、一番あるとしたら。

不意に漏れた溜息。脳裏に浮かんだのは、何度も訪れたあの部屋で。あそこで待っている茜だとか、あそこで待っていない茜だとかを想像すると、どっちにしたって複雑な気分だってことに気がついた。だがまぁ、一番可能性があるのは確かにその場所だし。時間は沢山あるけれど有り余る程ではないから、出来る限りは早く会っておきたいし。

しょうがないか、と一言。それから、僕は三階へ続く階段へと足を向けた。


立ち込める絵の具の匂いと、所狭しと並ぶキャンパス。『美術室』と名付けられたその場所には、誰の姿も見当たらなかった。

何故か。それはこの学校の美術部に、僕以外の部員がいないからだ。半分廃部状態というか。だから、普段使う僕や茜の他に人がいないのは、当たり前ではあるのだけれど。

ただ、そこに茜もいなかったのは少し予想外だった。


「茜?」


当然ながら返事はない。では、次は何処を探そうか。こうなってくると、もう手当たり次第回るしかない。

『美術室』。ここは僕が「好きか」と問われて「嫌いだ」と答えた唯一の場所だった。だから一番可能性があったんだけれど、とそこまで考えて。

僕は見慣れた風景の中に、ふと違和感を感じた。

一目でわかるような大きな変化ではないが、気づいた後で無視できる程小さくもない。そんな、なんとも言えない違和感。引きずられるように足が動き出して、僕は描きかけのキャンパスを正面から見据えた。


「……。」


何度目かの溜息。と同時に側頭部へ鈍い痛みを感じ、反射的に左手で頭を押さえる。つまりそれは、軽い頭痛を感じるくらいには衝撃的な光景だったということで。


引き裂かれて、いた。描きかけとはいえほとんど完成していた絵が、見る影も無く。切り口から考えるにカッターとか鋏じゃない。素手で、力任せに。ーーーー待て、問題はそこじゃない。問題にするべきなのは、どうしてこうなったのか、だ。誰が、どういう意図で。


「茜、じゃないか。」


真っ先に思いついた名前を、真っ先に外す。当然だ。あいつのやり口にしては温い。もし茜が“こういうこと”をしたくなったのであれば、少なくともこの学校を倒壊させるくらいはやる。そういう奴だ。

では誰か。心当たりはーーあり過ぎてる。僕という存在を取り巻く環境は99%が十把一絡げの有象無象で構成されているから、そこから一人を見つけ出すのはかなり難しい話だ。っていうか面倒くさい。いや、一人とは限らないんだけれどさ。


「まぁ、とりあえずは初志貫徹ということで……。」


校内にある数10部屋の教室を探し回るのと、校内にいた数100人の人間から一人を探すのと。どちらを選ぶかなんて、考えるまでもなく一択だ。

茜を探そう。1時間少々なら、捜索にかけるのも悪くない。そう思い直して、僕はキャンパスを放置したまま美術室を出て。


「ん、」


必然だったのか、または偶然だったのか。廊下のつきあたり、今は使われていない空き教室のドアが、ふと視界に入る。いつもはしっかり閉じられて、鍵まで掛けられているそのドアが。

ーーーー今日に限って、開いていた。開け放たれていた、といってもいい。無造作に。誰かを、誘い込むように。

ごちゃごちゃと渦巻いていた思考が、一気に晴れていく。きっと僕はこの瞬間、何かを悟ってしまったのだろう。それも明確な“何か”ではなく、不明瞭で漠然とした“何か”を。嫌な予感、とでも表現しようか。とにかく、とにかく僕は。

開けられたドアの向こう側を、覗かずにはいられなかったのだ。


がら、


が、らり。



真っ先に見えたのは、むせ返るような夕日だった。


「ーーーー、」


次に机と椅子。続いて、少しくすんだ窓ガラス。最後に色褪せた黒板と、人影。

……否。

人影なんて、柔らかい言葉では役不足だろう。この情景を言い表すなら、もっといい形容句がある。ただ、僕の脳が咄嗟に、その言葉を避けたというだけで。


廊下のつきあたり、今は使われていない空き教室。の、教卓の上。

死んでいた。

久遠(くおん)茜が死んでいた。

眠るように、抉るように。

死、


「っ、は。あ、ああ。」


違う。待て、そんなことはーーそんな些細なことはどうだっていい。考えるな。考えるな考えるな考えるな。


「あ、」


落ち着け。止めろ、黙れ。違う、違うんだよ。混乱している暇はないだろ馬鹿かお前は。頼むから。頼むからちょっと待てーーーー。


「茜。」


返事は、ない。その代わり、どこからか「たん、たんっ、」と雫の落ちる音がしている。けれど、どこにも液体は見当たらなかった。目の前には、教卓に座り込んだ茜がいて。それだけで。

ふらりと足元が揺らぎ、周囲の机に思い切り脇腹を打った。痛い。両足に力が入らない。そこまで痛くはないのだけれど。ぐらぐらする。頭も視界も世界も、バランスを失ったみたいにゆらゆら揺れて。


破られた絵のことも開いていたドアのことも、すっかり忘れて。何もできず、悲鳴さえ漏らせずに、僕は立ち尽くしたまま黙ってその音を聞く。

永遠が終わる音を、聞く。


「茜、」


夕暮れの教室。静まり返ったその部屋で、再び呼んだ彼女の名前。それに応える人なんて、もうどこにもいなかった。


この時、もう物語は終わっていたのだ。

それに僕が気付いたのは、大分時間が経ってからだったけれど。

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