星を見下ろした月曜日
少年と少女は、二人ぼっちだった。
この広い世界で、二人きり。
僕らはある日突然、当たり前のように出会った。それがいつで、どこでのことだったのかは覚えていない。ただ、その時に出会ったってことは覚えている。つまり、出会ったことに理由はなかったんだ。何者の意図も企みも一切合切存在しないところで、“僕ら”は始まっている。運命というよりは、性質によって。
S極とN極が引き合う様に、あるいは、全ての原子が原子を求めるように、刹那の僕は永遠な彼女ーー茜を求め、永遠な彼女は刹那の僕ーー椿を呼んだ。それだけのこと。
だから僕らは、友達でも恋人でも知り合いですらもない。今みたいに一緒に帰ったり、たまに寄り道することだってあるけれど、あくまで僕らは“他人”なのだった。……いや、“他種”というべきか。
共依存。食物連鎖。生態系。なんだっていいけれど。
「椿、ほら。」
くい、と控えめに袖を引かれて茜を見ると、茜は真っ直ぐに空の一点を指差していた。だいぶ薄暗くなってはきているけれど、それでもまだ、どうしようもなく朱い空の高いところ。
つられて僕も空を仰ぐ。白い指先の後を追い、わざとゆっくり視線を動かして。
茜が指した先。そこにあったのは、小さく輝く一つの星。
「……金星?」
「うん。いちばんぼーしみーつけた、の金星。」
「が、何?」
すると茜は、遮る様に言う。
「椿はさ、金星好き?」
ーー今度はそれか。
僕は内心苦笑して、笑みを貼り付けたままの茜を見た。
いつも、彼女は僕に好きかどうかを問う。何かを確かめているみたいに、一つ一つ。一番最初は、夕日が好きかと訊かれた。だから僕は、嫌いじゃないと答えた。そうすると彼女は「そっか」と笑って、次の質問に移る。信号の音や、水たまり、歩道橋なんていうのもあった。その度に僕は、少し考えてから「嫌い」か「嫌いじゃない」かで答えているのだが。
さて金星。金星ねぇ。
「嫌いじゃない、かな。」
「そっか。」
いつもなら、そこでこの話は終わりになる筈だった。話題の中心だった金星はまた単なる惑星の一つとしての意味しか持たなくなり、僕も茜も、もう二度と興味なんて抱かなくなって。茜が次の質問を思いつくまで、悪くはない沈黙が流れていく。それが所謂お決まりというか、お約束だった。
だけど今日の茜は、いつもの茜とは少し違ったようで。
「私は嫌い。」
珍しいな、と思った。茜が自分のことを話すのは、滅多になかったから。だったら僕も、滅多にしないことをしてみるべきだろう。自分の領分を越えるのは、あまり“好きではない”んだけれど、でもそれは、“出来ない”とか“しない”とかとは違うから。たまには、“嫌い”なことをしたい時だってあるんだ。
と、いうことにしておいて。
「どうして?」
すると茜は驚いたように目を見開いて、「珍しいね。」と笑った。それから、笑顔のままで言う。
「椿に好かれているものは、私は嫌い。椿が嫌いなものも、嫌いだけれど。」
ーーじゃあ何が好きなのさ。
ーーわかんない。
「わかんないんだ。私は、“永遠”だから。でも、」
風に揺れる髪を片手で押さえ、茜は何だか恥ずかしそうに口を開く。限りなく透明で淡いその姿は、今にも消えてしまいそうで。
思わず見入ってしまった僕は、今が何時なのかをすっかり失念していた。
「ーーーーーーーー……。」
《ゆうやけこやけの、あかとんぼ。》
《おわれてみたのはいつのひか。》
茜が、何かを言う。それと同時に鳴り響いた『赤とんぼ』のメロディが、彼女の細い声をかき消して。何も聞こえない。何も、届かない。そんなことは茜だってわかっているはずなのに、何故だか彼女は妙に満足そうで。
《じゅうごでねぇやはよめにいき》
「茜?」
《おさとのたよりもたえはてた。》
残響。思わず聞き返した僕に、茜は一度微笑んだ。それから、くるりと踵を返し、
「何度だって言うよ。でも、今日はこれでおしまい。」
ーーそれじゃあ椿、『さようなら』。
制服の裾が翻って、膨らんだスカートが静かに元の姿へ戻る。控えめに振られる手。爪先が軽やかに地面を蹴って、彼女は走り出した。急いでいると言うよりは、はしゃいでいると言う表現がよく似合う。
そんな、仕草で。
「なんなんだよ、もう……。」
いつものこと、ではあった。彼女がこんな風に、突然去って行くのは。日常の範囲内。学校ではクールだのおとなしいだのと言われているけれど、僕の前での彼女は思いの外気分屋で、よく笑う。だから、特に不思議なことはないんだけれど。
最後の笑顔と、言葉。これがなんだが、頭から離れなくて。僕は振り払うように一度首を振り、また元の方向へ歩き出す。
「わけわかんないな、本当。」
まぁ、気にするだけ無駄なんだろう。何故なら彼女は、“永遠”なのだから。
そう、思っておこう。