第7話
桜宮高校第二図書室。
萩月さんとの約束のため、僕はデートの帰りだというのにここに来ていた。いや、結局デートどころではなかった。フルーツパーラーで先輩が僕の目に見せた大アルカナ9番目のカード『隠 者』。僕の持っている『正 義』と同じ、幸 運 の 総 符の内の一枚。どうして先輩が持っていたのだろう? どうして先輩は彼女の、萩月さんのことを知っていたのだろう? どうして先輩は、『敵になるかもしれない人間』と言ったのだろうか。
「わけわかんないよな……」
窓の外に煌々と輝く満月を見上げながら僕は独りごちた。どうして、と何度心の中で呟いたことだろう。いくら呟いたところで何も変わらないし、何も変えられないのに。
「デートは散々だったようだな、朝日奈君」
振り返るまでも無く、声の主は分かっている。萩月真優だ。
第二図書室で噂になっている白髪の幽霊少女その人であり、僕が今ここにいる理由でもある。特に歩きまわったわけでもなし、さりとて重労働したわけでもないのに僕の動きは鉛が圧し掛かっているかのようにずっしりと重い。そのせいで彼女に振り返るのが少し遅れてしまった。白髪を揺らしながら、萩月さんはしたり顔でこちらを見つめていた。
「だから言ったろう? 『一方的な恋』だって。彼女はいわば私たちの偵察者だったというわけさ」
「萩月さんは、先輩がカードの所持者だって気づいてたの?」
「まぁ何となく……だがね」
「なら、どうして教えてくれなかったのさ」
「教えたら、信じたかい?」
「それは……」
恐らく……いや、絶対に信じなかったと思う。先輩は僕にとっての憧れの存在で、デート前で浮かれていた状態の僕が彼女の話を耳にしても、決してそれを信じたりはしなかったと思う。
「で、彼女は何て言ったんだい?」
「……僕に見せたのは隠 者のカードだった。それから、敵になるかもしれないって言ってた」
「隠者……か」
萩月さんは自分の手の平にタロットカードを具現化させると徐に一枚を取り出す。先輩が見せたカードと同じような、外套姿の女性のイラストが描かれている。イラストが違うのは、これが幸 運 の 総 符のカードではなく彼女個人のタロットカードだからだ。
「正位置では慎重さや思慮深さを、逆位置では孤独や消極などを示すな。描かれている外套姿の人物は錬金術師の祖とされているヘルメスがモチーフだとされている。思慮深さや孤独を連想させるのは、彼が錬金術の研究に独り没頭する姿からだろう。研究に慎重さや思慮が必要なのは至極当然で、逆位置のマイナス面はいわば研究からくるストレスのようなものか」
萩月さんの解説のほとんどは僕の耳を右から左に抜けていくだけで僕は窓の向こうの満月を呆けるようにして眺めていた。
「呆けている場合ではないぞ朝日奈君。彼女が手の内を明かしたということはつまり」
「こんばんは、朝日奈君」
凛と鈴の音が響いたかのような澄んだ声音に、僕はハッとなって振り向く。第二図書室の唯一の出入り口に今まで無かった人影が現れる。暗闇から這い出たかのように全身を漆黒に包んだ人影はそのままゆったりとこちらへ歩みを進め、やがて月明かりがその姿を露にする。
「黒羽里……先輩」
デートしたばかりの恰好で現れた黒羽里先輩は、うっすらと笑んだままこちらへ一歩ずつ近づいて――止まる。声は届く、けれど手は届かない。そんな中途半端な距離感を保ったまま先輩は僕に眼差しを向けていた。
「その様子だと、まだ私にハッキリと敵意を向けている様子はないね。つまり、私はまだ君の敵じゃないということか」
「先輩……」
「何を言っている? 彼は私の騎士だ。私に危険が迫れば、お前に刃を向けるのは当然だろう?」
「それは貴女の意見であって、彼の意志とは違うようだけど」
先輩と萩月さんとの視線が重なって僕へと注がれる。二人とも何かしら僕の言葉を期待しているようだけど、僕は何と答えればいいのか分からなかった。当たり前だ。僕はまだこの状況を理解しきっていない。割り切れていない。何も答えを持っていないんだから、答えようがない。
「貴女の騎士は、果たして本当に騎士としての役目を果たせる? 守る姫君がいるというだけで主従を得られるのは御伽噺の世界だけよ。何か見返りがないと、今のご時世じゃちょっと世知辛いわよね」
「…………」
萩月さんの突き刺さるような視線が僕を射抜く。射抜かれた僕の体は、まるで石膏で固められてしまったかのように動けなかった。いや、動こうと……したのだろうか。
「そこで、朝日奈君に提案」
パン、と手を鳴らしたのは黒羽里先輩だった。今日のデートで見せたような微笑を湛え僕へ手を差し伸べていた。差し伸べたままゆっくり歩きながら提案を続ける。
「君さえよければこっち側に来てくれないかな? そんな得体の知れない幽霊と一緒にいるより、ずっといいと思うけど」
「こっち側……? う、うわッ」
足音一つ立てずに僕の真正面、しかも息が掛かりそうなほどの至近距離にまで詰められ思わず狼狽えてしまう。月の明かりに照らされた先輩の表情のあまりの艶めかしさに、唾をゴクリと音を立てて呑み込んでしまう。
「どうかしら? 悪い話じゃないと思う。それに……私は、結構君を気に入っていてね」
まるで男を誑かす淫魔かのように、僕の胸を指で制服ごしに撫でる先輩。僕はここでようやくあることに気づいた。それは違和感。目の前で微笑む先輩に対する、違和感。
僕は先輩の指を振りほどくと、一歩だけ後ずさる。
「……変です」
「ん……何が、かな?」
「先輩です。急にこんな触れてきて……今の先輩は、僕の知ってる先輩じゃないみたいだ」
「君の知っている私とは、どんな人物だ?」
「もっとこう……知的で冷たくて厳しい、だけど時々見せる笑顔が素敵な人です。今の先輩みたいに……媚びるようなことはしないはずです」
「ほぉ……媚びる、と来たか。くく、ふふふ……」
「先……ぱ――ッ!?」
黒羽里先輩の姿が闇へと霞んだかと思った瞬間、僕の首筋に湾曲した巨大な刃が小さく風切り音を立てながら突きつけられた。刃の表面に映った僕の表情は驚愕と恐怖とで塗り固められてしまったかのように、動かない。
「黙って従ってりゃいいのに……馬鹿だねアンタはさ――」
「朝日奈君、逃げろッ!」
萩月さんの声で我に帰ったその刹那、銀色の閃光が真横から襲いかかる。ぼやける視界の中で見る見るうちに広がる先輩との距離。僕が吹き飛ばされたと自覚したのは、第二図書室の書棚に激突して全身に激痛が奔ったあとだった。
「あ――がハッ!?」
人とぶつかっただとか、転んで膝を打っただとか、そんな小さな痛みを遥かに凌駕する痛み。強制的に叩き出された息と血とが混ざり合った不快な吐瀉物が口からこぼれて手に滴る。ぐちゃり、という形容がしっくりくる赤黒い物体が、僕の手の中で不気味な光沢を放っていた。
「ゲホッ、ぐ……ゲホッ、がッ……!」
その直後に襲いかかった鈍痛に身をよじり、僕はお腹を押さえながらうずくまる。
「……ん? 生きてたの? アタシとしてはあっさり死んでくれた方が助かったんだけどな」
僅かな力を振り絞って地べたから這い上がるようにして身体を起こすと、その先で嘲笑う先輩の冷たい瞳と目があった。人の目じゃない、まるで悪鬼の如く残虐を愉しむかのような……酷い笑顔だった。
「何……で?」
「アタシの言葉に従わなかったからだよ、朝日奈君。大人しく従ってりゃ、もうちょっと長生きできたろうにさ」
「そう、じゃ……なくて!」
崩壊した棚を頼りに立ち上がると先輩に向けて視線を向ける。痛みの所為で、未だに視界がややぼやけてしまう。
「何で、何でこんなことを!」
「それがアタシの仕事だからだよ。アタシ……いや、アタシ達はアンタ達の持ってるカードを奪いに来たんだからね」
「奪うって……」
「納得いかないって? ならもっとシンプルにしようか。……構えな」
大鎌を軽々と振り回し、巻き起こった風が挑発的に僕の頬を引っ掻いてくる。先輩は一度萩月さんに一瞥くれてから、再び僕へと視線を注ぐ。
「せっかくだし、そこの戦力外のお姫様は今は相手しないでやるよ。アタシとアンタとで、一騎討ちしよう。アンタが勝てば、洗いざらい何でも話してやる」
「ま、負けたら……」
「言うまでもないだろ? ここに死体が一つ出来上がるだけさ」
「…………ッ」
「朝日奈君、私……」
すがるような……いや、申し訳なさそうな瞳で僕を見つめる萩月さんの眼差し。敵意を滾らせ僕を睨む先輩。
「何で僕が、戦わなきゃ……」
小さく漏れた僕の本音は闇に溶けて消える。力無く握りしめる僕の右手に、小さな感触が触れる。ポケットの中で、『正義』のカードが静かな光を湛えこちらを見上げているような不思議な感覚に、僕は無理やり決意させた。
「……正 義」
カードが斧 槍へと変貌し、僕の手の中で確かな力となって顕現される。ヒュウ、と先輩の茶化すような口笛が聞こえた。
「見た目は悪くないな。後の問題はアンタ自身……か」
「……い、行きますよ!」
「試合でも無いのに律儀なことだね。……ま、いいよ。かかってきなさいな」
訳の分からぬうちに始まった僕と先輩との一騎打ち。
僕ががむしゃらに駆けだすと同時、火蓋は切って落とされた。
今更ですが、オレの話ってテンポ悪いっすね;
というのも二次創作の癖なのか、まるで30分アニメみたいにお話を小さく区切って話数を増やしてしまうから……なんですけど。
うぅん、まずい。
普通ならここで戦って決着まで……ってのが望ましい展開のような気がする;
次回から気をつける。
ということで、グダグダというかイイトコで切っちゃいましたが、ひとまず第7話です。
では、待て次回。