第3話
「おっす、おはようさ……うおわッ!? お前、どうしたその顔?」
「たかひ……ろ? ふぁ~ぅ……うん、おはよ」
親友の爽やかな朝の挨拶は、しかし僕の顔を見た瞬間キャンセルしてしまった。無理もないだろう。さっき僕も鏡を見て確認したけどそれはそれは酷い有様だった。目は徹夜明けのウサギの如く真っ赤に充血し、その下には真っ黒い隈。朝食を食べそこなった頬は空腹でやせこけ、今すぐにでも天に召されてしまいそうな形相だった。おかげで周囲の突き刺さるような奇異の視線が痛い。ほとんど寝ていないから目が痛いわ眠いわ辛いわ、正直生きていることが信じられないくらいだ。
「おい、わかるか? 俺だよ、俺」
「あぁ…………うん。今日も、猫耳がとってもよく似合ってる」
「……こりゃ大至急手術が必要なレベルだ」
親友の表情はぼやけてよく見えない、が、たぶんきっと恐らく今朝の太陽の如く素敵な表情をしているのだろう。
結局この日の僕ははろくすっぽマトモな思考が働かず、朝のホームルームから放課後のホームルームまで頭の中では一面素敵なお花畑が広がっていた。まさかこんな凡人の僕が、アニメや漫画でよく見る『学校で一日中寝て過ごす』を実現させてしまう日が来るとは夢にも思わなかった。
……いや、もしかしてこれは本当に夢なんじゃないか? 実は昨日の幽霊少女とのやり取りも夢で、黒い靄を纏った人型も僕の夢の産物で、僕が抱いていたストレスが具現化したもので、ということは今思考を巡らせている僕もまた夢の中の僕で……
覚束ない意識のまま席を立とうとしてバランスを崩し、不意に体が揺れた瞬間、カチン、と僕のブレザーのポケットの中の物と机とがぶつかって小さく音を立てた。
「……」
それまでのボンヤリとしていた意識が、一瞬で現実に引き戻される瞬間。僕がポケットの中に手を入れると、そこには昨日少女から受け取ったばかりの『正義』のタロットカードが収まっていた。
「夢じゃないけど、夢であってほしかったかな……」
しかしこれでは一般的には逆である。
今一度僕は昨日の出来事を整理するため、第二図書室へ向かいながら回想に耽ることにした。
※
夜の第二図書室。
忘れ物のノートを取りに来たはずの僕は席に座っていて、そして僕の向かいの席には噂の幽霊と名乗る萩月 真優がタロットカードを弄びながらこちらを見つめていた。彼女の青い瞳に見つめられると、胸の奥がきゅっと締め付けられるような気がして少し緊張してしまう。
さて、と一つ前置いて萩月真優は口を開いた。
「まずは、何処から話そうか」
「何処からって……片っ端から全部ですよ。今の何ですか? カードが斧槍になったのは何故? キミの正体は何なの? 占星術師って何なんですか?」
「そう矢継ぎ早に質問を浴びせるものではないよ。……じゃあ、まずはこのカードから説明しようか」
そう言って、萩月真優は机の上に再び並べたタロットカードを示す。
「最早、これが普通のタロットカードではないことを理解したね? これは私の曽祖父から受け継いだ願いを叶える力を秘めたタロットカード、『幸 運 の 総 符』という代物だ」
「願いを叶える……幸 運 の 総 符?」
ほんの数分ほど前の僕なら、そんなもの嘘っぱちだろうとてんで相手にしなかったと思う。だが、今しがた僕は彼女を含めた常軌を逸した存在と遭遇し、あまつさえ戦闘して勝利までしている。完全に順応したというわけではないが、それでも頭から否定することはどうにも出来なかった。
「タロットカードのことは、どこまで知っているかな」
「占いに使うカードで、えっと……確かニ種類のカードがあるんですよね?」
「それだけ知っていれば上出来だ。朝日奈君の言うとおり、タロットカードには大アルカナと呼ばれるカードと小アルカナと呼ばれるカードのニ種類が存在する。簡単に言うと、トランプのキングやクイーンのように絵柄のあるカードを大アルカナ、それ以外を小アルカナと言った感じだ」
「それじゃ、ジョーカーは?」
「タロットにおいては関係ない。……が、面白いところに気づいたね。トランプに用いられるジョーカーと言うのは、大アルカナ0番『愚者』に由来しているそうだ」
「へぇ……」
そんなボタンが懐かしい。出来ることならニ十回ぐらいは連打しておきたい気持ちだ。
「少し話がそれてしまったな。今話した幸 運 の 総 符は、この大アルカナのみで構成されているものなのだが、通常のタロットカードとは決定的に違う部分がある」
「それが、さっきの力みたいなものですか?」
「その通り。幸 運 の 総 符のタロットカードには、一枚一枚に特殊な魔力が込められているんだ」
「魔力の込められたタロットカード……」
さっき僕の手の中で一振りの斧槍となった『正義』のカードに目を向ける。よく見ると大小異なる受け皿の天秤と長剣とを掲げ、凛とした眼差しを天へと向ける西洋の騎士。しかし、これの何処が『正義』なのだろう? 天秤が善悪を判断する道具……なのだろうか。
「『正義』のカードに描かれているのはギリシャ神話の正義の女神アストライアだそうだ。彼女の持つ天秤は二つの相反する力、つまり『善』と『悪』を象徴していて、剣は断罪の象徴と考えられている。カードに描かれている天秤は水平を保っているだろう? これは『善』と『悪』の均衡を意味し、このことから平等や公平を司るとされている。……反面、彼女が手にしている剣は強い権力を示し『支配』の象徴とされることもある」
「公平を象徴するのに、なんで天秤の受け皿の大きさが違うんですか?」
と、僕が些細な疑問を浮かべた時、少女の群青色の瞳が僅かに見開かれた。
「へぇ……? そこを指摘するなんて、意外と鋭いじゃないか」
「え? そうなんですか?」
小さな好奇心から生まれた疑問だったのだが、彼女はまるでよく出来た生徒を褒める先生のような表情を浮かべるとにこやかに答えてくれた。
「天秤の受け皿の大きさが違うのは、『公平』という概念が必ずしも左右対称ではないということを示しているのさ。『正義』とは数字や文字のように目には見えないものだ。故に、心の感性でその公平を測る。人によって価値観が異なるように、天秤の受け皿もまた人によって差異が生じるということさ」
「つまり、人によって『善』を強く重んずる人もいれば、『悪』を重んずる人もいるということ……ですか?」
「然りだな」
「でも、どうして僕がそんな『正義』だなんてカードを……」
「さぁてね。そこまでは分からないな」
あれ? 彼女、確か僕が引くカードを分かっていたとか言っていたような……?
「それじゃ、最初に言った願いを叶える力って言うのは?」
「幸 運 の 総 符の大アルカナ二十二枚のカードたち――
No0『愚 者』。No1『魔 術 師』。No2『女 教 皇』。No3『女 帝』。No4『皇 帝』。No5『教 皇』。No6『恋人たち』。No7『戦 車』。No8『 力 』。No9『隠 者』。
No10『運 命』。No11『正 義』。No12『吊るれた男』。No13『死神』。No14『節 制』。No15『悪 魔』。No16『 塔 』。No17『 星 』。No18『 月 』。No19『太陽』。No20『審 判』。No21『世 界』。
これら全てを集めた者には、どんな願いでも叶える力を授けてくれる……と、曽祖父から受け継ぐ時にそう聞かされていたんだ。本当かどうかは分からないが、少なくともこんな不思議な力をもった代物なら叶えてくれそうだと思わないかい?」
「でも、今ここに全部揃ってますよね? ほら……」
現に、机の上には僕が持っている『正義』を除いた二十一枚のカードが並べられている。今すぐにでも何かが起こって願いを叶えてくれそうなのに、何故彼女は静かに首を横に振った。
「いや、ここには朝日奈君のカードを含め六枚のカードしかないよ」
「え? だってここに」
僕が指を差す前に、彼女はカードの上で右手を水平に振ると、まるで手品師がカードを何処かへ消してしまうかのように、机の上のカードも僅か六枚を残して一瞬で消え去ってしまった。
「私が曽祖父より受け継いだのはこの六枚、朝日奈君の『正義』。それから『恋人たち』『力』『節制』『星』。そして――これ」
彼女の白い指が、一枚のカードに伸びる。真っ黒な背景に描かれた全体の半分を占めるほどの大きな三日月。カードの両端には石造りのビルのようなものが建っていて、下部には小さな蟹のような生き物が描かれている。
「私のカード『月』。私が最初に手に入れたカードがこれさ」
「『月』……」
「正位置では『不安定』や『潜在危機』を、逆位置では『導き』や『失敗』を示す」
「僕の『正義』とは、ずいぶんと意味が違うんですね。何ていうか……ちょっとネガティブだ」
「……もしかして朝日奈君、正位置だから良い、逆位置から悪いなどと思っているのかな?」
「違うんですか?」
「あぁ、違うな」
彼女は自分の月のカードを指でトントンと示しながら丁寧に説明を始めてくれた。
「カードの正位置とは本来の意味を示し、逆位置とは本来の意味の逆の意味を示すものなんだ。決して善し悪しではなく、あくまでコインの表と裏のような間柄さ。例えば私の『月』なら正位置では『不安定』を示すけど、逆位置ではその不安定を打ち消す『導き』となる」
「……え、えっと」
正直言って、彼女の説明がよく理解できない。全国平均程度の学力の所為もあるかもしれないけど、それ以前に単純にわからなかった。『不安定』の反対が『導き』? それなら普通『安定』となるのではないだろうか。
「まぁ、この話は私が占いをする時に改めて話すよ。本題に戻そう。今ここには私の持っている『月』と他数枚、そして朝日奈君の『正義』のカードがあるわけだが、このままでは誰の願いも叶えることは出来ない。願いを叶えようとする者は、当然カードを求めて私たちを狙ってくるということになる」
「それがさっきの黒い人型ですか」
「恐らく私の存在に気づいたんだろう。死んだ人間を追いかけるなんて、ずいぶんと執念深いことだ」
「そりゃ、どんな願いでも叶うっていうなら……あ、あれ?」
ここで一つ、僕は気づきたくないことに気づいてしまった。願いを叶えるためには幸 運 の 総 符のカード全てを集める必要がある。ここには彼女が持つ数枚のカードと、僕が彼女から受け取った『正義』のカードの六枚が存在している。願いを叶えようとする何者かは、当然僕のカードも欲する。それは、つまり――
「ぼ、僕も狙われるってことですか!?」
「あぁ、そうだな」
あっけらかんと、何気にすることでもないとでも平然に答える彼女。サーッと血の気が引いていく気持ちの悪い感触。僕は机が軋むほどの勢いで『正義』のカードを叩きつけた。
「じ、冗談じゃないですよ! 僕には、何ら関係の無い話じゃないですか!」
「いや、そうでもないな。さっき朝日奈君はアレを撃退してしまった。君の意志とは関係なく、少なくともアレは君をカードの保持者と認め、そして敵対する人物と見なしたに違いない」
「そんな……ッ!」
理不尽過ぎる、と言いかけた僕の言葉を彼女が遮る。
「そこで……というのも何だが、一つ私に協力してくれないかな」
「……協力?」
両手を前に組み、彼女が悠然と口を開く。
「私はご覧の通り幽霊という儚い存在でね。ここは一つ、君に私を守る騎士となってほしい。君の持つ『正義』の力はかなりのものだった。あれだけの力があれば自衛する分には申し分ない」
「騎士って……」
「それに私も、叶えたい願いがあるしね」
「でも、僕には関係な」
「困っている女の子を放っておくのが、君の『正義』かな」
「そ、その言い方は卑怯ですよ」
そんな言い方をされれば、逃げたくても逃げれなくなってしまう。ある種脅迫じみた彼女の言葉に、僕は浮いた腰を渋々下ろすこととなった。
「……わかりました。君を、あれから守ればいいんでしょう? それが終われば、終わりですよね」
「そうと決まれば、やるべきことをやろうじゃないか」
「やるべきこと……?」
「決まっている。特訓だ」
ビシィ! と唐突に突き出された人差し指に、思わずビクッと肩が跳ねる。
……いや、え? 特訓? 特訓って、何の特訓?
「このカードの使い方を、きっちり教えなくてはならないからな。今日は第二図書室から帰さないから覚悟しておけよ」
「え…………ええええええッ!?」
「それと私のことを君と呼ぶな。普通に、萩月か真優で呼ぶように。では、早速カードを顕現して基礎から叩き込むぞ。それと、これから毎晩私の図書室に来るように。これは命令だ」
予想以上にスパルタそうな幽霊を前に、僕はただただ驚くことしか出来なかった。
少し早めに公開出来ました。
本日より第1章、スタートです。
本文は、どうなんでしょう。読みにくかったり、読めない漢字とかありますか?
もし何かあれば遠慮なく言ってくださいね。
……ちょっと更新速度が遅いけど、夏に間に合うかなぁとちょこっと不安だったりします;
では、待て次回。