第17話
身体の奥底から湧き上がる、底冷えするほどの殺意に身を任せ一心不乱に斧槍を振るっていく。
圷に蹴られた痛みは――未だ下腹部に残ってはいる。けれど、その痛みなど忘れてしまうほどに自分の身体が軽いのだ。頭の中が一つのコトでいっぱいに埋め尽くされていて、それ以外に何も考える必要が無くなっている。
――アイツを、殺す。
まともに動く右腕をありったけ動かし、一切の躊躇いも無しに斧槍を振り回していく。しかし渾身の一撃は当たらない。彼は巧みにトンファーを操り、ひらりひらりと踊るように軽快な動きで僕の攻撃を受け流していた。
「そんな血走っちゃってたら当たるモンも当たらないよ。というか、君の攻撃には意志が乗り過ぎなんだよね」
「うるさい、くそッ!」
一向に当たる気配が見えないことに苛立ち、徐々に大振りな攻撃が増えていく。未だ慣れない武器ということに加え左腕が使えないという状況は芳しくない。
当たれば勝てるのに、当てられない。
もどかしさは焦りを生み、焦りは隙を生じる。
「はッ――ぁぁあああ!!」
「だーもう、なっちゃないなぁ」
力任せに叩きつけた斧刃がコンクリートの床に突き刺さる。そして斧刃の上に、圷は器用に着地するとそのまま柄を踏み込み急接近。顔面を思い切り蹴り上げられ身体が数メートルほど中空に舞い上がる。背中から叩きつけられる――どうにか受け身取れないかと画策する僕の目の前で、彼は颯爽と跳躍した。
「なッ――!?」
跳躍した勢いを乗せた回転踵落としが鳩尾に襲いかかる。辛うじて手放さなかった斧槍でもって防御を試みるが、衝撃でそのまま地面に叩き落とされてしまった。かは、と肺から空気が絞り出され一時的な呼吸困難に陥る。
「そりゃま素人だししょうがないけど……あー、やっぱワカモノを殴ると心が痛むわ」
「い……今の、どうやって……」
どう考えても尋常ならざる動き。彼のカードである『愚者』の魔法なのだろうか。彼は両手のトンファーをくるくると弄びながら呑気な笑みを浮かべていた。
「んー、まだネタバレするには早いよ。知りたいならもうちょい戦ってみる?」
「……くそッ!」
軽すぎる態度がいちいち感に障る。そんな態度とは裏腹に実力は僕なんかとは比べ物にならない。跳ね起きた勢いで加速し踏み込んで攻撃。斧刃は掠めもしない。連続攻撃を繰り出してもその全てが容易く往なされてしまう。
「もしかして君ってさ、どうしても叶えたい願い事でもあるの?」
唐突な言葉に何か裏があるのかと身構えるが、彼はいやいやと手をひらひらと振って見せる。
「いやさ、そこまで真剣になってるトコ見たら普通そう思うじゃん? 幸運の総符が願いを叶える力を持つカードだって聞いてるんでしょ?」
「別に、僕は叶えたい願い事なんてない!」
「じゃあ、本当にあの子を守るために戦ってるってわけ? それか天音ちゃんのかたき討ち?」
「両方ッ!」
こんな問答に何の意味がある。話しながら戦ってるくせにその動きは俊敏で斧刃は空を裂くばかり。
「くそッ、この……ッ!」
「……空しいな」
圷の動きが、止まった。
一瞬の好機を逃すべく僕は地面を蹴って跳躍し、重力を乗せた斧槍を打ち降ろす。攻撃を受け止めたトンファーがゴンッとくぐもった音を響かせ、その先で彼は憐れむような表情を浮かべていた。
「たしかに君はカードの所持者になれたけど……本質はやっぱり普通の人だ。普通に暮らして、学校行って勉強して遊んで、夜になったら飯食って風呂入って寝る。そういう本当にごく一般的な人間。だから、君は俺に勝てない。断言できるよ」
「そんなの、やってみなきゃわからない!」
「別に悪いことじゃないんだよ。むしろずっと良いコト。ここを乗り越えちゃったら、君は普通でいられなくなる。それがどんなに悲しいことかわかんないでしょ? 常日頃から死と隣り合わせの緊張感、自分の身近な人を巻き込んでしまうかもしれないっていう罪悪感、例を挙げたらキリがない。……これ、人生の先輩からの助 言」
「さっきから何なんだよアンタ! 意味の分からないことばっか言って」
「……天音ちゃんはともかく、君はまだ引き返せるってコトさ」
「アンタが殺したくせにッ!」
斧槍で強引に弾くとすかさず追撃に出る。トンファーで防御出来る範囲なんてたかが知れているのに、どうしてそれを越せない。だが今はこちらが一方的に攻め続けられている。このままいけば――
「あーはいはい、わかったわかった。じゃあ――こっからは少し本気で殺るから覚悟しろよ」
追いつめていると確信し斧槍を振り上げた瞬間――僕の目から圷の姿がかき消えた。回り込まれたかと思って背後を振り返るが――誰もいない。周囲を見回しても姿はなく、風が過ぎる音だけが響いては闇に吸い込まれていく。
不意に、影が差し込んだ。
流れる雲が月を覆い隠したのかと思い――しかしその影が人の形を象ったものだと気づき空を見上げた。頭上数メートルの高さに、トンファーを打ち降ろしながら急降下する圷の姿があった。落下速度の加わったトンファーの一撃は今までの比ではないほどに重く受け止めたと同時に片膝を着く始末。
「ぐぅ……ッ!」
どうにか押し返し反撃に転じようとして――彼の姿が屋上に無いことに気付く。
――おかしい。
飛び上がってから攻撃したのだから普通は着地するはずなのに、何処にも姿は見当たらない。視線を彷徨わせていると、背中から強烈な衝撃に襲われた。
「ぅあ――がああッ!?」
コンクリートの地面を滑りながら金網に衝突。かろうじて転落は免れたものの、彼の攻撃の正体がまったく掴めなかった。今もその姿は何処にもない。ただ、黒い人影だけがポツンと広場の中央にあるだけで――
「まさか!?」
見上げたその先に――圷はいた。
何の足場の無い中空だというのに、まるで彼の足元にだけ見えない足場があるかのように平然と立っている。トンファーを握りしめたままで腕を組み、空中に立っているさまは異様としか言いようがなかった。
「空を飛ぶ魔法……!?」
「飛んでない、カッコつけて立ってるだけさ」
……本当にただ立ってるだけだ。
だけど、上空にいる故に文字通り上から目線なのが気に入らない。彼が軽い人間というのも拍車を掛けている。
「君の魔法が“氷”属性なら、俺の魔法は“風”……んにゃ、言うなれば“空”属性だ。見ての通りこうやって宙に立つことも出来る。名付けて、空の王者(笑)だな」
「シリアスなのかふざけるのかどっちかにしろよ!」
「俺はどっちも本気でやるんだよ。あんまガチガチの緊張感で戦ったって骨が折れるだけさ」
本当に気に入らない。
人を殺しておいて、突然説教じみたことを言い出してまたふざける。何なんだこの人は。ほんの僅かにも尊敬してしまった自分をボコボコに殴りたい。宙に浮かんだまましゃがみ込み得意気な笑みを浮かべる彼に――しかし僕は舌を巻く。単純に届かないのだ。僕から見て五メートル弱だろうか。この斧槍の全身がおおよそ二メートルで、このままでは背伸びしたって届かない。
だけど、それはあくまで斧槍の攻撃範囲の話。
彼の得意気な鼻っ柱を折るには、僕も“魔法”を使えばいい。
斧槍を突き立て想 像する。思い描くは――氷の矢。僕の足元に円形の魔方陣が描かれ具現化し白い冷気が舞い上がる。甲冑相手に練習したおかげか自分でも驚くような速さで展開できた。あとは、これを相手にぶつけるのみ。やがて魔方陣の至る所から氷塊が生まれいく。生まれたばかりの氷塊は自らその形を削り円錐形に変化させていく。ちょうど、地面から氷柱が生えてくると形容するのがしっくりくるだろうか。
「飛べぇッ!」
氷柱は僕の合図に呼応し圷目がけて飛翔する。その数は手両手の指で数えられるような数を優に超えていて、さながら対空砲火の弾幕のように見える。そしてそんな大量に展開された氷の矢を前に圷は苦い顔を浮かべた。
「うわっちゃあ。こりゃめんどくさいコトになったぞ……」
でも、と付け加え中空で構えを取る。そして驚くことに、彼は空を蹴って弾幕の渦中に突っ込む。そしてトンファーを右に左に打ち払って、氷の矢をまるで虫でも叩くかのように破壊していく。
「アイディアは悪くない。けど、まぁだ足りないかね」
「そんな……」
氷の矢は止め処なく放たれているのにも関わらず、彼の動きは衰えない。猛進するその様に僕は戦慄した。どうあっても、勝てない。そう心の中で思ってしまったのが最大の失敗だった。彼の動きを見失い、そして自分の目の前まで肉薄されたことに気付けなかった。
あ、と声を漏らした時にはもう遅かった。
「せぇ――のぉッ!」
「ご――はぁッ!?」
何の防御もしていないから無防備という。隙だらけの腹に打ち込まれたトンファーの一撃が骨を軋ませる。悲鳴は掠れて消え、胃の底から這い上がってきた血反吐をぶちまける。よろよろと後退り、力尽きた僕はそのまま尻もちついてへたれ込んでしまった。霞んだ視界の先、こちらにゆったりとした歩調で近づく圷の姿が見える。
「どうせ死ぬんだし骨の二、三本くらい気にするなよ。さて……それじゃ、君の『正義』を頂こうか」
かつ、かつ、と靴音がこちらに向かってくる。それは時計の秒針みたいに一定の間隔で音が聞こえていた。近づいてくるのは分かる。けど、僕の視界からは徐々に光が失われつつあった。闇で染まっていく世界。自分が創りだした氷のように冷たくなっていく身体。先々の戦いの疲れもダメージも重なって僕の身体はいよいよ使い物にならなくなってきていた。
「たった十数年で死んじゃうってのはやっぱ辛いよなぁ。俺たちの青春はこれからだ! って時期なのに、今日で酸いも甘いも全部失くしちまうんだからな。ま、潔く頼むよ。恨むのは勝手だけど、枕元に立つのは勘弁な」
靴音が近づいてくる。
やる気があるんだか無いんだかわからない声が響いている。
真っ暗な闇の向こう側、靴音はすぐ目の前で止まったような気がした。
「……そいじゃ、終わりだ」
何かが風を切る音が聞こえる。ふわ、と鼻先をかすめた微風は冷たい。僕は、どうやら本当にこれで終わりのようだ。
手足は動かないし、凍りついてしまったかのように何の感覚もない。
視界は闇に閉ざされたまま、ただ延々と闇が続いている。
僕は、ここで死ぬ。
覚悟を決めたその矢先、闇の深淵から小さな光が閃いた。
最初は、何かの見間違いだと思った。
チカチカと明滅を繰り返すそれが何なのか分からなかったから。
どうせ死ぬのだから、どうでもいい。
それなのに、諦めた僕とは対照に光は視界の中で輝いている。
僕を目覚めさせようとしているかのように、やがて光は徐々に強さを増していく。
白い光はやがて、銀色に。
銀色の光は、やがて透き通るような蒼へと姿を変えて。
『いつまで寝ているつもり?』
僕を励ます、そんな声が聞こえたような気がして――僕は目覚めた。
「いま楽に――ッ、んな!?」
振り下ろされたトンファーを――自ら凍りつかせた左腕で止める。予想外の動きに混乱した彼は呆気に取られていた。信じられない、とでも言いたげに目を見張り強ばらせた顔と目が合った。そのまま、相手の虚を突く形で蹴りを見舞う。吹き飛ばせはしなかったものの、僕が立ち上がる時間を稼ぐには十分だった。
「お、おいおい! そんなことしたら凍傷ってレベルじゃ……何考えてんだ少年!」
「僕は……僕なりに、自分の正義を貫こうと、してるだけです……ッ」
「だから……あぁ、もう! 若気の至りってのはこれだから怖い! 君のお姫様ってのは――」
「そんな小さいことは、どうでもいいんです」
「小さいことって……」
残る力を振り絞り、こんな重傷を負っても手放さなかった『正義』を強く、強く握りしめる。残った魔力を、斧刃も穂先も鉤爪も全て一緒くたに凍りつかせて一振りの巨大な剣へと姿を変える。右手と凍りついた左手とでもう一度握りしめ直す。
「最初は理不尽だと思ってた……けど、僕はあの人を守るって決めたんです。こんな何の特徴もない普通で平凡な人間が、偶然とはいえあの人を守るための力を手に入れた。守るための力がこの手にあるのなら、僕はあの人を守るべきだと思う。それが、彼女の騎士となった僕の『正義』です」
「…………」
そして、彼は何の言葉も無しに静かに戦闘態勢に入った。
言葉はいらない、とでもいいたいのか。それとも単純に、言葉をめんどくさがったのか。
真意の程は分からないけどそんなことはどうでもいい。
僕にとっては、これが最後の攻撃なるかもしれないからだ。
勝負の行方は至極シンプル。
僕の攻撃が当たれば勝ち、当たらなければ負け。
不思議と、緊張感はなかった。身体の震えもないし、恐怖心のようなものもない。
お互いにどちらかともなく歩きだし、やがて速度を上げて駈け出していく。
「うぅぅぁああああああああああ!!」
もう一生歩けなくてもいい。
もう一生動けなくてもいい。
全身全霊、僕の全てを捧げた正しく乾坤一擲の一撃が屋上で交差し、両者の間で夜風が流れる。
「うぅん、参ったね……こりゃあ……」
そんな野暮ったい声が背中越しに聞こえたような気がして、僕は膝を折るのを通り越して倒れてしまった。
もう、本当に一歩も動けない。動く気力も体力も今の攻撃で全て出し尽してしまった。
手から離れた斧槍が傍らに転がると氷が全て砕け散ってしまい――それと同時に、僕の意識も遠い遠い闇の底へと沈んでいってしまった。
次話は来年……や、もしかしたら来週また更新出来るかな?
色々言いたいコト(作品のコト含め)ありますが、それは後ほど活動報告の方で書きます。
では、待て次回。




