第16話
「あーあ、負けちゃった……か」
武器を失い、先輩は力無く呟くとその場で仰向けにひっくり返ってしまった。まるで動物が無抵抗の意志を示すような、そんな感じにかなり投げやりに。そのまま視線だけで僕を見上げる。虚ろだった瞳には諦めのような色が浮かんでいた。
「どうしたのさ。早く殺したら?」
「僕が先輩を殺すわけないじゃないですか」
「……そっか」
「そんなことよりも、先輩には色々と訊きたいことがあるんです。勝ったら洗いざらい話してくれるって約束だったでしょ」
「そんな約束はもう時効……なんて、言える立場じゃないか。いいよ、話してあげる。まず何から訊きたい?」
寝そべったまま話をしてもらうのも悪い気がして、僕は先輩に歩み寄ると肩を貸して近くのベンチまで運んであげた。担いだ先輩の軽さに驚いたけど、そんな僕の行為に先輩はもっと驚いたようだった。
「そんなことしてくれなくたって、別に自分で立ち上がれたのに」
「これは、僕がしたいだけですから」
「……なんか情けないね。自分であんな派手に啖呵を切ったのに、これじゃてんで惨めじゃないか」
先輩を降ろして僕もちゃっかり隣に腰掛ける。澄んだ夏の夜の空は地上の街明かりに負けじと星々が小さく瞬いている。状況が状況でなかったら、それはそれはロマンチックなシーンだったかもしれない。
さて、まずは何から訊いたものか。
「先輩は……どうして萩月さんを襲ったんですか? 前に、先輩は仕事だって言ってましたけど」
「命令だったからさ。幸 運 の 総 符の収集、並びに“萩月真優の始末する”……それがアタシに与えられた“仕事”だからね」
「つまり先輩の後ろには何か、組織的な存在があるってことなんですか?」
「そうだよ。もっとも、アタシは下っ端だけどね」
「先輩で下っ端って……」
じゃあ、その組織には先輩よりも強い人がたくさん存在しているということ……か。いつか相手するのかと思うとゾッとしない。
「先輩のカードもその“組織”から?」
「あぁ、カードと私とで適性があったみたいで特別に受け取ったのさ。さっきもご覧の通り、物や姿を隠す能力のカード。偵察の仕事の多いアタシとしてはけっこう重宝してたよ」
「じゃあ、その“組織”ってのは何なんですか?」
「……アンフィスバエナ」
そこで一度区切って、先輩は言葉を続ける。遠くで萩月さんが顔をしかめているのが見えた。
「幸 運 の 総 符を集めて、何か企んでるってとこまでしかアタシも知らない。それ以上は知らない方がいいってブレーキ掛けてたから」
「……」
僕は一度、これまでの経緯を整理する。
先輩はアンフィスバエナという謎の組織から幸運の総符を握る萩月さんを始末、並びに彼女の持つカードの収集の命令を受けていた。件の組織が幸運の総符を狙っているとはつまり、アンフィスバエナ側の人間は幸運の総符の持つ願いを叶える力を知っているということになる。
ここで、一つ疑問が浮かび上がる。
彼らは何処で、この幸 運 の 総 符のことを知ったのだろう?
この幸運の総符と呼ばれるものは、萩月さんが曽祖父より譲り受けたもののはずだし、それ以前から気になっていたのは――彼女が譲り受けたカード以外のカードのことだ。
譲り受けたというカードは僕の『正 義』や彼女のカード『 月 』を含め、『恋 人 た ち』『 力 』『節 制』『 星 』の計六枚。
そして大アルカナのタロットカードは全部で二十二枚。
仮に先輩の『隠 者』を足したとしても僕らの手にはたったの七枚だけしか存在しない。彼女はこれをどうとも思っていないのだろうか。
「あの、萩月さ――」
「あれあれ? 随分と珍妙な光景じゃないの」
突如全く覚えのない声に遮られ、自然と声の主を探し視線を彷徨わせる。
屋上の隅に設置された給水塔――その隣に、白いジャージ姿の青年が見えた。月明かりに照らされた茶髪に何だか眠たげな緩い瞳。耳元で光っているのは……ピアスだろうか。一見するとチャラそうな今時のワカモノに見えるのに、漂わせている気だるげな雰囲気の所為で何だかチグハグな印象を受ける。そもそも服がジャージの時点で何だかズレているような。
「天音ちゃーん、説明きぼん」
「……見ての通りだが」
苦々しげに吐き捨てる先輩――その様子からして彼が組織の同僚なのだと判断する。そりゃ、仲間に仕事失敗しましただなんて堂々と言えるわけがない。世の中にはそういう人もいそうだけど。というか、目の前の人なんかもの凄く当て嵌まりそうなんですけど。
青年はというと、僕や黒羽里先輩、それから萩月さんと視線を巡らせうぅんと唸り始めた。やがて合点がいったのかポンと効果音付き(あれ、今あの人自分で言わなかった?)で手を打ち、導き出した結論はというと。
「はッ! こりゃひょっとしてもしかして恋の三角関係ってヤツか!?」
うわっはっはっは! とか一人でウケている傍ら、彼を除くこの場に居る全員の表情は永久凍土の如く凍りついている。傍から見たらどう映るかは知らないが、少なくともこの状況を見てそんなお茶らけた雰囲気を感じられるとは到底思えない。空気が読めてないというか、そんな次元を越えた彼の自由さに僕はほんの少しだけ敬意を抱く。……あくまで本当に、ほんの少しだけ。
けらけらと一頻り笑い終えたところで、青年は目尻に浮かんだ涙をパッと拭うとその場からひょいと飛び降りる。ポケットに手を突っ込みながら歩きだし、僕たちと数メートルほど距離を取ったところで足を止めた。
「冗談だよジョーダン。あいっかわらずカッタいねー」
「……」
凄くウザい人だ、とは思っても口に出さない。
「で、ホントどういう状況なの? 天音ちゃんの仕事は……ほら、アレだ。オバケ退治とカード集めでしょ? それなのに、その目 標とくっちゃべってどうすんのさ?」
「それは……」
言葉に詰まる先輩を余所に青年の饒舌は止まらない。彼女の返答を聞くよりも先にまたぺらぺらと語りだした。
「オバケ退治に必要な力はあるのにダメってのは……アレか。やっぱりオバケはカードで退治するもんじゃなくて掃除機で退治するもんだったからか? そうと分かってりゃ掃除機を用意すべきだったか……んにゃ、しかしウチにはあんなキテレツな博士はいないぜどうしたもんか……」
「あの、えっと……先輩、あれは誰です?」
「朝日奈、それは間違っている。アレを誰と称してはいけない。この場合訊ねるのなら“アレは何ですか”が正しい」
え、それってつまり人として扱っちゃいけないってこと?
「おい貴様、名乗れ」
そう威勢よく口火を切ったのは意外にも萩月さんだった。僕も先輩も彼女の突然な発言に驚いていたし、何よりも名前を訊ねられた彼の方が面喰っている様子だった。
「おいおい名乗れって……まぁいいか。名前知らないとお互い呼びづらいもんな。俺の名前は圷統也。二十五歳のフリーターで彼女いない歴二十年、いつか大統領を夢見る素敵な健全かつ優良な好青年さ!」
こういう時、例えば少年漫画なら彼の背後にバシィッ! とか派手な効果音やら効果線が張り巡らされるんだろうけど、いざそれを目の前で実演されると……もの凄く寒い。季節は夏なのに、今この屋上にだけ猛吹雪が吹き荒れているような、そんな感じだった。
「……つまり、五歳の時には彼女がいたと?」
「萩月さん、ツッコむとこはそこじゃないです」
「では、ここが日本なのに大統領を目指しているところか?」
「そもそもツッコむ必要が無いというか……」
「おいおい、ボケにツッコミは必須だろ。カレーライスにおける福神漬けのようなマストアイテムってヤツだ。ほれほれ、遠慮せずにツッコむがいい」
どうしてそこで胸を張れるのか小一時間訊ねてみたい。とてもマトモな答えは期待できそうにないが。
……だけど、こんな相手だけど油断は出来ない。何故なら彼もまた先輩と同じくアンフィスバエナという組織の一員であるからだ。軽薄な言動や仕草が目立つけど、もしかしたらそれが作戦の可能性だって考えられる。
「んで、天音ちゃんの隣の少年が……朝日奈樹君だな。生まれて此の方、ありとあらゆる面で全国平均を叩き出している超が付くほどの平凡少年。そんな君にはこの俺から『ミスター平凡っ子』の称号をくれてやろうか」
「そ、そんな称号迷惑ですよ!」
「何を言っている、既に所持しているだろう」
ぐさりと突き刺さる萩月さんの言葉。
そしてお願いだから隣の先輩まで頷かないでください凄く悲しいんです。
「いやまーしかし、たった一夜にしてカード所持者になっちゃって君も大変だねぇ。もう普通の生活には戻れないかもしれないんだよ? 辛くない?」
「え? ぅえっと……」
ほんの数分前まで死闘を繰り広げていたとは思えないほど緩み切った場の雰囲気に呑まれ、真面目に答えるべきか悩んでしまった。そんな僕を見て圷統也は快活に笑った。
「はっはは。いやー、ホント真面目な少年だねぇ。今時の主人公に比べたらその真面目さが逆に奇抜なぐらいだ、うんうん」
「は? 主人公って、何の話ですか?」
「何って、そりゃあお姫様を守る騎士ってのはだいたい主人公じゃないか。ドラゴンから捕らわれの姫を助ける奴もいれば、パンツ一枚になってまで戦い抜く奴だってそうだし、キノコ食ってジャンプするヤツは……失礼、ありゃ配管工だな」
……おかしい。僕はこの人と同じ言語を話しているような気がしなくなってきた。ちんぷんかんぷんな言動を繰り広げている彼の瞳に、不意に危険な光が差し込む。
「でもそれが、悪のお姫様だったら……ちょっとナンセンスだよなぁ?」
「あく……の?」
何処からどのようにして“悪”なんて言葉に繋がるのか分からず、僕が困惑しているとまたも彼は笑いだした。
「ま、君は知らない方がいいんじゃない? 知ったってどうせ信じそうにないし」
「えっと……あなたが何を言ってるのか、全然分かんないんですけど……」
「それ以上聞く必要はない」
いつの間にか隣に立っていた萩月さんが突き刺さりそうな鋭い視線を彼に向けている。途端、今の今まで緩み切った空気がキュッと引き締まるような気配を感じた。ピリピリと頬に伝わるのは――殺気か。
「ん、そーかい。んじゃ俺も気分は乗らないけども……お仕事しますか」
「待て、それは私の――」
「俺のお仕事は天音ちゃんのと似てるけどちょっと違う。オバケ退治とカード集め――それ、天音ちゃんのカードの回収も兼ねてるの。意味は、言わなくても分かるっしょ?」
「く……」
ゆるり、と緩慢な動作で彼がポケットに突っ込んでいた両手を抜きだす。その左手には、僕たちもよく知っている小さなプレートのようなものが握られていた。カードからカッと光が瞬いた次の瞬間、それは彼の両手の中に奇妙な形状で出現した。
一言で言うなら、カタカナの『ト』を象ったものだろうか。茶褐色のそれの、ちょうど『ト』の字の出っ張った部分を握りしめ軽く身構える。ジャージ姿の所為で、何処かで見た武道家のように思える。
「……あんま向いてないよなぁこの武器。そもそも命を奪う武器じゃねえからな」
「トンファー……だったか」
「知ってるの、萩月さん?」
「沖縄の古武道に使われる武器で、刀剣類との戦闘を想定とした攻防一体の武具だ」
「アメリカとかじゃ警棒として使われてたりするんだぜ。オレの好きな格ゲーのキャラもこれ使っててよ、オレも使いてーなーって思ってたらこうなったってわけ」
「じゃあ、それがあなたのカード……?」
「ナンバー……えっと、忘れた。バカ者ってカードだっけっかな」
「大アルカナ0番、『愚 者』……決してバカ者という意味ではないけれど」
「それそれ。おっと、流石にコイツの力云々は教えられないぜ。そりゃトップシークレットだ」
軽薄な態度は依然として変わらず、しかし彼はゆっくりとこちらに向けて歩き出している。それは、彼の武器であるトンファーの有効距離まで近づこうとしている証拠。
また、戦わなければならない。
再び斧槍を顕現させ、彼と萩月さんの間に遮るようにして立つ。ヒュッと軽い口笛が聞こえた。
「カッコいいねぇ。正しく騎士って感じじゃん」
「萩月さんは逃げてください。時間稼ぎくらいはしますから」
「……いや、ここから離れられない以上意味はない。私も、ここで顛末を見届ける」
「わかりました。……けど、危ないから下がっててください」
彼女の身体が退いていったのを確認して、僕は切っ先を彼に目がけて構える。構えながら、彼の武器に一度目を遣る。どう見ても近接戦闘用の武器。そしてこちらの武器は圧倒的な攻撃範囲を持つ斧槍。一見すると僕の方が有利に見えるが油断は出来ない。でも、疲弊している分早くに決着を付けたい。
先に仕掛けたのは――僕だった。
「はぁああッ!」
出来得る最高の速度で踏み込み、斧槍の最先端部である穂 先を思い切り水平に突き出す。直撃すればその身体を貫き、回避されたとしても右に斧刃、左には鉤爪。そのまま薙ぎ払えばそのどちらかの攻撃が待ち受けている。隙も大きいが相手よりも有利な距離にあるからこそ出来る強引な技だ。避けられても、追撃できる。だが僕の目論見は数秒の後に瓦解した。
「ほいよっと」
「な……えッ!?」
突き出した穂先が貫くことも無ければ、斧刃や鉤爪が追撃をするでもなく。僕が穿った一撃は、彼の両手にあるトンファーにあっさりと挟み込まれてしまった。時代劇の殺陣でだって滅多に見ない――真剣白刃取り。咄嗟に力を込めるも穂先は右にも左にもビクともしない。
「その意気や良し! ってか。しかしトンファー相手にハルバードってのはちょっと卑怯やしないかい? 戦隊モノのヒーローが、悪の怪人に対して五人で挑むのと似てる気がする――ぜッ!」
「へッ――うわあああ!?」
瞬間、目の前の景色がいきなりビュンと加速した。それは例えるなら電車の車窓から眺める窓の景色のような感覚。何の模様もない屋上の地面がするすると滑る様を見て、ようやく彼に引っ張られていると分かった。そして見上げたその先で、ニヤリとどこか憎めない笑顔を浮かべる彼の姿を捉えた。
「顔はやめとく、ボディで受けな」
「ぅあ――が!? はぁああッ――!!」
強引に引き寄せられ、次いで下腹部に奔る激痛と衝撃。クリーンヒットを受けた僕の身体は緩やかな放物線を描きやがて地べたに背中から叩きつけられる。起き上がろうとして――全く起き上がれなかった。身体の中身が滅茶苦茶になってしまったかのような例え様の無い痛みに全身を捩る。
彼の攻撃は、本気だった。
見た目や言動こそ浮き雲のように掴めないくせにその裏にある意志は本物。
先輩とのやり取りが、まるでチャンバラ劇みたいに軽く思えてくるような激しい痛みに、僕は掠れたうめき声しか上げることが出来なかった。
「朝日奈――ッ!」
さっきとは逆に、駆け寄ってくれた先輩の肩を借りて立ち上がろうとして――僕は自分の膝ががくがくと震えているのに気づいた。どんなに動けと思っても、どんなに気合いを込めようとも、小刻みに震えるまま一切動いてくれない。
「まだ前の戦闘の疲れが残ってるのに無茶をするからだ。魔法だって、ほとんど今日初めて使ったようなものだろう? 肉体的にも精神的にも、君の身体は……」
「そ、それでも……僕は萩月さんを守るって決めたんです。守るだけの力を手にしたのだから、その責任は果たしたいんです……」
「朝日奈……」
「……責任、ね」
くるくるとトンファーを回しながら傍観していた彼が、ぼそりと呟く。月明かりに照らされたその顔は物憂げで、言っては何だけど似合っていなかった。
「やっぱ君は真面目だ。『正義』のカードに十分相応しい人間だよ。そういう若者を倒さなきゃいけないってのは、何か悪役みたいで嫌だよなぁ」
「何を言って……萩月さんを狙ってる時点で、僕にとってあなたは悪役ですよ」
「一応聞いておく。正義の反対って知ってる?」
「正義の反対って……そんなの、悪ですよ」
「……残念、そりゃ外れだ」
両手のトンファーを握り込み彼が高速で迫りくる。応戦すべく斧槍を支えに立ち上がろうとして――見上げた先で彼が振りかぶるのが見えた。彼の動きが早いのももちろんだが、疲弊し切った自分の動きが遅すぎたのだ。このまま相手の渾身の一撃を受けて、それから――先を予想するのが怖くて出来ない。恐怖は身体を、やがて心をも束縛し僕の一切の動きを封印されてしまう。
やられる――その刹那、目の前を人影が過ぎった。
「せ……先輩ッ!?」
「……始末される前に、せめて君を守る盾ぐらいにはなっておこうと思ってね」
「うぅん、先に『正義』のカード回収できるかなーと思ってたけど……」
黒羽里先輩が、『隠者』顕現させて形成した大鎌で攻撃を受け止めていた。先輩のカードは僕のポケットに入れておいたはず――という瑣末なことは忘れ、今はその行為に感謝しなくてはならない。けど、彼女もまた僕と同じく手負いの状態。そうそう長く保つとは思えない。それに何より、彼女が彼に押されているのは一目瞭然だった。
「ぐッ……つぅッ」
「斧槍に大鎌、二人とも相手するのは流石にキツイんだよね……だからさ」
すると彼は大鎌の柄を蹴ると、ワイヤーアクションさながら空中で回転しながら器用に後方へと下がっていく。それを見た先輩がここぞとばかりに一気に駈け出す。着地した隙を狙って薙ぎ払うつもりだ。
「いりゃぁああああッ!!」
「天音ちゃんには、ご退場願おうか――ッ」
そして、異変は起こった。空中で回転を続けていた彼は、不意にその動きを空中で止めたのだ。まるで彼の背後に見えない壁でもあるかのように、虚空を蹴り飛ばし先輩に向けて弾かれたように跳躍――勢いのついた右足を、先輩のわき腹目がけて叩き込む。
「あ――がッ!?」
予期せぬ一撃を受けた先輩は反対側に吹き飛ばされていく。その先で待ち受けているのは無尽蔵に広がる闇。転落防止用の金網を越え、先輩の身体は闇の中へと放り込まれていく。人とは、こんなに容易く飛んでしまっていいのか――いいわけがない。咄嗟に駆けつけようと足に力を込めるが、両足は鉛の沼に沈んでしまったかのように重く使い物にならなかった。
有体に言えば――屋上から吹き飛ばされた先輩を前に、僕は何も出来なかった。
「せ、せんぱ……い……? ……うぁ……あ……ああああああああああッ!?」
「ちょっと派手にやっちゃったかな……後処理が大変そうだ」
目の前で、大切な人が死んでしまった。
目の前で、大切な人が殺されてしまった。
動けない僕を庇って、先輩が死んでしまった。
死ぬのは僕だったはずなのに、それなのに、自分の代わりに先輩が死んでしまった。
認めたくない現実を目の当たりにし、僕の頭の中が滅茶苦茶に乱れていく。
コントロール出来ず荒れ狂う感情の波が一気に押し寄せてくる。
僕のせいだ。
僕のせいで、僕のせいで先輩を死なせてしまった。
無力な自分への後悔は――怒りに。
無力な自分への怒りは――憎しみに。
そして憎しみは――僕の中で静かな殺意へと変貌していく。
ありとあらゆる感情が、その根底から凍りついていく感覚。
思考がクリアに、意志は冷徹に。
甘えていた自分の身体を無理やり叩き起こし、目の前の敵だけを視界の内に据える。
「殺気で辺りが静まりかえって……? なんて、ふざけてる場合じゃないな」
「……アンタは、許さない。絶ッ対に!!」
この手に在る『正義』は悪を滅ぼす絶対たる力。
刺し違えてだって――アイツを殺してやる。
理性が凍てつく感覚にその身を委ね――僕は咆哮した。
さて、物語もいよいよクライマックス。
このお話ももう少しで完結となります。
果たして勝負の行方は――次回、ご期待くださいまし。
なお、次話は来週の土曜日辺りを予定しております。
追伸
『コイヒメサクヤ』第三話の更新は16日に変更いたします。
少し修正してますです。




