第13話
下校時刻を告げる鐘の音を合図に僕たちは昇降口へと下りていく。
テストから解放された僕らの足取りは心無し軽いように感じた。
「ったくよ、図書室ってのは走り回る場所じゃないだろ?」
「私を怒らせた高広が悪いの」
「横暴な奴……っとと」
鈴宮の瞳に再び危険な光が宿ったのを見て高広が慌てて口を閉ざす。僕は不意に現れた萩月さんの事が気になっていたのだが、結局彼女はあれ以上何も言わずに忽然と姿を消してしまった。まぁ、後でここに来ればいいだけの話だけど。
「テスト終わったら、次は夏休みだよなぁ」
「そうそう、夏休みの宿題があるんだよね」
「……せっかく考えないようにしてたのに、お前って奴はよぉ」
「それよりもさ、今年は何処行くのかな? 今度は海とか山に行きたいよね」
彼女がご機嫌に話しだしたのは僕たち三人にとっての恒例行事のようなもののことだ。仲良しここに極まれりというべきか、僕たちは未だに家族ぐるみで旅行に行ったりバーベキューをやったりと、今時にしてみたらかなり珍しくご近所付き合いが盛んな家族だ。ちなみに、去年は鈴宮の両親だけ都合が合わず、高広の家で飲み会のような物――もちろん僕たちはお酒を飲まない――が行われた。最後の最後に、高広がコンビニで小さな花火セットを買って来たのには随分と笑わせてもらった。あの時の高広は小学生並みにはしゃぎ過ぎていた。
「行くなら俺は山がいいな。大自然の中で釣りをするのは格別だからな」
「私は海がいいかなぁ。思いっきり泳ぎたいし!」
で、ここぞとばかりに二人の視線が一挙に僕へと注がれる。
「樹も山だよな!」
「朝日奈君も、海行きたいよね!」
「ぅえっと……」
どちらかと言えばインドア派の僕としてはどっちも行きたくない、というのがファイナルアンサーなのだけど、今の二人に僕の答えが届くとは到底思えない。適当に答えて誤魔化そうかとも思ったが、二人の鬼気迫る表情からこれも断念。とはいえこのまま無言に徹していれば高広に拷問されかねないので、一応当たり障りないように答えておく。
「僕は別に……どっちでも」
山だろうと海だろうと、どちらも特別好きでもないし嫌いでもない。僕の正直な答えに、二人は揃って心底がっかりしたような顔を浮かべ、高広に至っては大袈裟に天を仰ぐ始末。
「っかー! またかよ!」
「朝日奈君、去年も一昨年も同じようなこと言ってたよねー」
「もうちっとエンジョイしようだとか思わないのか?」
「僕は別にどっちでも。楽しもうと思えば楽しむよ」
「そんなんだから平均点しか取れないんだな」
「成績とこの話になんの因果関係があるんだよッ!」
無い。全く無い。あってたまるかそんな因果関係。
校舎を後に歩きだし、長く緩やかな坂道を三人まばらになって下っていく。坂道の先は国道、大通りを抜けて住宅街方面へ歩き続けること十分程度。全員が徒歩で通える距離なので自ずと帰路も短い。交差点を過ぎれば高広の家の酒屋さんが見えてくるし、その二件ほど奥には鈴宮の家。僕の家だけ二人と少しだけ方向がずれるけど、距離的にはこれといった大差が無い。
「じゃあ、またな」
「朝日奈君も高広も、テスト終わっただけなんだから気を抜いちゃダメだよ?」
「わーってるよ」
「うん。二人とも、また明日」
高広と鈴宮に別れを告げ一人の帰路へと就く。図書室での騒動の所為で少々遅れた所為か、西で傾く夕日が既に沈みかけていた。ほんの少しだけ急ぐ。距離にしたってわずか数十メートル程度。早足で歩いても五分と掛からない。
「…………」
見られている。背中に突き刺さるような視線と気配を感じ僕は足を止める。振り返るべきか否か。それを考える間もなく、足元に伸びていた僕の影の隣に、別の黒い影が突如として浮かび上がった。
「ぅわッ!」
影が起こると同時、ヒュッと鋭い風が舞い起こる。咄嗟に身を捩ったものの間に合わず、僕の頬に熱が奔る。何かで切られたかのような痛み、触れた手に滑りつく血の感触。
「冗談……だろ?」
僕の前でゆらりと揺れ動く、見覚えのある三つの黒い影。それは、あの時図書室で戦った人の形をした謎の物体とほとんど同じものだった。ほとんど、というのは前回と微妙に差異があるからだ。
前に戦った時は人のような形をした何かとしか分からなかったが、今目の前で対峙しているそれは黒い甲冑姿をしていた。もしかしたら前のアレも、暗がりで見えなかっただけだろうか? いや、今はそんな余計なことを考えていられるような状況じゃない。前回は、一対一。しかし、今回は三対一という状況。加えて今は真夜中の図書室のような無人に近い状況ではなく、人の往来があってもおかしくはない住宅街。見られて事情を話すことも出来ないし、信じてもらえるとも思えない。加えて、彼らは目撃者を生かして帰すだろうか? その可能性は、恐らくなさそうな気がする。
じりじりと、静かに距離を詰めていく黒い甲冑たち。
摺り足で僅かに後方へと下がる僕。
何かの拍子で突っ込んできそうな一触即発の緊迫感に全身が包みこまれる。
「…………ッ!!」
上手く相手の先手を取り、真後ろに振り返って地面を蹴り飛ばす。それと同時甲冑達も僕を追ってがしゃがしゃと騒々しい音を立て始める。
「コイツら、やっぱり前の……! でも、なんで、こんなところに、いるんだよ!?」
前回の時、確か萩月さんはアレの事を『偵察者』と考えていたようだが、何もこんな夕暮れ時に、しかも三人で住宅街にまで偵察に来るというのはおかしい。となると、アレの目標は幸 運 の 総 符を持ち、かつ前回アレを撃退した僕だけに絞られる。
自宅からがむしゃらに走りながら、何処へ行くべきかと必至で思考を巡らせる。
このまま直進して行けば河川敷に辿りつけるが、この時間帯の河川敷は犬の散歩だとかジョギングに精を出す人たちの所為で逆に人気が多い。後ろの甲冑を見たら、パニックになって事が大きくなってしまう。
「どうしたら……う、うっわぁ!?」
突然影が頭上を過ぎたかと思うと僕の目の前に黒い甲冑が着地し、振り向きざま右拳を振りかざしてきた。ブレーキとバックステップを駆使して攻撃を避けると、バコン! とまるでロボットアニメのような効果音を立ててコンクリートの地面がいとも容易く抉られた。ずぶり、と沈みこむ黒い甲冑の腕を見る限り、生身でアレを受けたら絶対に無事では済まないだろう。嫌な汗が全身をそろりと這う感触。このまま逃げ続けても埒が明かないし、かといってこの場で戦ったら誰の目に付くのか分かったものじゃない。
僕が立つは四つ辻の中心。
甲冑は背後にニ対と正面に一体。
「破れかぶれって、こういうんだよ……ねッ!」
僕は咄嗟に、自分から見て左手方向、つまり四つ辻の北へと駈け出す。行き先など何も思い付かなかったけど、あそこで往生しているよりは遥かにマシだ。
走りながら、この先に何が在っただろうかと思い起こしてみる。
この路地をまっすぐ進んでいくと方向的には僕が通う桜宮高校と同じ。確か、このまま行くと……
「……桜宮霊園!」
よりによって思い出したのが墓地とは縁起が悪い。まるで今すぐ墓でも建てられてしまいそうな、世間一般で言うところのフラグとやらが建設されそうだ。
でも、少なくとも住宅街で戦うよりかは何倍も良い。この時間なら人目も無さそうだし、何より敷地が広い。路地に比べたら、幾分かは戦えそうな気がする。
一筋の光明を見出した僕は、残る脚力全て出し切って桜宮霊園へと向かう。……が、間もなくして息切れが目立ち始める。どうせなら陸上部にでも所属すべきだったかなと、無駄な後悔をしつつ霊園の門を滑りこむようにして潜る。
案の定というべきか、黄昏時の霊園には人っ子一人見当たらなかった。
シンと静まりかえった霊園は、むしろ静まりかえり過ぎて気味が悪い。住職の姿も見当たらず、一見するとほとんど無人の状態だった。
「こ、ここなら……まだ……あ、あれ?」
膝に手を当て息を整えつつちらと後方を見やると、僕を追いかけていた黒甲冑たちの姿が忽然と消えていた。退いてくれた? そんな僕の安易な願いは、じゃり、と玉砂利を踏みしめる音にかき消された。
気が付くと、僕を中心に黒い甲冑たちが三角形を描くような形で僕を取り囲んでいた。
やがて、甲冑の内の一体が、その姿に相応しい細身の両刃の剣を何処からともなく抜き放ち、それに連動するようにして他の甲冑たちも各々の手に剣を握りしめはじめた。
「今度は武器付き……」
しかも相手は三体。
当然この場に味方なんて優しい存在が在るわけもなく、必然的に三対一という数の暴力を強いられている。状況は超が付くほどに不利。しかし、だからといって成す術なく一方的にやられるということだけは嫌だ。
ポケットから自分のカードを取り出し、右掌に意識を集中させていく。
――思い描く姿は、白銀の斧槍。
「正 義」
その名を呼ばれたカードは淡い光を放ち、淡い光は、そのまま僕の手の平の上で一振りの斧 槍へと姿を変貌させる。僕のカード、十一番目のアルカナ『正義』。それこそ、今目の前で対峙している甲冑に持たせた方が似合うのではないかという重厚な銀の輝きを放つ斧槍は、しかし僕にしか使えない僕だけの唯一絶対の力。前回の偵察者との戦闘、そして先輩との戦闘、たったの二度しか戦った経験はない。出来るかどうかは、わからない。でも、何もしないでやられるくらいなら、アイツらに一矢報いたい。
「……ッ」
ぎり、と奥歯を噛みしめ柄を握り締める。
何処からでも来い……や、出来たら正面のヤツから来てほしい。一対一なら、ある程度は戦えるはず。が、僕の願いが天に届くよりも先に甲冑たちが一遍に、一斉に飛び掛かってきた。
「こんの……ッ!」
三方向からの鋭い剣戟。
咄嗟にバックステップで回避したものの、三つ巴の斬撃は石畳を容易く破砕し破片が四散する。が、あくまで初撃を回避したに過ぎず、甲冑たちはくるりと全身で振り返り、今度は徒党を組んで僕へと猪突猛進に突っ込んできた。今度は躱せない。追いつめられた僕は、思い切って手にした斧槍を大きく横に薙いだ。
――ガ、キィ――ンッ!
薙いだと同時、甲冑の振り回した剣とぶつかり合い火花を散らす。弾くまでとはいかなかったが、相手の剣の軌道を反らすことができた。
「なら……これっで、どうだぁッ!!」
薙いだ斧槍を翻し、よろけた相手の胴元目がけて反対方向からもう一度振り払う。我武者羅に振り回された斧槍は、精度こそないものの力任せに降ったおかげで一撃に重さが加わる。その証拠に、斧刃の切っ先が甲冑の兜に直撃したその瞬間、金属バットを叩きつけたようにジンと手が痺れる痛み、次いでぐしゃりと兜を破壊する感触が手の平にありありと伝わってきた。斧槍の直撃を受けた甲冑はそのまま右方向に吹き飛び墓石にぶつかると、いつか見たように黒い煙となって黄昏色の風の中に掠れて消えていった。
他の二体は仲間の死に何の反応を見せず、依然としてこちらに敵意と刃を向けている。やはりあれは人ではないということだろうか。なら、遠慮なく叩き潰しても……
「……いいんだよ……ねッ!」
反撃に身を転じ、こちら側から攻勢に出る。
甲冑たちが剣を携え前進すると、それを迎え撃つような形で僕は走りだす。
斧槍という長柄武器独自のリーチの長さを生かすためにまずは先制攻撃。相手の剣の範囲は短い。そして、斧槍は剣よりも圧倒的にその範囲が長いのだから、自分の攻撃範囲、かつ相手の攻撃圏外の位置を維持しながら刃を振るっていける。斧刃を薙いで、穂先で突いて、もう一度薙いで、体勢の崩れた甲冑の脳天にすかさず鉤爪を振り下ろす。ガラスの砕けたような音を響かせ、二体目の甲冑が地面に伏せ落ちる。残る相手は、一体だけだ。
「残るのは……はぁ、お前だけ……だ、はぁ……はぁッ」
突き刺さった鉤爪を抜こうとした、その瞬間。
思いの外深く突き刺さっていた鉤爪を勢いに任せて引き抜いたその時、僕の身体がぐらりと、まるで後頭部を引っ張られて真っ逆さまに叩きつけられそうになるような錯覚に襲われた。自分でも何が起こったのかと思考が定まらず、気づいた時にはへたりとその場に尻もちをついてしまっていた。
「………………え……?」
今までの全力疾走に加え、慣れない斧槍での戦闘行為。
これら全ての要因が今になって全身へ覆いかぶさり、僕の身体に『疲労』という形で具現化される。有体に言ってしまうと、疲れてへたれ込んで、動けなくなってしまったのだ。
「……は、はは…………」
乾いた笑い声は風に乗って何処へと飛ばされ、残されたのは震える両足と両手、いや全身と、それから目の前で悪鬼の如く佇む一体の甲冑。
ゆらり、と揺らいだかと思った次の瞬間、悪鬼は両刃の剣を上段に構え、そして無慈悲に振り下ろす。
「――ッ、うわあああ!!」
火事場の馬鹿力、と同じ原理であろう力で無理やり身体を回転させ、甲冑の一撃を寸でのところで回避。転がった勢いと斧槍とを支えにどうにか立ち上がると、若干ぼやけた視界の向こう側に甲冑の姿を捉える。がくがくと震える身体は創造以上に言うことを聞いてくれなくて、このまま迎え撃つことが出来かどうか不安が心を過ぎる。
とにもかくにも、まずは動いて距離を取らなくては。と同時、甲冑が走った。僕も同じように走ろうとして――何かに躓いてしまった。
「あ……!」
何かとは――情けないことに自分の足だった。
もつれた両足が不意に絡んで躓いてしまい、甲冑はこれを好機と見るなり跳躍し剣を向ける。
僅かに身動ぎして避けようとしたが、間に合わない。突き出された剣の切っ先が、吸い込まれるようにして僕の左腕を貫いた。
「うっぐぁが、ああああああああああああッ、がぁッ!?」
二の腕に襲いかかる烈火のような激しい熱と痛みと、異物が自分の腕を貫く不快感と溢れる鮮血に僕の意識が一瞬ブラックアウトしかける。ぎりぎりと軋むほどに奥歯を噛みしめ、寸でのところで堪えた意識の中、僕は滅茶苦茶に斧槍を振り回して甲冑を追い払うと、同時に両刃の剣が僕の腕から引き抜かれた。
「うぐ、ぅ……ぐッ……ぷ」
ダメージのショックからなのか、突然催した吐き気に使い物になる方の手で口を覆う。今の一撃で、左腕そのものの感覚が失せた。指先を動かそうとしても、腕を上げようとしても曲げようとしても、脳が送り出す信号の全てを激痛が遮断してしまっているのかピクリとも動いてくれない。
動かない。いや、動かせない。
この瞬間、僕の左腕はただの飾りとしての役割も果たせない無用の長物と化してしまった。
「は…………はは。こ、んなの……何て、親に説明したら、いいんだ……か……な……はは」
血塗れになっていく制服と、とても直視出来るような状態ではない左腕。
奔る激痛とは裏腹に、酷く冷めていく思考。
大量に出血した所為? 血が上るのとは逆に、血が失せているから、冷めているのか。
疲労と腕の激痛で満足に動けないくせに、喉の奥から掠れた笑い声が漏れる。
何で、笑えるんだろう。
何で、笑っているんだろう。
今この瞬間、殺されかかっているのに。
命を失うかもしれないというその刹那、僕の頭の中は、妙に冷め切っていた。
「……動くな」
斧槍を杖代わりに立ち上がり、僕の口から呪詛のように言葉が漏れる。
自分でも驚くぐらい、ゾッとするほどに冷めた声音。
もちろん、相手はそんな僕の言葉を真に受けて足を止めるような奴じゃない。
そんなことは百も承知。
「……動くな、そこで、止まれ」
斧槍を地面に突き立て、右掌を甲冑へとまっすぐに伸ばす。その瞬間、甲冑の足元に蒼白い光を放つ幾何学的な紋様が浮かび上がると、甲冑の足元から白い霧が立ち込め始める。
それでも意に介さない甲冑は僕の元へトドメを刺そうと一歩前進しようとして――止まった。
ゆらり、と緩慢な動作で甲冑は足元へと視線を落とす。黒い甲冑の具足は、いつの間にか白い冷気を放つ氷塊と化していた。突然氷漬けにされた足を力任せに動かして砕こうとするが、氷はビクともせず相手の一切の動きを封じ込めていた。
甲冑が視線をこちらに戻す。が、その時には既に僕は甲冑の目の前にまで接近していた。
片腕だけで担いだ斧槍を上段に構え、身動きの取れなくなった甲冑を、酷く冷めた瞳で見据える。
「……………………さようなら」
一瞬だった。
ゴトン、とくぐもった音を響かせ、夕闇の広がる霊園の地面に甲冑の首が一つ転がる。
中身が在るような無いような、奇妙で曖昧な感触が斧槍を通して手に伝わったが、これといった感慨も湧かず、僕はただ呆然とその場に立ち尽くす。
腕が、痛い。
斧槍をカードに戻しポケットにねじ込むと、だらりと力無くぶら下がった左手を右手で抱えるようにして歩き出す。
「…………」
霊園の門を抜け、左腕から血を滴らせ、無言で歩みを進める。
僕が覚えていたのは、そこまでだった。
ようやっと更新できた;
いやぁ、ハーメルンやら新作のホラーやらガンスリンガーストラトスやら、色々と浮気し過ぎてこのざまです;
次話は、また遅くなりそうですけど……読んでくれたら、嬉しいです。
では、待て次回。




