第12話
うだるような暑さの中、朦朧とする意識を終業を告げる鐘の音が強引に叩き起こす。
いつの間にか僕は眠りかけていたらしい。僅かに首を上げて視線を正面に向けると、気難しそうな表情で腕組みする英語教師の姿が見えた。
「おら~後ろの席から答案用紙持ってこい。おい佐藤、無駄な抵抗は止せ。テストはこれで終わりだぞ」
一瞬、何故か佐藤君が警官に囲まれる銀行強盗のような図が頭に浮かんだが、そのイメージは答案を回収する同級生の声に蜃気楼の如くかき消された。
かくして、夏休みを阻む最後の砦である期末テストは幕を閉じた。苦手な英語は予想以上に手強かったものの、しかし今回に関しては勉強の成果からなのか自分の回答にかなりの自信があった。
「よう、お疲れ」
「ん、高広もな」
僕の机にどっかと腰を下ろしたのは親友である大瀬高広。高校生にして二メートルを越えるその長身は、間近で見上げるとさながら巨人のようである。彼は僕の数少ない幼馴染で、高広が来たということは、当然もう一人の幼馴染もやってくるというわけで。
「二人とも、どうだったどうだった?」
やり遂げた! という輝かしいオーラに包まれて現れたもう一人の幼馴染、鈴宮夏鈴が喜色満面の笑みで隣に立つ。その様子から察するにテストの出来は最高だったのだろう。学年主席というのはやはり伊達ではない様子。
「俺は……そうだな、予想よりもちょっと簡単だったような気がしたな。英語のヒアリングは今回よく聞き取れたし、あの最初の設問の答えってAでいいんだよな?」
……ん?
「うんうん。あからさまな引っかけ問題っぽかったけど、あそこは間違いなくAだね」
「……そしてその引っかけ問題に引っ掛かったアホがこちらってわけか」
「ま、マジかよぉ……」
ゴン、と僕のおでこが机を穿つ音が小気味よく響いて痛い。他の人の様子からして同じように引っ掛かった人もいるのだろうけど、自信満々で解いていた自分としては何だか情けない話。
「ところでさ、二人ともこれからどうするの?」
「特にこれといって予定はないな。強いて言うなら、このまままっすぐ帰って店の手伝いぐらいか」
高広の実家は酒屋さんで、彼はよく両親の手伝いをしている。
部活や学校で忙しい中、せっせとお酒を運んだり、時にお店を預かる姿に僕は率直に尊敬している。彼の体格の良さはそれらの仕事の恩恵もある。真夏ともなればお酒を買ったり飲んだりする機会が増えて、お店としてもかき入れ時で忙しいのだろう。ホント、よく出来た息子である。
「ねぇ、事件のあった図書室って気にならない?」
「えッ?」
鈴宮の方を見てみると、その端正な顔に好奇心の色がありありと映っていた。彼女はこの学校の新聞部に所属していて、彼女が発行する『さくら通信』という校内新聞は非常に人気が高い。
生徒会の活動報告はもちろん、各部活動の大会結果や近況、校内美化に取り組む用務員さんの一日などその記事は多方面に広がっていて、生徒や先生、果ては生徒のご家族にまでも愛読者がいるという話。そして、この新聞を大層気に入っているのが校長先生で、その手腕から鈴宮に学校のホームページを任せてみようかという話にまで持ち上がったこともある。
……あれから続報を聞いてないけど、もしかしたら本当に作ってるのかもしれない。改めて考えるとすごいな鈴宮って。
さて、話を戻す。
鈴宮は先日事件のあった図書室に行かないかと僕たちに持ち掛けてきた。高広は「お、それは面白そうじゃん」とあっさり承諾。しかし、僕はすんなりとは頷けなかった。
「どうしたの?」
「あれだろ、あんな事件の後じゃ先輩が来ないだろうって」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
第二図書室で起こった器物破損事件に実は僕も大いに関与している。先日の出来事を僕は思い出す。第二図書室で噂の幽霊少女に憧れの先輩、そして閃き合う斧槍と大鎌。瀕死の重傷を負って、彼女に助けられて……そして、彼女を守る騎士になった日。
そんな僕の心境を知る由もない彼女の顔がグッと僕に寄せられる。端正な顔立ちと仄かに香る芳香に、ちょっとだけドギマギする。
「いいじゃん、行ってみようよ。一応使えるようになってるみたいだし、もしかしたら先輩だっているかもしれないでしょ?」
「別に先輩は関係な」
「そうと決まれば善は急げだ。ほれ、立て」
ぐい、とまるで小さな子供を持ち上げるかのように首根っこ掴まれ立たされ、僕の意思とは関係無しに第二図書室へと向かう羽目となる。
「あ……黄色いテープ、無くなってる」
「そりゃもう使えるようになったんだから当たり前だろ。刑事ドラマみたいに潜ってみたかったか?」
「へ? うぅんと……」
もう潜った、とは口が裂けても言えない。
図書室へ入った途端、もはや慣れっこな古ぼけたインクの匂いとカビ臭さが混ざり合った匂いが鼻孔をくすぐる。カウンターに目をやるが、人の気配はない。常に誰かしら当番の人間がいるはずなのに、今日に限っては無人だった。
「失礼しまーす。……って、誰もいないのね」
「当番の人はトイレにでも行ってるのか? ま、別に居ても居なくても変わりはないんだけどよ」
……それはちょっと酷い発言じゃないだろうか。
さて、肝心の中身はというと当たり前な気もするけど綺麗に片づけられていた。
前に勉強で使っていた机は真新しい木の香りが漂う新品になっているし、僕が斧槍の練習でうっかり貫いてしまったあのテーブルも、僕が吹き飛ばされて破壊してしまったあの書棚や椅子も、すっかり新調されているようだった。
……こうして思い返してみると、ほとんど僕の所為である。練習で貫いたのはともかくとして、吹き飛ばされたのは僕の意思じゃないんだけど。
高広と鈴宮が適当な席に着いたので同じように僕も傍の席に座る。何をするのだろうと思って呆けていると、鈴宮が制服の胸ポケットから小さなメモ帳とボールペンを取り出した。
「でも変よね。犯人はどうしてこんな所を狙ったのかしら?」
突如、鈴宮の推理タイム始 動。
彼女は颯爽とメモを開き、図書室内をぐるりと見回しながらメモ帳に何やら書き込んでいく。ボールペンのごりごりという音の速さからしてかなりの文書量を書いているらしい。彼女の言葉に、高広は感慨も無さそうにぼそりと返す。
「確かにそうだよなぁ。第一図書室ならパソコンとかあるから分からんでもないけど、第二にゃ何もないしな」
何もないって、お前なぁ……
確かに第一図書室と違ってパソコンのような電子機器はないものの、逆にここには膨大な量の資料や図版があるのに。
話を合わせるために、僕も少しだけ進言する。
「こ、こういう図鑑とかって貴重なんじゃないの?」
「こんなものを盗んで売ったとしてもすぐに足が付くだろ。学校の印章だってあるし」
「つまり、ここじゃなきゃダメな理由があるってわけよね。何かしら、ここにしかない要素って」
「……この推理に何の意味があるのかな」
テストが終わって現在の時刻は五時二十七分ぐらい。ちなみに、桜宮高校のテストは一日で全て終わらせるというやや強引な時間割で進められる。おかげでテストが一日で終わるのだけど、その分疲労感が割り増しで実質プラスマイナスゼロといったところだ。
テストで疲弊している僕としては早く帰りたい……のだが、急に背後に寒気を感じてピクっと背筋が伸びる。
『フフフ……』
「うわ……ぁッ!?」
突然悲鳴を上げたもんだから、二人の視線が一直線に僕に突き刺さる。高広は怪訝そうに、鈴宮はきょとんとした様子で。
「あん? どうかしたのか?」
「びっくりした。突然変な声出すなんて、何かあった?」
「いや、えっと……」
背後でクスクスと嘲笑するかのような声が聞こえているのだが、その声は僕を見つめる目の前の二人の様子からして一切届いていないらしい。僕が反論しようとしたその瞬間、今度は耳に冷たい風がふーっと吹きかけられ、思わず全身がビクンと跳ねる。
「うっひゃあ!?」
「な、何なに朝日奈君!?」
「……ボケのつもりか?」
「いや違うよ! 僕の耳に息が……あ」
思わず口走った言葉に、今更覆っても意味が無いのと知りつつも慌てて口を塞ぐ。怪しさ全開の僕を前に、鈴宮の訝しむような視線がグサリと突き刺さる。
「今……息って、言った?」
「い、息みたいな風ってことだよ! ほら、耳元でフーッてする、アレみたいな」
「いや、俺じゃないからな」
鈴宮の視線に高広がすぐさま否定する。そもそも隣同士の席でもないのにそんなことできるわけないし、高広の場合そういう地味な悪戯はしないし、出来ればしてほしくないし。
となると、結局僕の気のせいであったと話題が途切れてはい終了……となればよかったのだが、鈴宮の何か閃いちゃった的な顔から察するに、どうやらこの話はこのまま終わらせてくれそうにない。
「そうか……そうだよ! 第二図書室と言えば、白髪の幽霊少女の噂話があるよね?」
「いや、流石にそれと今回の事件は関係ないんじゃねえか?」
全くもってその通りです、と頷ければどれだけ幸せだったろう。思い切り関係あるし、というか現に僕の後ろ辺りにいるんですけども。
『フフフ……霊体というのは便利なものでね。こうやって自分で見える見えないを調整できるの。今だって、私の姿と声は朝日奈君にしか聞こえないようにしてるんだよ』
「そんなはた迷惑な……!」
「何がはた迷惑なの、朝日奈君?」
「ぅえ……あ、や、何でもないです」
すぐ隣でクツクツと、漏らしたいんだか堪えたいんだか微妙なラインの微笑が聞こえる。
鈴宮は「変な朝日奈君」とだけ言って僕に侮蔑のこもったような視線を送ったけど、すぐさま推理メモに視線を戻す。その姿はさながら探偵のよう。
「そうよ、この事件の犯人は……!」
ごくり、と何故か緊張の面持ちで鈴宮を見つめる僕と高広――プラス萩月さん。
いくら彼女が学年主席とはいえ、事件の犯人――しかもその実複数犯――をこの状況から推理することは天地がひっくり返っても不可能なはず。
「犯人は……白髪の幽霊少女よ!」
自信満々に言い放った彼女の清々しいまでの表情。なるほど、これが世間一般で言うところのドヤ顔というヤツらしい。隣でぷるぷると震えだす高広と、どう反応していいのか分からないので無言に徹する僕。……それと、背後から絶対零度の殺気を放つ萩月さん。
しん、と静まり返った僕たちの反応を見て、一番驚いているのが突飛な発言の張本人である鈴宮だった。
「……あれ? ちょっとちょっと、何よその微妙な反応は。どう考えても名推理でしょ?」
「お、お前さ……頭は良いのに、妄想癖が過ぎるというか、突然真顔でそういうこと言うよな……くく、ぷっははは!」
堪え切れず笑い転げ始める高広に、当然と言えば当然だけど鈴宮がムッと顔をしかめる。本人は至って真剣なのだから、それを笑うのは失礼だと思う。僕は無言を貫くだけだけど。触らぬ神に何とやら。
「それに、よく考えてみろよ。仮に、百歩……や、二千歩ぐらい譲ってその幽霊が犯人だとしてよ。住処の図書室で暴れてどうするんだよ? 何の得にもならないだろ?」
「……あ」
「バカと天才は紙一重ってのはホントなんだな……あ、ウソウソ! だからコンパスの針をこっちに向けるな! 危ねえだろうが! おい、やめろっての!」
ここがどういう場所なのかを完全に忘れ去った二人は、あのネコとネズミが追いかけ合うアニメみたいにドタバタと騒ぎ始める。言わずもがなネコが鈴宮でネズミが高広。攻守が逆転することはなさそうだけど。
『なぁ、朝日奈君。素敵な推理を披露してくれた彼女に私からのアドバイスを伝えておいてくれないか? ――《放課後の踊り場には注意》とね』
二人の姿が見えなくなった辺りで、僕はそれでも警戒しながら小さな声音で返答する。
「もしかしなくても、怒ってる?」
『あまり愉快ではないな。見えない存在だからといって、ぞんざいに扱われるのはやはり面白くない』
「……ホントに突き飛ばしたりしないでよ?」
『私がそんな悪霊に見えるのか? 心外だな』
以前、平然と僕に乗り移ろうとか言ってたのは誰だっただろう。
追求しようかと振り返ったが、すでに萩月さんの気配は影も形も残っていなかった。
息抜き的な回。
更新速度が遅くて申し訳ないです;
ガンスリンガーストラトスが楽し過ぎてつい……w
それと、何時になるかは分かりませんがホラーの新作を書こうかなと検討しております。
公開出来たら、そん時はまたよろしくです。
では、待て次回。




