住まいの空間
あら素敵!クラッシックな部屋やなあ(^-^)といった大阪のおばちゃん的感動には、『装飾的な』という意味合いが含まれている。逆になんや今風やね。モダンやなあ。という無感動には、『非装飾的に』『反装飾的な』という意味合いが隠れている。大阪のおばちゃんは、いつの時代でも装飾的なデザインを好むものだ。
それは、街へ出て、服を見れば一目瞭然である。ああ、あの虎柄のシャツ!ここで、クラッシックということが、装飾的であると仮定してみよう。装飾的デザインは一つ一つが他の空間のことを考えず、描くひとは、全身全霊を込めて、細かいデザインをほどこす。しばしば、装飾は、我々の心に無遠慮に殴りかかる。例えば、多くの宗教建築は、世界的に見ても装飾的である。私たちは、その目の前で『すげーなあ』と感動してしまう。この装飾的感動を宗教的感動だと勘違いして、バタバタすることも多い。建築のデザイン的感に『救われた』という受け止め方さえありえるのだ。
私たちは、アンコールワットや知恩院の御影堂の中で、自分自身のちっぼけな存在に気づく権利がある。それが、宗教が本来もつ『善』の部分ではないか。
では、反対にモダンとはどういうことだろうか。古典的という原義を持っクラッシックに対し、モダンはいつも現代的なという意味をもつ。モダンデザインというものは、伝統的、装飾的デザインの嫌悪から来ている場合が多い。都会人は、いつの間にか、古代には神や王しか持たなかった装飾物の中で生活している。そのため神や王しか持っていないものを手に入れた人間は、しばしば自身を無限の存在であると勘違いしてしまう。そういった変な都会人と、無遠慮でケバケバしい装飾を嫌い、無装飾で、神経にふれない?デザインされた空間で、より平安な生活をしたいと望む人々が現れる。
日本で、始めにそういったモダンな空間を提案した人に、千利休があげられる。千利休は現代でいうなら、お茶のソムリエのような人である。彼は、茶を一番よい状態飲むために、ある時には、装飾を減らし、またある時には、極小空間に小宇宙を創り出した。つまり、空間をうまくデザインすることで、今風にいえば、日本に新しいカフェスタイルを生み出したインテリアデザイナーということになる。ただの茶人じゃないわけだ。
もう一人、戦後を代表するモダニストに小津安二郎が当然のようにあげられる。彼は、映画作家であり、建築家やデザイナーではない。だが、後のインテリアデザインにあたえた世界的功績は大きい。小津映画の特徴は、なんといっても徹底的なローアングルショットである。座生活の日本人の目線から、固定されたカメラで描きだした空間は、1センチメートルのくるいもないまさしく『モダン』なデザインである。小津のそうした評価を確実にした理由には、第一に従来からの長屋や、田舎の家といった日本建築にモダンな世界を再構築したことがあげられる。動くことのない日常を、彼は、まったく理解していた。第二に旧丸ビルや、団地などの洋式空間の中から、我々日本人本来の目線のファニチャーを提案したことである。日本の生活スタイルから洋式生活を取り入れること、小津は何だって、すっぽりいれてしまう。我々が真似をすると、何であんなに不細工なのだろうか。再構築と提案、その二つをヒョウヒョウと描き出した上で、一息のずれもないセリフをフィルムに焼きつけたのだ。小津の強みでもあり、弱味でもある『構成主義』が、そこら中で飛び回っている。彼の映画は、いつでも、住まいの空間を、私の目の裏に焼きつけるのだ。
小津の映画以来、70年代、80年代と日本建築の洋式化はピークをむかえる。好景気とバブルといっしょに得たものは多い。団地の次にマンションが生まれ、大量生産の住宅が次々と立ち並んだ。我々は欧米のクラッシックなスタイルで生活し、それをステイタスとした。今でもソファーは、金持ちの象徴でもあるように、部屋の真ん中に横たわっている。
ただ、日本では、ダイニングはしっかりと定着したが、リビングは定着しなかった。原因の一つとして、いくら核家族が増えたとはいっても日本の家は狭い。そもそも居間によって両方をすましていたのだから無理もない。ダイニングは食事をするのにやはり合理的であるらしく世界的に見ても普及度は高い。それに比べてリビングは、くつろぐ場所なのでその国の習慣がもろにでる。日本ではバブルの時、ソファに座らず、ソファの前のフローリングに座っていたという笑い話がある。
近年、日本では和室が見直されている。四角の畳の上、昼間にひなたで、横になる。縁側からは、太陽の光が、遠慮深く差し込んでくる。我々は、太陽の光と遠慮深い日本のモダンデザインの中で、一点のくるいもない生活をおくる権利もあるのだ。