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【職業斡旋所の窓口係】〜俺は冒険しないけど、稀代の英雄たちの育ての親です〜

掲載日:2026/04/11

 朝の匂いはいつも、馬糞と焼きたてのパンが半々だ。

 ヴェルナー・クロッホは窓を細めに開けて、その混合物を一秒だけ吸い込み、すぐ閉めた。マーレン街の朝はいつもそうだ。十四年、変わらない。変わったのは自分の腰と、右膝の鈍い痛みと、鬢の白髪がずいぶん増えたことぐらいだった。

 「クロッホさーん、コーヒー置いときますよ」

 トモ・ガンの声が奥から飛んできた。今年着任した、二十歳の新入り。コーヒーに砂糖を過剰に入れる謎の信念を持っている。三十七回訂正した。三十七回とも「少し甘めの方が優しい感じがして」と返ってきた。四十回目以降はもう訂正するのをやめた。

 カップを手に取ると、ことり、と陶器が机に当たる音がした。飲む前から甘ったるい匂いがする。

 「今日も砂糖多め?」

 「三杯です」

 「二杯」

 「三杯の方が」

 「二杯」

 トモがぶつぶつ言いながら引き下がった。ヴェルナーは台帳を開いた。

 五百四十二名。

 自分が窓口で対応した相手だけの記録。連絡が今も取れるのは三百九十一名。欄外に近況を書き足した者が二百三名。近況報告を書かない者は大抵うまくいっている。うまくいっていない者は来る。窓口に来る。また話をする。それが十四年の経験則だった。

 ガラガラ、と扉が開いた。

 「おはようございます。本日最初の方、どうぞ」

 カリン・ベックが第二窓口から声を出した。四十二歳、子どもが三人、コーヒーの腕だけは本物。十七年のベテランで、愛想は平均以下だが、客が問題を起こしかけると察知する速度が異常に速い。

 入ってきたのは四十代の男性だった。がっしりした体格、長剣を腰に提げ、歩き方に左足のかすかな引きずりがある。古傷だと一目でわかる。目つきが険しいのは性格ではなく習慣だろう。長年、油断できない場所にいた人間の顔つきだ。

 「冒険者の、引退相談があるんですが」

 「こちらへ」とヴェルナーは言った。「どうぞ、座ってください」

 男はどかっ、と椅子に腰を下ろした。


 ゴルド・ハイン。四十六歳。冒険者歴二十四年、Bランク。三年前に左膝の腱を切り、以来パーティの前衛を続けることが難しくなった。剣の技術は衰えていないが、素早い方向転換ができない。二十代の連中に混じってダンジョンに入ることに限界を感じ始めていると、ぽつり、ぽつり、と話した。

 「引退してどうするか、が全然見えなくて」

 「測定を受けたことは」

 「ここに来るのは初めてですよ。若い頃は斡旋所なんかプライドが邪魔して」

 「今は?」

 「プライドは左膝の手術のとき一緒に取れた気がします」

 くすり、とカリンが奥で笑う気配がした。ヴェルナーは測定セットを引き出した。

 水晶球、負荷機、反応棒、識別盤。順番に測っていく。ゴルドは黙って従った。ざらざらした大きな手が測定器具を持つたびに、動作の無駄のなさが目についた。二十四年の積み重ねというのは、こういうところに出る。

 数字が揃った。

 魔力値:8(下位)、体力偏差:74(まだ高い)、反射係数:79(かなり高い)、知覚指標:83(上位)。

 ヴェルナーは二度確認した。

 知覚83。反射79。この組み合わせで二十四年Bランク。つまりこの男は純粋な身体能力ではなく、状況読みと反応速度で戦ってきた。膝が壊れた今でも、その能力は無傷だ。

 「護衛指導員」とヴェルナーはペンを取った。「商隊護衛や貴族屋敷の護衛隊に、若手を教育する専門職があります。実戦経験と判断力が主な要件で、走り込みや跳躍は必要ない。現在、マーレン護衛組合がこの職種の募集を出しています」

 「教える、側に」

 「そうです。あなたが二十四年で身につけたものは技術より判断です。その判断を人に渡せる立場の方が、ダンジョンの前衛より価値が高い局面が来ている」

 ゴルドが腕を組んだ。じっと机を見た。

 「……俺みたいな人間が、誰かを育てられますかね」

 「来てみなければわかりません。でも来てみる価値はある」

 推薦状を書いて渡した。ゴルドはそれをぼろぼろの革の財布に丁寧にしまい込み、立ち上がり、会釈をして出ていった。足音がどん、どん、と重く、廊下の向こうへ消えた。

 「あの人、来年あたりまた来そうですね」とカリンが言った。「うまくいったら報告しに来るやつ」

 「そうかもしれません」


 十一時になると、斡旋所の前に列ができ始めた。

 月の第二火曜日は測定無料デーだ。ハウゼン所長が毎年予算を取ってくる数少ない施策で、これだけはヴェルナーも評価している。列には十代の少年少女が多いが、今日は三十代の女性も混じっていた。後ろの方に、杖をついた老人もいる。

 「第三窓口、開けますよ」とトモが言った。

 「開けてください」

 ぱたぱた、と走る足音。扉の向こうで「どうぞーこちらへーー」という声。声が大きい。斡旋所の外まで聞こえそうだ。

 次の客が来た。


 ガルド・リッサが来たのは、その日の午後一番だった。

 十四歳。背が低く、肩幅が狭い。上着の袖が長すぎて、指先が半分隠れている。両腕に青あざがある。位置を見れば鍛錬の傷ではないとすぐわかる。ぼこり、とした打撲の色だ。誰かに殴られた。しかも複数回。

 「剣士になりたいです」

 椅子の端にちょこんと座って、そう言った。声が震えていた。

 「いつからそう思っていますか」

 「……ずっと前から」

 「理由は」

 「……父が、剣士で」

 そこで止まった。続きを言いたくないのか、続きがないのか、しばらく待った。ガルドは足元を見たまま、小さく「強くなれると思ってました」と言った。

 ヴェルナーは測定を始めた。

 魔力値:0.3(下位八パーセント)。体力偏差:41(平均以下)。反射係数:2.1(かなり低い)。

 最後、識別盤を渡した。

 識別盤は十種類の香りの違いを嗅ぎ分け、素材名を当てる測定器だ。知覚指標の一部を測る。ガルドは盤の前に顔を近づけ、すん、と鼻を鳴らした。それから顔を上げて、ヴェルナーを見た。

 「……八番と九番、同じ材料が入ってますよね。でも九番の方に何か混ざってる。えーと、木の、根っこみたいな」

 「正解です」

 ヴェルナーは測定票に数字を書いた。知覚指標:91。

 剣士の上位層でも七十台が多い。しかも今の回答は識別だけでなく、分解と混合物の認識まで行っていた。これは別格だ。

 「ガルドくん」

 「はい」

 「剣士はやめなさい」

 ガルドの目から、すっ、と光が消えた。

 予想はしていた。でも言われると違う。その落差を黙って見るのが、この仕事の一番しんどいところだとヴェルナーは思っている。

 「……魔力もないし、体力もないから、ですか」

 「それもあります。でも本当の理由は別にある」

 「別に」

 「あなたには今、すごく良いものがある」とヴェルナーは言った。「でも剣士という仕事には、そのすごく良いものが全く必要とされない。宝の持ち腐れどころか、邪魔になる可能性すらある」

 ガルドが顔を上げた。

 「調香師」とヴェルナーは続けた。「香りを作る専門職。薬用から神殿儀礼用まで幅広い。一流になれば宮廷から直接依頼が来て、収入は剣士の上位一割と同等かそれ以上です。あなたの知覚指標91は、調香師として国内上位に入れる数値です」

 「……調香師」

 「今すぐ言わなくていいです。考えてから来てください」

 「いや」とガルドは言った。思ったより速い答えだった。「……父に笑われますけど、もう笑われ続けるのも嫌で」

 「笑われることと、向いていないことは別です」

 「どういう意味ですか」

 「剣士で笑われ続けることと、調香師で笑われることは、同じ笑われ方ではない。前者は続くが、後者はいつか止まります」

 ガルドは少し考えた。

 じわ、と目に何かが浮かびかけて、すぐ引っ込んだ。

 「……じゃあ、やります」

 署名を受け取り、推薦先の工房を地図に書いて渡した。ガルドは地図を両手でしっかり持って、一度深々と頭を下げ、出ていった。袖が長すぎて、扉を開けるとき手がうまく届かず、ぴしゃり、と音を立てて再び押して出た。

 カリンが肩越しにのぞいてきた。

 「また来ますよ、あの子。絶対来ます」


 三時に最後の列客を送り出すと、斡旋所の中はぱたりと静かになった。

 トモがほうきを持って廊下に出た。ざっ、ざっ、と床を掃く音が規則的に続く。カリンは帳簿の記入をしている。ヴェルナーは台帳を整理しながら、昼間に届いていた手紙を開いた。

 セラ・ヴァルト、王都騎士団情報部、副長補佐より。

 簡潔な文体。近況は一行。「任務が続いているため、今年の年末挨拶は遅れます」。それだけ。

 十一年前、ここに来たセラは十六歳だった。魔法使い志望で、魔力値は標準以下。しかし嘘を見抜く能力が突出していて、「皮膚が粟立つんです、嘘をつかれると」と言っていた。

 「諜報員の素養があります」とヴェルナーは言った。彼女は泣いた。

 今は副長補佐だ。泣いていた少女が、今は国家の情報網の一端を握っている。

 「ヴェルナー」とハウゼン所長の声が奥から飛んできた。「ちょっと来い」

 ハウゼン・ドルは太っていて、声が大きく、名前を呼ぶとき苗字より名前を使う習慣がある。部屋に入ると、机の上に三山の書類があった。形が昨日と変わっている。整理しているのか、それとも崩れているのか、判断がつかない。

 「エルンスト家の件、来週だ」

 「承知しています」

 「向こうの希望が変わった。魔導師か神官ではなく、『優秀な職種ならどこでも』に変わった」

 「親御さんが、ですか」

 「そう。理由は聞くな、俺も知らん。とにかく本人が来る。頼む」

 「わかりました」

 「あとテオ・ガンツだが」

 ハウゼンが書類の山から一枚引き抜いた。ぱら、と他の書類が崩れた。直さない。

 「農業研修所から問い合わせが来た。農業魔導士という職種の詳細を知りたいと」

 「先週送った資料の続きを今週中に出します」

 「農業魔導士なんてもの、本当に職種になるのか」

 「来年の穀物予測を読みましたか」

 「読んだ」

 「二年以内になります」

 ハウゼンが眉を上げた。それが承認の意味だとわかるようになったのは、ここ数年のことだ。最初の三年は怒っているのか考えているのか全くわからなかった。

 「お前に反論するのが面倒になってきた年齢だ、俺は」

 「よろしくお願いします」


 テオ・ガンツが最初にここへ来たのは、二ヶ月前のことだった。

 十五歳、ずんぐりした体格、指が太く、土の匂いがした。農家出身で魔法学校に入れたが火球のサイズが規定の半分以下、風魔法は使えず、土属性の感知系魔法だけが突出していると話した。声は小さかったが、言葉は正確だった。

 「先生に役に立たないって言われて」

 「どういう文脈で言われましたか」

 「授業中です。感知系ばかり使ってたら。戦闘に使えない魔法を磨いてどうするって」

 ヴェルナーは測定票を確認した。土属性感知:専門値91。水分分布把握:88。気温変動予測精度:84。どれも桁外れだった。農業という文脈に置けば、これは化け物だ。

 「テオくん、農家として一番困ることは何ですか」

 「え?」

 「農家として、困ること」

 テオが少し間を置いた。「また怒られる」という顔から、何かを考える顔に変わった。切り替わりに一秒かかった。

 「……深いところの水の量がわからないんです。掘ってみないとわからなくて、でも掘ると根が切れる。どちらかを諦めるしかなくて」

 「あなたは今、魔法でわかりますか」

 「……わかります」

 「誰でもわかりますか」

 「……え」

 「誰でも、ですか」

 テオが首を振った。ゆっくりと。まだ自分の能力を「ダメなもの」として分類していたから、それが「できること」として整理されるのに時間がかかっていた。

 「農業魔導士というのはこういうことです」とヴェルナーは言った。「現時点では職種の定義がない。でも来年、農業省が専門職の要件定義を始めます。テオくんはその最初の採用者になれる可能性がある」

 「……役に立てますか、俺」

 「誰よりも、特定の分野で」

 「特定の分野で」とテオはゆっくり繰り返した。それが気に入ったのか、少しだけ笑った。「特定の分野でいいや、俺は」


 ミレイユ・ノアが来たのは翌週の木曜日だった。

 十七歳、髪が長く、話し方が丁寧すぎるほど丁寧だった。回復魔法使い志望。五年前から頭痛の問題で使えない、何人もの先生に診てもらったが改善しないと、静かな声で話した。目の下にうっすら隈がある。眠れていないのか、泣いていたのかわからない。

 「魔力反動型耐性欠如です」とヴェルナーは言った。「回復魔法は術式コストが高く、術者への反動が大きい。それを処理できない体質の方が稀にいます」

 「……わかっては、いるんです」とミレイユは言った。五年聞かされてきた答えに慣れた声だった。

 「何語、話せますか」

 「……三言語です。父が外務卿の書記をしていたので」

 「条約文書を読んだことは」

 「机の上に置いてあったので」

 「内容は理解できましたか」

 沈黙が来た。ひと呼吸分。

 「……大半は」と彼女は言った。「ただ、なぜこの条件をこちらが受け入れたのかがわからないところが、いくつかあって」

 そこで言葉が止まった。自分が今余計なことを言ったかどうか、確認するような間だった。

 「外交補佐官」とヴェルナーは言った。「三言語の読み書き会話、文書読解力、人の感情を読む能力。あなたにはすべてある」

 「でも私は、誰かを助けたいんです」

 「外交官は戦争を止めます。一度に何千人も救える」

 長い沈黙が落ちた。

 窓の外で荷馬車が通り、ごろごろ、と石畳の音が鳴った。ミレイユは目を伏せた。唇を少し動かした。言いかけてやめた。また動かした。

 「……外交って、綺麗じゃないですよね」

 「綺麗ではありません」

 「嘘もつかなきゃいけない」

 「交渉という言葉に言い換えることもできます。でも本質は、あなたの言う通りです」

 ミレイユの手が、ふるふると震えた。書類を受け取ろうとしているのに、なかなか取れない。

 「もし、失敗したら」

 「失敗してから来てください。また話しましょう」

 彼女は書類を両手でしっかり持って立ち上がり、扉まで歩いた。一度だけ振り返った。何か言いたそうだったが、結局何も言わずに出ていった。

 扉がぱたん、と閉まった。

 「あの子、また来ますよ、絶対」とカリンが言った。

 「そうですね」

 「でも次来たときは、もっと強くなってる気がします」


 エルンスト家の三男、アルフォン・エルンストが来たのは翌週の火曜日だった。

 御者つきの四輪馬車。上等な服。靴に泥一つない。それより目についたのは目つきだった。十六歳にしては疲れが溜まりすぎている。何かを長い間諦め続けてきた人間の顔だ。

 「父は今は、優秀な職種ならどこでも、と言っています」

 「以前は」

 「魔導師か神官を、と」

 「何があって変わりましたか」

 アルフォンが少し黙った。

 「……私の魔力が漏れ出て、稽古場の壁が少し崩れました。先月」

 「それで」

 「魔導師の先生が、もう教えられないと」

 ヴェルナーは測定を始めた。水晶球を渡した瞬間、ぴり、と空気が動いた。微細な放電のような感覚。測定は二分で終わった。

 数値を見た。三度確認した。

 魔力値:測定上限超過。

 年に一人か二人出るかどうかの数値だった。

 「封術師」とヴェルナーは言った。

 「……聞いたことがない職種です」

 「表に出ない職種だから。上位魔物、封印された遺跡、制御できない魔力を持つ人間を封じる専門家です」

 アルフォンが静かに息を吸った。

 「私のような人間を、封じるということですか」

 「そうです。自分と同じものを理解できる人間は、それを封じることもできる」

 「……父には何と言えばいいでしょう」

 「魔導師の上位互換、と言えばいいと思います。嘘ではありません」

 アルフォンは小さく笑った。疲れた目が、わずかに変わった。十六歳の顔になった。

 「あなたは不思議な人ですね、窓口係なのに」

 「窓口係だから、です。毎日いろんな人間を見ていると、いつかすべてのパターンが見えてくる」

 「魔力が高すぎて困っている人間も、来るんですか」

 「三人来ました。一人は封術師になりました。一人は訓練中です。一人は……別の道に進みましたが、年に一度、手紙をくれます」

 「四人目になります」とアルフォンは言った。

 書類に署名して、丁寧に折りたたんで、内ポケットに収めた。馬車に乗り込む前にもう一度振り返り、ぺこり、と会釈をして去った。御者の老人が目礼してきた。ヴェルナーも軽く頷いた。


 ハウゼンに呼ばれたのはその週の木曜日だった。

 「ブレイク・ロウが来るかもしれない」とハウゼンは言った。

 「……来ます」とヴェルナーは言った。

 「なんでわかる」

 「ゼノ・マルカ・シーリンの三人が先週それぞれ別のルートからここへ問い合わせを出しています。ブレイクが最近動きがおかしいと伝えてきた。来る前の兆候です」

 「ゼノはどこにいる」

 「補助魔法使いとして、Aランクパーティの専属です。マルカは北部の医療院で治癒師をしています。シーリンは情報局の任務調整官です」

 ハウゼンがぼそり、と何か言った。聞き取れなかった。

 「何ですか」

 「全員、お前が送り出したやつだろ、って言ったんだ」

 「ここに来たから、送り出しただけです」


 ブレイク・ロウが来たのは翌月曜日の午前だった。

 ガラガラ、という音ではなく、ガンッ、という音で扉が開いた。

 三十代後半の男。長剣、鎧の残骸、目が血走っていた。顔を見た瞬間、ヴェルナーの胃が一瞬冷えた。五年前より老けた。老けたのに荒れている。良い老け方ではなかった。

 「クロッホ!」

 「久しぶり、ブレイク」

 「久しぶりじゃない! お前、俺のパーティに何しやがった!」

 カリンが静かに立ち上がり、裏口の方へ歩いていった。ヴェルナーには何をしに行ったかわかった。客の三人が椅子ごとずるずると後退した。トモが第三窓口の裏に消えた。

 「何もしていません」

 「俺のパーティが崩れた原因はお前だろ! ゼノ、マルカ、シーリン、全員ここに来て、全員抜けていった!」

 「来たから相談に乗りました。来た以上は乗るのが私の仕事です」

 「ゼノは剣士として使えた! マルカは治癒師として十分機能してた! シーリンは偵察の要だった!」

 ヴェルナーは表情を動かさなかった。

 「ゼノさんは補助魔法の適性が剣士の三倍ありました」と静かに言った。「マルカさんは治癒師を続けていれば二年以内に魔力枯渇症を発症していた。シーリンさんは偵察の体力評価が年々低下していて、このまま続ければ三年以内に事故のリスクが高くなっていた。それを本人たちに伝えただけです」

 「誰に頼まれた!」

 「本人たちに」

 ブレイクが拳を振り上げたとき、扉が静かに開いた。

 「先生」

 低い声だった。

 セラが騎士団の制服で立っていた。その後ろにゼノ。さらに横に、久しぶりに見る顔がいた。マルカだった。五年前より落ち着いた顔になっている。

 「おい、お前たち……」とブレイクの声が変わった。

 「ブレイクさん」とセラが言った。穏やかな声だったが、目は笑っていなかった。「先生に対して、その態度はなんですか」

 「お前たちに関係ない」

 「あります」とゼノが言った。「先生が俺の話を一時間聞いてくれなかったら、俺は今もブレイクさんのパーティで剣として使われていた。補助魔法使いになってから三年で、パーティの生存率が二割上がった。それが先生への態度というなら、俺には関係があります」

 「シーリンは来られなかったですが」とマルカが付け加えた。「伝言を預かっています。『先生に失礼な態度を取るなら、次の任務候補地から一か所外します』と」

 シーリンは今、情報局の任務調整官だ。任務候補地を一つ外すというのは、大きな意味を持つ。

 ブレイクの顔が歪んだ。怒りから、別の何かへ変わっていった。

 「……俺のパーティは、弱かったか」

 誰も答えなかった。

 答えないことが答えだった。

 ブレイクは長いため息をついた。空気を全部吐き出すような、大きなため息だった。

 「……俺も、相談できるか」

 ヴェルナーは椅子を引いた。

 「どうぞ」


 ブレイクの測定票を見ながら、ヴェルナーは少し驚いた。

 魔力値:12(低い)。体力偏差:79(上位)。反射係数:88(かなり高い)。知覚指標:72(標準上)。冒険者歴十四年、副隊長経験あり。

 問題は数値ではなかった。数値だけ見れば、まだ現役でやれる水準だ。

 「ブレイク、今まで一番得意だったことは何ですか」

 「戦闘に決まってんだろ」

 「戦闘の中で、何が」

 「……」

 少し間があった。

 「メンバーの動きを見てて、あいつ今疲れてるとか、ここで突っ込むと危ないとか……なんかわかった。副隊長だったし、それが仕事だと思ってたが」

 「パーティの状態を把握する能力。人間を観察する力。十四年の実地経験」

 「それが何になる」

 「訓練指揮官」とヴェルナーは言った。「新人冒険者の育成専門職です。王都ギルドがこの役職の専門採用を準備しています。実戦経験者で、戦闘よりも人を見る目があるタイプが必要とされている。現在この役職の多くは、実戦経験が薄い」

 ブレイクが眉をひそめた。

 「俺が育てる側に」

 「あなたのパーティの三人が抜けていったのは、能力の問題ではありません」とヴェルナーは続けた。「あなたが彼らの本当の適性を見ていなかった。ゼノを剣として使い、マルカを癒し手として使い、シーリンを目として使った。でも三人とも、別の形で輝ける人間だった」

 「……俺のせいか」

 「あなたが悪いとは言っていません。見えていなかっただけです」

 「同じだろ」

 「違います。見えていなかったことは過去です。これから見えるようになることは未来です」

 ブレイクは黙った。

 時計が三回鳴った。トモがそっと顔を出し、ヴェルナーの視線に気づいてすぐ引っ込んだ。

 「……お前、なんで最初からそれを言わなかった。パーティを組んだとき、お前は一緒にいたじゃないか」

 「言いませんでした」

 「なんで」

 「あなたが来なかったからです」

 ブレイクが顔を上げた。

 「相談に来た人間にしか話せません。来なかった人間に向こうから言いに行く権限は、私にはない」

 長い沈黙が落ちた。

 ブレイクは頭を下げた。深くではなかった。でも確かに下げた。十四年、副隊長として戦ってきた男の頭が、窓口のカウンターに向かってゆっくり下がった。

 「……頼む」

 ヴェルナーは書類を出した。


 夕方、セラたちは斡旋所に残った。

 カリンがコーヒーを出した。トモが椅子を追加した。いつのまにか閉所後の小さな集まりになっていた。セラが騎士団の話をし、ゼノが補助魔法の最新研究を話し、マルカが北部の医療院で面白い薬草を見つけたと話した。ブレイクは端の方で腕を組んで聞いていた。最初は不機嫌そうだったが、途中からゼノの話に口を挟み始めた。

 「そのパターンは俺も見たことある。ダンジョンの第三層で」

 「それですよ! なんで第三層だけそうなるのか全然」

 「地形の問題だろ、たぶん。下から魔力が上がってきてるから」

 「あ、そうか」

 ゆっくりと、ブレイクの顔から荒れた表情が抜けていった。

 ヴェルナーは端の椅子から、その様子を見ていた。

 カリンが隣に来た。

 「楽しそうですね、みんな」

 「そうですね」

 「クロッホさん、またこっちで見てる」

 「中に入る必要がないので」

 「必要、あると思いますけど」

 「今は彼らが主役の時間です」

 カリンが少し黙った。コーヒーをすする音。ずず、という小さな音。

 「さっき話してた、外れた一人って」

 「私自身です」

 「……やっぱり」

 「前のパーティに十年いました。魔力ゼロ、体力標準以下、反射は下位。それでも続けようとして、追い出された。当然の結果です」

 「ブレイクに追い出されたんですか」

 「そうです」

 カリンが少し息を止めた。

 「……だから今日来ることがわかったんですか」

 「追い出した側は、追い出したことを後で考えます。今日来たのはその結果です」

 「怒ってないんですか」

 「怒る段階はとっくに終わりました。今は、彼が正しい場所に行くかどうかの方が気になっています」

 カリンはしばらく黙っていた。

 「……クロッホさんが向いていなかったから」と彼女はゆっくり言った。「向いていない仕事を続ける痛みが、全員の顔に見えるんですよね」

 「そうです」

 「良かった、とは言いにくいですけど」

 「言いにくくていいです」とヴェルナーは言った。「ただ、私がここにいる理由の一つは確かにそこにあります」

 コーヒーを受け取った。今日は砂糖が適量だった。

 「トモに教えましたか」

 「三十八回目でやっと伝わったみたいです」

 「遅い」

 「向いてきたんですよ、少しずつ。窓口係が」


 冬になった。

 ガルドから手紙が届いた。工房から正式採用の通知が出たという。師匠の調香師が神殿祭祀の調香を弟子に任せてくれることになった。三ヶ月かけて四十七種類の素材を試したと書いてあった。

 「向いていると言ってくれてよかった」という一文があった。その直後に「でも向いているってわかっても、難しいことには変わりない」とあった。

 それからしばらくして、テオが農業省の採用試験に合格した知らせが来た。農業魔導士、という肩書で正式採用、と丸文字で書いてあった。「特定の分野でいいや俺は、って言ってよかったです」という追伸つきで。

 ミレイユは東部国境の交渉チームに補佐として同行することになったと、短い手紙が来た。「綺麗ではない仕事ですが、慣れてきました」という一文が最後にあった。

 アルフォンは王都の封術師協会に正式に受け入れられ、見習いを始めたと父親から丁寧な手紙が届いた。本人からも別に手紙が来た。「四人目は今のところ順調です」と書いてあった。

 ブレイクは冒険者ギルドの面談を受け、先週採用通知が届いたと本人が直接来て教えてくれた。窓口のカウンターに両手を置いて、「俺、向いてそうか、これ」と聞いた。

 「今のところは」とヴェルナーは言った。「ただし新人に怒鳴らないこと。わかりましたか」

 「む」

 「わかりましたか」

 「……わかった」

 ブレイクは手土産のパンを置いて帰った。ざっくりした包み方で、紙がほどけかけていた。


 五百四十三番目の名前が台帳に加わったのは、その翌週のことだった。

 十三歳の少女。名前はエリカ・ヴォス。目が大きく、指先に小さな傷がたくさんある。物を作っている手だと一目でわかる。

 「将来のことで相談したくて」

 「何を作っているんですか、その手は」

 少女が目を丸くした。

 「……人形、です。売ってるわけじゃないんですけど、弟が欲しがってて、材料があれば全部作れるから」

 「全部、とは」

 「木の部分も、布の部分も、顔の細工も」

 測定を始めた。

 魔力値:22(標準以下)。体力偏差:49(標準)。反射係数:61(標準)。知覚指標:78(上位)。そして細工加工適性:88。

 最後の数値は斡旋所の測定項目の中でもあまり使わない測定だった。細工師、工芸家、精密魔導具師などの職種に関連する。

 「精密魔導具師の素養があります」

 「……魔力があまりないのに、魔導具師なんてできるんですか」

 「魔導具師の大半は、魔力より手先の精度と知覚指標が重要です。魔力が高い人間が作る魔導具より、精度が高い人間が作る魔導具の方が安全で長持ちする」

 エリカがまじまじとヴェルナーを見た。

 「……本当ですか」

 「来週、マーレン第四区の精密工房に見学の機会を取れます。行ってみますか」

 エリカが少し考えた。一秒ほど。

 「行きます」と言った。

 書類に署名して、両手でしっかり持って立ち上がった。扉まで歩いて、一度振り返った。

 「あの、一つ聞いてもいいですか」

 「どうぞ」

 「ここって、来る人みんな向いてる職業が見つかるんですか」

 ヴェルナーは少し考えた。

 「全員ではありません。時間がかかる人もいます。でも来てくれれば、一緒に探します」

 「全員じゃないんですね」

 「私が外れることもあります」

 「……外れたら、また来ていいですか」

 「もちろんです」

 エリカは小さく笑ってぺこりと頭を下げ、扉を開けて出ていった。ことり、と静かに閉まった。

 カリンが肩越しにのぞいてきた。

 「また来ますよ、絶対。でも次来たときは、もっと良い顔してると思います」

 「そうですね」

 トモが奥から「コーヒー入りましたよ」と声を出した。

 「砂糖は」

 「二杯にしました」

 「よろしい」

 ヴェルナーは台帳を閉じた。

 外で荷馬車が通り、ごろごろ、と石畳の音がした。魚売りがまた怒鳴っている。犬が遠くで吠えた。変わらない音ばかりだ。でも台帳の中身は、少しずつ変わっている。

 五百四十三名。

 明日また扉が開く。また誰かが来る。また話をする。

 それだけのことが、十四年続いている。


 春になれば、ガルドが師匠の調香を手伝いに神殿に行く。テオは農業省の最初の調査地に向かう。ミレイユは次の交渉に備えて三ヶ月で第四言語を習得しようとしているらしい。アルフォンは先月、初めて上位魔物の封印補助に立ち会ったと短く手紙に書いていた。ブレイクは新人八人を担当して、三人が一ヶ月で辞めたと悔しそうに報告しに来た。次は辞めさせないと言っていた。

 ゴルド・ハインから連絡が来た。護衛組合の訓練役として採用が決まったという。「向いてるかどうかはまだわからんが、やってみる」と書いてあった。

 セラからは短い手紙。「任務が続いています。先生は元気ですか」とだけ。

 元気です、とヴェルナーは返事を書いた。

 特に何もないですが、明日も窓口に座っています、と。

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