七話
彼のために何かしたい。そう考えてしまうのが恋心だ。
食事を作って食べてもらいたい。そう思ったけれど、台所はヤスの領域で入れてもらえなかった。
肩を揉みましょうか? と、自分で肩をほぐしていた青慈に言ったら、断られた。
何か自分にできそうなことはないか。やちよが考えを巡らせていると、青慈がキヨノの部屋にやってきた。
「姉上」
青慈の服装が朝と変わっている。今朝着ていた着物は、彼の手の中にあった。
「どこかに引っかけて破いてしまった。補修を頼む」
仕立てはシズが担当しているが、衣類の些細な補修や雑巾縫いは、キヨノの担当だ。キヨノは時に、施しとして村民の着物の補修もしている。
「分かった。そこに置いておけ。だが、補修は雑巾を縫い終わったあとだ」
「かたじけない」
青慈は布の山の上に着物を置くと、部屋から出ていった。
キヨノは布の山に手を伸ばした。
「何に引っかけて破いたんだ」
文句を言いながら、青慈の着物を布の山からどける。やちよの手は、無意識に青慈の着物に伸びていた。
「キヨノさん。青慈さんの着物の補修、私にさせてくれませんか?」
「やちよ様がやるようなことではないですよ。私が補修しますので」
「お願いします。私がやりたいです」
彼のために裁縫ができる。好機を逃したくない。やちよは青慈の着物をぎゅっと握る。
キヨノもやちよの必死さに何かを察したのだろうか。
「ではやちよ様、青慈の着物の補修をお願いします」
自分の仕事をあっさり任せた。
「はい!」
やちよの顔が日に照らされたようにパッと明るくなった。
「失礼ですが、裁縫経験はありますか?」
「あります。自分の着物の補修は、自分でやっていました」
「左様でございますか」
キヨノは裁縫箱をやちよの前に滑らせた。
「針で指を刺さないよう、お気をつけください」
「はい」
やちよは針山から針を抜いた。黒色の糸を針穴に通し、青慈の着物に刺した。
一針一針、丁寧に縫い進める。青慈への思いが乗った糸で、開いていた穴はどんどん小さくなっていく。
「できました」
やちよは完全に穴が塞がった着物を、キヨノに見せた。キヨノは着物を広げたり、縫ったところを触ったりして出来栄えを確認する。
上手くできているだろうか。裁縫はできると言ったものの、得意でもない上に、久しぶりだった。キヨノの念入りな確認に不安が募る。
「やちよ様、お上手ですね」
お墨付きをもらえてほっと胸をなで下ろす。
キヨノは青慈の着物を畳むと、完成して山積みになっている雑巾の隣に置いた。
「あの……」
やちよは、キヨノの影に隠れた青慈の着物を見つめながら言った。
「着物、青慈さんに渡しに行ってもいいですか?」
初めて青慈のために尽くせたのだ。だから、早く彼に着物を届けたい、と気持ちが溢れてしまう。
キヨノは顎先を触り、何かを考えたようだったが、
「いいですよ。行きましょう」
と、やちよの願望を聞いてくれた。
「青慈は父上のところにいます」
やちよは胸に着物を抱きかかえて、キヨノの後ろをついて行く。昼間に自分から青慈の元に行くのは初めてだった。青慈は昼間、青午と一緒にいることは知っているが、何をしているかは訊いたことがなくて知らない。
「青慈さんって、昼間は何をしているのですか?」
「父上の仕事を見ているのです。父上が当主から退いたら、青慈が全て引き継がねばなりませんから」
青午様の仕事って何だろう。叔父の三人は泥だらけだったり、よろよろになって帰ってきたりするので、村民への施しで力仕事をしているのだと推測できる。けれど、青慈と青午が汚れているところを見たことがない。だから、何をしているのか見当もつかない。
青午様の仕事は何ですか? と、キヨノに尋ねる前に、青慈がいるという部屋の前についた。キヨノはわずかに襖を開け、廊下から部屋の中を覗いた。
やちよも隙間から中を覗く。正座をし、こちらに体の右側面を向けている青慈の姿があった。彼は何を見ているのだろう。青慈の視線の先を見ようとしたが、わずかな隙間からは見ることができなかった。
「青慈さんは何を見ているんですか?」
キヨノに小声で尋ねる。
「父上と施しの依頼に来ている村民のやり取りを見ているのです」
青午の仕事は、百目鬼家にやって来る村民たちへの対応。青慈の仕事は、奥の部屋から父親の姿を見て学ぶことだった。
キヨノは部屋の中を覗くのをやめた。だがやちよは、姿勢を正し置物のように微動だにしない青慈を見つめ続けた。
しばらくすると、青慈が立ち上がった。そして、視界の中に青午も入ってきた。
「終わったみたいです」
やちよは覗き見をやめ、襖の隙間から顔を遠ざける。すると、キヨノが隙間に向かって声を出した。
「父上、キヨノです。失礼します」
と、襖を全開にした。青午と青慈がこちらを向く。
キヨノが部屋の中に入ったので、やちよも後ろをついて行く。
「キヨノ。それにやちよさんも一緒とは珍しいな。どうしたんだ」
青午がこちらに歩み寄ってきた。
「あっ、用事は父上にではなく、青慈に」
キヨノが言うと、青午は足を止め、青慈を手招きした。
「俺に何用だ?」
青慈は首を傾げながら、こちらに来た。
キヨノの後ろにいたやちよが前に出る。
「あの、これ」
体温で温もった着物を青慈に差し出す。着物が離れた胸の辺りが、涼しくなったような気がした。
「おお、さっき補修を頼んだものではないか」
着物が手を離れる。空手になると、掌が冷たくなった。
青慈はやちよが縫ったところを指でなぞった。自分が触られたわけではないのに、やちよは体が熱くなるのを感じた。
縫い目をなぞっていた青慈が顔を上げた。
「姉上は忙しそうだったが。もしかして、そなたが補修してくれたのか?」
「はい」
「そうか。わざわざありがとう」
青慈からの礼は、「彼のために何かをできた」という証。やちよの胸は嬉しさで満たされる。
「用事は以上かな?」
青午に問われ、はっとする。幸せに浸っていて、二人の仕事を中断させていたことを忘れていた。
「す、すみません」
やちよは肩をすぼめながら言うしかできなかった。キヨノがやちよを助けるように、
「父上、失礼しました」
詫びを入れ、やちよを部屋の外に連れ出した。
ぺたぺたと足音が響く廊下で、やちよはぽつりと言った。
「仕事の邪魔をして、青午様を怒らせてしまったでしょうか……」
「ご心配なさらずに。父上はやちよ様に対しては、あれくらいで怒らないと思います」
「そうでしょうか?」
「ええ。父上、怒るともっと低い声になって、内臓まで響きますから」
確かにさっきの青午の声は、内臓まで響く感じはしなかった。じゃあ、怒ってはないのかな? やちよはキヨノの言葉を信じ、気にしないことにした。
昼餉後、今日の漢字を教えてもらう前。
「何かほしいものはないか?」
青慈から尋ねられた。
「なぜ、急に?」
やちよは目をぱちくりさせる。
「さきほどの礼だ。それに、そなたには不自由な思いをさせているであろう? だから、父上から何か贈るように言われたのだ」
「それなら……」
やちよには、ほしいと思っていたものが一つあった。それは、百目鬼家で使われているところを見たことがないとあるもの。
「手鏡がほしいです」
「……手鏡か」
つぶやいた青慈の声に陰りがあった。
貧しい田村家にすら鏡はあった。だから、高価なものではないはず。けれど青慈はいいぞ、と即答しなかった。
村一番の屋敷を持ち、衣食住も十分すぎる百目鬼家が貧しいはずがない。金銭的な理由ではなく、何か手に入れにくい事情があるのだろうか。
「難しいですか?」
「いや、大丈夫だ。そなたが気に入りそうな手鏡を準備いたそう」
青慈は言ったが、声の陰りは残ったままだった。
三日後、青慈は約束通り、手鏡を贈ってくれた。黒い背面に桜模様が施された可愛らしい手鏡。どうやって手に入れたか青慈に尋ねたが、詳しく聞かせてくれなかった。けれど、昨日、どこかに行ったような気配があったから、そのときに調達したことは想像できた。
やちよは早速鏡を覗き、約四ヶ月ぶりに自分の顔を見てみる。
日に焼けなくなった顔は本来の肌の色を取り戻し、赤みを帯びた白色になっていた。百目鬼家に来て、毎食栄養のあるものを食べているからか、ほっそりとしていた頬も丸みを帯びていた。自分を見ているはずなのに、別人を見ているみたいだった。




